15話「今日とは違う襲撃」
チクタクと動く時計の針は、昼の一時を指していた。
私室のベッドに腰掛け項垂れるセリナ頭上から、その声は嫌味満載で紡がれる。
「それで王妃殿下に勘違いされて医務室に軟禁された挙句大量の食事や菓子を食べさせられて眠くなった結果、昼を回ったと。それは大変優雅な半日でございました。良かったですねえ」
「全然……良くない……」
だって、このままだと恐らく今晩もあの胸糞悪い王子が死んでしまうのだ。こんなにも日々あいつを殺すことだけを考えて過ごしてきたのに、他のやつに横取りされるなんて許せるわけがない。
――そうよ、それだけの理由よ……。
自分にそう言い聞かせて、セリナは嘆息する。現状、何の調べも犯人の検討も付いていないのだ。このまま何もしないわけには……。
――あ、でもその場で対処すればどうにかなるかも?
ざっくりだが、犯行時間は夜だとわかっているのだ。ならば、その間ロックを見張って、彼が殺されそうになったら助けてやればいい。
――あら、簡単じゃない。
セリナがホッと安堵した時、ジェイドが小さく笑みを浮かべて聞いてくる。
「何が良くないのですか?」
「そうよね、何も問題なかったわ。別に王子を殺すんじゃなくて助けるためなんだもの。部屋だろうが城の一画が吹き飛んでも問題は――」
「そうではなくて……王子が死んで、どうして姫様に困ることがあるというのでしょう?」
その問いに、セリナの目を見開いた。
「え、どういう……」
「姫様は、ロック王子のことがお嫌いなのでしょう? ならば、死んでも問題がないのでは。むしろ王子が死んだことにより、円満に婚約破棄ができるかもしれません。まあ、代わりにイクス王子との縁談が進むだけかもしれませんが……変に執着してくるロック王子よりやりやすいかと」
「で、でもあの王子だと服装とか口うるさそうよ?」
「そんなもの。姫様が願うのでしたら、私がいくらでも排除して差し上げましょう。人間の弱みを握るくらい、容易いことですから」
その発言に色々と突っ込みたいのは置いておいて。
そしてその追求に、胸を啄まれるような気持ちになることも、置いておいて。
セリナはジェイドを睨み上げる。
「どうして、あいつが死ぬことを知っているの?」
――言ってない。
セリナは言っていない。今しがた、ついウッカリ『助ける』なんて言ってしまったものの、自身が同じ日をやり直していることも、ロックが死ぬことも、セリナは話していないのだ。
昔から、胡散臭い男だった。呼べばどこにでも現れて、呼ばなくても気がつけばそこにいる。父である勇者カルサスの古い知人という話だが、それにしては年齢が若い。父が三十後半であるが、ジェイドはどう見ても二十代半ばだ。セリナの記憶の中で、ずっと。
だけど、昔からそういう男だったから。
見た目なんて賢者と称されるような人たちは、魔法でどうにかしているものだし。異様に博識なのも、異様に強いのも、全部勇者の知り合いなんだからで納得してきた。魔呪具に詳しいことだって、その一環だと気にしなかった。
――お父様からの荷物の時も『温情』とか言ってたわよね……。
もしかして、あの届き方の違いも、ジェイドが『やり直している一日』を気付かせるために、敢えてしたのだろうか。そして、少しの違いが一日を大きく変えると知らせるために。
――ありえない話では……ない?
だけど、さすがに知りすぎている執事は、相変わらず胡散臭い笑みを浮かべるだけだった。
その時、扉がノックされる。「はい」と颯爽と踵を返したジェイドが扉を開けると、そこには豪華なドレスを着た王妃が仁王立ちしていた。困った顔で後ろに控えるのは、大量の菓子が入った籠を抱えるセリナ付きのメイド。セリナの位置からは、扉正面の王妃は見えないが、横のメイドは見える。
ジェイドは恭しく頭を垂れる。
「これはこれは。珍しいですね。姫様にどのようなご用向でしょうか?」
「もうすぐ午後のお茶の時間でしょう? またどこで摘み食いして体調を崩すかわからないから、わたくしが直々にお茶を用意してきてあげましたの。あの子はいるのでしょう?」
――出ないわけにもいかないか。
嫌々ながらも腰を上げようとするセリナだったが、ジェイドが後ろ手で制止の合図を送っていた。
「おやおや。多大なご配慮、主に代わって感謝させていただきます。しかし残念ながら、姫様はまだ夢の中でして。どうやら婚約式を間近に控えて、睡眠が浅かったご様子なのです」
「あら……あんな子でも緊張なんてするのね?」
「それが実は小心者でして……そこでお願いなのですが、もしご許可いただけるようでしたら、奥方様の午後のお茶を私めに淹れさせてはいただけないでしょうか?」
――は?
いきなりの申し出に目を驚いたのは、セリナだけではないようだ。
「どういう風の吹き回しかしら? 今までわたくしがいくら誘っても応じてくれなかったのに」
――誘っていたのかい。
口悪く突っ込もうとも、あくまで胸中の話。そんなこと知らない王妃の耳元に、ジェイドは少しだけ顔を近付けた。
「えぇ。つい意地を張ってしまう可愛い姫様のことを、奥方様にもよく知っていただきたいのです。もうすぐ、本当の家族になるのですから。私含めて、より一層仲良くしていただけたらな……と」
「そ、そういうことでしたら」
横から見ても艶っぽい執事の色目に、王妃は陥落したようだ。
「それでは、さっそく」
王妃の腰に手を回したジェイドが、立ち去り際にセリナに片目を閉じてくる。
――あんの色情執事っ!
逃げた。華麗にまさにそれらしく、まるで『姫様の面倒事を排除して差し上げましたよ』と言わんばかりの得意げな態度で、セリナの質問から逃げた。
思わず拳を握りかけていたセリナはハッとする。扉が閉められる直前、隙間から籠を持ったセリナ付きのメイドに睨まれたような気がしたから。
――後から告げ口されるんじゃないでしょうね……。
それすらも、ジェイドは封じる手腕を講じているのかもしれないけど。
だけど、ひょんなことから時間が空いたのは事実。予行の準備に入るまで、少しだけ時間が出来たのだ。
「この時間を無駄にするわけにはいかないわね」
頬をパンッと叩いて、セリナは今度こそベッドから腰を上げる。ちょうどその時、窓ガラスが割れた。飛んでくる弓矢は一直線にセリナに迫る。
「【琥珀の盾】ッ‼︎」
セリナが咄嗟に向けた指先に現れた透明な盾で弾くと、即座にセリナは窓の塀に足を掛けた。
――朝の訓練しなくても、襲撃には遭うのね。
二階から飛び降りて周囲を見渡した時、黒い装束が視界の片隅で動く。
「【烈光の剣】ッ‼︎」
細い剣先を生み出した光で薙ぎ払う時に聞こえた小さな舌打ち。そして黒装束は剣先が地面に落ちると同時に逃げていく。その後を、セリナは追えなかった。いつの間にか、ブーツに小型のダガーが突き刺さっていたからだ。
「……襲撃のタイミングが変わっても、結末は変わらないって?」
そのダガーを引き抜いて、セリナは逃した刺客の消えてく背中を見据える。なぜだか、この場に不釣り合いな花の残り香を感じたような気がした。




