僕の前世は最強賢者
転生後のお話スタートです。
微睡みから目を開くと、薄汚れた天井が見えた。
僕は両手を前に掲げ、手の甲に目をやる。それぞれ四画の刻印。僕がかつて自身に施した『抑止の呪印』だ。
むくりと起き上がる。まだ寝惚けているのか頭が重かった。
辺りを見回す。うん、僕の部屋だ。今いる粗末なベッドの他には小さなタンスと小さなテーブルに椅子が一脚だけの、狭い部屋。
僕はベッドから下りて壁に向かった。ひび割れた鏡を覗きこむ。
黒髪で黒い瞳をした、女の子みたいな少年の顔が映っていた。
見慣れているはずなのになんだか新鮮。前世では覇気のないおじさんだったけど、ずいぶん可愛らしい顔つきになったもんだね。
今の今まで、僕は忘れていた。ついさっき目覚めたタイミングでようやく思い出したのだ。
自身は、グラメウスが転生した者であることを。
よし、これでようやく――
自由気ままな第二の人生の始まりだ!
右目に魔力を集めると、金色に変わって紋様が浮かぶ。『解呪の聖眼』もきちんと継承されていた。
これを使えば今すぐにでも抑止の呪印は二つとも消し去れる。
「……でもなあ」
時代設定が間違っていなければ、前世から数えて二百年は経っている。
その間に魔法もずいぶんと進化しただろう。
賢者グラメウス程度の魔法使いが、そこら中にいる可能性だってある。
下手に呪印を消して僕の魔力を解放すれば、彼らの警戒網に引っかかるかもしれなかった。
妙なのに絡まれるのはごめんだよ。
「なので、しばらくはこのままでいいかな」
抑制された今の魔力でも第五冠位までなら無詠唱で使えるし、がんばって呪印に抗えば第二冠位魔法も行使できると思う。日常生活に支障はまったくない。
呪印を消すのは情報をいろいろ整理してからでも遅くないよね。
で、僕は誰だったかな?
ちょっと前世の記憶が押し寄せてきて今の記憶が混濁していた。
忘れてしまったわけではないから、しばらくすれば思い出すだろう。でも無理やり思い出すには気合いを入れて記憶をまさぐるしかない。
えーっと…………そう。
僕の名は『クリス・アレスター』。地方貴族の三男で今日が十二歳の誕生日だ。
って、よりにもよって貴族かー。
しがらみが多そうだな。まあ三男坊なら立ち回り次第で後継者争いには巻きこまれずに済み――ん? 貴族の、息子?
もう一度、部屋を見回した。
貴族の息子の僕が、どうしてこんなみすぼらしい部屋で寝起きしてるんだ?
記憶をほじくり返そうとしたとき、
「おいクリス! いつまで寝てんだよ!」
乱暴にドアが開かれ、強面の男性が入ってきた。がっしりした体格なのにぴっちりなシャツを着て、首のボタンも閉めてるから窮屈そうだ。
誰だっけ? ああ、そうそう。
「おはようございます、ベルガさん」
「何のんきにあいさつしてやがんだよ。とっとと着替えて仕事に出ろ!」
「仕事?」
「テメエまだ寝惚けてんのか? いいから早く着替えやがれ!」
怒鳴られてタンスからよれよれのシャツとズボンを引っ張り出した。ブーツを履いて準備完了。記憶は曖昧だけど体が動いてくれたので思いのほか早かった、と僕は思ったのだけど。
「トロトロしてんじゃねえよ!」
また怒鳴られてしまった。
やっぱり妙だな。
僕は貴族の子息であるはずだ。そしてベルガさんはアレスター家の使用人。ここまでは思い出した。
でも彼の扱いからすると、僕は下働きの使用人であるらしい。
どうして?
「ちっ、時間食っちまったぜ。テメエは寝坊の罰で朝飯は抜きだ。今日は森へ枯れ木拾いに行かせるからな。せいぜい熊に襲われないよう気をつけろよ?」
ニヤリと笑うベルガさんをじっと見る。なんだろう? 妙な違和感が……。
「おい、なんだその反抗的な目は?」
ただ見ていただけだよ?
「テメエ、まだ貴族のお坊ちゃんって感覚が抜けてねえようだなあ」
にらんだかと思えばまたもニヤついたベルガさんはなぜかこぶしを握りしめ、
「ならコイツでわからせてやるよ!」
殴りかかってきたぞ?
片手で受け止め腕をひねった勢いを利用して放り投げる。
「なぁ――!? ぐべっ!」
ベルガさんは壁に背中をぶつけて床に落っこちた。
「あ、すみません、つい」
「ななな……何しやがった!?」
何ってべつに、無詠唱で身体強化系魔法を重ね掛けして殴打を受け止め、軽く投げ飛ばしただけだ。そんなこともわからないのかな?
「まさか、魔法か……? あり得ねえ。あいつは四画の『低級刻印』を二つも持って生まれた奴だぞ? けど、じゃあどうして……?」
低級刻印?
疑問を掘り起こそうとした僕の視線が、彼の首筋を捉えた。
無理して閉じていた首のボタンが弾け飛び、露わになったその肌に――。
「抑止の、呪印……?」
間違いない。
基本形の二画の呪印が、彼に刻まれている。
さっきの違和感はこれか。もともと魔力の低い人だけど、呪印のせいで外に漏れ出すはずの魔力がまったくなかったのだ。
そうだ。思い出した。
グラメウスではなくクリスの記憶。
今の世界では、人や魔族は生まれながらに呪印を宿す者が多数いて、『低級民』と蔑まされているんだった。
僕は貴族の子だけど二つも低級刻印を持って生まれたから、『アレスター家の面汚し』と家族に疎まれている。長いこと屋敷に軟禁され、ついに半年前、家名を剥奪されて使用人にされたのだ。
仕事場で僕の出生を知っているのはベルガさんたち極一部。たいていは『アレスター家の三男』の存在すら知らない。
だから僕のここでの立場は、呪印が二つもあるおかげで最底辺と言えた。
でも考えようによってはこの状況、不幸中の幸いかも。
貴族家なんて面倒事が向こうからやってくるようなところだ。
呪印のおかげで勘当されたなら自由人として生きていける。まあ面子なんかもあるだろうから簡単には放り出してくれないだろうけど、やりようはいくらでもある。
それはそれとして。
どうにもおかしい。
だって抑止の呪印は前世の僕が独自に開発した魔法で公にはしていなかった。それが低級刻印なんて名称で広まっているのはどうしてだろう?
何度か試しはした。誰かが被験者を解析したのかな? そういえば研究ノートはどこへやったっけ?
仮に誰かが呪印魔法を再現できたとしても、やっぱり変だ。『生まれながらに』ってことは人や魔族の『種』に対してかけられた呪いだろう。
とんでもなく大規模な魔法だ。個人でできることじゃない。なら、どこの組織が? ところで人魔の争いはどうなったんだろう?
記憶の探索に邪魔が入る。
「勢いをつけすぎちまったか? だからバランスを崩して転んだ、とか……」
ベルガさんが的外れな推測をつぶやく。
呪印――低級刻印を二つも宿す僕が魔法を使ったと知られたら説明が面倒だし、ここは乗っからせてもらおう。
「大丈夫ですか? 床のへこみに躓いて派手に転んでいましたけど」
「そうだよな! 俺が自分で転んだんだよな! へっ、ビビらせやがって……」
自分に言い聞かせるように言ってベルガさんは立ち上がった。
「おら、とっとと行くぞ!」
それでも僕を避けるようにドアへ行き、後ろを警戒しながら廊下に出た。
もろもろ疑問を解消したいところだけど、今は仕事をこなすとしよう。前世の僕から考えたら、下働きなんて新鮮だしね――。
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