14話「今日も愉快な姑」
「姫様、そんなにボンヤリとされてどうしたんですか?」
やはり今日も、ジェイドに朝の着付けをしてもらう。
下着に首を通させてもらうセリナの頭にあるのは、ロックからもらう首飾りのことだった。
「ジェイドは、あいつの持っている魔呪具について何か知ってる?」
「あいつとは、ロック様のことで宜しいですか?」
「他に誰がいるのよ?」
顔を上げると、ジェイドがニヤニヤと笑っていた。それにセリナは口を尖らせる。
「何よ、その顔」
「いやはや。さすがの姫様も婚約式を目前とすると、お相手を意識するのだなぁと」
「な、何を言ってんのよ⁉」
「可愛らしいですよ」
――こいつはぁ⁉
セリナが聞いたことを後悔していると、ジェイドは菫色の瞳を細めて言う。
「気になることがあるなら、本人に聞かれるのが一番ではないですか? それが両人にとっての最善かと思われますが」
「あんたのいう最善がどこを目指しているのか、皆目検討も付かないんだけど」
「私から教えられることは、魔呪具には反作用があるということだけです」
「反作用?」
突如始まった真っ当な会話に、セリナは眉根を寄せた。それに、ジェイドは「はい」と続ける。
「この世の理として、等価交換というものがあります。大きな利を得るためには、相応の対価が必要ということです。人間の使う魔法だと、使用者の魔力を対価に効果が発動しているわけですね」
ジェイドが話していることは、どんな人でも当たり前に理解していて、だけど特に普段意識もしてないような話。何を今更、と顔に出す主に対し、執事はニヤリと口角を上げた。
「魔呪具と称される魔族が作った道具は、ご存知の通り人間からすれば不可能を可能にしたような効果があります。いくら魔力保有量の多い魔族でも、その効果を半永久的に道具に定着させるのは、一般的には無理な話です」
「さっきから色々と前提が鬱陶しいわね」
「人間でも魔族でも、一部の例外はおりますので。勇者カルサスみたいな」
ふっ、と笑ったジェイドは、セリナの腕にワンピースの袖を通す。
「なので、等価交換を永久的に果たすために、プラスの効果と共にマイナスの効果が発生するよう道具を精製します。その技術が人間には高度すぎるので、よほどの賢者でなければ真似は不可能でしょう」
ジェイドに促されるまま、セリナはジェイドに背を向ける。そして振り向きざまに問うた。
「まあ、諸々の前提は理解したわ。それで? あの首飾りにはどんな反作用があるのよ?」
「それは王子本人に聞くのが乙というものでしょう?」
それこそ底意地悪い笑みを向けてくるジェイド。だけどそれは即座に変化する。
「対価は?」
「はい?」
「それを教えてもらうための対価よ。等価交換でしょ?」
そして、一呼吸置いてから目を伏せた。
「誰からもね、愛されなくなるんですよ」
「……急にどうしたの? 熱でも出た?」
急に出たロマンチック発言に、セリナは思わずジェイドの額に手を伸ばす。だけどその手はゆっくりと取られ、なぜか甲に口付けが落とされる。
「あの魔呪具の名称は『永遠の孤独』。作ったきっかけは、浮気した恋人への復讐だったようですよ。その反作用に気付かずにそれを身につけ、孤独に身を落とす様は滑稽だったようです」
――なんであんたがそんなこと知ってるのよ?
あまりの生々しい痴話話に内心呆れるもの、話す当人のうっとり話す視線は、思わずセリナの心臓が跳ねるほどだった。
「自分は死なない。絶対に死なない。だけど親からも婚約者からも愛されない。そんな毎日を永遠に過ごす……そんな男を、貴女はどう思いますか?」
――自分は絶対に死なない?
――だけど誰からも愛されない?
永遠の孤独。
もしも、本当に彼の持つ首飾りにそんな力があるのなら。今まで自分が何度殺そうとしても失敗したのは、あれのせいだということになる。
そして、その死なない理由――暗殺を回避できた理由――が、この同じ一日を繰り返すということならば。
――いや。厳密にいえば同じ一日ではなく、まる一日分時間が戻るのか。
「セリ……きい……ます……!」
しかし、何とも胡散臭い話である。自分をからかうためにジェイドが嘘を吐いたのでは、という思考が頭を過るものの、残念ながら、今まで嘘を吐かれたことがない。セリナが物心つくより前から、十年以上。毎日そばにいるのに、ただの一度も。
――まぁ、たとえ嘘がなくとも相当不快な思いをさせられているけどね。
それでも長年培ってきた信用があるから。
「セリナさ……聞いてい……ますの⁉」
ならば、これは確定事項だ。彼は、あの首飾りを自分に渡したから死ぬ。そして、彼自身もそれは承知だったのではないだろうか。だって、魔法研究所から声が掛かるくらいの魔法オタクだ。自身の持つ魔呪具に無知だとは思えない。それに、彼は他にも魔呪具を持っている。あの包丁の反作用は何なのだろうか?
――それを聞いて知っていれば、首飾りのことも知っていて間違いなさそうよね。
彼が自分に首飾りを渡したのはどうしてなのだろう?
――それはおそらく、わたしが死ぬ可能性が高かったから?
――それに『誰からも愛されなくなる』って本当に……?
知りたいことは山程ある。そもそもロックや自分を殺そうとしたのは誰なのか?
王族一同介するこの場は、絶好の情報収集の場である。さり気なく王家の内情を調査せねば。
「セリナさん! あなたの耳はただの飾りなのですかっ⁉」
王族の朝食の席に似つかわしくない声量に、セリナはようやく顔を上げた。
立派な掛け時計が示す時間は七時四十五分。対面に座ったサンビタリアの王妃が、あからさまに目くじらを立てている。
「何度もわたくしが話しかけて差し上げているというのに無視するなんて、あなたはご自分の立場をわかっていないのでしょうか⁉ どういうつもりですの。明日は婚約式ですのよ! そんな体たらくではサンビタリアの恥になってしまうじゃありませんか‼」
セリナの隣では、今晩死ぬだろう男が呑気にクスクスと笑っていた。対して、彼の向かいに座る兄イクス王子は、ロックとセリナを交互に睨み付けているだけ。そして肝心のサンビタリア王は、微笑ましく王妃とセリナを見比べていた。
――これは……?
この場で改めて、ロックに対する周りの態度を見ておこうと思ったのだ。
第二王子が殺されるのなら、外部からの犯行もあるが、内部の可能性も捨てきれない。王位争い。それはよほどわかりやすい家系図となっていない限り、どこの国でも避けては通れない問題だろう。実際このサンビタリアでも、年の近い王子が二人いるのだから。
――だけど、さすがに。
思わずセリナも顔を曇らせる。
思い返せば昨日から、誰一人とロックのことを見てない。ロックから話に入らない限り、誰も。家族なのに。明日婚約する息子や弟なのに。自分たちと同じ銀髪、金眼を持つ綺麗な顔をした王子なのに。彼らはロック=サンビタリア第二王子のことを見ていない。
それなのに。食事中に頬杖付いたロックは、将来の姑に怒られている婚約者を眺めて楽しそうに笑っている。
その光景が、とても。
「……気持ち悪くて」
「それならどうして早く言わないんですの‼」
「え?」
王妃が急に立ち上がった。彼女が食べていただろう食事のソースが、豪華絢爛のドレスに飛び散る。だけどそんなこと厭わず、彼女は「医務官をただち呼びなさいっ!」と命令を飛ばしていた。
「いやあの……大丈夫ですから……」
おずおずとセリナが制止させようとするも、朝から化粧ばっちりの眼がギロッと向いてくる。
「お黙りなさいっ! 野蛮なあなたのことですから、どうせ拾い食いでもしたのでしょう? そんな卑しいことする前に、どうして一言相談することが出来ないのですか! あなたの貧相な舌を唸らせる料理やお菓子が、このサンビタリアには山程あるといいますのに!」
「えぇ……と?」
王妃の怒りの矛先がおかしな方向に向いているものの、それでもわかることがある。
――この人は、わたしを心配しているのかな?
王妃のことを『ちょっと可愛いな』と見直したからといって、直近の未来は変わらない。この騒ぎのせいで、大事な情報収集の時間は流れていく。