アレスター領の異変
お風呂から上がって部屋に戻る途中、屋敷の人に呼び止められた。
僕宛に手紙が届いたとのことで、それを渡される。
封筒に差出人は書かれていなかった。
でも僕の名前じゃなく偽名のほうで届いていたのでピンときた。
ちなみに偽名で手紙を受け取れるよう、ブルモンさんにお願いしてある。深く事情を訊いてこなかったのがありがたかった。
部屋に入って封を開けると、
「やっぱりマルコ兄さんからだ」
アレスター家の二男で僕の実兄。
低級刻印を二つ持って生まれ、家族からいらない子扱いされていた僕に唯一優しくしてくれた人だ。
ちょうど冒険者登録をした直後に近況を伝えようと手紙を送ったのだけど、その返事みたいだね。
「にゃにゃ、にゃふーん!」
タマが元気よく壁や天井まで使ってビュンビュン跳ね回る。
この屋敷での生活態度をお風呂に入っている間に説いて聞かせたのにもう忘れてるのか。
「大人しくしなってば」
「にゃぅ~ん……」
注意したらしょんぼりうな垂れた。
ファルが尻尾をタマの前でふりふりすると、「にゃにゃん♪」とじゃれ始めた。活発すぎるタマをファルがうまくあやしている。
部屋の隅にいたアウラもうずうずしている様子なので、「食べちゃダメだよ」といちおう注意すると、腕を蔦状にしてタマと遊び始めた。
じゃれ合う三体をほっこり眺めてから、僕はベッドに腰かけて手紙を読んだ。
友人に宛てたような気さくな文面。相手が僕だとわからないように配慮も細やかだ。
定型のあいさつに続いて僕が冒険者になったことを喜び、それでいて僕を気遣う言葉もあった。
そしてあちらの状況にも触れている。
「ブルモンさんにちらっと聞いてはいたけど、大変みたいだなあ」
エリザベータ姉さんに低級刻印が突如として現れた。それで家督問題が吹き上がって大騒動になっているそうだ。
長兄は刻印こそないものの不真面目でやる気のない男だった。
だからエリザ姉さんがアルスター家を継ぐと本人はもちろん誰もが疑っていなかった中で刻印が見つかったら、そりゃあね。
他のきょうだいはここぞとばかりに『我こそは』と跡継ぎ争いに名乗りを上げたそうだ。
一方でマルコ兄さんの低級刻印が消えたのも発覚し、それが騒動の火に油を注ぐかたちになったらしい。
家臣たちの一部が兄さんを担ぎ上げようとする動きもあるとか。
手紙の端々からは、とても困惑している様子が窺える。争いごとが苦手な人だもんな。
ただ、それ以上に危惧する問題があると続いていた。
「魔物が……」
僕がいなくなったころから頻繁に魔物が領内に現れているらしい。
これまで見なかった種類が、だ。
「やっぱり魔界門が開いているのかも」
手紙は僕の無事と活躍を祈る言葉で締めくくられていた。
「様子を見ておくかな」
といっても僕は領内に入っちゃダメなことになっている。
見つからなければいいんだけど、念のためここから調べてみるか。
両手の甲を見る。これ外さないときついけど……まあいいか。外したら漏れ出した魔力で勘のいい人に気づかれそうだし、街では外さないほうがいいよね。
リラックスして静かに魔力を高め、丁寧に詠唱した。
発動したのは第二冠位魔法の『遠見魔法』――遠方の映像をリアルタイムで目の前に映し出せる。
僕が訪れたことのある場所ならどこでもすぐに映せるからほぼ全世界――とはいかないようだ。前世ではあちこち旅していたけど、どうやら条件は今の僕に紐づけられているらしい。
やりようはあるけど、今は必要ないな。
見るのは最近まで住んでいたところに決めた。
粗末な木造の建物が虚空に表示される。家を追い出されて使用人扱いとなってから暮らしていたところだ。そこから徐々に移動させていき、街道を進んで林の中へ入った。
表示された場所を基点に『全方位監視』を展開。
第二と第三冠位魔法を並列実行は辛いけど、まあのんびりやろう。
移動しながら徐々に範囲を広げていき――見つけた。
小さな魔界門が木立の間、空中に浮かんでいる。ちょうどタマの体くらいのサイズだ。
「タマ、君はここから出てきたの?」
「にゃにゃぁん」
ほぼ顔な体を横に振る。この子から読み取った情報とも違うので外れで間違いないか。
見たところ閉じかかっていた。放置しても明日には消えてなくなっているだろう。
仮に魔物が吐き出されてもゴブリン一匹程度。魔法が使えなくても成人男性の力で十分に対処可能なレベルだから、さっさと別の場所を調べるべきだね。
と、魔界門が自然に開いていたならそう判断していただろう。
でも今回は状況が違う。
魔界から無理に開けようとする誰かがいる以上、むしろこの辺りを重点的に調べるべきだ。
映像を魔界門に固定したまま全方位監視の範囲を極限まで広げた。
タマが飛び出したと推測される地点に魔界門は見当たらない。けどそれ以外に一ヵ所、小さな穴があった。
「二キロの範囲に少なくとも三ヵ所か」
この短期間、狭い範囲に、だ。やはり誰かの『意図』を感じざるを得ないな。
「ふにゃ?」
魔界門を通過するには物理的なサイズではなく、内在する魔力が関係する。この子から読み取った情報には『魔界門を無理やりこじ開けた』とあった。
通り抜けられるサイズじゃない魔界門を無理に通ろうとするのはけっこう辛い。何度かやったことがあるからわかる。
タマの場合はのっぴきならない事情があったから仕方ないにしても、ふつうの魔物がやろうとは絶対に思わないはず、なんだけど……。
「クエッ!」
ファルの声にハッとして映像に目を戻す。
暗い穴のふちに何かが引っかかっている。いや、手か。岩のように……というかまんま岩のごつごつした手が魔界門のふちをつかんでいた。
逆側のふちにも手がかけられ、無理やり穴を広げていく。
そしてぬっと、小さな岩が穴から出てきた。紅玉みたいな二つの目が妖しく光る。
「グゥ、オォォォ……」
魔界門を押し広げ、岩の体を魔界からねじ込んでくるあの魔物は、
「ストーン・ゴーレムか」
岩の体を持つ三メートルほどの巨躯が力任せに穴をこじ開け、上半身がこちらの世界に入ってきた――。




