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パンダ、協力を申しでる

 いったいどこから現れたのか。

 目つきの悪いパンダのぬいぐるみが、机の上で寝転がっている。


 わたしは腰を抜かした。

 無様にへたり込みかけたところを、椅子にかじりついて耐える。

 ぶんぶんと頭を振って、何とか気力を取り戻した。


 落ち着け政美。

 これはきっと夢の続きだ。

 一時の気分に振り回されて奇行に走れば、その後ずっと後悔することになるだろう。


 平常心、平常心……

 もう一度ちらりと自分の机を見ると、やはりそこには人相の悪いパンダが寝そべっている。



〈全く、最近のガキは名前すら名乗れんのか?

 なんか俺様はオマエに取り憑かなきゃいけないみたいなんだが、勘弁してくれよ。

 オマエ、何をやらかしたんだ?〉



 大丈夫、大丈夫とぶつぶつ呟き、わたしはパンダから目をそらした。

 教室を見渡すと、みんながわたしを怪訝な様子で見ている。

 驚いている人はいない。

 きっと、このパンダは幻覚なのだ。

 わたしは周囲を見渡すと、先生にも聞こえるように言った。



「すみません、ちょっと、相当疲れてるみたいで……保健室行っていいですか?」



 中尾先生は相変わらず心ここにあらずといった様子だったが、わかったと答えてくれた。


 気だるそうな演技をしつつ、席を離れた。


 パンダが後ろをひょこひょこついてくる。

 わたしは教室を出ると、パンダまで出ないように扉を閉めた。

 パンダが扉をすり抜けて廊下に出る。


 目が合う。

 どちらからともなく笑った。

 こいつ、本物だろうか。


 平静を装うのは、ここまでが限界だった。


 我に返るなり走って逃げた。

 パンダも短い手足を振り回してついてくる。

 わたしの方が速いのか、ちょっとずつ距離は開いた。


 保健室に向かった。

 ベッドに潜り込んで一眠りすれば、パンダもいなくなるかもしれない。

 階段を駆け下り、二階のホールに差し掛かる。

 職員室の対面に保健室はあった。


 扉を開けて駆け込むと、保健の先生が寂しげにパソコンのキーボードを叩いていた。

 扉を閉め「ちょっとベッド借ります」と言い捨てて、わたしは横を通り過ぎる。

 先生は驚き目をしばたたかせたが、止めようとする様子はなかった。

 ベッドゾーンに入りカーテンを閉める。

 スリッパを脱ぎ捨ててベッドに上った。



〈おい!〉



 野太い声がカーテンの向こう側から聞こえた。

 明らかに保健の先生の声ではない。

 勘弁して欲しい、本当に最悪だ。

 カーテンをすり抜けながら、パンダが顔を出した。



〈よう。逃げたって無駄なんだぜ〉



 牙を見せ、にやにやとせせら笑っている。

 わたしは布団をかき集めてベッドの端に逃げた。

 するとパンダはひょいとベッドに飛び乗ってきて、よちよちと近づいてくる。

 その満面の笑み、悪意に染まった表情に、わたしはすっかり動転した。

 思い切り拳を握りしめ、腕を振り上げる。


 予定外のことらしく、パンダはにやにや笑いを引っ込め、呆気に取られたような表情をした。


 わたしは泣きながら全力でパンダを殴り始めた。



「触るな、来るな、近寄るな化け物!

 悪霊退散、南無阿弥陀仏!」


〈痛て、痛てて、何しやがる!

 野蛮人め暴力……、暴力は人間として最低……ちょ、待ってくれ……〉



 腹に拳をめり込ませ、

 頭に手刀をたたき込み、

 頬をつねり上げて、

 腕に齧りつき、

 鼻の穴に指を差し込んで、

 足を掴んで何度も布団に叩きつけた。


 パンダは短い手足をばたつかせて反撃しようとしていたが、全く痛くはない。


 殴り疲れて、ふーふーと肩で荒い息をしていると、パンダは目尻に涙をためながら逃げだして、ぴょんとベッドから飛び降りた。

 と、カーテンがはらりと開く。



「何をしているのですか、あなた」



 保健の先生が両手でカーテンを開けた体制のまま、頬をひきつらせてこちらを見ていた。

 わたしは涙目で先生を見返すと、先生の足元を指さして答える。



「先生、あそこに変なパンダが……」


「パンダ?」



 保険の先生はくいと眼鏡を押し上げて、じっくりとカーテンを凝視した。

 こちらを向く。



「たしか、名前は紺野政美さん、でしたね」


「はい、紺野政美さんです」


「パンダなど何処にもいません。あなたは幻覚を見ているのです」



 幻覚だと納得できたらどれだけいいかわからないが、わたしの意識はかなりはっきりしている。

 証明する方法は思いつかないけど、ここまで明確に認識している以上、少なくともわたしにとっては事実にほかならない。


 答えに窮していると、パンダは暇になったのか、わたしを馬鹿にしたいのか、はたまた自己主張のつもりなのか、保健の先生の足下でくねくねとヘンテコな踊りを始めた。

 嫌な奴だ。

 小説でも女の子が発狂するまで嫌がらせを続けたくらいなのだ。瞳を閉じ、パンダを見ないようにする。


 紺野政美、心を強く持て。パンダなんかに負けてはいけない。


 保健の先生が深くため息をついた。



「紺野さん、あなたは疲れているのです。

 しばらく休んで、それでもまだしんどいようでしたら、今日はもう帰っていいです。

 えっと、今年の担任は誰ですっけ?」


「中尾先生です」


「先生に、早退するように伝えておきましょうか?」


「お願いします」



 保健の先生は机に戻っていった。

 その際に、ちゃんとカーテンも閉めてくれた。


 最悪だ。

 おかしい人と思われてしまった。

 パンダがカーテンをすり抜けながら、内側に入ってきた。

 流石にベッドの上までは急に上がろうとせずに、ベッドの縁からちら見してくる。

 わたしが牙をむいて威嚇すると、パンダは一瞬顔を恐怖に引きつらせてから、ベッドに上り、敵意がないことを示したいのか両手を上げて近づいてきた。



〈お、落ち着けよマサミ。

 な、な。最近の人間はコミュニケーション能力が不足してるっていうが、いくらなんでもこいつは酷いんじゃねぇのか?〉


「うるさい黙れ。

 消えろ消えろ、わたしの前からいなくなれ!」


〈そいつは無理だ〉



 パンダは小癪にも、真剣な表情をした。



〈妙な神通力がオマエにはかかっている。

 何故かお前に取り憑きかねばならず、離れることができんようだ〉



 わたしはパンダの胸倉をつかんだ。

 奴が案外弱そうなこともあって、恐怖は怒りへと切り替わっている。

 拳をちらつかせながら尋ねた。



「わけ分かんないよ。ちゃんと説明しなさい」



 パンダは何度も手のひらを前に出す「落ち着け」というジェスチャーをしてから、



〈いいかよく聞け野蛮人。

 オマエの周囲の因果律は、いずこかの神の神通力によって大きく歪んでいるようだ。

 あと、もうすでに死んでるから死ぬのは無理だ。

 暴力はさらなる暴力を生むだけだ。

 理性的にいこうじゃないか〉



 偉そうな物言いにカチンと来たが、パンダの発言内容を考えて動きが止まる。

 神通力というか呪いというのか……神? の声がフィードバックした。



『天地の法則のままに、貴殿の今後の願いはかなわないであろう』



 ここ数時間のことを思い出す。

 あれから願ったのは二回だけだと思う。


 最初は副委員長になりたいと願い、優華に先を越されてしまった。


 次にパンダの悪夢がただの夢であって欲しいと願い、その結果現実になってしまった。


 最初の件は偶然だと思えるが、二回目はその範疇を超えている。

 パンダの悪霊に憑りつかれるなんて、そんな偶然あってたまるか。


 とりあえずは信じるしかない。


 わたしは神? から変な呪いをもらったのだ。

 全く、ゆとり教育のせいで、お馬鹿な神様が増えているのだろうか。

 それとも高齢化社会のため、ボケた神様が増えているのだろうか。

 最悪だ。

 終わってる。

 迷惑だ。

 あり得ない。


 願いがかなわないと言うことは、光敏君を彼氏にはできないということか。

 受験も将来の夢も、みんな失敗するということか。


 いくつか具体的な事例に思い至り、鳥肌が立った。



 ――ひょっとして、かなりとんでもないことになってない?



 最悪だ。

 今日は最悪の日だ。

 決定だ。


 うずくまっていると、パンダが馴れ馴れしくぽんぽんと肩を叩いてきた。

 睨みつけると奴は肩をすくめた。

 まあ諦めろや、という意味か。

 腹が立ったのでその首を締め上げる。



「状況は何となく分かったわ。

 それで、解決するにはどうしたらいいの?」


〈むご、むぼ、ぶぶぶぶ……〉



 パンダは苦しそうにばたばたと抵抗した。

 このままでは喋れないだろうから、仕方ないので手を離す。

 げほげほと咳をしながら、パンダは言った。



〈そんな事を言われても、俺様にも何が何やらさっぱり分からん。

 まずはだな、説明をしてくれ。

 オマエ、いったい何をしたんだ?〉



 わたしは渋面を作って、これまでのことを伝えた。

 パンダは偉そうに腕を組んだ。



〈なるほどなるほど、神通力の縛りは『願ったことが叶わない』か。

 厄介だな。

 それはそうと、願いの内容に関して、大きく二つのタイプがある気がする。

 一つは、単発の動作を願う場合。

 もう一つは、状態を願う場合〉


「もうちょっと分かりやすく説明してよ」



 パンダはむう、とうなった。



〈ちょっと財布から、何でもいい、コインを出してくれ〉



 パンダの言いなりになるのは不快だが、抵抗しても話が進まない。

 しぶしぶ一円玉を出す。



「盗らないでよ」


〈盗むか馬鹿者。

 とりあえず表を出すことを願ってから、コインを投げてみてくれ〉



 なるほど、実際に試してみるということか。

 言われた通りに数字面を出すよう願ってから一円玉を投げた。

 植物のマークが上になった。



〈おい、真面目にやってるのか? 表になってるぞ〉


「違うわよ。植物のマークが裏で、数字が表でしょ?」


〈……いや日本の造幣局では……ええい、んなこたどっちでもいいか。

 もう一度、数字の面を出すことを願ってからコインを投げてみてくれ〉



 願って投げる。植物のマークが上になる。



〈もう一度〉



 結果は同様だ。

 願っては投げ、願っては投げ……結局言われるまま十数回は繰り返した。


 いずれも裏――植物のマークの方しか出ない。


 わたしも流石に、異様さを認識した。



「気味が悪いわね。

 きっと、すごい確率なんでしょ?

 何十回に一回とかの」


〈今で丁度二十回だから、確率は二の二十乗で百万分の一以下だな。

 神通力はお前のいう内容で正しいんだろう。

 じゃあ次は、何も考えないでコインを投げてくれ〉



 パンダの言葉に素直に従い、投げる。

 また裏が出た。こう何度も裏が出ると腹が立ってくる。

 促されてさらにもう一度。あれ……今度は表が出た。



〈基本的には一度願うにつき、一度しか効果が起こらないってことか。

 ところで、もしオマエが『コインの表を出すこと』ではなく、『ずっとコインの表を出し続けること』を願った場合、その後で何も考えずにコインを投げても、ずっと裏が出続けるのか?〉



 やってみなければ分からないので、試してみる。


 願う。

 ずっとコインの表が出続けますように。


 呪いは忠実だった。

 その後は別のことを考えながらコインを投げても、裏しか出なくなった。



〈これではっきりしたな。

 コインを投げるという『単発の動作』に関して願えば、その回だけ裏が出ることが確定する。

 一方で、お前が表を出し続けるという『状態』を願えば、意識しようがしまいが、この先ずっと裏しか出ない。

 似たような願いでも、願い方で神通力の働きが違うんだ〉


「この先、ずっと裏しか出ないってこと? どうしてくれんのよ!」



 気味が悪い。

 腹が立ったのでパンダの首を絞めた。

 パンダは目を白黒させながら、わたしの腕をタップする。

 仕方なくわたしは手を放した。



〈げほ、げほ。

 とりあえず、裏が出るように願ってから、また投げてくれ〉



 言われるまま、投げる。表が出た。



〈そのまま何も考えずに、投げてくれ〉



 裏が出た。表、裏、裏、表、表……。



〈同じ事象について、別の願いで上書きすれば、前の願いはキャンセルされるってわけか。

 それならマサミ、『俺様に憑りつかれたい』と願ってくれ〉


「無茶言わないでよ」


〈オマエがそれを願えば、俺様は自由になれるかもしれんのだ。

 形だけでも、やってくれ〉



 試してみた。


 ――不細工なパンダの悪霊に、憑りつかれますように。


 パンダはしばらく不気味に唸っていたが、やがてあきらめたのか肩をすくめた。



〈無理だな。オマエから離れられん。

 本当に真面目にやってるのか?〉


「どうも気が入らないのよね。

 わたしって正直者だから」



 パンダが頭を抱え込んだ。



〈何にせよ、神通力の性質はだいたい分かった。

 オマエは俺様に『取り憑かれないように』と願ったんだな?

 この場合は、俺様に『取り憑かれる』という単発の動作に対して願ったのか、『取り憑かれ続ける』という状態に関して願ったのか、分からんか?

 もし前者なら、お前が俺様を意識しなくなれば離れることができるやもしれん〉


「知らないわよ。

 だいたい、わたしは悪夢が夢であることを願ったの。

 夢の内容に関しては、詳しくは覚えてない」


〈なら、その悪夢とやらが現実であることを願えば……〉


「意味が分からない」



 パンダはげんなりした。



〈すこぶる厄介だな〉


「何とかしなさいよ」


〈そんなの、俺様にできるわけがなかろう?

 ちょっとは自分でも何とかしようとしてくれ〉


 泣きたくなった。

 溜息をつき、顔を伏せ目蓋の上に手をやる。

 力が抜け、何もする気が起こらない。パンダが図々しくも話しかけてきた。



〈とりあえず元気出せよ。

 俺様も自由は欲しいのだ。

 協力はしてやる〉



 わたしは顔を上げ、パンダを睨み付けた。



「誰のせいで泣きたい気持ちになってるのか、分かんないの?」


〈俺様のせいじゃない。神通力のせいだろ〉


「例の小説じゃ、あることないこと言って女の子発狂させてたでしょ」


〈小説? 何の話だ?〉



 パンダは直接は小説と関係ないのか。

 もともと夢の中の話だったので、何がどうであってもおかしくはない。

 不思議そうに見つめられて、わたしは居心地が悪くなった。



「……あんたはホラー小説のパンダとそっくりなのよ」



〈そうなのか。

 ちなみに俺様の正体は、かつて甘栗動物園で暮らしていたポンポンというジャイアントパンダだ。

 それはもう、子供たちに大人気でな。最盛期には、毎日……〉



 どうでもいい情報だ。わたしは言葉を被せた。



「そんなことよりも、何とか現状を打開させるアイデア、一つや二つは出しなさいよ」



 パンダがむすっとした表情で口をつぐむ。

 それでも、律儀に返答はしてくれた。



〈この手の超自然的な力を消滅させるとしたら、方法は三つしかないと思う。

 核になる部位を見つけ出して解呪するか、

 無理矢理解いちまうか、

 あるいは勝手に解けるのを待つか……〉


「勝手に解けるって?」


〈神通力とはいえ、何も無条件に延々と働き続けるわけじゃない。

 時が経つうちにどんどんパワーは減っていく。

 遅かれ早かれいずれはなくなるだろうさ〉



 それを聞いてほっとする。

 確かに今は最悪だが、時間制限付きならなんとかやり過ごせるかもしれない。

 一番重要なことを、突っ込んだ。



「で、いずれは勝手に消えるって、消えるまでに何日間かかるのよ?

 こんな状態が一週間以上続くなら、流石につらいんだけど」


〈ちょっと待て、計算してみる。

 えっと……えっと……うむ、うむ。

 相当強力な神通力みたいだし、このペースで力が減っていくとすると……あと五百年強だな〉



 五百年。わたし死んでるし。

 べしりとパンダをはたいた。



「じゃあ、核になる部分って何なのよ」


〈神通力の核になってる構造だ。

 それを知ってるから、神通力を仕掛けた本人は、いともたやすく解呪できる。

 でも、こいつはかけた本人にしか分からない〉


「無理やり解くってのは?」


〈凄腕の霊能者とかならば、可能じゃないか?〉



 わたしは思案した。

 一番現実的なのは、霊能者案だろうか。

 ちなみに凄腕かどうかを置いとくと、霊媒師には心当たりがある。


 わたしの父だ。


 彼は隣町で霊能事務所を経営していた。


 父のことを考えると、気が重くなる。

 会いたくない人だが、それでもこの際は仕方がない。


 わたしの両親は十年前に離婚した。

 その原因は、すべて父にあった。

 彼は経済力が無いうえに、

 気が弱く、胡散臭い人間だった。

 事務所には三度ほど行ったことがあるので、場所も覚えている。


 とりあえず、パンダの額にデコピンをかました。



〈なあ、さっきから思うんだが、何か一言言うたびに虐待してくるの、やめてくれないか?

 オマエみたいな奴がいるから、世界は平和にならないんだ〉



 わたしは窓をがらりと開けると、パンダの首根っこをつかみ外に投げ捨てた。

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