10話「最後の晩餐」
毎日屋根の上から奇襲をかけてばかりも芸がない。
メイド服に扮して、セリナはロック王子の私室の扉をノックする。自分の部屋を出てきた時の時刻は八時すぎだった。彼も夕食を終え、一段落している頃だろう。
「どうした? 今日は誰も寄越すなと言い付けてあったはずだが」
――あら怖い。
それは確かにロックの声。だけどいつもより冷たい声音に少しだけ驚きつつ、セリナは少し高めの声を出す。
「申し訳ございません〜。手違いでぇ、誤った服をお運びしてしまって〜」
「……早くしてくれ」
「失礼しま〜す」
許可が出て、セリナはそっと扉を開く。そして顔が見られないように俯きつつ、ロックの隙を突いて……と横目で彼を確認した。
――は?
彼は部屋の真ん中で、鍋を凝視していた。床に描かれた魔法陣の上に置かれた鍋は、グツグツと煮立っているようだ。特別匂いはない。遠目では何を煮込んでいるかもわからない。
我ながら、セリナは声を出さなかった自分を褒めてやりたい心境だった。だけど、その荒唐無稽な光景に、思わず足を止めてしまったのは失態。
ロックは言う。
「もう少し待ってな。串が通るくらいの方が美味しいだろうからさ」
「な……何をしていらっしゃるんですか?」
恐る恐る尋ねると、サンビタリア第二王子は金色の瞳をいつも以上に輝かせて告げた。
「おまえに届いたダイコンを煮ているに決まってるだろ。一緒に食べようぜ!」
その満面の笑みに、セリナはナイフを抜く気力すら失せてしまった。
モグモグと咀嚼しながら、セリナは床の魔法陣に触れてみる。熱くない。だけど今もグツグツと煮立っている鍋は、触るまでもなく熱気を放っている。
そんなセリナに注意が飛んだ。
「おいおい、危ないことするなって何度言えばわかるんだよ?」
「凄いわね、これ。お鍋にだけ熱を伝えてるの?」
ダイコンの皮を例の包丁で剥いているロック王子に聞くと、彼は不満そうにしながらも「あぁ」と解説してくれる。
「まだ実験段階のものなんだけどな。でもやつぱり熱を伝える対象を指定させるのが難しくてな。今は鍋の底にも魔法陣を刻んで反応するようにしてあるんだけど、魔力の性質が変わるとそれも反応しなくなるし……製品化には相当の年月がかかるだろうな」
「ふーん。でも良いんじゃない? 子供の火傷とか減りそうだし」
――やっぱり美味しい。
モグモグモグと。両親から届いたダイコンとかいう野菜は、素朴ながらもほのかな甘みがあって美味しかった。そしてまた調味料の見た目こそ悪いが、塩っけの中に芳醇な香りがあって、なかなか癖になる美味しさだ。他の料理にも付けてみたい。
――やっぱり食べたことあるわよね。
この素朴な味には覚えがある。これも確か、夕食をすっぽかしたセリナのために、ジェイドが用意してくれたはずだったが。
――同じような、違う一日か。
やはり疲れているんじゃないか、とか。夢を何かと勘違いしているんじゃないか、とか。
だけど正夢にしては既視感のありすぎる一日に逡巡しながら適当に答えたセリナだが、ロックは食いつき気味に身を乗り出してくる。
「だろう! そうだよな! やつぱりおまえを選んだ俺の目に狂いはなかった!」
「……いやぁ。正直目が腐っていると思うんだけど」
――だって常にその首を狙っている女よ?
そう思うものの、ロックは首を横に振る。
「この魔法道具も、市民や使用人の安全性なんてって、研究所のやつらは目もくれないしな。俺の個人でやるにしては、費用も時間も足りないし」
おかわりのダイコンを鍋に足しながら愚痴る王子に、セリナは何の気なしに聞く。
「だったら、あんたがその研究所の所長とやらになればいいじゃない? そんな話もあるんでしょ?」
誰がどう聞いても、魔法好きな彼にピッタリの仕事だと思う。だがロックは肩を竦めた。
「そしたらおまえと結婚出来ないだろ。所長になったら、ろくに城に戻って来れなくなるぞ?」
「別に問題ないんじゃないの? あくまでカルミアとサンビタリアで血縁を結ぶことが目的なんだから。あんたがどこで暮らそうが、夫婦仲がどうだろうが関係ないでしょ」
だって、これは政略結婚。勇者の尊厳に敬意を称した、見せしめの婚約。
それだというのに、ロックはあからさまにムッとした。
「それはダメだ」
「どうしてよ?」
「俺が守ってやれなくなる」
「誰もそんなこと頼んでないんですけど?」
「いいや……俺が助けてやるって約束したからな」
「いつ? どこで?」
セリナが聞いても、ロックはニコニコとしたまま鍋を突っつき、「これもう食べられそうだぞ」とセリナの皿にダイコンを入れる。そして続けられるのは、魔法の話だ。
「無事に夫婦になったらさ、『七色の武器』教えてくれたりする?」
「いや」
「少しは検討してくれよ~」
――検討も何も、どうせあんたには使えないし。
伝授元の父によれば、これは血統魔法と呼ばれる一種で、血縁者にしか使えない秘術だ。だからロックとの子供なら使えるかもしれないけど、彼が使える可能性はほぼゼロに等しい。
――ん、子供?
自然にそんな考えが出てきて、セリナは頭を振る。
――ないない! こいつとなんて絶対にないっ!
「どうした? 顔が赤いぞ?」
「何でもない! とにかく血統魔法だから無理!」
熱い顔を誤魔化すために口を滑らせるも、後の祭り。ロックの様子をそろり窺うと、「やはりかぁ」と顎に手を当てていた。
「やっぱりあれだけ威力ある魔法は血統魔法だよなぁ。あの魔力再現率を応用できたら、すごく便利だと思ったんだけど」
「やめてよ。軍事利用されたら悲惨よ?」
「それ、昨日人の部屋を平気で吹き飛ばした女の言う台詞?」
「昨日じゃなくて一昨日でしょ。そんな昔のこととうに――」
――忘れたわよ。
と、最後まで言うよりも前に、セリナは頭を押さえる。
「あーごめん。昨日だったわね」
そんなセリナに、ロックの表情が変わる。
「おまえ、昨日もそんなこと言ってたな」
セリナは彼が皿を置いたことにも気付かず、「疲れかなぁ?」と手で顔を覆っていた。
「なんか変な夢を見てね。その夢が正夢ばかりなもんだから、ウッカリしちゃって」
「ちなみに、その正夢だとこれから何が起こった?」
セリナは彼の目が細まったことに気付かない。
「これから……」
そして、己の作った暗闇の中で思い出す。目の前でダイコンをつついている男が、血塗れで倒れている光景を。だけど、ゆっくりと目を開けた彼女は、それを言わない。
「さぁ、忘れちゃったわね」
「……そうか」
「そもそも、その夢自体、全部正確なわけじゃないし。ダイコンは食べたけど、ジェイドが作ってくれたものだし。それこそ、この時間は腹ごなしで部屋にこもっていたしね」
その話を、最後まですることは出来なかった。
ロックが覆い被るように近付いてくるから。
――また押し倒されてたまるか!
すぐさま逃げようと足に力を込めたものの、「大丈夫」と言う彼の表情に、セリナは固まってしまった。ロックは自身の首飾りを外し、それをセリナの首に掛けてくる。
「これは?」
「やる」
「なんで?」
「俺の女の証」
――いらんわっ!
即座に叩き返そうとするも、その手は思いの外強い手で掴まれてしまう。
「頼むから、それを持っていてほしい。婚約式が終わるまででいいんだ。嫌ならすぐに返してくれていいから」
「……それまでに捨てちゃうかもしれないわよ?」
「それでもいいいから」
いつもヘラヘラしている男の真面目な顔ほど、圧力のあるものはない。
「本当に捨てちゃうんだからね!」
セリナはそう吐き捨てて、急いで部屋を飛び出した。




