穏やかなひと時
付近の魔界門はすべてその日のうちに消滅させることができた。
ただリーダーのルッツさんが報告する中で、『早すぎる』との文句が(たぶんエリザベータ姉さんから)出たのでその説得に時間を要し、結局翌日も調査をする羽目になったため、一番近い居住区の納屋に泊まることになった。
深夜、みんなが寝静まってから、僕はこっそりと抜け出した。
ファルたちは置いていくつもりだったけど付いてきたそうだったので、ファルとタマを抱え、アウラを背負って宵闇を翔る。
馬で三十分ほどの距離を進むと、大きな街に行き当たった。レイナークほどではないけど、城壁で囲まれた立派な街だ。
その中心部にある、大きな屋敷を見下ろす。
周囲を警戒しつつ、目的の部屋のバルコニーに降り立った。
分厚いカーテンの隙間から光が漏れている。
コツコツコツ、と窓を三度ノックした。
ほどなくしてカーテンがわずかに開かれ、窓が開け放たれる。
「クリス、よく来てくれたね」
にっこりと笑みで迎えてくれたのは、マルコ兄さんだ。ここはアレスター家の屋敷だった。
「夜遅くにごめんね」
「昼間に堂々とは会えないからな。事前に伝えられた時間通りだし、気にしないでくれ」
会いたいと持ちかけたのは僕のほうからだ。
魔界門の調査依頼は兄さんが冒険者ギルドにしたものだけど、現地で対応したのはエリザ姉さんの部隊。てことは、依頼の報告やなんかの詳細が兄さんに正しく伝えられるとは思えなかった。
だから僕からいろいろ話をしようと考えたのだ。
「その二匹……いや、その女性もかな? お前の使役する魔物なのか」
「うん。こっちがファルで、こっちがタマ、それからこの子はアウラだよ」
「テイマーになったと聞いて驚いたが、なるほど……」
ファルとタマ、アウラを交互に見て、兄さんはなんだか微妙そうな顔をした。
「ふにゃーっ!」
バカにされたと感じたのか、タマが威嚇する。
タマをなだめつつ、マルコ兄さんに促されて部屋に入った。
寝室ではなく、書斎のようだ。執務机の他に向かい合わせのソファーと、その間にローテーブルが置かれている。壁一面には書棚があり、本がぎっしり詰まっていた。
ソファーに座ると、兄さんは水出しの紅茶をグラスに注いで僕の前に置く。兄さんも自分のを用意して対面に腰かけた。
「まずは今日の報告からするね」
過不足なく、仔細を語る。兄さんには魔界門の詳しい説明も添えた。
「でも結局、誰が開けたかはわからなかったんだ」
魔界側から魔物がこじ開けてはいるところまでは『深層解析』で確認できた。
でもまるで種類の違う魔物が同時期に、狭い範囲に集中するかたちで似た行動を取るなんて考えられない。
偶然ではなく、間違いなく誰かの〝意図〟が透けて見えた。
「魔界に、魔界門か。そんなところから我がアレスター家が恨まれるとは思えないのだが……」
「ここだけじゃないから、恨みがどうとかじゃないと思う。でも首謀者はきっといる。そいつを見つけ出せれば、問題は解決するよ」
「では、今後もその魔界門とやらが出現して、魔物が姿を現すと?」
「ちょっとした対策はしておいたから、あの辺りに魔界門が現れることはないよ。ただ、下手をするとこの街の周辺やなんかに出てくるかも。念のため対策をしておこうか?」
「そうしてくれるとありがたい。にしても――」
兄さんは困ったように眉尻を下げた。
「クリス、お前には驚かされてばかりだな。魔界だの魔界門だのの知識もそうだし、それへの対処をさらりとやってのける。私は魔法に関してたくさん勉強してきたつもりだが、何もかもが知らないことだらけだ」
そう言いつつも、深くは尋ねてこない。
気遣いが嬉しかったのもあるけど、僕はここへ来るときに決めていた。
「実は僕、賢者グラメウスの生まれ変わりなんだ」
僕自身の秘密を打ち明けること。
その知識や魔法の力が、今の僕にはあると伝えた。
自由が欲しくて、自由気ままに生きたいから転生した、とも。
淡々と語る中で、マルコ兄さんはひと言も発しない。
語り終わったあと、ぼそりと言った。
「そう、か。まさか以前、私が言ったとおりだったとはね」
「信じてくれるの?」
「私が不思議に思っていたことの回答に辻褄が合い過ぎているからな。むしろ疑問が氷解してすっきりしたくらいだよ」
ただ、と兄さんは慈しむような視線を僕へ向ける。
「正直なところ、伝説にあるような大賢者だと言われてもピンとこない。私にとってお前は、可愛い弟のクリス以外の何者でもない」
だから今まで通り接したいと頭を下げた。
「僕も今の僕の意識が勝ってるから、こっちからお願いしたいかな。それと、このことは――」
「ああ、秘密に、だろう?」
「うん、一方的なお願いで申し訳ないんだけど」
「構わないさ。むしろ伝説の大賢者様と秘密を共有できるんだ、これほど誇らしいことはない」
「だからそういうのはやめてよー」
「ははは、すまない」
以降は冗談を交えながら、近況を語り合った。
マルコ兄さんは魔法の修行をしているそうだ。僕のアドバイスを元に工夫して、いろいろ試しているらしい。
そしてアレスター家の騒動についても話をしたのだけど。
「クリス、姉上の低級刻印を、消してくれないか」
兄さんは真摯に僕を見つめてきた。
意外、とは思わなかった。
マルコ兄さんの話ぶりから、後継者争いが始まって自身を推す声が上がったのに困惑してる様子が窺えたからだ。
「私は当主の器ではない。そういった教育も受けていない。逆に姉上をサポートする役回りは……わりと得意だと自負している」
にやり、と珍しい表情をする兄さん。
「でも、エリザ姉さんがまた増長しちゃうよ?」
呪印を刻まれても相変わらずだったし、消えたら消えたでいっそう迷惑な感じになると思う。
「クリスは意外に思うかもしれないが、姉上は政務面では優秀だし、これまで姉上を後継者として進めてきた以上、それが崩れた今の状態こそ異常なんだ」
それに、と兄さんは苦笑いをする。
「姉上の性格はみな熟知している。言葉はきついが、それも慣れれば味わいがある。私が矢面に立てば、みなの憤懣も和らぐしな」
「兄さんは姉さんを甘やかしすぎると思う。それで今も辛い目に遭ってるんでしょ?」
「ははは。なに、身内で争ってアレスター家そのものが瓦解してしまうのに比べれば、なんてことないさ」
正直、気は進まない。
でもほぼ顔を合わせていなかった僕より、付き合いの長い兄さんならエリザ姉さんの手綱を上手く握れるかもしれない。魔法の才能では兄さんのが上なんだし。
「わかった。あとで消しておくよ」
「ありがとう。実を言うとな、今の姉上は以前よりイライラして大変なんだよ。だから一時的にでも機嫌がよくなれば、これまで無理だった提案が通りやすいかもしれない」
冗談っぽく言ってるけどこれ、たぶん本心だな。マルコ兄さんって優しいだけじゃなく、強かさも持ち合わせてるんだなあ。
ま、姉さんが兄さんにまた意地悪するようなら、こっそり懲らしめておこう。
夜が更けていく。
兄さんとの話はさらに弾んで、けっきょく別れたのは明け方だった――。
三章はこれにて幕となります。
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