24話「女神様の加護の下」
あとを追うのは容易かった。
だって、薔薇の香りが色濃く残っていたのだから。
――まあ、ワザとでしょう。
辿り着いた先は、礼拝堂。時間は午前十時半。午後からの予行練習までにはまだまだ時間があり、きっと他に誰もいない。城の中心からも離れていて、多少騒いだ所でバレないだろう。おまけに魔法を封じる女神様の加護付きだ。
「はっ、魔法なしならわたしに勝てるって?」
彼女が保身のために出来ることは、セリナの口を封じるしかない。取引か。脅しか。そんなものに応じるわけがないので、選べる手段はひとつだけ。物理的に喋れなくすること。
そのための罠に、セリナは何の準備もせず踏み込む。
「さあ、お望み通り来てあげたわよっ!」
ステンドガラス越しの後光を背にした女神の前に佇むのは、一人の騎士だ。青い髪を一つに束ね、細身の体躯にいつも軽鎧を纏っていたのは――きっと体型を隠すためだったのだろう。どんなに鍛え、身体を補正しようしても、女性が男性になるには無理があるのだから。
「以前から思っておりましたが、とても無謀な姫様ですね。ここではお得意の魔法も使えませんよ?」
「そう? 男に言われるならまだしも、女に言われるのは意外だわ」
小首を傾げるセリナに対して、シオン=ルイスの視線は鋭い。
「どうして僕……私が女だと?」
「そうねぇ……」
――なんて説明したらいいのかしら?
正直に言うわけにはいかない。根拠は、三度繰り返した中で話した違和感。
ルイス家に弟が生まれて、彼女らの父親が浮かれているということ。跡取りのはずのシオンが適齢期なのに、婚姻の話が全くないこと。そのどちらも、彼女が本当に男ならばおかしな話だ。だけどそのどれも、今回の今日話したことではない。
――てか、今日会うのは始めてだしね。
あと、もっと前から感じたことと言えば。
「もしかして、あんたの主は、あんたが女だって知っているのかしら?」
「……ロック様が口外したとは思えません」
「なるほど」
――主には絶対の信用を置いているわけか。
今までの様子からして、シオンが女だという事実はロックを除き、城の誰も知らないのではないか。イクス王子もルイス家の長男の正体が男装の令嬢だと知っていれば、手元に置きたいなど言わないだろう。
――そういう性癖はなさそうよね。政務や規律には真面目みたいだし。
となれば、これは大問題だ。【隠せぬ薔薇】の盗難事件よりも大事かもしれない。かの忠臣たるルイス家が性別を偽った者を王子に遣わせていたのだ。たとえロック当人が許可していたとしても、ルイス家の信用問題に大きく関わる。このサンビタリアでは、女性が表舞台で働いたり、ましてや武器を持って戦うなんて野蛮なことなのだから。
「うーん……これはどうしたもんかしら?」
セリナは腕を組み、真剣に悩む。自分なりに勉強していたとはいえ、正直政治に関しては疎い。このような場合、どう対処すればいいのか判断がつかない。国王に進言したら、ルイス家はどうなるのだろうか。理由なくして彼女を男として遣わせているはずはない。
――おそらく、どうしても女の子しか生まれず仕方なしにってところなんでしょうけど……。
でもそのやむを得ない事情を容赦なく糾弾して良いものだろうか。セリナが告げ口したことにより、彼女や当主が極刑にでもなったら。ルイス家の当主は父カルサスの友人でもある。だったら、あまり大事にしない方が……。
などと逡巡していると、シオンの鼻で笑った声が礼拝堂に響く。
「あなたは……何を今更悩んでおられるのですか? まさか、私に同情でも?」
「いや、別に同情というわけじゃ……」
「馬鹿にしてっ!」
その怒声に、セリナは目を見開く。シオンはその藍色の目に薄らと涙を浮かべていた。
「どうせ私を見下しているのでしょう⁉︎ 性別まで偽って騎士として頑張ってきたのに、弟が大きくなったら私は用済み。生き遅れの令嬢として、証拠隠滅も兼ねて国外にでも嫁がされるのが関の山。好きな相手と結ばれることなんか……それこそ心中でもしない限り絶対に無理な哀れな――」
「あぁ、やっぱりあれは心中だったわけね」
セリナの声が低くなる。その呟きに対して「あれ?」とシオンの表情がより一層険しくさせるも、セリナは無視して訊いた。
「もし――わたしがここに来るまでの間に、国王に全てを進言していたとしたらどうする?」
「そんな時間どこに――」
「別にわたしが言わなくても。ジェイドにどうにかして伝えるように頼んでいたら、あの男ならやり遂げるわよ。いきなり国王に言わなくても、王妃やイクス王子経由で伝えたっていいわけだし」
「くっ……」
あからさまに奥歯を噛みしめるシオンに、セリナは「もしもの話なんだけどね」と苦笑する。
だけど即座に、セリナの目が細まった。
「でも、あんたは八方塞がりになったら、あいつと心中する道を選ぶのよね?」
その考えを、セリナは心底軽蔑する。
ロックの意思や命がどうこうと偽善者ぶるつもりはない。ただ嫌なのだ。性別を偽っていたとはいえ――いや、偽っていたからこそ――今まで身体を張って頑張ってきただろう同じ女が、最後に安易で最低な結末を選んだことが。
「正直、わたしには恋とか愛とかよくわからないわよ。でも、もう少しどうにか足掻けなかったわけ? たとえ相手に婚約者が出来たとしても、所詮は政略結婚よ。もっとあいつを口説こうとか努力のしようが――」
「あんなに愛されているあなたが、どの口で言えるんですかっ‼」
――火に油を注いじゃったかな?
シオンの目から。ポロポロと涙が溢れていた。鼻を赤くして睨んでくる顔は、紛れもない女そのものだ。
「毎日あんなに愛されて、尽くされて……それをずっと間近で見てきた私の気持ちが……あなたなんかに理解されてたまるもんですかっ!」
そして、シオンは剣を抜く。細剣の切っ先がステンドガラス越しの明かりに煌めいた――と思った次の瞬間には、あの剣先が目の前にあって。
――速い!
セリナが慌てて飛び退き、手を掲げた。
「【氷の槍】ッ‼」
だけど、掌には何も生まれない。代わりに聞こえるのは、小さな嘲笑。
「お忘れですか? 女神サンビタリアの前は、魔法は発動しませんよ――たとえそれが、勇者や魔王のそれであっても」
シオンはさらに一歩踏み込んでくる。細剣が振り下ろされた時、それはキンッと甲高い音を鳴らした。セリナがとっさに取り出したフォークとスプーンで、それを受け止めたからだ。それは、本来ならばロックを殺すために使うはずだった物。
「舐めた真似を」
だけど、所詮それはただの食器。筋力の差もなければ、それは単純な重さによってアッサリと弾かれ、二つとも長椅子の下に滑って行ってしまう。その小さすぎる抵抗に笑いを漏らしたのはセリナ自身だ。
「せっかくの毒が無駄になったわね」
「諦めて死んでください」
「お断りよ!」
素早く突かれた攻撃をセリナは左手でいなし、懐に潜り込む。そしてみぞおちに拳を打ち当てようとしても、シオンの左手に呆気なく受け止められてしまった。捻られ、足を払われ、転ばされ。
「死ね――」
無表情で剣を振り下ろそうとする彼女の向こうに、女神の姿が見えた。それは慈悲深い顔をしているようで、高慢。微笑んでいるようで目が笑っていないような、そんな顔。だからこそ美しいのかもしれない。所詮人間を見下ろしているだけの存在だからこそ――さらなる高みから落ちてくる鈍い光に、気付かないのだろう。
青い空を見上げない限り気が付かない。
一見普通の包丁が天井のステンドガラスを突き破り、女神を脳天から切り裂いたことなんて。




