死生
……死。
銃弾が飛び交い、砲弾が降り注ぎ、血肉が振り撒かれる場で感じるもの。
あるいは、病魔に侵され、倒れ、積み重なる人々から漂ってくるもの。
彼岸花が咲き誇る川辺の桟橋から、数枚の硬貨を対価に渡る船の終着点。
黒い布切れを纏った骸の、大きな鎌で刈り取られること。
蝋から伸びる紐先の、灯火が消え、煙を上げて静寂に沈むこと。
「光あれ」の言葉。
水のちょろちょろと流れ出す様。
雪の下から顔を出し芽吹く草木。
赤ん坊が息を吸い始める時の音。
窓より差し込む朝の陽ざし。
親しき者とかわす言の葉。
鎚の打ち鳴らされるかん高い音。
木々の木漏れ日にさえずる鳥の声。
……生。
よく来てくれたね。読者よ。
……さて、何から話しましょうか。
この作品が習作となるのだけれども、本当は次に出す作品が習作になる予定でした。
ではなぜこの作品が習作になっているかというと、作家、だけでなく創作家、創造主としての自分の誕生を表現したものを残しておこうと思ったからでしょうか。
この作品の中では、死と生を表す表現をいくつか描くことでそこに私の誕生を描いたつもりです。
死と生の順番が生と死でない理由、死と生の行数の比率が5:8であること、死と生の表現、その他様々なことが盛り込まれてるのですが、まぁ些末ですね。
本当に伝えたいこと、大事だと思ったことは「~むこと。」から「「光あれ」~」の間にある行にして3行ほどの空白にあります。
この空白には何もない、即ち無があります。
この無に様々なものを見出すのが私のしたいこと、することですが、それはその時々で変わるし、視点によっても変わるものでもあります。
これは非常に難解だが容易なことです。
この無を忘れなければ、私は私でいるでしょう。
だから、ゆえにこそこれが一番伝えたいものですね。
無を最も伝えたいがゆえに、本文にフリガナ、ルビはつけず、本文は日本語を元に書いているがそれをどう読んでもらっても構いません。
例えば、「光あれ」の言葉をビックバンと呼んでも構いません。すべて自由です。
さてそろそろ別れの時です。次の作品はおそらく女子高生とカフェを主とした作品になるでしょう。
(追記。次回作予定は女子高生とカフェの作品から異世界勇者物の作品に変更します)
誤字脱字等あれば報告してくださると嬉しく思い、適宜直していきます。
最後に、つたない文章だと思われますが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
また会いましょう、ともよ。