20話「なんて甘そうな茶菓子」
「お帰りなさいませ。ずいぶんと早いお帰りで」
「あんたの嫌味に言い返せる日はいつ来るのかしら?」
「永遠に来ないと思いますよ。私は事実しか述べておりませんので」
執事の笑みが相変わらず清々しい。
それに嘆息しつつ、強制的に部屋に戻されたセリナは一先ずベッドに腰掛ける。酷いものだ。有無を言わさず部屋に押し入れられて、「じゃあ」と扉を閉められたのだから。
婚約者の満面の笑みに苛立つセリナに、その光景を部屋の中で見ていた執事は苦笑する。
「お茶でも淹れましょうか?」
「いや、飲んだばかりだからいいわ」
何気なく断ると、ジェイドが自身の顎を撫でた。
「ほう。王子の部屋にメイドでもいましたか?」
「いいえ。あいつが淹れてくれたのだけど」
「では、王子と二人っきりで?」
厭らしく上がった執事の口角に、セリナは慌てて否定した。
「違うわよ! あいつの近侍が途中から来てたってば」
「なるほど」
そう言いながらも、ジェイドは準備しておいたのだろうお茶のカップに注ぐ。そしてそれを自身で一口。
「そうそう。姫様不在の間に、こちらには例のメイドが来ましたよ」
「あのいつもあんたが追い払っている可哀想な子?」
「可哀想とは。私だけで十分と申しているだけですのに」
「いや……まあいいんだけどさ。あんたと一緒に働け言うのも酷だと思うし」
「それはどういう意味でしょうか?」
「言葉以上の意味はないわよ」
――てか、メイドなんて前回は来ていたかしら?
前回の今晩、この時間はやはりロックの部屋に行き、一悶着していた頃合である。
――今回はダイコン食べ損なっちゃったわね。
「ねぇ、わたしにもやっぱりお茶ちょうだい。少し休憩するわ」
「おやおや。宜しいのですか? こうしている間にも、愛しの婚約者様に魔の手が迫っているやもしれませんよ?」
「誰も愛しくなんかないけど」
嘆息しつつも、セリナは少し口角を上げた。
「最悪の自体は避けられそうだからね」
「と、言いますと?」
今までの夜と、今回の夜で違う所。セリナは両手を広げて鼻を鳴らす。
「【永遠の孤独】はあいつが持っているから」
そう――今回は『俺の女の証』だのというくだらない理由で、あの首飾りを貰っていない。つまり、たとえロックが殺されようとも、また今日が繰り返されるだけなのだ。
「あの首飾りを持っている限り、あいつは死なない。まぁ正直、所持者以外の記憶はなくなるだろうから、また今日がどんな風になるのか。わたしもちゃんと昨日までの記憶が残るのかとか、不明瞭な点は多いけれど……どうやら、あんたはどういうわけか度外視されるらしいし? 頑張って問い詰めさせてもらうわ」
「姫様は……私のことを何者だと思っているのでしょう?」
――あら、それを聞いちゃうの?
今更な質問に、セリナは思わず吹き出した。
「魔王だろうが勇者の師匠だろうが、何だっていいわよ」
「それはとても御心の広いことで」
そして足を組んだセリナは、視線を逸らす。
「こんなわたしの側にずっといてくれること、感謝してる」
そんなセリナに、ジェイドは「ふっ」と笑みを零した。
「そういうことでしたら、バタバタして御夕飯食べてませんものね。軽食でも作って参りましょうか?」
「そうね。でもまたやり直すのが面倒なのは事実だし。少し休んだらすぐに様子を見に行くわ」
「それでは急ぐことに致しましょう」
恭しい一礼の後、ジェイドが踵を返す。そしてドアノブに手を掛けて――止まった。
「おや」
「どうかしたの?」
「扉が開きませんね」
「は?」
セリナも慌てて扉へ向かい、代わりにガチャガチャとノブを動かす。だけど、扉はビクともしない。
「と、閉じ込められたってこと?」
――誰に?
動きを止め、あらゆる可能性を考える。その間に、ジェイドは「おや」と屈んでいた。
「お手紙ですかね」
ジェイドは扉の下に挟まっていたメモを持ち上げる。それを一瞥した執事はニヤリと笑って。何も言わず、セリナに差し出してきた。
「嫌な予感しかしないんだけど」
「恋文のようですよ」
そしてメモのような手紙を読んで――
「あの馬鹿王子っ‼︎」
セリナは激昂し、それを破り捨てた。
これ以上危ないことに首を突っ込まないでくれ
婚約者より
「バッカじゃないの! あんたが危ないからこっちがあくせく動いてやってるってのに‼︎」
「先日までその王子を殺そうとあくせくしていた人の台詞とは思えませんね」
「喧しいわっ!」
セリナはジェイドを押し退けて、叫ぶ。
「【烈光の剣】ッ‼︎」
手の中に現れる光は、彼女の怒りの分だけ強く熱を持って。
「待ってなさい。こんな扉すぐにぶった斬って、そのままあんたも斬りに行ってあげるわ!」
その光の剣を振り下ろす。しかし、柔らかすぎる感触と共に刃が沈み、扉は水面のように揺れるだけ。
「はあ⁉︎」
何度も何度も斬り付ける。だけどそれは水を斬っているかのように大した手応えがなかった。
その様子を横で見ていた執事が淡々と告げる。
「何か魔法が使われているようですね。これは閉じ込められましたかな」
「冗談じゃないっての!」
セリナはクルッと背後を向き、
「【雷撃の鞭】ッ‼」
細い稲光がしなやかに、だけど強烈な勢いで窓を直撃。だけど、やっぱり放電することもなく、窓に溶けてしまうだけ。
「ほう、ここまでとは。確かに姫様の魔法の威力は勇者に到底及ぶものではございませんが……ドラゴンを閉じ込めるようなものですのに」
感心するジェイドの足を、セリナは軽く蹴り飛ばす。
「褒めてるのか貶しているのか知らないけど……そんな暇あるなら、あんたもどうにかしなさいよ!」
「どうしてですか?」
微動だにしない執事の素朴な疑問符に、セリナは眉根を寄せる。
「どうしてって……当たり前でしょう? 閉じ込められたのよ?」
「別に無理に脱出する必要はないでしょう」
「は?」
――こいつ、何を言ってんの……?
ジェイドの言うことがまるで理解出来ず、セリナの攻撃の手も止まる。対して、彼は両手を打った。
「あぁ、軽食をご所望でしたね! 申し訳ございません。このような事態ですので、今晩はお菓子でご勘弁下さい」
と、とても優雅な所作で戸棚から缶を取り出す執事。そんな彼は、本当に彼の意図がわからないセリナの顔を見て、小さく笑った。
「朝になっても部屋から出れないようなら、私がどうにかしますのでご安心ください」
「だから! このままだと今晩中にあいつが――」
「ですが、ここにいれば姫様は安全でしょう?」
その言葉に、セリナは目を見開きつつも、奥歯を噛みしめる。
――まさか……。
わかってしまった。執事の意図が、わかってしまった。
己の執事の考えに、セリナは絶望するしかない。
「中からこれだけの強度がございますれば、外からの攻撃も同じように守ってくれましょう。まぁ、たとえ外からの強度が期待外れだとしても、姫様が私の目の届く所にいてくだされば、守る方法などいくらでもございます」
それは、執事としてごく当然の考えだから。
己の主を守ることが最優先だと、彼は言っているだけだ。
「……わたしが、あいつを助けに行きたいと言っても?」
「姫様の安全と第二王子の命……天秤にかけるまでもないでしょう」
「わたしが……どんなに命令しても?」
「私がそれで主張を変えたことがありましたか?」
そして、執事はにこやかに缶を開く。中に入っていたクッキーはどれも綺麗で、まるで宝石のようだった。
「さぁ、可愛い私の姫様。どれをお食べになりますか?」




