魔族を懲らしめた
魔界から来たと思しき女――グレモリは、小さなかばんをひとつだけ持って王都を出た。
顔を隠すことなく、馬の上に横座りしてのんびりと、本を読みながら北へ進んでいる。
追われているという自覚がない、というより、追ってくるとは微塵も思っていないようだ。自分そっくりの人形を屋敷に置いてきているから、それで騙せると考えたみたい。
油断しまくりのグレモリを、背後から奇襲して倒すのは簡単だ。
でも僕はそうせずに、彼女の前に降り立った。
「なっ!? どうしてあんたがここにぃ!?」
グレモリはびっくりしている。口調がビムに対してのときと違わないかな?
そして彼女が驚いたせいで馬が暴れた。
「ちょ、落ち着きなさい!」
手にした本を放り出し、馬の首にしがみついて無理に大人しくさせる。
自分もちょっと落ち着いたのか、探るように僕を睨んできた。
「なぜ、私がここにいるとわかったの? 痕跡はすべて消したわ……いえ、私が『まだあの屋敷にいる』との痕跡をたくさん残してきたのに」
「そうだね。特に奥の部屋に置かれた君そっくりの人形は見事な出来だったよ」
「アレを見たの? だったらどうして――」
「僕が生きているのかって? あんなバレバレのトラップに引っかかるはずないでしょ」
グレモリは自分そっくりの自律型人形を屋敷に置いていた。簡単な会話ができて、それで相手の注意を引いて近づけさせ、自爆するよう設定されていたのだ。
周辺の家々を巻きこむほど強力な威力。そんな物騒なものを、放っておいていいはずがない。
「術式を改竄して起爆しないようにしておいた」
「そんな芸当できるわけないでしょ!」
ちょっと本気にはなったけど、そう難しくはなかったよ?
「だいたい、その後に私を追いかけてくるなんて不可能だわ。それこそ――」
「うん、ずっと見ていたよ」
グレモリが一瞬息を呑んだ。
「ば、バカ言わないで。あんたがビムに刻んだ『遠見』の術式は私が破壊したわ。以降は覗き見なんてできるはずが――」
「場所がわかっているんだから、新たに『遠見』の起点を設定すればいいだけだよ?」
「くっ、あの獣人娘をけしかけておいたのに……」
「ああ、ルネリンデと戦いながらでも君を監視するくらいできるさ」
グレモリが顔を引きつらせた。でもそのまま歪に笑い始める。
「ふ、ふふふ、あはははっ! そう、ちゃあんと戦ったのね。ああ、なんて可哀そうなのかしら。私に操られていただけの彼女は、仲間に殺されてしまったのねぇ!」
「いや、元気だよ。今は街で買い物の続きを楽しんでいるところだね」
「なんでよ!?」
どうやら僕を精神的に揺さぶろうとしたらしいけど、まったく当てが外れて焦りまくっている。
「嘘よ! 私の術式はあのホムンクルスの奥底に刻みつけていたの。そう簡単に破れるはずがないわ!」
たしかに解除するには命にかかわるほどだったけど、すぐ生き返らせたからね。
ま、あえて教えてやることはない。
「あの術式、かなり雑で綻びがいくつもあったよ?」
「ぐ、ぬぅぅ……」
真実を話さず嘘を言わなかったところ、グレモリは忌々しげに歯噛みした。
「さて、無駄話はやめておこう。僕も早くみんなと合流して王都を楽しみたいからね」
にやり、とグレモリが口の端を持ち上げた。
うん、『大した自信だけど油断しまくりで助かる』って顔だな。
片手で髪をかき上げつつ、もう一方の手で何かを握った。
直後――。
「ひぃっ!? な、なに? なんなのよコレはぁ!?」
「何って……お前が作ったものだろう?」
突然、グレモリの背後に女が現れた。彼女が作った彼女そっくりの自律型人形が、グレモリの腕をつかんでねじり上げる。
ぽとりと落ちた小さなナイフは、僕を傷つけるためのものではない。
馬を斬りつけて狂化し、僕を襲わせたうえで自爆させる、なんともゲスな魔法具だった。
「下手な企みでこちらを刺激しないでほしいな。俺は今、すこし気が立っているんだ」
ルネリンデを洗脳し、僕を襲わせた。
僕を主と定める彼女にとっては死よりも辛い行いを、この女にさせられたのだ。
だから今は前世の俺に感情が寄っていて、優しくはできそうにない。
というか、端から優しくするつもりはなかった。
「僕だって、家族をひどい目に遭わされたら怒るんだよ」
前世の自分から見ればずいぶんと甘い性格をしている今の自分であっても、怒るときは怒るのさ。
「お前たちが何を企んでいるのか。魔界からこちらへ来た仲間はどこにどれだけいるのか。その辺りもついでに訊くとしよう」
「ひっ!?」
ぱちんと指を鳴らすと、彼女の周囲にオーロラみたいな色とりどりの幕が浮かび上がる。
彼女に話しかける直前に構築していた、とある魔法術式を発動させたのだ。
「ま、待って! 話す、なんでも話すから、命だけは!」
「言ったぞ? 『ついでに訊く』と。俺の目的は、家族をひどい目に遭わせた罪をお前に償わせることだ」
だいたい、魔族の本質はよく理解している。
平気で仲間を売り、息を吐くのと同じ気軽さで嘘を吐く彼らの言葉なんて信用ならない。『魔』の性質が濃い魔界の住人ならなおさらだ。
「ぎっ!? 痛っ、な、なにをぉ!?」
グレモリそっくりの人形が、彼女の背後から抱き着いてギチギチと締め上げる。
「どのみちお前は何も語れない。お前の体には面倒な術式がいくつも刻まれているからな。ひとまず移し替えるとしよう」
「移、す……? ぇ、ちょ、嘘でしょ……? む、無理無理無理無理ぃ! 生者をホムンクルスに移すなんてこと、できるわけないわ!」
「そうか? さっきも言ったが、なかなかいい出来じゃないか。長くは持たないが、罪を償い、素直に話をするくらいの時間は確保できそうだよ」
虹色の幕がグレモリと、その人形を包みこむ。
「だから無理! 無茶だっでぇ、言っでるのぎぃ……」
虹色の幕が彼女に吸い込まれ、別の光が出てきて人形へと移っていく。
グレモリは白目を剥いて息も止まり、代わりに人形のほうが僕の命令に反してがくがく震え出した。
まだ馴染むには時間がかかりそうだ。情報を得るのはすこし落ち着いてからだね。
収納魔法で人形を異空間へ収め、僕は残された馬に跨り、王都へと戻っていくのだった――。




