もしかして進んでいる?
そもそもサイクロプスはこんな森に棲む魔物じゃない。
人は捕食対象だけど生活圏が被らないからあまり人前に出てはこないはずなのに。
僕は疑問を抱きながら状況を見守る。
「くっ、我が領内にゴブリンが現れるとは……」
エリザベータ姉さんは剣を抜きつつ、詠唱を始めた。
でも当然ゴブリンたちは終わるのを待ってくれない。させるかとばかりに襲いかかった。数は増えに増えてニ十匹ほどだ。
姉さんは詠唱を続けながら果敢に剣を振るっているけど、馬上から背の低い相手に剣は届きにくい。大きく屈んで手を伸ばしたところで、
「あっ!」
一匹に腕をつかまれ引きずり落とされた。
群がってくるゴブリンたちに剣を振り回して応戦するも、脚を押さえられ脱出できない。
「姉上! くそ、注意を引くくらいなら私でも……」
マルコ兄さんが手を伸ばす。詠唱は低位魔法の小火球だ。焦りから早口になるものの、なんとか詠唱を終え、手のひらに火球が生まれると。
ゴォッ!
火球は直径一メートルに膨れ上がって飛んでいった。
ドッカーンと爆音を轟かせてゴブリンを三匹吹っ飛ばす。と言っても直撃ではなく、爆風でひっくり返って目を回していた。
残るゴブリンたちは警戒したのか姉さんから離れた。ついでに姉さんが乗っていた馬は大きく嘶いて逃げていく。
「えっ、あれ? ぇぇ……?」
撃った本人もたいそう驚いている。
おそらく今までは手のひら大の火球も作れなかったはずだ。
でも今は抑止の呪印が解かれ、しかも僕が魔法効果を引き上げる『瞬間増幅』をかけておいたから、第六冠位魔法の小火球の威力が第四冠位近くまで跳ね上がっていた。
狙いどころが悪かったら姉さんを巻きこんでたな。いちおう僕の方で火球の軌道は調整していたけどね。
その姉さんは上体だけ起こしてマルコ兄さんを呆然と眺めていたのだけど。
にぃっと、口の端を持ち上げた。
ちょうど僕と兄さんの背後では、サイクロプスが巨大なこん棒を振り上げているところだ。彼女からはそれが見えている。
注意するでもなく、まるで『そのまま潰されてしまえ』とほくそ笑んでいるかのようだ。いや、実際にそうなんだろう。
兄さんが背後の気配に気づいた。振り向くや、
「クリス危ない!」
僕を突き飛ばした。
ゴガンッ、と重く大きな音が響いたのはその直後。
兄さんは死を覚悟したように目を閉じて固まっていた。
「……ぁ、あれ?」
続けて何度もゴガンガキンうるさいだけの状況を不審に思ったのか、顔を上げて驚く。
「魔法……陣?」
直径十メートルはある巨大な魔法陣が、魔物に立ちふさがっていた。
物理系の攻撃を防ぐのに特化した第四冠位魔法だ。僕が高速詠唱で生み出したもの。サイクロプスは突破できない。
こっちは大丈夫そうなので姉さんの様子を見た。
「くっ、この! ゴブリンどもめ!」
エリザ姉さんは再び襲いかかってきたゴブリンに手を焼いている。筋力と俊敏を魔法で強化しているけど微々たるものだ。
以降は詠唱をするでもなく剣を振るうばかり。間合いを取って範囲攻撃魔法で一掃すればいいのに。第六冠位でもゴブリンになら有効なんだけど……?
ちなみにベルガさんは荷台の下で頭を抱えて震えている。ゴブリンに襲われたら何もできないけどいいのかな?
「ねえマルコ兄さん、姉さんはどうして攻撃魔法を使わないの?」
「えっ?」
「姉さんの属性って〝火〟だよね。だったらファイヤーボールとも相性がいいし、姉さんの魔力でも再発動時間は四秒以内に抑えられる。範囲攻撃魔法はたぶん覚えてないんだろうけど、単発でも攻撃魔法を絡めたほうが楽に対処できると思うんだ」
剣は牽制に使うにとどめて魔法中心に攻撃を組み立てるべきだ。
率直な疑問をぶつけただけなのに、兄さんは妙な質問を返してきた。
「ちょ、ちょっと待ってくれないか。属性? リキャスト・タイム? クリス、お前は何を言っているんだ?」
「えっ」
兄さんこそ何を言ってるのさ? そんなの基本中の基本じゃないか。
もしかして今の時代は同種複数発動が標準なのかな? だから再発動するまでの時間なんて考慮しない、とか?
いや、だとしても属性を知らないなんてまずあり得ないよね。
でもマルコ兄さんは属性が〝風〟なのに、さっきはとっさに火魔法を放っていたな。
属性効率を無視しても魔法を発動できる術が確立されている? マルチ・キャストが標準でもあるなら、魔法技術がかなり進んでいるな、今の時代。
たった二百年(推定)でそこまで発展したのか。何かしら一大転機があったなら不思議ではないんだけど……うーん、判断材料が足りなさすぎる。
「それよりクリス、この魔法陣はお前の仕業なのか?」
うっ、やっぱりバレたか。でもベルガさんや姉さんはどうにかごまかせると信じたい。
「きゃあ!」
あ、姉さんがゴブリンに抱きつかれた。別のゴブリンも飛びついて彼女の手に噛みつく。
姉さんは「ぎゃっ」と悲鳴を上げて剣を落とした。引き倒され、木の棒で滅多打ちにされる。
「姉上!」
兄さんが助けようと詠唱を始めた。
正直、姉さんを助ける義理はない。むしろ僕の命を狙ったのだから全力で見捨てていいところだと思う。
でも姉さんが死ねばマルコ兄さんは悲しむだろう。僕自身も、不思議なことにそこまでの割り切りがあるわけじゃなかった。
だから懲らしめるのは別でするとして、助けてあげよう。
「兄さん、サイクロプスにファイヤーボールを撃ってくれないかな。大丈夫、こちら側からの攻撃は通るから」
「やはりアレはお前が……。いや、それよりまず姉上を助けなければ」
「そっちも大丈夫」
「…………わかった」
兄さんは真摯にうなずくと、片手を巨人へ向け伸ばした。
詠唱している間に僕は兄さんに瞬間増幅を重ね掛けする。兄さんの表情が歪んだ。ちょっと負荷が高すぎたかな。ごめんなさい。
それでも兄さんは歯を食いしばって魔法を放った。
さっきよりひと回り大きな火炎球が、うなりを上げて突き進む。
サイクロプスの胸部にめりこむと、その巨体を浮かせて吹っ飛ばした。炎の玉は貫通せず、あっという間に巨人を包む。
完全に沈黙したところで炎を消し去ると。
「グゲゴッ!?」
「ゲゴゴ!」
「ギギガグ!」
うん、狙い通り。
ゴブリンたちが我先にと森の中へ逃げこんだ。気絶していた三匹も引きずられ、途中で目を覚まして逃げていく。
やっぱりサイクロプスと協力関係にあったのか。最大戦力が倒されて大慌てだ。
僕は横目で見ながら兄さんに駆け寄ると膝をついた。
疲労と魔力を回復させつつ、さっきからずっと発動していた魔法を強化する。
『全方位監視』――視界の範囲外はもちろん、障害物の向こう側も見通せる第三冠位魔法で森の中までの状況を把握する。
ゴブリンたちは散り散りになって逃げていた。その一匹一匹に、木の根を操作して絡みつかせて捕縛する。
漏れはない。
ひとまずこれで、戦闘は終了だ――。