巨大猪を倒した
村ではいろいろな話を聞いた。『記憶を失くした旅人』という設定にして質問攻めしてみる。
でも、この世界の状況が明確になるほどの回答は得られなかった。
そもそもこの村の人たちは狭い世界で日々を生きるのがやっとで、さほど情報を持っていなかったのだ。
この国や王の名前は知っていても、世界がどう動いているかを気にも留めない。
低級刻印は前世で罪を犯した者に神様が罰として与えるもの、との認識だ。
いつから人や魔族に現れるようになったかは知らなかった。というか『ずっと昔からそうだ』と信じている。
人魔の戦いはどうなったか?
現状、人と魔族は友好的な関係を築いているらしい。というか、村の人たちはかつて人魔が争っていたとの認識がなかった。
怪しい。実に怪しい。魔族が人と仲良くする姿が想像できない。
魔族の中には『話せばわかる』者たちもいた。でも総じて人とは対立関係にあり、互いに『滅ぼす対象』と考えていたのだ。
けっきょく低級刻印を広めたのって誰? 謎は深まるばかりだ。
村の人は賢者グラメウスの名前も知っていた。僕がマルコ兄さんから聞いた物語の内容中心だったけど、実在の人物と思われてはいるようだ。
これらが世界の常識なのかどうか、もっと大きな街で情報を集めないとだね。
村の人たちに別れを告げ、僕はレイナークの街を目指して出発した。
「道中、魔物には気をつけるんだよ。ま、あんたとファルちゃんなら大丈夫だろうけどさ」
お店のおばさんの気遣いが嬉しかった。
でもちょっと不安だ。
またトラブルに見舞われたらどうしよう? いっそ空を飛んで一気に街までたどり着こうかと考えたものの、まあいっかと僕はのんびり歩く旅を選択した。
で――。
三日ほど、何事もなく旅は続いた。
途中でいつくか分かれ道があったけど、標識のとおりに進んでいるので迷いはしない。
今までほとんど寝ずに歩いたのでかなり距離を稼げたな。
記憶のほうは落ち着いてきたから疲労はほぼなくなった。自己回復もあるから寝なくてもへっちゃら。
一方ちびドラゴンのファルはよく眠る。一日の半分以上は寝ていた。でも――
「このペースなら暗くなる前にレイナークへ着くね」
「クゥ…………」
ファルは寝ながら飛ぶという器用な芸当ができるので、ほとんど休憩を必要としなかった。
本当に休めているのか気になって尋ねたところ、「クエッ♪」と元気のよい返事だったので大丈夫なのだろう。
このまま街までトラブルなく行けるかな、と油断したのがいけなかったのか。
森と平原の境にある街道を進んでいると。
「た、助けてくれーっ!」
前方からものすごい勢いで荷馬車が駆けてきた。その後ろからはこちらも猛烈な速さで突進する大きな猪――アサルト・ボアーだ。
やっぱりかー。
御者台にいるおじさんは僕を見つけて叫んだようだけど、僕が子どもだとわかるや絶望したような表情になる。
荷馬車を避けると、すれ違いざまおじさんはぎゅっと目をつぶってこぼした。
「すまねえ……」
なんで謝ったんだろう? ああ、子どもを見捨てて自分だけ助かるのに負い目を感じたのか。
気にしなくていいのに。あの程度の魔物なら、どうとでもなるし。
話してわかる相手かは未知数だけど、ひとまず大猪の進行方向に強めの魔法を撃てば、びっくりして退散してくれるかな。
と、ファルがふわふわ大猪の進路に飛んでいき、ぱかっと口を開けた次の瞬間――。
ゴォッ!
特大の火炎球が飛んでったよ?
「ブゴォッ!」
大猪の鼻に直撃する。正面からぶつかった巨体が真上に弾かれた。ずずぅんと地面に落っこちて、大猪は倒れ伏す。
えっ、ファル何やってるの? 死んじゃったよ?
「クエッ♪」
ファルは尻尾をふりふり、こちらを見て『上手にできたよ!』と誇らしげだ。
べつに倒す必要はなかったんだけど……責められないな。たぶん、僕へ突進してきた大猪を『マスターの敵』と認定して守ってくれたんだろうし。
「ありがとう。しばらくお肉には困らないね」
あまりに大きな獲物だけど、大事に食べさせてもらおう。
アサルト・ボアーは普通の猪より臭みがかなり強いけど、お肉は柔らかいから香草やなんかをふんだんに使って臭みを消すとけっこう美味しいんだよね。
香草……どこかに生えてないかな?
巨大食材を道の真ん中で解体するのは気が引ける。とはいえ持ち運ぶには大きすぎるから収納魔法でも使おうかな。
なんて考えていたら、ガラガラとさっきの荷馬車が戻ってきた。
「お、おい、君がその魔物を倒したのか?」
「いえ、僕はテイマーなんですけど、連れのこの子が倒しました」
今回ばかりは嘘じゃなく、本当にファルが倒してしまったのだ。小さくなってもあれだけの魔法が撃てるなんて、さすがは古竜だね。
おじさんは馬車から飛び降りると、駆け寄って僕の手を取った。
「本当にありがとう! 死ぬかと思ったんだ、子どもが生まれたばかりなのに、本当に俺は……ありがどうぅぅぅ!」
おじさんは涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにする。
しばらくお礼を言い続けていたおじさんが落ち着いたところで、互いに自己紹介した。
「へえ、一人旅をねえ。まだ子どもなのに大したもんだ。で、レイナークへ行くんだな。よし、お礼ってのにはほど遠いが、乗ってってくれよ」
「でもおじさんは逆方向じゃ?」
「いやいや、俺もレイナークへ帰るとこだったんだよ。そしたら正面にアサルト・ボアーが歩いててな。慌てて向き変えて逃げたんだよ」
おじさんは「護衛代をケチるもんじゃねえよな」と乾いた笑いで言う。
歩きでも疲れはしないんだけど、偶然の『縁』で一緒に旅をするのもいいかもしれない。大きな街に住む人なら情報も持っているだろうし。
「なら、お言葉に甘えまして」
「おう、任せとけ。って、乗り心地はそんなよくないけどな」
おじさんが御者台に戻ろうとしたところでハタと気づく。
行く手を阻む巨大な猪。その亡骸をどうしよう?
「おっと、そいつをそのままにはしておけねえよな。それ、けっこう金になるぜ? ひとまず馬車の荷台に……どうやって載せよう?」
僕が合図する前にファルがぱたぱた飛んで行って巨大猪の下に潜りこんだ。持ち上げてふわふわ浮き、荷台にどすんと落とす。
「ふへぇ~、ちんまりしてんのにすげえなあ。こいつを使役できてる君も大概だけどよ」
今も僕は魔法を使っていない。目をキラキラさせるファルとは、後でいろいろ話し合おう。
僕は御者台に上っておじさんの隣に座った。いちおう異臭がしないように大猪には防腐効果のある魔法をかけておく。
「で、クリスだったか。君はレイナークへ何しに行くんだ? もしかして冒険者になるために?」
「はい。できれば、なんですけど」
「やっぱりか! なんたってレイナークは王国一の冒険者の街だからな。まあ、低級民だと荷物持ちがせいぜいだけど、君ならテイマーでやってけるんじゃねえかな」
へえ、冒険者の街か。しかも国一番だったとは。なら高ランクの人が多いだろうし、僕も目立たず活動できるかも。
マルコ兄さんが『冒険者を目指すならそこがいい』と言った意味を理解した。
僕は馬車に揺られながら、新生活に心躍らせるのだった――。