21話「泣くもんか」
それは、なんて皮肉だろうか。
陽が昇った時、結界は解かれた。急いで扉を開き、ロックの部屋に向かおうとしたセリナの目にふと入ったのは――ドアノブに掛けられた首飾りだった。
爪くらいのサイズはある、氷のような宝石が特徴の首飾り。それは、彼が宝物だと言っていた物。彼の命を繋ぎ止めてくれるはずの、魔法の道具。
――馬鹿だ!
セリナはそれをバッと掴み、全速力で駆け出す。挨拶してくるメイドや使用人たちなど知るものか。
――なんで毎度毎度渡してくるかな⁉︎
別に、宝石の類が好きだなんて話したわけではない。
別に、あんたの宝物を欲しいだなんて言ったわけではない。
別に、死なないための魔呪具が欲しいと思ったことすらない。
それなのに、毎回毎回、彼は自分にこれを渡して死んでいる。自分を助けるために、何度だって死んでいる。
助けてと言ったことないのに。そもそも、自分は何度もあんたを殺そうとしていた女なのに。
「馬鹿……」
セリナは唇を噛みしめながら、綺麗な廊下を走る。
――どうして、わたしのために死んでしまうの?
――どうして、そんなにわたしのことを大切にしてくれるの?
「そんなこと……誰も望んじゃいないわよっ!」
吐き捨てたセリナは扉を開ける。
そこには、やっぱり死体が転がっていた。
――泣くもんか。
セリナは手に持つ首飾りを握りしめる。ここで動揺しては、今までと変わらないから。
もう二度とこんな光景を見ないために、セリナがやるべきことは慟哭をあげることではない。
――よく見ろ。
溢れ出る前の涙を拭って、セリナは睨みつけるように部屋を観察する。
今までと違うのは、窓から差し込む朝日のせいで、赤い色彩が鮮やかなこと。そして、死体が二人であること。
彼らは、一見仲良さそうに手を繋いでいた。だけどよく見れば、手を伸ばしているのは一方だけのようだ。
手を伸ばしているのは、彼の近侍。シオン=ルイス。彼は主が死んでも、そして己が死ぬ直前まで、主を守ろうと必死に藻掻いたのだろうか。顔はしっかりと主の方を向けながらも、腹部にはまるで剣で刺されたような穴が開いている。対して、彼の主であるロックの死因も以前までと同じ。腹部の刺殺。彼は仰向けに倒れていた。
そしてもう一つ気になることは、シオンの手元に剣が落ちていることだ。血でべったりと汚れている。表面も血が大量に付いている以上、交戦の末に敵にかなりの怪我は負わすことに成功したのだろう。
――本当に?
今の憶測が正しいのならば、どうして城の中は騒ぎになっていないのだろうか。この惨劇が何時頃起きたのか、セリナには明確が時間はわからない。だけど――今までの夜でもそうだったが――セリナが発見するまで、誰も気付かなかったのはどうしてだったのだろうか。
ロックが助け声もあげられないほど、一瞬で殺されたのだろうか。
魔法の天才で。勇者の娘の攻撃を魔呪具で得た経験から予測していたとしても、アッサリと躱し続けてきた男が。こうもアッサリと殺されるのだろうか。
「何事も経験っていうのは本当ね」
セリナはもう一度死んだ二人の姿を見て、小さくほくそ笑んだ。そして自身が汚れるのを厭わず、落ちている一振りの剣を拾う。
その時、扉の方に人気を感じた。
「手遅れだったようですね」
「本当ね……他に人は?」
振り返るまでもない。ここぞというタイミングでしか現れない己の執事に尋ねる。すると、息一つ乱さない彼は当然とばかりに述べた。
「騒ぎを起こしたくないだろうと思いまして、人払いを済ませております」
――この短時間で、どうやって?
そんな当然の疑問を、セリナは鼻で笑い飛ばして。振り返ったセリナは、いつも通り黒の燕尾服をきっちり纏ったジェイドに、持っている剣を見せながら訊いた。
「この剣でお腹を刺したら、すぐに絶命するものかしら?」
「それを真面目に訊いているのでしたら、失望です。私が長年姫様に教えてきたのは何だったのでしょう……剣術含めた一通りの戦闘技術をようやく形にしてくださったと思っていましたのに」
目に全然涙を浮かべず泣いた振りをする執事に、セリナは表情一つ動かさない。しばらくすると、泣き真似に飽きたジェイドが嘆息した。
「……そんなすぐに死ぬわけないでしょう。魔法や毒など使われた特別な剣なら可能性はありますが、そちらの剣は本当に変哲のない物のようにお見受けします」
「わたしも特別調べたわけじゃないけど……同感ね。この剣には魔法や毒は使われていない。だとすれば、刺されてから動くことさえも出来ずに死んだ可能性は二つ」
セリナは空いている手で指折り数える。
「刺されるよりも前に動けなくされたか、そのまま死ぬつもりだったのか」
「姫様は、どちらだとお考えなのですか?」
「さぁ……そんなことよりもジェイド。例の約束の件なんだけど」
話を替えたセリナは、持っていた剣をどうでもいいとばかりに投げ捨てる。そして代わりに、ロックの死体を漁った。「あった」と彼の服の下から取り出したのは、一見普通の包丁だ。
「殺されたやつが、大人しく武器をしまい込んでいるんじゃないわよ」
その皮肉に応えてくれる声はないけれど。首飾りをつけたセリナはジェイドに向かい、ヘラッと笑ってみせた。それは、馬鹿な己の婚約者のように。
「面白いモノ、見せてあげる」
そして、セリナは躊躇わず包丁の切っ先を己の胸に刺した。肉も、骨も、心臓も。その呪われた包丁は本当に容易く身体を貫いて。あまりの痛みに呻くセリナは口から血を垂らす。その後、間もなく倒れ込んだ。
七色の靄が立ち上る。セリナの身体から漏れ出ているのは魔力だ。弱った身体に収まりきれない力が外に溢れ、彼女の命が加速的に失われていく。
哄笑が聞こえる。
「はは……はははははは……自ら命を断つとは……なんて愚かなっ!」
――悪かったわね。
「自分でなど、痛いだけでしょう⁉ 苦しいだけでしょう⁉ 私に頼めば、そんな辛い思いせずとも死ねることを、貴女はすでにご存知のはずだ!」
――やっぱりこいつは、【永遠の孤独】の影響を受けないのか。
最後の力で、セリナは薄っすらと目を開ける。すると、変色する靄に囲まれた執事はセリナを見下して、ニタリと笑っていた。
「なんて無駄な勇気ですか。あぁ、あの時もそうでしたね。全く無意味なのに、ドラゴンを食料にしようとお一人で挑むなんて……もっと効率の良く賢い方法など、いくらでもありますのに!」
――あの時のことは言わないで。
なぜ死にゆく間際に、過去の汚点を笑われなければならないのか。
だけど、その赤い瞳は恍惚と。セリナが落とした包丁を拾い上げて付いた血を舐める姿は、とても人のものではなく。
「あぁ……実に面白い! 実に愉快です! 姫様、あぁ、私の可愛い姫様! あんな情報の対価で、こんなに楽しませてもらえるとは……いいでしょう。ゆっくりお眠りなさい。そして私の側で――」
最後に聞いた言葉に、彼女もまた口角を上げる。
「どうかまた、愚かな日々をお過ごしください」
そして、セリナ=カルミアは三度目の死を遂げた。