17話「残念な魔呪具」
悲しいかな。三回目の今日もロックに生足を触られ、足を治療されてしまった。
それはそれは見事なものだ。少しの詠唱と『力ある言葉』で、みるみるうちに跡も残さず治してしまうのだから。治療してもらった箇所が、今もほんのり温かい。
「それは独自で開発した魔法なの?」
「あぁ。治癒魔法は東方が強いから、その術式を借りて……あ、そうそう。おまえの両親から荷物が届いていたぞ。知っての通り部屋に届けておいたから、あとで確認してくれ。悪いが中身は検分させてもらった」
「……わたしの尾行、どこからバレていたのよ?」
近くのテラスで、セリナはジェイドに再びブーツを履かせてもらっている。前回と同じようにのどかな雲が浮かぶ空の下、それを横で見ていたロックはアッサリと答える。
「わりかし最初からじゃないか? 執務室を出てすぐ気配を感じたから……でも荷物運んで、兄上と話していただけだっただろ」
「まぁ、そうなんですけどね……」
――おかしいなぁ。前回は尾行なんてしてなかったんだけどなぁ!
いつもロックに苦渋を飲ませられるのは、彼が一日をやり直しているからだと思っていた。だけど前回していない行動を見破られた以上、どうもそれだけではないらしい。
セリナが嘆息すると、ジェイドが言う。
「そもそも姫様に尾行なんて向かないのですよ。問題解決に力技しか能がないのですから」
「一応、必要最低限の学は身に付けているつもりだけど」
「では質問です。今回お一人の時に刺客に襲われて、まず何をお考えになりましたか?」
「ぶっ飛ばす」
拳を握って即答するセリナに、ロックは吹き出す。そしてジェイドも笑みを深めた。
「ぜひこれからも私を楽しませてくれる可愛い姫様でいて下さい。あ、先程の対価もそれで構いませんので」
「対価? おまえたち何か取り引きしたのか?」
「いえ、大したことではございませんよ。ただ少し姫様に知識を差し上げたまでです」
「ふーん」
――あ、そうだ。
知識という単語で思い出したセリナは、腕を組むロックに顔を向けた。
「さっきイクス王子と話していた盗まれた魔呪具ってどんなの?」
「あー【隠せぬ薔薇】のことか?」
その質問に、ロックは人差し指を立てる。
「簡単に言えば、姿を変える道具だな」
「とても便利ね」
「あぁ。でも実際はそこまでじゃないんだよ」
「どういうこと?」
セリナが怪訝に眉を潜めてみれば、ロックはクツクツと笑った。
「謂わば、変装の道具なんだ。影や鏡に映る姿も元の姿のままだし、声を変えることも出来ない。本当に人の目を欺くための道具だな。耳を尖らせてみたり、獣耳を付けたりすることも出来たけど」
――何のために⁉
特に最後の趣向は理解しないでおきたいセリナは、「解説してあげましょうか」と耳打ちしてくるジェイドの顔を押しのけて。その様子を何とも言えない顔で見つめるロックは続きを話す。
「おそらくだけど、これを作った魔族も悪戯や玩具気分で作ったんだろうな。だから反作用も大したことないんだけど……て、反作用のことはわかるか?」
「えぇ、大丈夫だから続けて」
セリナは感嘆するロックから何となく視線を逸らすも、耳はしっかりと傾けていた。
「使用者は、薔薇のいい香りがする」
だからこそ、その反作用に落胆する。
「本当に名前のまんまね」
「まぁ、魔呪具の名前なんて、あとから人間が勝手に付けたものだしな。わかりやすいに越したことないだろ」
「それにしても薔薇の匂いが隠せないから【隠せぬ薔薇】って……」
言い掛けて、セリナはふと思い出す。薔薇の香りを、花のない場所で嗅いだことに。
「あ、その窃盗犯の正体わかったわよ」
「お?」
「さっきわたしに攻撃してきた刺客」
途端、ロックの目がスッと細まった。
「……そんなアッサリ言わないでくれるか?」
「どうしてよ?」
「どうせ大した能力はないからと、魔呪具の事件を軽視していた自分を殴りたくなる」
――それなら、わたしが代わりに殴ってあげましょうか。
と、セリナが軽口を飛ばせる雰囲気ではなかった。血が出てしまいそうなほど、彼は下唇を噛んでしまっている。それに、セリナは小さく肩を竦めた。
「今度襲ってきたら絶対に捕まえてやるから、そんな顔しないでくれる? ついでに魔呪具の回収もしておいてあげるわよ」
「頼むから危ない橋を渡らないでくれ。ただでさえ怪我を――」
「もう痛くもなんともないわよ、おかげさまでね!」
そしてセリナは立ち上がる。太陽の位置が、この気まずい空気を払拭する後押しをしていた。近くの時計を見やれば、もうすぐ二時だ。
「そろそろ予行の準備を始める時間じゃない? 着替えに行かなきゃ」
それに「あぁ」と答えるロックの声は、いつになく低い。
三人で衣装部屋に向かいながらも、会話がなかったわけではない。
「あんたの持っている包丁は、どんな反作用があるの?」
「何でも切れてしまうこと」
「は?」
「この鞘作るの、本当に大変だったんだぞ」
と言って、ロックが懐から取り出した包丁の鞘には、確かに細かい文様が刻まれていた。セリナがどんなに目を細めても、解読するには細かすぎるほどの緻密さ。
それに珍しく感嘆の声を漏らすのは執事のジェイドだ。
「ほう。よく制御出来てますね。それは魔呪具の中でも制御不能の失敗作に入る品だというのに」
「あーやはり失敗作だと思うか? 俺もそうじゃないかと思っていたんだよなぁ。何でも切れるって、一見スゲーけど誰がどう使うんだって話だし」
「仰る通りでございましょう。いやはや、だけど魔法道具に強いサンビタリアの王子とはいえ、魔呪具を制するほどの使い手だとは。魔法の歴史が、貴方様のお力で大きく動くかもしれませんね」
――うわぁ、ジェイドが褒めてる……。
セリナの記憶では、彼に褒められたことがない。彼が「流石ですね」と言う時は十中八九嫌味だ。
それにムッとしたセリナが横目で睨もうとするも、すぐに止める。ふと鼻を擽った良い香りにセリナが振り返ると、今しがたすれ違った一人のメイドの背中が見えた。特に見覚えもない従者なんて、この城にはたくさんいるけれど。
――メイドと擦れ違う?
その違和感に、セリナの足が思わず止まる。
「セリナ、どうかした――」
ロックの声は最後まで発せられなかった。
女性の悲鳴。それに三人は顔を見合わせ、声の元へ走る。
場所はすぐ近く。セリナたちが向かっていた衣装部屋からだった。ワナワナと震えているのはセリナ付きのメイドである。
「どうしたの⁉︎」
「セリナ様……申し訳ございません……」
深々と一礼された後、涙目で指された部屋の中を見やる。そこは、まるで一面に白い花びらが撒かれたような儚い光景。だけど落ち着いて見れば、花弁のようなものは全て布。刺繍がふんだんの艶やかな布や、繊細な金糸が編み込まれた刺繍。バラバラになったドレスの残骸。
――わたしの花嫁衣装……?
別に思い入れがあるわけではない。所詮は望まない婚約の衣装。だけど一応、花嫁本人として自身の好みを反映させてもらい、過去二回の予行練習で身に付けた衣装。
狼狽えたメイドが言う。
「わ、私……姫様たちが来る前に、足りない物がないか確認しようとしたんです……そ、それで部屋を開けてみたら、こんな……」
だけど、なぜだか胸の奥が締め付けられるような気がして、セリナは胸元を押さえた。
するとロックがセリナの肩を抱きつつ、メイドに質問を重ねていく。
――花の香りがする。
それは元からドレスに込められていた匂いか。はたまた違うものなのか。
この騒ぎによって、どんどん人が集まってくる。その中には当然、見覚えのある者も増えてった。ロックの近侍であるシオンの姿や、何人も騎士を引き連れたイクス王子の姿。
事情聴取が進む中ですれ違ったメイドの姿を思い浮かべながら、セリナは必要最低限以外何も話さなかった。そして、肩に触れられている手を振り払うこともしなかった。