歪む道 「多脚同盟とホロ」
多脚同盟。別に脚がなくても加わることのできる、殺戮集団。
巨大生物の闊歩する世における絶対的弱者であった虫たちの本能は、サディによって目覚めた。
蠢く草の中でじっとしていたサディの脚をある巨大生物が踏みつけ、彼の逆鱗に触れる。
一方的な狩りは、捕食者たる姿を虫たちに想起させ、サディを長と呼んだ。
やがて巨大生物は絶滅した。
小さな廃屋は多脚同盟の本拠地。窓はひび割れ、扉もがたついているが、7つ目の太陽の気持ち悪い笑みも、修繕された屋根をすり抜けることはない。
虫たちはここを休息地としており、ベッドや台所、椅子に所狭しと張り付いていた。勿論、カーテンレールや床下にも潜む者はいる。
これほどの数が揃えば小競り合いの一つでも起きそうだが、その兆候は見られず平和なものだ。互いに無関心を装い、休息を、食事を、身の整理を黙々とこなしていた。
実のところ、外ではいがみ合いや争いはよく起きているが、廃屋の中ではある暗黙の了解があった。
それは多脚同盟の長、サディが原因で作られた決まり事。
79本の脚と16の眼を持つクモ型駆動体、サディ。彼は穏やかな性格で静かな場所を好み、食事以外で何者を襲うこともない。だが、静寂を乱せば殺戮者になる。
鎌を携えた虫と頑強な装甲に覆われた虫が廃屋の中で争ったとき、サディはその2匹を含む30匹を噛み潰した。
それは獲物だけをつけ狙う冷酷な狩人とは程遠い、目に映る全てを破壊する捕食者そのものだった。
故に、虫たちは音に殊更敏感となっていた。無礼者を沈黙へ誘うために。
「家? 俺は持ち歩けるものしか取り扱わないぞ」
「はあ? ショーニンが家を持ってないとか底が知れるよ。湖の底並にね!」
「深みの湖に底なんかねーよ。……あー、家っていえば多脚同盟知ってるか?」
白と黒と灰色の迷彩服を着た男、アバロスは話をへし折って切り替えた。突拍子もなく現れた少女、ホロは物々交換に使えるのが己の肉体しかないゴミである。客でもなく、友人でもないのなら、ゴミ以外になんと形容できようか。
「知らない。家ちょーだい!」
何の装飾もないワンピースを纏うホロは後頭部から生える触覚と両腕をブンブンと振り回してわめく。ちらりと覗く牙は肉を引き裂く形状をしていた。アバロスは明後日の方を向こうとしたが、七つ目の太陽と目があったのですぐさま目線を戻した。
「古い巨大な森の近くに誰も住んでない家があるけど、あそこ多脚同盟の総本山だから近付くなよ。それと、同業者が家を取り扱ってるから……」
アバロスはメモ帳に文字を書きながら言う。今はゴミだが、将来は客と成り得るかもしれない。ゴミを客にするのは商人の仕事の一つだ。そしてまた、逆も然りである。
「家あるのっ!? わー!!」
最初の言葉だけ聞いたホロは金切り声を交えながら走り出す。アバロスが気付いた頃には紫色の土煙だけが残っていた。七つ目の太陽は慰めるように見つめ、彼は舌打ちをしてメモ帳を破り捨てた。
やっぱゴミだ、という言葉とともに。
「あれか!」
ホロは口元を歪ませながら、意気揚々と不健康ハウスな廃屋に走り寄る。玄関扉は鍵もなく手で押せば開きそうだが、彼女は走った勢いを消すのが面倒になった。だからぴょんと飛び跳ねて、上半身をしならせ、ヘッドバッドで開門する。
開かれた扉から太陽の微笑みが挿し込む。しかしカーテンや窓は締め切られ、家の中は太陽がいるにも関わらず薄暗いものだった。草木の囁きにも似た音が、狭い夜に響く。羽音、足音、どれもが敵意と……恐怖に満ちている。
素足に何かが這い登る感覚がホロを襲い、なおも無警戒に奥へ一歩進むと、少し大きな虫がぴくりと起き上がる。
その時、目の前を羽ばたく虫や、体を這う虫が一斉に恐怖を具現化した。鋭い顎を針を、柔らかな肉に刺し込む。
それらをホロは乱暴に叩き落とした。白い肌は裂かれ、透明な液体が滴り、虫たちの名残が足に引っかかっている。さらに下の床には、虫であった物体が散らばっている。
「ふはは、ここは私の家になるの。どくといいぞ」
ぶんと、六本の腕を振りながら椅子にドカッと座る。逃げ遅れた虫はぺたんと潰れた。ワンピースはあばら骨のある辺りで引き裂かれ、そこから鋭利な刃のある腕が四本伸びていた。
先ほど見かけた大きめの虫は顎を二度打ち鳴らす。すると虫たちは一斉に逃げ出した。音がしたからという理由で何となく見つめていたホロに、それは襲い掛かる。サディだ。
床を風の様に駆けながら彼女の足指を噛み千切らんとする。その直前に彼女の腕が突き立てられた。彼は51本の脚でブレーキをかけ、素早く立ち退く。
ホロはゆらりと立ち上がり、闇に溶け込むサディを探す。僅かな暗さのズレ、床から伝わる振動、大気の鼓動を細やかに感じ取る……それを行う認識も、集中している感覚も彼女にはない。ただ”見つけた”という結果だけを知覚した。
ふっと舞う彼女の体。そこから突き出される2本の腕と4本の鎌は日の出の如き速さでサディを襲う。彼は前へ回避し、彼女の顔に引っ付いた。彼は毒を持たない。弱らせる前に、仕留めるからだ。
がっちりと抱えた脚は、その顔を絞め潰そうと力いっぱい握り込む。
ホロは口を開けて、喉の奥から”虫の顎”を伸ばし、脚を一文字に噛み千切った。後ろ脚の7割が切断され態勢を崩しかけるサディの体を、ホロは右手で捕らえた。
脚にかぎ爪のない彼は呆気なく引きはがされ、そのまま握り潰さんと指が迫りくる。残る45本の脚で抵抗するが、押し戻すには至らない。
ホロはふと左手がフリーであることに気付き、にやりと笑い右手に拳骨をぶつけようと振りかぶる。しかし左手の勢いを殺すのがもったいなかったからか、右手は高速で飛来する拳骨を受け止めようとせず、彼女は姿勢を思いっきり崩した。
華麗に2回転してから床に倒れ伏し、手の平にいたサディを取りこぼす。
彼は咥えられた衝撃により脚が削れ落ちていた。よろよろと立ち上がるその姿に激情はもう残っていない。捕食者たる彼は理解していた。相手の動向を予想することのない単純な反射神経と、身体能力の殴り合い。
それは自分が死ぬより先に相手を殺せるかの戦い。それに敗北した。彼女はピンピンしていて、己は死にかけている。逆転はない。
逃げる脚をも失った己の死を理解し、その止めをひたすらに待った。
「我が家じゃー! みゃふい!」
彼女はぴょんと跳ねあがり、天井にへばりつく。呆気に取られるサディは、ただ彼女を見ていた。
「あっ、お前。我が家の番人になるといい」
天井のコードに溜まった埃を指で落としながら、彼女はサディに話しかける。何故、という疑問はホロにとってナンセンスだ。一を聞いて十を知るのが天才ならば、一を聞いて指を見るのがホロである。
「んで、名前は」
天井から机に下りて、カーテンの具合を確かめる。しかしサディから返事はない。元より、言葉を話せないのだから当然である。そして事態を理解してないのだから。
「じゃあサディって呼ぶよ。がんばれー」
何故名前が分かったのか、という疑問はホロにとってナンセンスだ。筋道立てて目標へ行くのが論理なら、気付けば次の命題にいるのがホロである。
こうして多脚同盟は消滅し、彼女は家を手に入れた。
「ガスコンロ? お前、そもそも売買というのを理解してんのか?」
「あー、これじゃダメ?」
ホロはおもむろにクリスタルのような物体を差し出した。カタラプルの実と呼ばれるものだ。組み草や斬り虚樹に囲まれた場所に生えてるため、入手性は悪い。
つまり、価値はある。
「……まあ悪くないけど、夜明けの直前に採取した方がいいぞ」
「は? ガスコンロくれないの」
「まあ落ち着けホロ。これはビジネスの話だ、この先も定期的に持って来てくれるのなら、必要な物を用意できるぞ」
「びじぬすとかてーきて何だよ、ガスコンロくれよ」
アバロスはニッと笑い、荷車にカタラプルの実を置いた。そして紫の大地に絵を描きながら、説明を始めた。
その様を、七つ目の太陽は微笑ましく見つめていた。