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2話「発情する執事」





 セリナ=カルミアは姫である。年齢は年頃の十七歳。()カルミア皇国唯一の息女であり、隣国であるこのサンビタリア王国の第二王子との婚約を目前に控えた、れっきとした最上位の令嬢だ。


 艷やかに真っ直ぐ伸びた金の髪。晴天のように澄んだ青い瞳。スラリと伸びた華奢な四肢に、透き通るような白い肌。立場、容姿ともに誰からも文句を言わせないセリナ姫は――


「ああああああああ、また殺せなかった……!」


 外から小鳥の囀りが聞こえる清々しい朝に、とても物騒なことを全力で悔しがっていた。

 与えられた自室のベッドに腰掛けたままの彼女の隣では、カルミア皇国から付いてきてくれた唯一無二のお抱え執事、ジェイドが淡々と彼女の身なりを整えていく。


「はいはい。そんな今更なことより、早くこちらのお召し物に袖を通して下さい。それとも、その肌着(シュミーズ)姿で王子にお会いしたいですか?」

「むしろ、あんなやつとは二度と会いたくないわよ」


 政略結婚。セリナとロックの婚約は、いわゆるそう呼ばれるものだ。

 愛のない婚約。ただ縁を作りたいがための結婚。


 だけど、セリナもそれに文句を言うほど愚かな姫ではない。姫という立場で生まれた以上、国のため、そしてカルミアで生活する人々のために嫁ぐ将来は、幼い頃からずっと覚悟していたことだった。


 だけど――生まれ育った祖国が乗っ取られてしまうとは、誰が想像していただろうか。


「いい加減諦めたらどうですか? もう貴女の愛したカルミア皇国もないわけですし」


 現在の名前はカルミア共和国。統治する者が皇族から市民の代表――カルミアに市民権を得た元サンビタリア貴族に変わったゆえの、国名変更だ。前国名を残してくれている理由は、元からの市民たちの暴動抑制と、前皇王であった勇者カルサスへの敬意。


 人類は、魔族という人とは桁違いの魔力を持つ種族と長年厳しい戦争を続けていた。

 何百年と続いていた抗争に、魔王討伐という終止符を打った英雄こそ、セリナの父である勇者カルサス。その偉業の報酬に、彼は一国を手に入れた。しかし残念ながら、彼に物理的な力はあれど、政治力や商才はなかった。ただそれだけのこと。


 国名が変わり、セリナが祖国の地を離れて一年。未だカルミアの地で、大きな暴動や不幸が起こったという話は聞かない。


「亡国の姫にしては、とても恵まれているじゃないですか。こうして大国の王族に無事迎え入れてもらえたわけですし。それに、本来なら行き遅れた老人や人に言えない性癖ある醜男相手でも文句言えないお立場でしょう? それなのに相手は、寝台では姫様も見惚れてしまうほと見目も麗しい――」

「見惚れてないっ!」


 即座に否定するセリナは、ジェイドに鼻で笑われた。


「それは失敬。とにかく見目も整っており、様々な分野で頭角を現している将来有望な好青年ではありませんか。噂では長男さしおいて王座に就くのではないかという話もありますし、国内外のご令嬢がこぞって嫁ぎたいほどのお相手ですよ?」


 セリナの着付けはとても簡素だ。本来ならば貴族の女性として、補正下着(コルセット)等多くのもを装着しなければならない。だが本人たっての希望で、儀礼の時以外は簡素で良いと優遇をきかせてもらっている。ゆえに、スカートの膨らみもほとんどなく、飾り気が少ないどころかスカート丈も短い。まるで街娘のようなワンピース姿で、王城内を歩くことを許されているのだ。


 傅くように膝を付いたジェイドにブーツの紐を結んで貰いながら、セリナはさも不満があると唇を尖らせた。


「それでも! とにかくあの男は腹が立って仕方がないの。それに……たとえどんな事情があろうとも、わたしだけは祖国を奪われた悲しみを忘れたりしないわ!」


 彼女はサイドテーブルの上に置かれたナイフを手にする。そして目の前でゆっくりと鞘から引き抜いた。


「せめてもの腹いせよ。あの王子――ロック=サンビタリアだけは絶対にわたしの手で殺してやる」


 なんせ、現サンビタリア国王にカルミア皇国の属国化を進言し、滞りなく遂行した人物こそ、若き第二王子ロック=サンビタリアだというのだから。


 ――あいつさえいなければ……!


 それなのに、セリナ唯一の味方であるはずの執事はどこ吹く風。


「意味のない八つ当たりも甚だしいのでは?」

「やかましいっ! とにかく――」


 その時、扉がトントンと叩かれる。当然、それを確認しに行くのは執事であるジェイドの役目。ナイフを背中に隠したセリナが見やると、訪問者はセリナ付きのメイドのようだった。栗色の髪を二つに括っているせいか、とても幼い印象だ。しかし彼女は第二王子婚約者専属という肩書を持つ。王族の専属になるということは、メイドにとって名誉あるもの。それだけ彼女が従者として優秀だと示しているのだが……しかし彼女の場合、とても不遇なものになってしまっている。


「も、もうじき朝食のお時間なので、お支度の手伝いを……」

「いつも言っておりますように、セリナ姫に関する手伝いは一切不要です。貴女の手を煩わせるまでもありません」

「で、ですが……」


 なお食い下がろうとするメイドの赤い目を、ジェイドはまっすぐ見据えていた。


「結構です。すぐに向かいますので、そのようにご報告ください」


 そうして容赦なく扉が閉まる寸前に、メイドの顔が赤らんでいるのを、セリナの目はしっかり捉えていた。そして「あれ?」と思う。


 ――昨日もこんなことなかったっけ?


「姫様、いかがなさいましたか?」

「え?」

「何やら呆けていたようですので」


 小首を傾げてきたジェイドに、セリナは慌てて軽口を返す。


「別に。あんたは女と見ればいつも色目を使ってるなぁ、て思っただけよ」

「おや、嫉妬ですか?」

「飼い犬が発情している姿を毎日見なければならない飼い主の立場になってから聞いてもらえる?」


 セリナがジト目で告げると、ジェイドは声を出して笑った。


「ははっ、今日は一層辛辣ですね。あの日ですか?」

「違うわよっ!」

「知っております」


 それこそ顔を真っ赤にする主に対して、ジェイドは平然と再び跪く。


「まぁ……私は元より、彼女もそういう色恋ではないと思いますがね」


 そして、セリナのブーツの紐が綺麗に編まれていく。





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