呪刻印、解放――自由気ままな生活の始まり
ブルモン邸に戻ると、なんだが騒がしかった。
「ただいま戻りました」
「おお、クリス。ちょうどいいところに帰ってくれた」
ブルモンさんが重そうな体を揺らして駆けてきた。
「どうかしたんですか?」
「実は、シャーリィが見当たらんのじゃ」
「……いつからですか?」
「昼食を一緒にとって、珍しく裏庭へ遊びに出かけてのう。それ以降、誰もシャーリィを見ておらんのじゃ」
裏庭は林になっていて、けっこうな広さがある。
「敷地の外に出た形跡は?」
「門番は『誰も出入りしていない』と言っておる。ずっと閉ざされておったそうじゃ。あの子が塀を乗り越えられるとは思えんし……」
ブルモンさんは疲れきった様子で肩を落とす。
「わかりました。僕は念のため外を探してきます」
玄関を出て、ファルの足につかまった。ファルはひと声鳴いて浮き上がる。
「お、おいクリス、いったいどこを探すと言うんじゃ?」
追いかけてきたブルモンさんに、上空から笑みを返す。
「大丈夫。すぐにシャーリィを連れて戻ってきますから」
僕が指示すると、ファルはスピードを上げて屋敷を飛び出した――。
街の城壁を越え、北へ向かう。
そちらは荒野が広がっていて、人っ子一人、魔物や獣すら視界には入ってこなかった。
ファルにつかまりつつも飛翔魔法で突き進む。
「ッ! ファル、離れてて!」
言いながら思い切りファルを投げ飛ばした。
「クエェェ~」
直後、上空から赤い閃光が僕に直撃する。そのまま地面に叩きつけられた。
大爆発が巻き起こる。
土煙で視界が閉ざされた。
「ふぅ……。さすがに防御魔法陣の展開は間に合わなかったな」
おかげで買ったばかりの衣装がボロボロだ。僕が仰向けに倒れて独り言ちた、直後だった。
「よくぞ耐えた。されど堕ちたな、賢者グラメウス」
歪な声が上から降ってきた。
土煙が晴れる。
荒野に大穴が穿たれていた。その中央に僕は寝そべって、見上げる先に、
――黒い球体が浮かんでいた。
直径は二メートルほど。まるで空に穴が開いたか、黒い太陽のようだ。球体からは正面を除き、いくつもの触手が生えて蠢いている。
黒い球体の中央、真横に線が走った。ゆっくりと上下に開いていき、ぎょろり、と。
赤い瞳がこちらを向く。
「悪魔の目、か……」
巨大な目玉こそ奴の全貌であり本体だった。
僕は前世で『魔界門』をこじ開け、巨大デーモンを引きずり出したうえで討伐したことがある。
そのとき片目だけが魔界門に落ちた。門は直後に閉じたのだけど、逃した片目は生きていて、いつしかこちらに現れていたとはね。
「僥倖である。我は二百年の時を経て、恩讐を雪ぐ機会を得た」
いちいち言い方が大仰だな。本体もこんなだったっけ。
「それはよかったね。でもこちらの用事も済ませたい」
僕は寝ころんだまま、巨大な目玉をにらみ据えて告げる。
「シャーリィを放せ」
触手のひとつに彼女は囚われていた。ただし僕が渡したメモが魔法を発動し、意識を失った彼女を薄い光が包んでいる。触手は光の膜をぐるぐる巻きにしていた。
あれは彼女を守るだけでなく、位置を僕に教えてもくれた。遠隔での自動発動ゆえに常時魔力を与え続けなくちゃだし、高冠位の複合魔法だからなかなか大変だけど。
「愚かなり。これは我が贄にして貴様への抑止である」
「シャーリィを人質に、ね。育てて食べるんじゃなかったの?」
「然り。この個体は存外に尤なれば。されど――」
続く言葉に、僕の中で何かが切れた。
――試作にすぎぬ。
「個体の選別に難はあれど、この世、尤なるものはいまだ充溢し――」
「ああ、もういいよ」
僕はぴょんと起き上がる。
よりにもよってシャーリィが『お試しだった』とこいつは抜かした。彼女ほどの優秀な人材はまだ他にもいるから、不要だとも。
知っていたとはいえ、本当に腹が立つ。
「何……? 無傷、であると?」
当たり前だ。
呪印があってもここへ至るまでに時間はたっぷりあった。第二冠位程度の魔法攻撃を防ぐ防御を構築するのはそう難しくない。
もっとも耐魔法・耐物理衝撃の防御系魔法を体に重ね掛けしてなかったら、さすがにつぶされていたよ。
「それにすら気づかないなんて、とんだ阿呆だな。わざわざお前を誘き出すためにいろいろ画策したのがバカらしくなってきた」
苛立ちを吐き出すと、シャーリィを捕縛している以外の触手が忙しなく動き回った。
「目玉だけになっても〝視る〟機能は高まらなかったんだろう? だからシャーリィのような高位の聖眼、あるいは魔眼を持つ者を取り込みたかった。違うか?」
「肯定する。されど、何ゆえ貴様は――」
「最後まで聞けよ。得意だろう? なにせレイラとの会話を盗み聞きして僕の正体を知ったんだもんな」
「……」
「お前はかつての僕に粉々にされた体の破片を集めたかった。そうして肉体を復活させ、この世界で君臨するつもりだった」
「理解不能である。何ゆえ貴様は我が思考を――」
「間抜けめ。お前は僕の前に姿をさらした時点で、すべて見抜かれてるんだよ」
「深層を、覗き見た……?」
「そうだ。僕はここへ来る直前に『深層解析』を発動していた」
「否! 我が攻撃を阻害せし防御、この個体の護り、広範囲の神視点をも同時に発動できるなど――」
「できないとでも? 俺を誰だと思っている」
こいつと話していると、腹立たしさが増していく。
「否、否、否否否! ならば貴様はすでに限界に至り。我が攻撃に抗う術なし!」
「だからお前は阿呆だと言っている」
たしかに並行して高冠位魔法を発動しすぎた。いくつか消しても再発動までちょっとかかる。
「正直、お前が誘いに乗ってくるかは五分五分と見ていたよ。でもお前、俺が転生に失敗したと思っているだろう?」
今の世の理に囚われ、低級刻印を二つも宿した者に転生した、と。
だからこいつは愚かにも、俺を倒せると判断して姿を晒したのだ。
ああ、腹立たしい。まったくもって忌々しい。
こんな阿呆を撃ち漏らした、前世の自分に怒りが収まらない。
両手を交差する。
奴によく見えるよう、両手の甲を外側に向けた。
「あり得ぬ……。あってはならぬ、よもや、それを――」
触手がめちゃくちゃに暴れ出す。
「恐怖したな? だが先に言っておくぞ」
右目に魔力を込め、
「今回は逃がさない」
――『解呪の聖眼』を発動した。
それぞれ四画の『抑止の呪印』は消え去り、体の裡から膨大な魔力が噴き出した。
「おのれ……おのれぇ!」
悪魔の片目はシャーリィを自らの眼前に押し出した。
「それこそ『愚かなり』、だ」
仮に解呪と同時に奴が逃げ出していたら、僕は何があってもシャーリィの奪還を優先し、奴自身は取り逃がしていたかもしれない。
だが奴は、『逃がさない』との言葉に動揺した。逃げられないと恐怖した。
だからシャーリィを盾に最後の可能性に賭けたのだ。
しかしそれは愚策の極み。
シャーリィを前に出す動作の、刹那の間を失ったことが奴にとっては致命的だった。
そのわずかな時間があれば、高速詠唱は終えられる。
巨大な目玉の周囲を、無数の魔法陣が現れ隙間なく取り囲んだ。
第一冠位魔法『神槍斉射』。
かつて魔界で万の軍勢を一掃した広大範囲長距離攻撃魔法だ。
相手を逃がさないためだけにこんな風に使うなんて贅沢だけど、今回ばかりは絶対に逃がさないと僕は決めていた。
魔法陣が光を帯びる。まるで太陽がその場に現れたかのようなまばゆい光だ。
「愚かなり……。我こそが、愚かな――」
魔法陣のひとつひとつから、魔を滅す浄化の光槍の数々が、デーモン・アイに降りそそぐ。
「ゴ、ガ、アアアァァアアァアァァァア!」
光槍は体を貫くことなく、突き刺さった状態でとどまり、じわじわと奴の体を溶かしていき。
どさり。
シャーリィを受け止めたときには、大目玉はすっかり消え去っていた――。
シャーリィを守っていた魔法を解除する。
しばらくすると彼女は目を覚ました。
「気分はどうかな? ケガはしてないけど、怖かったでしょ」
「大丈夫。寝ている間に、終わったんだね」
シャーリィは僕の腕の中で安心したような笑みを浮かべ、ハッとして言った。
「おうちのみんなは、大丈夫かな?」
「うん。君のおかげでね」
この子はデーモン・アイの襲撃を察し、裏庭に一人走った。誰かが側に居合わせたら、その人が巻き添えで殺されるかもしれないと危惧して。
過去に辛く恐ろしい体験をしてなお、この子は周囲にこそ関心を払い続けていた。
負い目がある。だから正直に話そう。
「ごめん。今まで黙っていたけど、君と君のご両親が襲われたのは、僕の責任だ」
彼女は二歳のころにデーモン・アイに襲われ、その場にいた彼女の両親は殺されてしまった。そうして妙な力を植え付けられ、ずっと付きまとわれていた。
俺が、あいつを倒し損ねてしまったからだ。
シャーリィは目をぱちくりさせたあと、
「違うよ」
にっこりと微笑んで、
「悪いのは、あの大きな目玉だよ。あなたは、みんなを助けてくれたもの」
ぎゅっと僕に抱き着いてきた。
まったくこの子は……。自分が喰われてしまった後の心配しかしてなかったんだな。
そしてその言葉は、僕の罪悪感を洗い流すには十分だった。
「ありがとう」
僕も彼女に救われた。
負い目を抱えたままでは、僕の願いは果たせなかっただろうから。
見上げると真っ青な空。
冒険者登録をして、装備を整え、依頼もこなした。(衣装はボロボロになったけど)
名実ともに僕は冒険者生活をスタートさせた。
そして肩の荷が下りた僕はようやく――
――前世ではできなかった自由気ままな生活の、第一歩を踏み出したのだ。
第二章はこれにて幕となります。
次回からは冒険者としてクリス君が大活躍! 仲間も増えるよ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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