3.試験②
建物の屋根がだんだんとオレンジ色に染まっていっている。そろそろ陽が沈む時間みたいだ。どこかでカラスの鳴き声がする。
私は気分良く、帰路についていた。足取りは軽い。
というのも、眼鏡の試験が上々だったのだ。
あの後、一通り街にいる知り合いを眼鏡で見てみたのだが、全員にハートが確認できた。もちろん、それぞれ数や色や大きさが違った。
しかも、私が気に入っている人のハートが、色が赤く数が多いのだから気分が良かった。やっぱり、とは思ったけど、実際目にすると嬉しい。かなり舞い上がる。
この『相手が好きかわかる眼鏡』は恋愛ごとにしか使えないと思ったけど、意外と使い道はあるかもしれない。そうするとさらに売れる。
なんて素晴らしい発明なんだ、師匠!
私は久しぶりに心の中で師匠を絶賛していた。
「おい」
「はーい?」
呼ばれた、と思って私は振り返ったが。すぐに後悔した。
男がいる。同い年の。
「げっ」
「げっ、って相変わらず色気のない声だな!」
はっ、と鼻で笑うその男――ティートは、あざけるような目で、上から見下ろしてくる。無駄に高い身長と無駄に整った顔がむかつく。
私の顔は、鏡を見なくとも眉間にしわ寄せて、最高に面倒くさいという顔をしているに違いなかった。
この男は、同じ村の幼馴染だ。
私が魔導師になるためにこの街に来た後、なぜかこいつもこの街にやってきた。
子どもの頃から散々からかわれるわ、いじめられるわ、喧嘩するわで仲が悪い。ティートと離れられてほっとしていたところがあったのに、なぜこいつまで街にきて、また関わらなきゃいけないのか。運命ってひどい。
「なんだよお前その眼鏡! 似合わねえ!」
ティートは腹を抱えて指をさして笑ってくる。
カチンとして睨むように胸元を見てやれば、ちっちゃな真っ青のハートがひとつだけ見えた。
やっぱり、とため息が漏れる。こんなに嫌いだったら、私に構わなきゃいいのに。
「なによ、これすごい魔導具なんだから。ま、ティートにはわからないだろうけど」
「ふん、どうせあのよくわからん怪しい魔導師の作ったもんだろ。あんな変な男の弟子なんかしても、魔導師なんてまったくなれないぞ。というか、お前は絶対魔導師なんてなれないって」
ティートは村にいた頃から、お前なんか魔導師なんかになれるはずないと、何度も言ってくる。本当に腹立つ。
ティートの口角がニヤリと上がった。
「一方俺は、国家憲兵の夢に向かって絶好調! 知ってるか、国家憲兵ってお前の宮廷魔導師とかよりもはるかにエリートなんだぜ。なんたって、魔導師の監視をするのは国家憲兵だからな!」
ティートが胸を張って語る。
「まあ、国家憲兵目指してるってだけでモテるモテる。ちびで可愛げまったくなくて、魔導師なんか目指しているせいで婚期逃しそうなお前と違ってな」
「へー」
「……ま、最高の職を手に入れて、お前なんて目じゃない美人な妻侍らせてやるよ」
「あっそ」
ティートの将来の予定なんてどうでもいいや。そんなことにいちいち私を引き合いに出してくるのもむかつく。
私はティートなんてそっちのけで、道を歩く通行人を眺めた。
「うらやましいだろう? まあ、お前が村でおとなしく待っているっていうんなら、養ってやらんこともない」
「……は?」
「だから、国家憲兵になれたらお前一人くらいどうってことないから……まあ、どうしてもっていうなら、行き遅れる前にもらってやってもいいって言ったんだよ」
人の顔も見ずに、ティートが自信満々に言ってる。
寝ぼけているんだろうか。
「死んでも、ティートに世話なんて焼いてもらわないから!」
「し、死んでも」
大声で言えば、珍しくティートが押し黙った。でもすぐに片眉を上げた、上から目線の顔を見せる。
「はっ! 今言ったこと、後悔しても知らないからな! 国家憲兵になった後に、やっぱお願いしますーとか言ってきても、断るからな!」
「別にそれでいいよ」
ティートの顔が真っ赤になった。でも、胸元のちっちゃなハートは反対に真っ青だ。
「この俺の厚意を断るとは……。だいたいな! あんなださい十くらい歳上のジジイの弟子するなんて、お前だまされてるぞ! 魔導師なんて部屋にこもりきりで研究ばっかしてるし、何考えてるかわからない怪しい奴らだ。最近も王都で、違反した魔導師が国家憲兵にしょっぴかれていたしな!」
「そんなことない! 師匠は優しいし」
「だからそれがだまされてるって言ってんだよ! あのなあ、犯罪者ってのは油断させるために最初は優しくするもんだ。だから魔導師の弟子なんてやめとけよ!」
「やだ!」
ティートに言われて辞めるはずない。むしろ、言われたらますます辞めるものか!
もう話すのも嫌だ。そう思って無視して帰ろうと私はきびすを返した。
すると、腕をがしっと捕まれる。力が強くて痛い。顔を歪めて振り返れば、ティートが真剣な顔を向けていた。
「痛い! 放して!」
「弟子をやめて村に帰れって。魔導具なんて怪しいもの作らなくても、楽しく過ごせる方法はたくさんある。このままじゃ、犯罪の片棒担ぐことになるぞ!」
「嫌だってば!」
抵抗しようとしても、国家憲兵目指して鍛えているティートはびくともしない。痛みで生理的に涙が浮かぶ。
その時、カラスの鳴き声がした。
あ、と空を見上げれば、私たちの真上に十羽ほどのカラスが飛んでいた。
その中で特に大きいのは、コルだ。ふと目が合った気がすると、コルはひと鳴きする。
それを合図に、カラスたちがバサバサとティートに襲いかかった。
「わっ!? 痛っ、いてててて!」
ティートの手の力が抜けて、私は素早く距離を取る。真っ黒なカラスに囲まれているティートは、ひたすら頭を突かれていた。結構痛そう、そう思いながらその光景を見つめる。
コルが、私のそばに飛んできた。
「お腹減った。そろそろ夕飯の時間よ」
何事もないかのように、コルが私にそれだけ言った。
まったくこのカラスは、いつもぱらぺこだ。私は笑ってしまう。
「あっ、あの魔導師のカラス! また邪魔しやがって……くそっ、覚えてろよ!」
頭を抱えたティートが、涙目になりながら捨て台詞を残して逃げていった。
コルがまたひと鳴きすれば、群がっていたカラスが彼から離れて空に戻った。
「ありがとう、コル」
「別に迎えに来たわけじゃないから。夕飯の用意はアンタの仕事だし、食いっぱぐれないように様子見に来ただけよ」
パタパタ羽を振るコルの胸元には、真っ赤なハートがひとつ浮いている。でもよく見ると、隣に小さなハートがもうひとつ増えていた。
私は笑った。そして、眼鏡を外してカバンに大切にしまう。
「はーい、じゃあまっすぐ帰ります! 虫たくさん捕まえとくね」
「だから虫はいらないっていったでしょ」
帰り道は、今日で一番足が軽くてあっという間だった。
***
「おかえり、ピア。遅かったね」
研究所に帰ると、一緒に入ったコルが師匠のもとに飛んでいった。師匠はいつもの通り、何かを書いていてこちらには目もくれない。
床はさすがに午前中に片付けただけあって、ぐちゃぐちゃにはなっていなかった。ただ、師匠の周りは紙がたくさん落ちているけど。
私はため息をつく。
「ただいま帰りました」
「どうだったかな?」
「はい、ちゃんと好感度がハートで見えましたよ」
カバンから『相手が好きかわかる眼鏡』を取り出す。
これで今日一日、いろんな人の気持ちを覗いてきた。それで気付いたことがある。
私は報告しようと師匠に顔を向けた。
そういえば。この眼鏡で、師匠を見ていない。
弟子としては師匠の生活を助け、研究開発の助手もしっかりやっていると思う。師匠にはよく感謝もされるし、優しい。
それなりに、好かれているはずだ。
手元の眼鏡に視線を戻した後、思い切って眼鏡をかけて、私は師匠の胸元を見てみた。
……ない。
いや、胸元より下に、小さい薄ピンクのハートが、五個くらい転がっている。
あれっと思った。
数は多くても、小さく薄いピンク色で、浮かんでもいない。
ということは。別に師匠は、私のことを、たいして好きじゃないってことか。
とたん、この『相手が好きかわかる眼鏡』への興味がすっと引いた。
眼鏡を外してつるを畳んで、試作置き場に戻す。そして、師匠を見据える。
「問題点ですが、まず普段眼鏡をかけていない人がいきなりかけると、違和感を覚えられます。逆に、普段眼鏡をかけている人でも使いづらいです」
そういえば師匠もちょっと前まで眼鏡なんてかけてなかったし、長い前髪も切りそろえていた。琥珀色の目が綺麗で、そこそこ格好良かった気がする。
「それに、私は女だからまだよかったですけど、高感度を表すハートが胸元に浮かんじゃうと、そこを見なくちゃいけないので、相手が女性の場合まずいかと」
「あー……そうだね」
こちらを見ないけど、うっすら師匠の頰が赤くなっている。わざとじゃなくてよかった。
でも、一番の問題はそれじゃない。試験で一番思ったことは。
「……そもそも、相手がハートの通りに自分を好きかどうかなんて、どうやって確かめればいいんですか」
そう、たしかにハートは見えたけれど、それが間違いないなんて確認ができなかった。だいたい私の想像通りではあったけど、しょせんはっきりした根拠がない想像。相手の気持ちを間違いなく確かめる方法なんて、全然ないからだ。
「それらの点で、もっと改良や試験方法の見直しが必要だと思いました」
師匠がこちらを向いた。
黒くて長い前髪の隙間から、眼鏡越しの琥珀色がちらりと見える。
「うん、なるほど。検討しよう。ありがとう」
はあ、と無意識に息がこぼれた。的外れな指摘ではないかなとは思っていたけど、師匠に受け止めてもらえると嬉しい。
安心して、つい頰が緩む。
「はい、こちらこそ貴重な経験させてもらって、ありがとうございます。じゃあ、夕飯作りますね」
私は腕まくりして、頭の中で研究所にある材料を思い浮かべる。お金がないもので、いかに余計なものは買わずに作るかは使命だと思っている。
作り置きもあるし、と大体決めて小さな台所に歩いていく。
「夕飯はハンバーグがいいな」
「えっ、ハンバーグ?」
師匠を振り返れば、彼はにこにこ笑っている。
「ハンバーグって、材料ないですよ。今から買いに行ったら、お金かかるし、ご飯遅くなるし……」
「いいよ。なんだかどうしても食べたいんだ。ピア、お願い」
「……わかりました」
師匠がそう言うのなら仕方ない。この人、これと決めると結構頑固で譲らないところがある。
私は生活費の財布を握って、ため息をつく。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
扉を開けると、夕方と夜の境目が空に見える。
肉屋さんって、街のはしっこだったなあと、遠いなあと思いながら。
どんなものを作ったら師匠の興味を引くかな。そう考えながら、私は薄暮れの街に繰り出した。