虎猫は狡猾だった
「イビル……なんだと? マーブル・タイガーに亜種がいるとは聞いたことがないが……」
ゲイズさんは怪訝そうな声で言う。
どうやらマーブル・タイガーの上位種を知らないらしい。
この時代は情報の欠落が激しいな。もともと稀有な魔物で僕も一度しか前世で会っていないけど、記録はきちんと残していたんだけどね。
「動かないでください。かなり気が立っているようなので」
とはいえイビル・マーブル・タイガーは臆病で慎重だ。
今はまだ僕たちを威嚇する程度で様子を窺っている。
「ふしゃーっ」
見た目が可愛いだけに騙されちゃいそうだな。威嚇しているのにほっこりしちゃうよ。
さて、あの魔物のもっとも恐ろしいところはスピードだ。
さっきゲイズさんを襲ったときは様子見だったのだろう。あの魔物にしてはスピードが遅かった。本気だったら僕も声をかける間がなく、無詠唱で防御魔法を展開して軌道をずらすくらいしかできなかったと思う。
下手に魔力を高めると逃げるかも。あのレベルの魔物を自由にはさせておけない。
話し合いをしたいところだけど、頭がいいだけにこちらが下手に出るとつけあがってしまう。
最悪の場合は有無を言わさず、確実に仕留めなければならなかった。
となると両手の呪印が邪魔なんだけど……ゲイズさんがいるからなあ。
悩んでいる時間が惜しいな。
高速詠唱で相手の動きを封じ、ファルとアウラの力も借りてまずは拘束を――って、あれ?
「ふしゃーっ……」
さっきから威嚇はしてくるんだけど、それだけだ。
前世で出会った個体はつぶらな瞳をあっちこっちに忙しなく動かして現状分析を徹底し、あのときは逃げの一手でまんまと逃げられた苦い思い出がある。
魔力感知にも優れているから勝てそうにない相手には無理をしないのも特徴のひとつ。
見た目に反して冷静で狡猾。
それがイビル・マーブル・タイガー、なのだけど……なにか様子が変だな。
なんだかすごく怯えているような?
「ふ、ふしゃーっ……」(ぷるぷる震えている)
「クエッ!」(ファルの威嚇にびくっとする)
「にゃにゃ、にゃーっ!」(いちおう応じてみたけど目が泳いでいる)
僕は第四冠位魔法の『解析』を発動した。『深層解析』ほどじゃないけど対象の大まかな実力や状況は読み取れるものだ。
…………ああ、そういう。
僕はすこしだけ肩の力を抜いた。
さっきの攻撃は様子見じゃない。あれが本気で、ゲイズさんを狙ったのでもなく僕もろとも一気に一撃で決めようとしたのだろう。
手負いなら楽勝だ。
「クエーッ!」
ファルも気づいたらしく、左右にゆらゆら揺れてやる気十分。
アウラは僕が彼女にだけ聞こえるように「拘束して」と告げたので、鋭い目つきで隙を窺っていた。両腕が複数の蔓に変化し、うねうねと蠢いている。
よし、ファルに牽制してもらって、アウラの蔓で捕まえてもらおう。
そう決めて、ゲイズさんにはわからないよう二体に指示を出そうとしたところで。
「にゃお~ん……」
なん、だと……?
イビル・マーブル・タイガーは天地逆さまになって猫なで声を上げた。
「ん? 降参したのか?」
たしかに多くの魔物(や動物)はあのポーズで『敵意がないから許して』という意思を示すのだけど……狡猾なイビル・マーブル・タイガーが?
「にゃ~ん……」
何かを訴えるようにまん丸な瞳を潤ませる。
「もしかしてクリス、貴様がテイマーの能力で使役しつつあるのか?」
アウラのときに使った『魔物使役』魔法があるので、可能と言えば可能だ。
けどあれは『対象の魔物を力で屈服させる』との条件が必要だった。まだ何もやっていない。
「にゃにゃ~ん……」
仲間になりたそうにこっちを見ているように感じなくはないけど、だいたいこの魔物って……。
「ゲイズさん、前に出るのは――」
僕は魔物から視線を切ってゲイズさんに顔を向けた、その瞬間。
「にゃししし♪」
イビル・マーブル・タイガーは体を引っくり返して元の状態に戻ると、大岩を蹴った。ぎゅるぎゅると縦に高速回転しながら僕目掛けて真っ直ぐ飛んでくる。
ドコォ!
突撃をまともに腹に食らった。
魔物を抱えるような格好で吹っ飛ばされ、大木をいくつも薙ぎ倒す。やがてひと際太い大樹に僕は挟まれた。
高速回転は止まらず、ぎゃりぎゃりと耳をつんざく音を立てながら僕にくっついたままだ。
「にゃにゃーんっ!」
ようやく僕から離れたまん丸な魔物は高く飛び上がってから着地。地面にずり落ちる僕を見て満面の得意顔になった。
背後のファルとアウラを警戒しつつも「にゃしし」と笑って飛び上がろうとしたところで。
「やっぱりね。何か狙ってると思ってたよ」
「ふにゃーっ!?」
むくりと起き上がった僕がぴんぴんしているのにびっくりする丸い虎猫。
視線を逸らしても僕は全方位監視で動きが見えていたし、わざと隙を作った以上は防御も完璧だ。服には綻びひとつない。
おそらく起死回生、全身全霊をもってしての必殺の一撃だったはず。
なら後は簡単だな。
話し合う雰囲気は皆無。
性格が悪すぎるこの個体は残念ながら、乱暴な方法で捕らえさせてもらい、その後は魔界へ送り返し――って、あれ?
「ふにゃにゃにゃぁ……」
また天地を引っくり返してガタガタ震えている。これ以上ないほどの涙目だ。
ファルがぱたぱた飛んできた。魔物の前に降り立つと、
「クエ、クェェ、クェッ」
「にゃにゃぁ……にゃあ、にゃん……」
「クエクエ」
「にゃおん」
「クエッ!」
「にゃん……」
会話……してるのかな?
ファルが今度は僕のところへ飛んできた。
「クエクエ、クエェ」
どうやら『反省してるから助けてやってほしい』と言っているような。
「おいクリス! 大丈夫か!?」
ゲイズさんが駆けてくる。ずいぶん長い距離を吹っ飛ばされたものだ。
僕は彼が近づく前に虎猫に歩み寄り、
「――我が声、我が心に従え。『魔物使役』!」
使役魔法を発動した。
「にゃん!」
キリリと表情を引き締めたけど油断はならないなあ。
続けて傷を治す。右の横腹にあった大きな切り傷が見る間にふさがった。にしても、こんな傷をどこで?
「おお、無事のようだな。木々を薙ぎ倒すほどの威力だったが……」
「ファルのおかげで助かりました」
「ふうむ、ファルの施した防御はかなり堅牢なのだな。で、こいつはどうするんだ?」
ひっくり返っているまん丸な物体はまだキリリとしている。
「たった今テイムしました。僕の命令には逆らえません」
「むぅ、子どもとはいえマーブル・タイガーを使役するとはな。ああいや、イビルなんとかだったか?」
なんか説明するのが面倒だな。
「いえ、僕の勘違いでした。この子はマーブル・タイガーの幼体ですよ」
こうして予想外のトラブルに見舞われてしまったけど。
僕はこの日、Bランクに昇格した――。




