被虐待令嬢は番に見出され溺愛される
長編の息抜きに書きたいとこだけ書きました。
楽しんでもらえれば幸いです。
この世界には番という概念がある。
世界のどこかに、自分の運命の相手がいるという概念だ。獣人の国ほどそれは顕著になり、匂い・フェロモンによってお互いを引き寄せ合う。
弱小のアズワルド国は、隣の獣人大国の留学生を受け入れることでなんとか存続していた。留学生というのは名ばかりで、運命の番を自国で見つけられなかった獣人達の受け入れ先だ。見方によっては留学生を受け入れる学園は、国のために獣人国に売られているとも解釈できる。しかし、立地的にもこの国はそうして生きていくほかなかった。
という事情は、今の今まで少女に関係ないことだった。
少女の名はリルム。弱小アズワルド国の公爵家の長女だ。だが、彼女は長いこと人目に触れていなかった。それどころか、存在を隠されて牢獄のような地下の一室でひっそりと生きながらえていた。生まれたときからそうだったわけではない。母が生きていた頃は母が、母が亡くなってからは祖母が優しくしてくれた記憶はある。しかし、二人はリルムを置いて逝ってしまった。リルムがひとりぼっちになったのは10歳の時のことだ。
それ以来、リルムは地下室に一人だけ。毎日のように暴力を振るわれるか、または3日くらい存在を忘れられるか。両親と妹の機嫌次第でいたぶられ、今、その命をそっと終わらそうとしていた。
その日は忘れられて何日か経過していた。喉が渇いて、おなかが空きすぎて、意識が朦朧としていた。
祖母は「いつか誤解が解ける日が来る」と言っていたけど、それももう、別にどうでもよかった。ただ、早く終わることを願って、祖母や母と同じ場所にいけることを祈っていた。
(ようやく…おわるの?)
だが、そう簡単にはいかないようだった。
何やら悲鳴のような声がする。怒号と悲鳴。それから、嗅いだこともない芳しい匂いがした。
(いい匂い…何が起きているのだろう…?)
そう思って、リルムはなんとか体を起こす。
倒れたままでいると、何を寝ているんだと酷いことをされた経験からだ。なんとか壁にもたれて身を起こす。
匂いが強くなった。
出来るなら、ずっと嗅いでいたいステキな匂い。
「ここか!」
大きな男の人の声と、バアンという大きな音が地下室に響く。祖母が昔話してくれた、賊、というものだろうか。家族ではなく、別の誰かに殺されるのであれば、それもまた良いかもしれないとリルムは薄く微笑む。
「なっ…」
先頭に一人、それから何人もの気配。
だが、一向に近づいてくる様子はない。
ただ、誰かが驚いたような気配がした。
(死に神だから、気持ち悪いと思われたのかな? でも、仕方ないよね…。目を開けたらもっと酷いことされてしまう。
でも、出来れば殴らないでほしい。大きな男の人みたいだから、父様にぶたれるよりもきっと痛いもの。…一撃であちらへいけるのなら、それもいいかもしれないけど)
「失礼…公爵家のご令嬢で間違いないだろうか」
知らない男の人の声だ。敵か味方か分からない。ここで下手な返事をすれば家族にまた殴られるかもしれない。生を諦めた身だとしても、また痛いことをされるのはイヤだ。けれど、父よりも強そうな気配のする人に殴られるのもイヤだ。少し悩んでから、リルムは正直に答えることにした。
「…ぃ」
はい、と返事したかったが、長い間自力で声を出していないため掠れた音が喉から出ただけだった。どうにかして頷いて見せる。
「獣人様! 公爵様!
ここはあなた様の入るような場所ではございません!!」
必死な父親の声が聞こえる。頷いてしまったことを後悔した。あとで、酷い仕置きをされるだろう。でも、もうその仕置きに耐えきれる自信はない。
命がもうすぐ尽きる、と思った。
早く祖母の元へ行きたいと願っていたはずなのに、尽きると思うと少し怖く思えた。
「それは私が決めることだ。あなたはこの少女の親なのか?」
「それは…」
「親でないのであれば私がもらい受けても構わないだろう。
失礼する」
目の前の男の人が動くと、その動きに合わせて芳しい匂いも動いた。先ほどから感じていたいい匂いは、彼のモノだったらしい。死ぬ前にこんなにも幸せになる匂いを嗅げて、少し得したような気持ちになる。
もう、壁に支えて貰ったとしても、体を起こしているのは困難だった。
バキ、という派手な音がした。牢の鍵が壊されたのだろう。少しの間のあと、優しいぬくもりに包まれる。抱き上げられたらしい。何故だかとても泣きたくなった。もう涙なんて出ないと思っていたのに。
安心する匂いとぬくもりに、意識が遠くなる。このまま死んでしまえればいいのに。
「彼女は私の番だ…。娶るかどうかは別として、番をこんな環境においては置けない」
そんな声が聞こえたと同時に、リルムは意識を手放した。
どうか、もう目が覚めませんようにと祈りながら。
●●●●●
地下牢と言って差し支えない場所から連れ出した少女は、15とは思えないほどに軽かった。
白銀の髪と薄汚れた肌。身にまとったモノも酷く汚れていて、所々血がこびりついている。その様子を見て、また頭に血が上りそうになった。
「ラスティン、まずは彼女を安全な場所へ。それと医者も呼ばないとまずい」
「…あぁ」
ぐぅ、と唸って返事をする。こうして居る間にも彼女は命の灯火を消そうとしている。生きるのを、諦めている。
やっと見つけた番なのに。
ラスティン・ディランドールはアズワルド国の隣に位置する獣人国・ガラドの出身の狼の獣人だ。自国内では番を見つけることが出来なかったため、留学生としてこの国にきた。
ずっとずっと、この国の方角から何かの気配を感じていたのだ。
ラスティンはもともと番と言う概念を毛嫌いしていた。人間はよく獣人が番に執着する様子を「ただのケダモノだ」と嘲笑う。だが、ラスティン自身は同じように感じていた。獣人は、獣の身体能力に理性を宿した誇りある種族だと自負している。それなのに、ただ一人運命の番に出会っただけで身を滅ぼした獣人が何人もいるのだ。なぜ嫌悪せずにいられるというのか。
だというのに、だ。
一応一族の手前、留学した。その先で番を見つけてしまった。
しかも、今にもその命を消されようとしている。
怒りで狼の血が騒ぐ。番の敵を八つ裂きにしろと本能が命じる。
どうにかそれを理性で押しとどめ、抱き上げた少女に影響がないよう走り出した。
「冷静なお前がそうなるとは…やはり番という存在は恐ろしいな」
「本当にな。あんなに嫌悪していたのにこのザマだ」
今にも人を殺しかねない殺気を放っているだろうに、飄々とついてきてくれる男に感謝する。彼はシン・ガラド。ガラド国の第二王子だ。彼もまた、アズワルド国に番を探しに来ていた。本来であれば臣下の身分であるラスティンの都合で振り回すのは言語道断であるはずだ。だが、この王子の何でも面白がる性質が幸いしたと言えよう。また、乳兄弟で育ったという気安さもある。
ちなみに、今二人は馬車にも勝る速さで疾走している最中である。
「ガウムズが先行してくれているよ。俺らのねぐらに人間の医者を手配してくれているはずだ。
お前さんはそのお嬢さんに負担をかけないことだけ考えてな。
しょうがないから面倒事は俺が背負ってやるよ」
ガウムズは自分たちと同じ留学生の身分の豹の獣人だ。彼は仲間内で一番足が速い。彼に任せておけば自分たちが着いた頃には準備できているのは間違いないだろう。
「…すまん」
「いいさ。お前が怒るところ久々に見た。いいもん見たねぇ」
「茶化すな。
…本当であれば八つ裂きにしたい」
折れそうに細く、死臭をまとわりつかせた己の番。
死に神が今にもその細い首を刈り取ってしまいそうだった。
健気にこちらの問いかけに返事をしようとして、出来ないでいた。恐らく、長いこと声を発してこなかったのだろう。
思い出すだけで目の前が赤く染まりそうだ。
「茶化してないとお前理性吹っ飛びそうじゃないか」
シンに指摘され、一度深呼吸をする。
相変わらず、死臭がする。そして、それを上回る芳しい香り。
「…匂いが、濃くなっているんだ」
「…それマジでやばいってことじゃないのか?」
番は死の間際にひときわ強い芳香を放つと言われている。置いて逝くことを詫びるように、慰めるように。
ラスティンの番はどうやら本当にまずい状況のようだ。
シンはふざけていた顔を引き締める。
「折角見つけた番だ。生かすぞ。
お前に腑抜けられては困る。誰が俺の公務を肩代わりしてくれるんだ」
彼らしい言い分に苦笑を漏らしつつ、更に足を速めた。
やっと手に入れた番を、こんなところで失うわけにはいかない。
「瞳の色も知らないまま、手放したりなどしない」
出会ってからずっと瞳を伏せたままの少女に、ひっそりと語りかけた。
●●●●●
リルムが再び目を覚ました場所はふかふかの寝具の上だった。手触りからして上等であることがわかる。そして、いつも感じていた饐えたような、自分の死の匂いが消えていることがわかった。
(…死ねなかったのね)
知らない場所では安易に動けない。
それでなくても、ここ最近立ったこともない。きっと動くにしても這いずるしかできないだろう。
(あの男の人だろうか…)
最後に感じたぬくもりと芳しい匂いを思い出す。
あれが最期の記憶になれば、どれほど幸せだったろうか。でも、現実はそう甘くないらしい。このあと自分はどうなるのだろうか。
せめて痛い思いをしないといい、などと考えているとドアの外から気配がした。
慌てて身を起こす。
「!? 起きて大丈夫なのか?」
「はい、ありが…とう、ございます」
どうにか絞り出した声はガラガラだった。みっともないと殴られるかもしれない。いつくるか分からない拳に怯え、反射的に身を固くする。
だがいつまで経っても痛みは来なかった。
それどころか、気遣わしげな声がかけられる。
「無理はするな。その…俺はあなたを決して害したりはしない」
言っている意味がわからなくて、リルムは反応に困ってしまう。
その様子が伝わったのか、慌てている気配がする。それから、あのいい香りもする。それだけで何故か安心してしまった。ほんの少しだけ緊張をほどく。
「その…色々話を聞きたいのだが、まずその前に」
真剣な声音だ。自分なんかに誠実に話そうとしてくれる様子が窺えて、リルムは少し変な気分になる。こんな風に優しい感情を持って接して貰うのはいつぶりだろうか。
例え利用されるのでも構わない。自分も誠実に話そう、と身構えていると、とんでもない言葉が降ってきた。
「俺は君の番だ。多分、君も同じように芳しい匂いのような何かを感じているのではないかと思う。
よければ、結婚を前提に付き合ってほしい」
「けっ…こん?」
意味が分からなくて問い返してしまう。
これは、とある公爵令嬢が獣人の番に溺愛される、ほんの少し前の物語。
他にも
転生した双子が死亡フラグを粉砕するお話や
転生した女領主が前世の推しそっくりの少年を娶る話なども書いています。
良ければそちらも読んでみてくださいね。評価やブクマしていただけるともっと嬉しいです。