パンダ、怪しげに踊る
呪う神あれば救う神あり。
中尾先生は学校ではぐだぐだだったが、この危機を目にして覚醒してくれたようだ。
きっちり救急車を呼んでくれた。
救急車が到着する前に、おばちゃんは意識を取り戻した。
本人曰く、倒れた原因はただ貧血らしい。
それでも大事を取って病院へ運ばれていった。
一段落ついて、先生と話した。
彼女の家はこの近くだという。
帰宅中にスーパーに寄り道をしていたようで、白いビニール袋を手に提げていた。
中から大根の頭が覗いている。
中尾先生が怪訝な様子で問う。
「さて。こんな場所に寄り道して、どういうこと?
佐山先生から、政美ちゃんは体調が悪いって聞いてたんだけど」
佐山という名は知らなかったが、保険の先生のことだろう。
ふと全てを中尾先生に打ち明け、呪いを証明してみたらどんな反応をされるだろうかと考えた。
しかし、やめておく。
仮に信じてもらえたとしても、呪いなんて先生にはどうすることも出来ないだろう。
巻き込まないように、さっさと立ち去った方がいい。
「ちょっと野暮用がありまして、父に会いに行くんです」
わたしの態度から、訳ありだと判断したのか。
先生は別の質問を投げてきた。
「場所は何処なの?」
住所を答えると、先生は心配そうな顔でわたしを見つめた。
「――そう遠くはないわね。
暇だからついっていっていい?」
思わぬ申し出だ。
パンダがわたしの首根っこにかじりつき、
〈断れ。断るんだ〉と耳元で囁く。
言われなくてもそうするつもりだ。
「いえ、込み入った話になるので、一人で行きます」
笑顔を作ってそう答えた。
中尾先生は何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。
先を急ごう。
わたしは先生にお礼を言うと、できるだけ早歩きをしながら、その場を離れた。
「危なかった」
わたしの呟きに、パンダが反応する。
〈無心になろうとしても、そうできないんだよな。
それなら眠れないときと同じように、羊でも数えていればいいんじゃないか?〉
なるほど、それはいいアイデアかもしれない。
羊が一匹、羊が二匹。
ぶつぶつと呟きながら歩き続けた。
意識がぼんやりし始め、眠くなってくる。
代わり映えのない風景が続いていたが、目的地には確実に近づいているだろう。
何処にでもありそうな、閑静な住宅街。
軽自動車でもすれ違うことができないような狭い道を歩いた。
サザンカの生け垣の横を通り抜け、緑色のフェンスにさしかかる。
怪しげな看板を見かけた。
日阪霊能事務所 この先五〇メートル
霊能者・日阪天仙が、あなたのお悩みを解決します。
恋愛相談、水子供養、呪い・超常現象にお困りの方、まずはお気軽にご相談を。
料金:二十分 一万円~
父の事務所のものだった。
料金高いな。
少しは儲かってるのだろうか。
目的地には、すぐにたどりつけた。
古ぼけた鉄筋コンクリート製の小さな建物。
空き家と見紛うばかりに、薄汚れた壁にツタが這っている。
所々剥げて錆の浮いた看板は、「日阪霊能事務所」と書かれていた。
わたしはゴクリと生唾を飲み込み、事務所の扉を開けた。
ギィィと不気味な声で蝶番が鳴く。
殺風景な事務所だ。
長机とパイプ椅子が、カウンターとして置いてある。
カウンターの奥には事務机が一つ。奥の棚には書類やコーヒーポットがある。
殺風景ながらも、一応生活感はあるようだ。
人影はない。
カウンターに呼び出し用のベルがあったので、押してみる。
死にかけたコオロギのような音でベルが鳴った。
奥の部屋から、ひげ面の男が出てきた。
痩身で、うさん臭さを全身から漂わせている。
特に服装が特徴的だ。
白い綿パンに白いシャツ。医者が着るような白衣に、結婚式で使うような白いネクタイ。
それはもう、病的なまでの白装束。
「政美、政美なのか?」
「お久しぶり」
げんなりしながら、わたしは応える。
父はしばらく絶句すると、やがてぽろぽろと涙を流し始めた。
「お、お父さんに会いに来てくれたのか?」
「用事があったんだよ。変な神様に呪いをもらって、困ってるの」
「そうなのか。大変だな。まあ、座りなさい」
父が椅子を引いた。
手振りで、カウンターを廻ってくるように伝えてくる。
呆れた調子でパンダがぼやいた。
〈おいおい、勘弁してくれよ〉
「どうしたの?」
〈いや、ちゃんとした霊媒師なら、オマエの異変に一目見ただけで気付くはずだからな〉
わたしは半眼で父を睨み付けた。
「ん? どうした? 早く座りなさい」
父はにこにこ機嫌良さそうに、インスタントコーヒーを溶かしている。
わたしはパンダの首根っこをつまむと、カウンターの上に置いた。
「お父さん、この不細工なの、見える?」
パンダがくねくねとダンスを始めた。
自己アピールしたいのか、目にうるさい奇妙な動きだ。
しかし父には見えていないらしく、不可解そうな表情で目をしばたたかせるばかりだった。
間違いない。
「お父さん、霊能力無いよね?」
父はう、と小さく呻くと、数歩後ずさった。
「いや、一概にそうとも言い切れないんじゃないかな、とも」
「無いでしょ」
「あるような、無いような……」
「無いから」
「……すみません」
父は頭を下げた。
わたしは溜息をついた。
何とも情けない気持ちになってくる。
本音を言えば、彼に何とかして欲しかった。
名誉を回復して欲しかった。
同時に、なんとなくこうなりそうだとも思っていた。
その予想もあって、会いたくなかった。
わたしはくるりと踵を返した。早歩きで、事務所を出る。
「待ってくれ、政美!」
声が聞こえたが、顔も見たくない。
追いかけられると面倒だ。
わたしは走り出した。
日阪事務所を出て、大通りにさしかかる。
パンダが追いついてきた。
一人と一匹で、黙って歩いた。
あんな男に期待したのが間違いだった。
しかしこれでもう、思いつく手はなくなった。
ふいに、後ろからクラクションの音が聞こえた。
背の高い黒色の軽自動車がわたしの横で止まる。
何事かと思っていると、ゆっくりと窓が降りた。
中尾先生だ。
「政美ちゃん、今から帰り?」
明らかに、ここで待っていた様子だった。
「……中尾先生。そんなに気になったんですか?」
先生は肩をすくめて、悪びれずに答える。
「ごめんね。あまりにもただならない雰囲気だったから、どうしても見過ごせなくてね」
「そこまで挙動不審でした?」
「顔に余裕ないって書いてあったよ。いつもの大ざっぱな感じじゃなくって、すごく丁寧で慎重で、神経質になってた」
よく見てくれている。
待ち伏せされたという不快感よりも、嬉しさが上回った。
「それで、問題は解決したの?」
「はい、概ねは」
嘘をついた。
先生がこちらをじっと観察している。
ばれている?
しかし彼女は表情を和らげて、明るい口調を投げかけてくれた。
「今日は時間があるからね。
乗りなさい。このまま家まで送ってあげるよ」
ありがたい申し出だ。
電車賃すら持っていなかったので、先生の厚意に甘えることにする。
助手席に乗り込み、置いてあったピンク色のクッションを膝に乗せてシートベルトを締める。
たぶん一番安全な状態は、自分の部屋に引きこもること。
さっさと家に戻って、今日は早く寝よう。