22話「当たり前の恐怖を前に」
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彼は婚約者を部屋まで送り届けて、笑顔で手を振る。
そして扉がしまった直後に、服の下から小型の杖を取り出した。ペンと変わりないサイズに付いた飾り石は魔法石。それの魔力を込めつつ、彼は己の知る限りで一番強固な結界陣を扉に描く。
――頼むから、勇者の魔法に負けないでくれよ?
姫が使う【七色の武器】は、もちろん素晴らしい魔法だ。【力ある言葉】だけで発動する魔法。時間や物理的なロスもなく超常的な現象を起こすなんて、まさに神業。だけど彼女が使う以上、勇者よりも威力が劣る。あの程度の威力では、到底魔王に太刀打ち出来ないだろう。
――勇者とて、本当に魔王を倒せたかどうかは眉唾ものだけどな。
もちろん父親の偉業を信じている彼女に話すつもりはないが、たとえ神業を使いこなせたとして、魔法を司る王に勝てるものなのだろうか。だって、その【七色の武器】すら、魔法には変わりないのだから。魔王に対面したことないが、それでも魔法の研究を進めれば進めるほど、その頂点たる存在に人間が及ぶとは思えない。
その根拠となるのが魔呪具だ。使用者の死をトリガーに時間が巻き戻る魔法なんて、人間の書いたどの禁書にも書かれていなかった。
――まぁ、それでも今の平和が有り難いことに違いはないんだけど。
ロックは無事に結界を張り終え、杖をしまう。そして外した首飾りをドアノブにかけた。
「まったく、何をお転婆してるんだか」
苦笑して思い返すのは、彼女の言動。自分の命を心配し、尾行までして守ろうとしている。魔呪具に関してやたらと気にしているからには、この首飾りが関与いるのだろう。
――すなわち、彼女が死んで、今日をやり直しているということ。
「そして、おそらく俺も死んでるんだろうな」
苦笑して、彼は首飾りを指先で弾く。
「頼むから、本来の持ち主を守ってくれよ?」
決して、物が喋ることはないけれど。
自分の命と彼女の命。そのどちらかを問われれば、天秤にかけるまでもない。
今まで誰からも愛されてこなかった自分が生き延びて、何になるというのか。当然、魔呪具の反作用に困ることが出てくるかもしれないが……どうしてか、彼女はこんな物、すぐに手放すような気がする。
――俺が運良く生き延びたら、体良く回収すればいい話だしな。
一先ず、これで彼女の安全は確保できた。あとは如何に自分の命を守るか。別に彼自身、彼女の命と比べるまでもないだけであって、簡単に命を手放してやるつもりはない。
「っていっても、情報が少ないんだよなぁ……」
部屋に戻りながら、彼は頭を掻く。
おそらく関係あるのは【隠せぬ薔薇】を盗んだ犯人。彼女には犯人探しが進行していないような素振りをしたが、実のところ一つ確信していることがあった。
盗んだ痕跡も、その後の逃走経路も把握出来ない――そんな超常的なことは、魔族が関与しているのではないか、と。
――これを口にして、あいつに心配かけるのも嫌だしな。
それに、彼女に言わない理由はもう一つ。
――魔族の存在を疑うなら……一番当てはまるのはあの執事だろ。
婚約者と一緒に登城した、カルミアの頃から側付きであるという執事。サンビタリアで彼女のために用意したメイドを尽く蹴散らし、頑なに彼女の側を死守する美丈夫。その美貌と一途さに王妃含め、一部女性の人気を集めているようだが……この一年見てきて、あの怪しさを疑うなという方が困る。
――さすがに魔族なら、もう少し正体を隠そうとすると思うんだけどなぁ。
掃除をしていた使用人が姿勢を正し、一礼してくる。確か彼女は、本来ならば彼女の従者になるはずだったメイドだ。しかし本来の仕事が叶わず、手持ち無沙汰な時間はこうして城内の掃除に勤しんでいるという。そんな哀れなメイドに「ご苦労さん」と声をかけながらも、そんなことを考えている間に自室に到着した。
「さて、これからどうするかね」
部屋に入った彼は、思わず口角を上げていた。胸元を握っても、何もない。あの首飾りがないことを不安に思う反面、ワクワクしているのを隠せない。
――俺は自分自身の力だけで、どこまで太刀打ちできるのかな。
あの首飾りと共に歩んだ時間の方が多い人生だ。失敗しても、やり直せる。それが当たり前だった日常から少し脱線するだけで、これだけ不安になるものだろうか。
その当たり前の感覚に恐怖を抱く自分が、おかしくて堪らない。
「本当、あいつはすげーよ」
ロックは扉に背を預けて、小さく笑った。
わかったのは随分大きくなってからだったが、赤子の頃の彼女は自身の魔力量に身体が付いて行かず、常に命ギリギリの状態だったらしい。調整する賢者が常に側にいたようだが、ほんの僅かな油断が命取りだったという。そのため、父親である勇者カルサスは不死身の道具として、どこからか手に入れた【永遠の孤独】を常に彼女に持たせ、その綱渡りが成功した日だけを世の真実としてきたわけだ。
そんな大事なものを、彼女はお礼とくれてしまったのだが――幸い彼女の身体も大きくなっており、魔力の調節もラクになっていたことから、事なきを得たようだ。
そんな言うなれば病弱だった少女が、まだ子供と呼べる頃に民のためドラゴンを倒した。戻ってきた彼女は生きているのが不思議なほど、ボロボロだったという。
そして今日まで、彼女は生きてきた。誰かのために突っ走る優しさと、己の力を信じる気高さを持ったまま。いつ死ぬかわからない綱渡りに自ら挑んで、常に真っ直ぐ背筋を伸ばして。
「もう少し怖気づくとか、可愛らしいところがあってもいいと思うけどな」
そんな婚約者に負けないようにと、震える拳を固く。そして少しでも落ち着こうと、再びお茶を淹れようとした時だ。ノックの後、部屋の外から声がかかる。
「ロック様。眠れないとのお話でしたので、落ち着くお茶をお持ちしたのですが」
――さっきのメイドが連絡したのかな?
もちろん要人の専属にと声がかかるということは、彼女が有能であるということだ。夜遅くに部屋を出ていた自分を案じ手配してくれたのなら、その気配りを称賛したい。
「あぁ、有り難く頂戴するよ」
ちょうどお茶を飲みたいと思っていたところだ。彼が扉を開くと、そこには見覚えのある女性がいた。なぜかメイドの格好をした金髪の少女。年端は自分よりも少し下の十代後半。真っ直ぐな髪と澄んだ青い瞳がとても勝ち気な彼女が、まるで悪戯に成功したような笑みを浮かべていた。
「もうあの結界を解いてきたのか⁉」
中からでは、どれだけの魔法を放っても無傷であるよう設定したつもりだった。そんな苦心の檻からこんな短時間で抜け出してきてしまう愛しの婚約者に、彼も呆れて笑みを浮かべると――突然。彼女が手を伸ばしてくる。目で追いきれない速さで鼻と口元を塞がれたと思いきや、途端に気が遠くなっていって。
「あなたが悪いんですよ……ロック様」
落とした視線が捉えたのは、廊下に伸びる彼女らしからぬ影。そして瞼が閉じた後に感じたのは、芳しい薔薇の香りだった。




