幸福証明
不幸だと、言われると覚悟していた。
「あら」
「ん?」
久しぶりに帰省をすることを決めたのは昨日のことで、急に決めたものだから家族には今から帰るねというメッセージだけを送っていた。鍵は昔からかわっておらず、ガチャリと鈍い音がして扉を開いた。扉を開けた瞬間黒い喪服を着た母と会った。
「ただいま」
「おかえり、ほんとに帰ってきたのね」
「うん。たまにはね、何? 葬儀?」
「そう。頼まれて。そういえばあんたに伝えてたかしら?」
「なにを?」
「ほら、幼馴染で。あんたよく遊びに行ってたじゃない。飯島さんところの」
「アオイのこと?」
「そうそう! アオイちゃん」
中学校を卒業してから会っていない同級生の名前に首を傾げる。アオイがどうかした? と聞くとさらりと母は口にした。
「昨日、なくなったみたいで。今からお母さん行ってくるからね」
「え」
「あんたの喪服は、もうこっちにないわね。もし黒いワンピースとかあったら来なさいね。アオイちゃんと仲良かったでしょ」
母はそう言ってそそくさと玄関を通り抜ける。私はあまりに現実感のない言葉にしばらくその場に立ち尽くした。
大人になったのなら黒いワンピースくらい一着こっちにおいておきなさい。
就職して一人暮らしをするために実家に置いていた荷物を取りに来たときに言われた言葉にそうだね、と言って置いていたエーラインの七部袖のワンピースを取り出す。クリーニングされたままビニールに包まれていた。流石に黒いストッキングはなくていつものストッキングになる。ストッキングをはいて、数年前の流行りで買ったワンピースをきて、母のだろう真珠のネックレスを借りる。鏡で見た自分はどこか取り残されているように時代遅れに見えた。
アオイの葬儀は少ない人数で行われた。アオイの親族側にいるのは老婆がひとりだけ。ぺこりと頭を下げるだけで特になにかを話したわけではない。遺影を見ても現実感がわかず、なぜ私はここにいるのだろうと思ってしまった。
同級生の、しかも地元でのことだからてっきり他の同級生も来ているもんだと思っていたらそうでもないらしい。ふぅと人知れず息を吐いた。
心中、自殺、いじめ、虐待。ひそりひそりと聞こえてくる根拠のない噂話に関わる気はなく、そそくさと実家に帰った。
「ただいま」
「あら、本当に帰ってたの? 珍しい」
「おねぇちゃんおかえりー!」
「ただいま、かえってこないと思ってた?」
「だってながく帰ってきてないし」
姉とその子どもと話しながら勝手知ったる我が家に足を踏み入れる。勝手知ったる、と思っていたのは最初だけで、よくみると場所が変わっていたり変化がある。姉の子の方が詳しいと気づくのに対して時間はかからなかった。私だけがどこか取り残されていくようにかんじで少しだけ居心地が悪い。
「ただいま、お父さん」
「おう」
寡黙といえば聞こえはいいがただの亭主関白の父は不機嫌そうに言う。女は家庭、仕事よりも結婚が幸せだと本気でそう思っているのだ。姉をちらりと見ると諦めなさいとクチパクで伝えられて肩をすくめた。
「あら、先に帰っていたのね」
「お母さん、お疲れ様」
「ほんと、疲れちゃったわ。今日はあんたが帰ってきているし。お肉、買ってたのよ」
「だからわたしたちもここに来たのよ。今日は焼き肉でぇす」
ぶい、とピースする姉にそっか、と伝えながらとりあえず着替えて来るわという母は振り返って、あんたも着替えなさいと言う。それを言われてそういえばわたしはまだ黒いワンピースだと思い出してそうする、とへらりと笑った。
家族の団欒というべきか。ちょっと離れたところに住んでいる兄夫婦だけはいないが久しぶりの空気にほのぼのしているところで父がじろりと私をみた。
「仕事は」
「順調だよ」
「お前もいい年だし、いい加減結婚相手を連れてくるとか」
「あー、それは」
はははと笑う私をかばうためか姉が口を開いた。
「そういえば今日の飯島さんのって」
「そう、そうなのよ」
母はぺらぺらと話だした。
アオイはもともと虐待一家で育ち、一家心中の生き残りで、祖母の妹にあたる人と住んでいたらしい、というところから始まった。学生の頃はいじめに合い、彼氏はDV男。そんな彼氏との間に子供を身ごもり、そして自殺したのだ、と母は語った。
「へぇ、ドラマみたいだね」
「だから身よりもなくてね。ほらあの飯島さんの親族側にひとりだけ残っていた人がいたでしょ」
私に話をふられてびくりと肩を揺らした。
「うん」
「あの人がアオイちゃんの祖母の妹になる人みたいで。アオイちゃんをせっかく育てたのに自殺なんて」
かわいそうにねぇ。そういいながら母はお肉を追加した。同情心なんて感じないただの言葉が耳にこびりついて、私は無意識に下腹を抑えていた。姉の子どもが目をちらちらと動かしながらねぇ、と聞いた。
「おかあさん、自殺ってなぁに? かわいそうなの?」
その言葉に答えを出すことができなかった。
ご飯を食べ終わっても姉と姉の子どもはけらけらと笑いながら父と母と話している。何だか気を使われていると感じて居心地が悪い。
実家、なのに、人の家みたいだ。
そわそわと落ちつかない。
言わないと言わないとと思って帰ってきたのに、言葉がのどの奥に引っかかっては出てこない。ぽろりと溢れた涙は何のものだったのかわからないまま勢い良く手の甲で擦った。
こう言うときは、お酒を飲むに限る。
「コンビニいってくるねー」
「うん、行ってらっしゃい」
母の言葉を背に受けながら歩き出した。
パァーと車が通るたびに明るくなる道。
冷たい夜の空気。
てくてくと歩く道は昔、アオイと歩いたと思いだした。アオイの家族の話を聞いたのは、さっきがはじめてだったとわかってはそれでよく友達と言えていたなと笑ってしまいそうになった。
すらりと長い足に色素の薄い髪。ハーフかなというくらいに整った顔立ち。運動が苦手だったこと。ちょっとイタズラ好きで、要領よくて。勉強は国語だけすごく得意だったこと。コーヒーとタバコの匂いが嫌いだったこと。私が知っているアオイは、それだけだった。
だけど、アオイはもういない。
それがなんだか嘘のようで悲しくなる。ギュッと押さえた下腹は何も感じない。ここには、もう、なにもない。
コンビニの前の横断歩道の信号が青が点滅をする。赤く染まるそのときに渡ろうとした人を思わず腕をつかんで止めてしまった。ガリガリに細い腕は少しの力を入れたら折れてしまいそうなほどで、カサカサの肌の感触に思わずパッと手を離す。
「すみません、つい」
「いえ」
その人はアオイの葬儀で見かけた老婆だった。
「アオイ、の」
「今日は、来てくださり」
思わず私がそう言ったからか震える声でそう言い出したその人の肩を掴んだ。
「いえ、そういうじゃなくて。信号、赤でしたので」
そういうとどこかほっとしたように、それでいて残念そうにその人は息を吐いた。
コンビニでお酒でなくお茶を買い、なんとなく二人で駐車場の端っこのベンチに座り込んだ。
「アオイの友人ですか?」
「中学校卒業まででしたが」
「そう、ですか」
アオイは、そう言って口を何度か開けて閉めるその人に私はぽつりと言葉をこぼした。
「私の記憶の中のアオイは優しくてちょっとずるくておちゃめな子でした。最近のアオイは知らないですけど」
「アオイは、いい子でした」
その人はとめていたものが溢れるように言葉を紡いだ。ぼろぼろと涙をこぼすように流れてきた声は文章と言うには杜撰で、文字の羅列というよりは頭の中の纏まらない言葉がそのまま出てきたようだった。
我慢が得意だったこと。
文句を言わなかったこと。
外の話をしなかったこと。
友達の話を聞いたことがなかったこと。
アオイが、妊娠を隠していたこと。
アオイは私は子どもを愛せないと書き残していたこと。
それに自分は気がつけなかったこと。
アオイの家族になれていなかったと知った事。
その人の背中を擦る。背骨がゴツゴツとして擦るたびにどこかビクビクとしてしまった。その人はぐっと目をこすると、ぴしゃりとした口調で言葉を発した。
「すみませんね、こんな話」
「いいえ」
「アオイに友人がいるなんて思ってなくて」
「いえ」
友人といえるほど関わりはなかったとは言えなかった。ありがとう、と言う言葉を聞いて、途端に今日葬儀の後で焼肉を食べたことやその席で下世話な話をしてしまったことが恥ずかしく思えた。お礼を言われるようなことをしていない。
「そんなに、立派じゃないんです。今日も、偶然」
言い訳のような言葉をその人はきっと望んではいないとわかっていても口からぺらぺらと言葉がでてきた。
「私、今日、帰ったのは、アオイさんのためじゃなくて。そう、両親に話があって帰ってきたんです。普段はこっちに帰らなくて。すごく久しぶりに帰ってきて。私、話さないといけないかなと思ってて。検診で病気が見つかって治療のために子宮をとりました。先月の話です。子どもは産めない、結婚を話してた彼氏とも別れた。たったそれだけ。親からは結婚を、とか、孫をとかずっと言われていたので言わなきゃって。でも言いたくても、なかなか言えないもんですね。それで」
「いいのよ」
その人は私の手を取ってぎゅと握った。
「理由はどうであれ、あなたは来てくれた。来てくれて、ありがとう」
そして泣きそうな顔で笑った。
「アオイに誠実であろうとしてくれてありがとう。あなたはアオイをかわいそうと思っていないのね。あの子は少し、タイミングがわるかっただけなの。生きるにしても死ぬにしてもちょっとのタイミングで引き止めたり背中を押したりするものなの……。わたしはね、昨日。アオイまで亡くして苦しくてつらくて悲しくて。私の人生ここで終わりとおもっていたのにいつの間にか寝ていて、朝が来て、太陽がのぼっていたの。昨日はあれだけ悲しくて苦しくて涙なんて出なかったのに、今日の朝日は目に染みたわ。わたしが嘆いても太陽は登るし地球はまわる。他愛のない日々が過ぎるのねって気がついたの。どんな経緯でも、今日あなたは葬儀にきてくれたあの瞬間、アオイのために手を合わせてくれた。他愛のない日の時間をくれたわ。ありがとう。きっとアオイは幸せ、だったわ」
最後はかすれたその言葉にどうしてか泣きたくなってしまった。
その人は話せてよかったと言ってしっかりとした足取りで歩いていった。私はお酒を買わずにそのまま道を引き返した。
アオイは幸福だったのだろうか。不幸だったのだろうか。それを確かめるすべはもうない。もしかしたら私は心のどこかでアオイよりもましだと思っていたのかもしれない。
でもきっとそうじゃない。どんなに幸せでもどんなに不幸でも毎日日々が過ぎていくのだと。日々の積み重ねは間違いなく幸福なのだと教えてもらった気がした。父と母にいうのが重くのしかかっていたのにそれさえも他愛のない日々だと思えるのなら、それはもしかしたらとても幸福なことなのかもしれないと思った。話せるだろうか。話せないかもしれない。それでもそうやって日々を積み重ねていくのだと、それこそが幸福だということの証明なのかもしれないと、そう思った。
ツイッターのいいねしたらタイトルを、っていうやつで月瀬様からいただいたタイトルで書きました。ありがとうございました!