2.試験①
空は変わらず抜けるように青く、すっきりとした空気が気持ち良い。
私はぐっと伸びをしてから、眼鏡をにやにやしながら見つめた。
これの効果を確認できれば、間違いなく売れる。今の貧乏とはおさらば。研究所も綺麗になって、掃除用の魔導具も買えて、もっとしっかりとした私の教育環境も整う。
起死回生の発明品『相手が好きかわかる眼鏡』を、かけようとそっと目の前に持っていった。
「あら、コムスメ。午前中からさぼり?」
聞き慣れた中性的な声に、私は手を止めた。
声のした上空を見上げれば、優雅に飛んでいる一羽のカラス。軽く旋回して、はばたきで調整しながら降り、私のすぐそばの柵にとまった。
黒いカラス。だけど、普通のカラスよりもふた回りほどでかい。ボスという個体だろうか。
「さぼりじゃないですー。ちゃんと試作品の試験してくるんだから」
「ふーん。コムスメにできるかしら?」
「失礼な。ちゃんと弟子してるし、コルに心配されることはないから」
「まーあ、生意気言っちゃって。この精霊のコルヴァ様が心配してあげてるのよ」
羽を膨らませて、怒っているらしいこのカラスは、師匠が飼っている鳥だ。伝書鳩みたいなものだと思う。自称精霊とおかしなことを言っているけど、私たちはコルと呼んでいる。
そもそも動物と人が話せるわけがないので、師匠がどこかに魔導具をつけているだろうけど、いつ見てもコルのどこにも見当たらない。そもそも効果だけで値段が高そうなのに、見えないほど小型化されていたらさらに高そうなんだけど、師匠はどれだけお金の無駄遣いをしてるんだ。
あ。今、手元に大金に化ける魔導具があるんだった。勘弁してあげよう。
そういえば、この魔導具の対象を確認してなかった。人はまだ見てないけど、動物でも効果はあるのかな。
私は、『相手が好きかわかる眼鏡』をかけて、カラスのコルをレンズ越しに見てみた。
コルの胸元に、こぶし大の赤いハートがひとつだけ浮かぶ。
「あーっ!!」
思わず私は叫んだ。
「なっ、何! なによ! そんなにキツイこと言ってないでしょ!」
驚きにコルが羽をはばたかせる。私は呆然とコルの胸元に浮かぶハートを見つめた。
何回数えても、一個だ。
「い、一個ってひどい! コルの私への気持ちってこんなものだったんだ!」
「だから、一体なんなのよ! どうしてワタシがアンタに責められる彼氏みたいなこと言われなきゃいけないの!」
「いつも、いつもいつもコルのために、気持ち悪いと思いながら虫集めて食べさせてたのに……。鳥って虫食べるって、生きていた方が栄養価あるって……」
「ワタシは鳥じゃなくて精霊だっていってんでしょ! 精霊に生きた虫食わせるのなんてアンタくらいよ! ワタシってグルメなの、もっと高級肉とか酒を持って来なさい!」
コルが大きな黒い翼を広げている。
ふつうにショックだ。いつも腹減ったとうるさくのたまうコルのために、嫌な思いしながら虫をかき集めていたっていうのに、ぜんぜんコルにはその努力が伝わってなかった。
しかも、虫では満足してなかったみたいだ。私の頑張りっていったい。
私はキッと、コルをにらんだ。
「もう……ご飯なんて用意してあげないから!」
「ハァ? なんなの、急にわめいて」
「お腹減ったって言われても知らないから!」
私はその場から駆け出した。後ろから戸惑った声が聞こえてきたけど、気にしない。
別にどうでもいいかな、と思っていた相手が自分をそれほど好きでもないとわかると、案外衝撃だ。
でも、相手はたかが鳥だ。それに今後はコルのために虫取りしなくて良いと思うと、私の心は結構軽くなった。
***
この眼鏡は、結構、勇気がいるかもしれない。
その眼鏡をかけながら、私は街中の道を慎重に歩いていた。
相手の気持ちが見える分、自分の期待とずれているといろいろとショックだ。特にこれで好きな相手の気持ちを覗くなんて、かなり勇気のいることじゃないだろうか。
道行く知らない人の胸元を見てみると、小ぶりの白いハートがひとつだけある。どうも、初期はこの状態らしい。
知り合いがいきなり目に入らないか少しびくびくしながら、私はとあるお店に向かった。目的の人が見えて、にわかに緊張する。
「あっ、ベルタおばさん」
ふくよかで、人が良さそうな柔らかい顔をしているベルタおばさんが、こちらを振り返る。私はごくりと喉を鳴らした。
「あれ、ピアちゃん。こんにちは」
そっと、ゆっくりとおばさんの胸元に視線をずらす。そこには――こぶしくらいの赤いハートが、三つ!
「おっ、おばさんっ! 私も、私も大好きいい!!」
感動して、私はおばさんに抱きついた。
「えっ、なあにピアちゃん?」
驚きながらも、よしよしと背中をなでてくれるおばさんはあったかい。私は嬉しくて頰が緩むのを止められなかった。
意外と相手の気持ちを気にしてしまうとわかった私は、精神の安寧のため、絶対に好かれているだろうと思う人に会いに来た。
街で野菜や果物を売っているベルタおばさんは、私たちの貧乏具合を心配して、いつも差し入れや買い物時におまけをくれる本当にいい人だ。
師匠の愚痴も相談だって、理解はしてないだろうけど最後まで相槌を打ちながら聞いてくれる。ここまで優しくしてくれるのは、ある程度好かれているからだと思ったのだ。
「ああーよかったー! 嫌われてたらどうしようかと思った!」
「まあまあ、ピアちゃんを嫌いませんよ。ところでピアちゃん、急に目が悪くなったの?」
「おばさんありがとー! これは目が悪くなったわけじゃないんだよ、ファッションなんだよ」
「まああ、最近の若い子はおもしろいことをするのねえ」
まんまるで小さい目を見張って、ころころ笑うおばさんはかわいいし、今日さらに好きになった気がする。
今後はもっとたくさん買い物に来ようと決めた。
「あ、ピアおねえちゃんだ」
高くて幼い声に振り向くと、髪を左右に結ったかわいい女の子が笑顔で立っている。おばさんの孫、メリッサちゃんだ。
ふと目線を落とせば、メリッサちゃんの胸元にもハートが三つ浮かんでいた。
よく遊んであげて、おねえちゃんと呼んでくれて、懐いているなあとは思っていたけど、実際にわかると嬉しさに気分が高揚する。顔がにやける。
「メリッサちゃん! おねえちゃん、なんでもしてあげちゃう!」
「えー、ほんとう?」
にっこにこな笑顔で、メリッサちゃんは両手を挙げて全身で喜んでくれる。
かわいいー! こんな妹ほしかったなあ。
「じゃあね、じゃあね、おねえちゃんのそのめがね、メリッサもかけてみたい!」
「え、これ?」
「うん! すごくかわいいから!」
この『相手が好きかわかる眼鏡』を、メリッサちゃんに貸してあげる。
いいんだろうか? 私はちょっと考えた。
でもまあ、視力を矯正するわけでもなく、ハートが見えるだけだし、害はない。試作品だけど、少しだけだったら貸したって大丈夫。メリッサちゃんはいい子だから、悪く使うことはないだろうし。
私は眼鏡を外して、屈んでメリッサちゃんに渡した。
「じゃあ、はい」
「ありがとー!」
小さい手が、眼鏡のつるを握る。かよわい力を感じて、私はなかなか眼鏡を離せなかった。
「メリッサちゃん、これかなり高いやつだから。そっと、そっとね!」
「うん、だいじなものだね」
「あらまあ、そんな高価なものをメリッサに貸してもらえるなんて!」
「おばさん、大丈夫。私見てるし」
おろおろとした声を出すおばさんをなだめて、眼鏡をゆっくり渡す。メリッサちゃんが、眼鏡を両手で持って目にかけた。
レンズ越しにキラキラした瞳が見える。
「わあー! ピアおねえちゃん、どう? にあう?」
「似合う似合う!」
うらやましい小顔にはちょっと眼鏡は大きいみたいだけど、大切なものとわかってくれているみたいで、耳元でしっかり手で押さえているから安定してる。おお振りの眼鏡をかけた姿は、それだけでかわいい。
眼鏡をかけたまま、くるくると顔を動かしていたメリッサちゃんは、にっこり私の方に笑いかけ、目を丸くした。
「あれ、おねえちゃんの前にハートがみえる! かわいい!」
じっと、何もない私の胸元を見つめているメリッサちゃん。
メリッサちゃんも見えた! 子どもにも見えるらしい。
すると気になるのは、その色と数だ。つい、私は身を乗り出した。
「な、何個? ハートの色は?」
「二個だよ。色は、きれいなピンク色!」
あれ、二個? しかも赤じゃなくてピンク?
私が眼鏡を通してみた時は、メリッサちゃんには赤いハートが三つ見えた。ということは、私のメリッサちゃんへの好感度は、メリッサちゃんの私への好意より弱いってことだ。
妹にしたいほどかわいいと思っているんだけどなあ、と私は首をひねる。
「おばあちゃんは、ピンクのおっきなハート!」
「あらあら、おおきいのは嬉しいわ」
無邪気にはしゃいでいるメリッサちゃんと、にこにこしているベルタおばさん。
祖母から孫に対して、ピンクの大きなハートというのはなんとなく理解できる。家族愛ってものだと思う。
そんなことを考えていたら、メリッサちゃんが近付いてきて、眼鏡を外して私に差し出した。
「たいせつなもの貸してくれてありがとう、ピアおねえちゃん」
顔いっぱいに笑顔を広げるメリッサちゃんから眼鏡を受け取って、私は目にかけた。
やっぱり、メリッサちゃんの胸元に、赤い三つのハートが浮かんでいる。
私はそのハートをじっと見つめて口を開いた。
「メリッサちゃんは、おねえちゃんのこと、好き?」
「うん。メリッサ、ピアおねえちゃんがすきだよ」
突然の質問でも、メリッサちゃんはとてもかわいい顔で即答してくれた。
私も笑顔になる。
純粋で素直な子どもだから、こんなに私を好きでいてくれるんだ。
「私も好きだよ! ありがとう! また遊ぼうね」
手を振って、ふたりから離れる。ふたりとも手を振り返してくれている。
やっぱり、好かれるのはとても嬉しい。
しかもメリッサちゃんのおかげで、この眼鏡の効果を第三者視点でも確認できたことだし、本当にふたりは大好きだ。
さて次は、誰に会いにいこうかな。
私は機嫌よく、頭の中で考えた。