自由を手に入れた?
唐突に思い出した。
白馬に乗った王子様風の青年は髪の色こそ僕とは違うけど、アレスター家の二男マルコ兄さんだ。
僕は一瞬身構えたものの、パパパッと閃光のようにマルコ兄さんとの思い出が頭をよぎり、すぐさま警戒を解いた。
「本当に無事でよかった。間に合わないかと思ったよ」
馬から降りて僕へ駆け寄るマルコ兄さん。この人は、僕をいらない子認定した家族の中で唯一と言っていい、僕の味方だったのだ。
でもって一番僕にきつく当たっていたのは――。
「お待ちなさい、マルコ。そのようなクズに気安く触れるものではありません」
兄さんを制したのは、続けてやってきた金髪の女性だった。
長い髪をなびかせ、銀の鎧を身に着けている。馬上から半眼で見下ろす彼女の名はエリザベータ。アレスター家の長女だ。歳は二十一歳だったかな。ちなみにマルコ兄さんは十八歳だ。
「姉上! いくらなんでも今回はやりすぎです!」
「あら? わたくしが何かして?」
「惚けないでください! 私が気づかなければ今ごろクリスは巨大熊に――」
「マルコ、言葉を慎みなさい。貴方も一画とはいえ、その背に『低級刻印』を宿す身。わたくしとは立場が違うのよ?」
「くっ、しかし……」
「これ以上わたくしのやり方に異を唱えるというのであれば、貴方もそこのクズと運命を共にすることになるけれど、よろしくて?」
マルコ兄さんは苦悶を眉間に集めてうつむいた。
これってどういう状況なんだろうね。
会話内容と、ベルガさんがエリザ姉さんにぎろりとにらまれて震え上がっている様から、なんとなく察せられる。
きっと姉さんが、僕が獣寄せの鈴を鳴らして熊に襲われるよう、ベルガさんに命じたんだ。僕ってそこまでいらない子? と疑念が浮かぶけど、それより気になることがあった。
姉さんと兄さん、二人の関係についてだ。
抑止の呪印――現代世界では低級刻印と呼ばれる呪いによって、人の社会は単純な貴賤では語られなくなったらしい。
貴族に生まれても低級刻印を宿しているとの理由だけで下に見られ、僕みたいに家名剥奪どころか命まで狙われちゃうほどに。
でも変なんだよね。
だってエリザ姉さん、ものすごく魔力が低いよ? 抑止の呪印を一画でも宿せば最低の第七冠位魔法すら使えなくなる。今でも第六冠位がやっとじゃないかな。
逆にマルコ兄さんは呪印があるのにエリザ姉さんとほぼ同等だ。呪印が解けてきちんと修行すれば、第五冠位魔法を使えるほどにはなるだろう。がんばれば第四もいけるかも?
魔法の力に直結する魔力総量で考えれば、二人は対等かそれに近い関係でないとおかしい。
なのに、なんで姉さんはあんなに偉そうなんだろう? お姉ちゃんだから? 今の時代の人たちって魔力の総量で実力を判断しないのかな? というか測定方法が失われている?
記憶をまさぐっても答えはなかった。
「せめて慈悲をいただけませんか? この子はまだ幼い……」
「まだわたくしが何か仕向けたような口ぶりね。まあいいわ。ではこうしましょう」
エリザ姉さんは端正な口を歪めて笑う。
「そこのクズは追放処分とします。今後、アレスター家の領内に入ることは許しません。見つけ次第、処断します。また自身がアレスターの関係者であると吹聴すれば、名誉を毀損したと判断して処分するわ。いいわね?」
「そんな! いくら姉上でも――」
「いいんですか!?」
僕はつい嬉しくなってマルコ兄さんの言葉を遮った。
だって追放でしょ? それって自由になるってことだよね? どうやって穏便にあの家から出ようか頭を悩ます必要がなくなるんだもんね。
「……本日中に領内から出なければ処断の対象とするわ」
「はい!」
僕が元気よく返事をすると、エリザ姉さんはなぜかこめかみ辺りをぴくぴくさせていた。
一方マルコ兄さんは心配そうに尋ねてくる。
「クリス、お前はきちんと状況を理解しているのか?」
「うん。僕、早く自立できるようにがんばるよ」
「その前に森を抜けなくてはならないんだぞ? この森は深い。辺りには巨大熊がいるし、先へ行けても野盗だのゴブリンだのが出るかもしれない。しかもお前は水や食料を持っていないじゃないか。魔法の使えない子どもが一人で抜けられるとは……」
巨大熊はさっき撃退した、とは言えない。野盗やゴブリン程度なら大丈夫。そしてサバイバルには慣れている。貴重なアイテムを求めて一人でダンジョンに何日もこもった経験は幾つもあったからね。
魔物でご飯も作れるよ。
「マルコ、いい加減になさい。本人が『いい』と言っているのだから放っておけばいいわ」
「ですが姉上、この子は――」
「いい加減になさい、とわたくしは言ったのよ?」
上から威圧されるも、マルコ兄さんがまだ何か言おうとしたので先んじて声を上げた。
「大丈夫。きっとなんとかなるよ!」
エリザ姉さんがせせら笑う中、マルコ兄さんは困ったように眉尻を下げた。
「……そうか。森の半ばまで行けば領地からは外れる。街道を二日ほど歩けば村に着くだろう。私にはもう、これくらいしかお前にしてやれない。強く、生きるんだぞ」
兄さんは小声で言いつつ、姉さんの死角になるよう体で隠して僕のズボンのポケットに金貨を一枚忍ばせた。
べつに必要ないんだけど、もらった以上はお返しをしないとね。
「マルコ兄さん」
「ん? どうした――ぇ?」
僕は右目に魔力を集める。
「お前、目が――痛ぅ!?」
マルコ兄さんは手を自分の背中に回した。
「なんだ? 今、背中に痛みが……あれ?」
「どうかしたの?」
「いや、さっきクリスの右目が金色に光ったように感じたんだが……」
「そう? 気のせいじゃないかな?」
これで僕は自由の身。
頬を緩ませつつ兄さんから離れようとした、そのときだ。
バサバサバサーと、木々からたくさんの鳥が羽ばたいた。
ズシンズシンと音が鳴り、地面が小さく揺れる。さらにバキバキと木を薙ぎ倒す音が響き、それらはゆっくりと近づいてきて――。
「な、なんなのあれは!?」
「ひぃぃ!?」
姉さんとベルガさんの視線をたどると、木々の上に大きな頭がひょっこり出ていた。
一つ目の巨人――サイクロプスだ。
「お、大型の魔物が、どうしてこんな場所に? と、とにかく、すぐに隊を編成して迎え撃たないと……」
エリザ姉さんは顔を真っ青にして手綱を引いた。来た道を戻ろうと馬を向けるも、
「グゲ」
「ゲヒヒ」
「ゴゲゴ」
道の左右の森からぞくぞくと小さな影が現れた。
尖った耳に僕より低い身長でざらついた肌。人のかたちをしたそれらはゴブリンだ。粗末な槍や剣、木の棒を手にし、中には弓を持つ者もいた。
サイクロプスが道にまで出てくる。手には大きなこん棒を持っていた。
完全に挟まれてしまったわけだけど、僕は二種類の魔物を見て疑問を抱く。
この組み合わせ、前世ではお目にかかったことがなかったのだ――。