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エンドリア物語

「監視 ~設定物語~ 」<エンドリア物語外伝71>

作者: あまみつ

【エンドリア王国ニダウ在住ムー・ペトリの監視役を命ずる】

 受け取った辞令を旅行鞄の底にいれ、スージー・シャムロックは魔法協会の大型飛竜に乗っていた。飛竜の行き先はリラブリ王国。ルブクス大陸のほぼ中央に位置する中規模国家だ。国家の規模は大きくないが、ルブクス大陸の主要な街道が南の都市グメマに通過しているため、交通の要所として発展した。政治経済文化が発達しており、ルブクス大陸の東西の文化の交流の場としての役割も大きい。

 魔法協会の大型支部が置かれており、本部との間には大型飛竜が頻繁に飛ぶ。スージーもそれに乗せて貰っていた。

 リラブリ王国から乗り合い馬車で南西のダイメン王国に行き、そこからエンドリア王国に入る予定だ。

 飛竜の椅子に座っているスージーは、膝に乗せた旅行鞄の持ち手を堅く握りしめた。

 魔法協会に入って3ヶ月。研修が終わって渡された辞令に書かれていた最初の仕事が【ムー・ペトリの監視役】。

 ムー・ペトリの噂は聞いていた。天才魔術師。稀代の召喚魔術師。ピンクのローブをまとって、異次元モンスターや地獄の悪魔を召喚する。

 痛くなった胃をそっと押さえた。

 辞令をもらってから、すぐに研修の時についてくれた指導魔術師に相談に行った。

「ムー・ペトリの監視役は特殊任務なので辞令に任務の期間は書かれてないが、通常は3ヶ月くらいだから頑張ってみてはどうだろう」と言われた。そして「スージーは、ムー・ペトリに会っているはずだ」とも言われた。

 記憶を探ったが、ピンクのローブを着た魔術師に会ったという記憶はなかった。

「エンドリア支部にはガガさんという優しい魔術師が支部長をしている。何でも相談しなさい」

 不安が薄れはしなかったが、頑張ろうという気になった。

「ガガさんで難しそうだと思った事案に遭遇したら、ニダウのメインストリートのアロ通りにある古魔法道具店のロイドさんに相談しなさい。魔法協会の者だと言えば相談に乗ってもらえる」

 なぜ、ロイドさん?というスージーの疑問を感じとってくれたらしく、指導魔術師は続いて説明してくれた。

「ロイドさんは長くエンドリア支部の支部長をされて、魔法協会の関係者に人脈もコネもある。位も18位だ」

 18位の人に相談に行ってもいい。スージーの不安は少し薄れた。

「エンドリア王国はいい国だ。気候もいいが、何より国民が暖かい。心がすさんでいない。あそこに行くと、平和が長く続くとこうなるのかと思う」

 どこか懐かしそうな眼差しで指導教官が言った。

 いい国らしいと不安より安心が勝った。

「ま、桃海亭がなければだがな」

 つけたされた一言に不安がどっと増えた。

「これは最終手段だ。だが、覚えておくんだ」

 真顔になった指導教官がスージーと目を合わせた。

「いいか、ムー・ペトリの件でとんでもないことに巻き込まれたら」

 巻き込まれたら?

「ウィル・バーカーに頼むんだ」

 ウィル・バーカー。別名【不幸を呼ぶ男】

 反射的に首を横に振った。

「気持ちは分かる。だが、ムー・ペトリを制御できるのは彼しかいないんだ。いや、制御ではないな。事態を治めてきた、それも違うな。だが、彼しかいないんだ。だから、どうしようもないと思ったら、ウィル・バーカーに言え。彼に話せば、スージーは魔法協会を首になるかもしれない。それでもいいと思う事態にぶつかったら、迷わずにウィルに言うんだ。それだけは、覚えておくんだ」

 真剣だった。

 指導教官が3ヶ月間の研修期間では一度も見せたことがない顔だった。

 ムー・ペトリに、ウィル・バーカー。

 桃海亭の【極悪コンビ】

 スージー・シャムロックは痛む胃を押さえ、窓から外を見た。エンドリアのある南西の空は、真っ黒い雲が覆っていた。




 ニダウに到着したスージー・シャムロックは、最初にエンドリア支部に行った。地図を貰っていたが、見る必要はなかった。ニダウを囲む壁を抜けると【魔法協会エンドリア支部】の看板がついた家が見えた。

 木造2階建て。

 立派な本部の建物とは想像もつかない庶民的な小さな支部だった。中に入ると、書き物をしていた白いローブの若者が受付と書かれたところに来てくれた。

「ご用事はなんでしょうか?」

 若者は首にいくつもの魔除けの十字架を下げていた。胸には護符バッチ。頭には悪魔除けの呪文が書かれたサークレットまでしている。

「魔法協会から派遣されましたスージー・シャムロックといいます」

「監視役の方ですね。遠いところお疲れ様です。いま、支部長が案内しますので、そちらの席でお待ちください」

 応対は普通だった。

「支部長をしているガガです」

「スージー・シャムロックといいます。よろしくお願いします」

 小太りの男性は挨拶を交わすと、すぐにスージーを監視所に案内してくれた。

 エンドリア支部から徒歩5分。2階建ての木造集合住宅で、上に3部屋。下に2部屋ある。

「おーい、連れて来たよ」

 ガガさんがそういうと、1階の部屋から中年の男性が出てきた。

「ここの責任者のマンフレッド・ソーントンだ」

 差し出された手を握った。

「スージー・シャムロックです。よろしくお願いします」

 ガガさんが帰ると、1階の101号室に案内された。

「ここが監視部屋だ。交代で監視している」

 小さなキッチンを抜けると、広い部屋があり、3人掛けのソファーが置かれ、そのソファーの正面の壁に古ぼけた店が映し出されている。

「あれが桃海亭だ」

 店の前を行き来する人が映っている。話し声に混じって笑い声が聞こえる。映像だけでなく、音声も拾っているようだ。

「ここで桃海亭を監視している」

 ソーントンがソファーに腰掛けた。

「報告するのはあそこの画面に映ったものだけだ。監視の為に桃海亭に行くことはない」

 ソーントンがソファーに置かれていた石版のようなものを操作した。画面が引かれた。上空から商店全体が見ることができるようになった。

「このように操作できる。君はムー・ペトリが店の外、厳密に言えばキケール商店街にいる間観察して、特別なことがあった場合、報告書に記入する。それが仕事だ」

「商店街の中だけでよろしいのですか?」

「そうだ。ニダウの町中にいても追いかけて監視する必要はない」

「店の中をのぞく必要もないのですね?」

 ソーントンが苦笑した。

「昔は店内の音声が拾えたが、今は拾えなくなった。それを機に魔法協会は店内の監視を中止した」

「拾えないのですか?」

 古びた木造の店舗だ。物理的な防音がされているようには見えない。魔法協会が持つ高度な技術を使えば、魔術による防音結界を張られていても音は拾えるはずだ。

「桃海亭だ」

 含みのある言い方だった。

「店内の監視を中止した際、監視体制を縮小、人員を半分以下にした。私としては監視そのものを中止にして欲しかったが、魔法協会本部としては桃海亭を野放しにはできなかったのだろう」

 玄関の扉が開いた。

 年老いた魔術師が入ってきた。

「今度赴任してきたスージー・シャムロックだ。ムー・ペトリの監視に当たる」

「よろしくお願いします」

「私はジェレマイア・ポズウェル。シュデルの監視をしている。よろしく」

 シュデルという名前は資料に書かれていた。

 桃海亭に住み込みで働いている店員だ。

「監視対象はムー・ペトリだけではないのですか?」

「ムー・ペトリとシュデルの2人だ」

「桃海亭の店主ウィル・バーカーは監視対象ではないのですか?」

「彼は一般人だ。魔法協会の監視対象にはならない」

 言われてみればそうなのだが、危険人物とわかっているのだから、ついでに監視すればいいのにとスージーは思った。

「そろそろですね」

 ソーントンがポズウェルに言った。

「昨日は出なかったから、今日は出るだろう」

 ポズウェルの言葉が終わる前に、桃海亭の扉が開いた。

「あれがシュデルだ」

 広範囲を移すようにしているので小さくしか映っていないが、それでも綺麗な少女だとわかった。

 端正な顔立ちで切れ長の瞳はダークグレーだ。長い黒髪を後ろで結び、淡いピンク色のローブを着ている。右腕に買い物籠をかけている。

 ポズウェルが画面に映ったシュデルを指でさした。

「この時間になると、こちらの方面に買い物に行く。大抵は20分ほどで戻る。シュデルは画像と違うから、一度は直接見た方がいい。ついでに桃海亭の店舗も外側から見てきてはどうだろう」

「監視役の私が近づいても大丈夫でしょうか?」

 ソーントンが笑顔を浮かべた。

「大丈夫ではない。だが、見なければわからないこともある。行ってきなさい」

「私だけで行ってくるのですか?」

「そうだな。桃海亭の隣にパン屋がある。あそこのミートパイは絶品だ。ミートパイを5つ買ってきて欲しい。君が食べたい甘いパンがあったら一緒に買うといい。支払いは魔法協会で払おう」

「桃海亭の隣のパン屋さんですね」

「ここだな」

 桃海亭の隣を指す。

「斜め向かいに花屋がある。パン屋もそうだがこの店も桃海亭とは仲がいい。帰りに花をひとつ買って、雰囲気を見てくるといい」

「切り花ですか?鉢植えですか?」

「どちらでもいい。世話をする時間はたっぷりある」

「わかりました。買ってきます」

 スージーは旅行鞄を指定された場所においた。

 手提げバッグに厚手の上着、旅行中の魔術師という装いで部屋を出た。

 桃海亭の場所は頭に入っていた。

 くねった裏道を歩く。

 明るくて活気がある町だ。

 話し声や笑い声が生活音に混じって、あちこちからする。

 鉄製のアーチを抜けて、キケール商店街に入る。

 変わったところはない。観光客らしき人が他のところより若干多いような気がする。

 歩いてみると小さな商店街で、すぐに桃海亭のところに来てしまった。シュデルはまだ戻っていないようなので、隣のパン屋に入った。

「いらっしゃい!」

 元気のいい女性の他に店の主人らしき男性と手伝いらしい若い女の子がいた。店内に客は数人。服装からすると地元の人らしい。

「ミートパイ5個とシナモンデニッシュをください」

「ミートパイ5つとシナモンね」

 復唱しながら素早く詰めてくれる。

「観光にきたの?」

「はい」

「楽しんでいってね」

 屈託のない笑顔で言われた。

 代金を払って外に出た。

 パン屋の窓から桃海亭はチェックしていた。シュデルはまだ戻ってきてない。

 不自然にならないように商店街を見回した。目に付きにくいところに隠れるように若い女の子がかなりの数いることに気がついた。その女の子達が通りの右側を一斉に見た。

 同じ方向に目をやると、買い物かごをもったシュデルが戻ってくるのが見えた。

 ポズウェルさんが『シュデルは画面と違う』と言っていたのを実感した。

 信じられないくらいの美少女だ。

 中性的でシンメトリーな顔。黄金比で形作られている美しい顔は、名工の手による作り物に見えてしまう。

 淡いピンクローブを揺らしながら優雅に歩いてくると、店に入ろうとした。その時だった。振り向いて、スージーを見た。

 目があった。

 シュデルは微笑むと小さく手を振って、店に入った。

 動悸がとまらない。

 監視役とバレたのかもしれないという不安と、美しい少女に微笑まれたという歓喜がないまぜになって、動けない。

「あなた、シュデルとどういう関係なの」

 数人の女の子に取り囲まれていた。

 遠くにいる女の子達もスージーを注視している。

「こらぁ!」

 花屋から女の子が走ってきた。

 花柄のワンピースに白いエプロンをしている。

「遠くからニダウに来てくれた人に何しているのよ!」

「だって、シュデルが」

「ほら、いったいった」

 女の子が手でシッシッとやると、取り囲んでいた女の子達が散っていった。

 花屋の女の子がスージーに笑顔を向けた。

「ごめんね」

 人なつっこくて、気持ちのいい笑顔だった。

「悪い子達じゃないんだ。シュデルが好きなだけでさ」

 うなずいた。

 その時、花屋の女の子が掛けているポシェットから、ヒョコッと赤い三角が出た。

「きゃ!」

 スージーの声に驚いたのか、三角が引っ込んだ。

「あ、ごめん。この子、悪さはしないけど………着ているのローブだよね、魔術師?」

 スージーがうなずいた。

「危ないから触らないでね。ヒトデも触っちゃだめだよ」

 ポシェットの上部から、三角の小さなものがチョコッとでた。赤い三角が左右に振れた。

「キケール商店街を楽しんでいってね」

 そう言うと花屋に向かって駆けていった。

 今のタイミングで花を買いに行かない方がいいと、スージーは帰ることにした。





「ただいま、戻りました」

 監視所に戻ると人数が2人増えて、4人になっていた。

「紹介しよう。彼女はスージー・シャムロック。魔法協会から派遣されてきて、ムー・ペトリを監視する」

「よろしくお願いします」

 監視所にいるのはスージーを入れて3人と聞いていたので、不思議に思いながらも挨拶した。

「キルステン・リア。所属はラルレッツ王国。ムー・スウィンデルズの監視役。よろしくね」

 30半ばの女の魔術師だ。眠たそうな目をしている。

 ムー・ペトリの資料に2歳でペトリ家の養子に入ったと書かれていた。生家はラルレッツ王国の魔術師の名門スウィンデルズ家だと書かれていた。

「よろしくお願いします」

 同じ人間を監視するということになるのだが、魔法協会とラルレッツ王国。スージーはちょっと不安になった。

「私の名はフリップ・モーンダー」

 同じく30半ばだが、男性の魔術師だ。知的な風貌でエリートという感じがする。

「ロラムから派遣されて、シュデル・ルシェ・ロラム様の監視をしている」

 予想外の単語がスージーの耳に飛び込んできた。

 ロラム王国。

 シュデル・ルシェ・ロラム。

 なぜ、東方のロラムがいるのだろうと考えた時、ラストネームのシュデル・ルシェ・ロラムと【ロラム】が同じことに気がついた。

 ひとつの推論が頭に浮かんだが、現実とあまりにそぐわない。

「よろしく頼む」

 フリップ・モーンダーが笑顔で言った。

 優しそうな人に思えたスージーは思い切って尋ねた。

「シュデルは【石牢の王子】ですか?」

 有名な話だ。ロラムの第五王子は異能を持って生まれた為、3歳の時に石牢に閉じこめられた。昨年、石牢から出たという話は聞いたが、どこにいるのかまでは聞いたことがなかった。

「知らなかったのか?」

 モーンダーが驚いたように言った。

「はい」

「そういえば、君の所属は魔法協会だった」

 困ったように言うモーンダーに、スージーは慌てて言った。

「いいません。【石牢の王子】が桃海亭にいるなんて」

「そうしてもらうと助かる。公然の秘密ではあるが、シュデル様の能力は特殊すぎて争いの火種になりかねない」

 トラブルを回避するために処理能力が高い人材が派遣されているのだろうとスージーは思った。

「それに王が………いや、これは君には関係ない」

 モーンダーが右手で胃の辺りを押さえた。

「大丈夫ですか?」

「あと3ヶ月で国に帰ることになっている」

 そういうとモーンダーはため息をついた。

 スージーは首を傾げた。

 先ほどシュデルを見た感じでは、ごく普通の美少女……【石牢の王子】。

「あ、あっーーーー!」

「どうした?」

 ソーントンがスージーに聞いた。

「王子、王子ということは、シュデルは男ですか?」

「そうだ」

 あっさりと言われた。

「本部で渡された資料を読まなかったのか?シュデルは男と書いてあったはずだ」

 商店街で取り巻いていたのが女の子なのだから、シュデルは男のはずだ。綺麗なことに気を取られて、間近で見ても気づかなかった。

「あれで男………」

「あの顔を見た後に自分の顔を見ると、落ち込むのよねぇ」

 リアがだるそうに言った。

「自己紹介が済んだところで、ここのシステムを説明しよう」

 ソーントンがカレンダーを指した。

「5人が交代で監視の任務にあったっている。毎日、3人が8時間ずつで監視する。2人は休み」

 楽なスケジュールだとスージーは思った。

 ロラムとラルレッツが入っている理由は聞かないことにする。

「10日で計算すると、6日働いて4日休みとなる。だが、休みの日も部屋に待機してもらうから、通常の休みとは違う」

「待機ですか?」

「これだけしかないのに、監視は24時間体制だ。急用ができたり、体調の悪くなったりした場合、交代してもらわなければらなない。緊急事態で本部に連絡して貰ったりもしなければいけない。だから、買い物はいいが、基本部屋にいてもらう」

「わかりました」

「201号は私とポズウェル、202号はモーンダーが使っている。君はリアと203号室を使ってくれ」

「よろしくお願いします」

 スージーはリアに頭を下げた。

「部屋、片づいてないから、覚悟していてね」

 面倒くさそうにリアが言った。

「集まってくれてありがとう。あとは私が説明しておく」

 軽く手を振ってモーンダーが部屋を出ていった。振った手と逆の手にミートパイを持っている。続いて、ポズウェル。ポズウェルもいつの間にかミートパイを持っていた。リアがミートパイをくわえて出て行くと、部屋はソーントンとスージーだけになった。

「あと4時間は私の監視の時間だ。いまのうちに作業内容を説明しておく」

 壁に置かれていた棚から、紙と紙の束を取ってきた。

「君が監視している時間に見た内容、ムー・ペトリとシュデルについてだが、ここに起きた時間と内容をこの紙にできるだけ克明に書いておく。書き終わったら、綴じる。本部に提出する報告書は、君が監視している時間の間にこの束から何があったのかを読み、報告書に記載すればいい」

 束をボンと渡された。

「書き方は前の記述を参考にすればいい。詳しく書いてあれば書き方は問わない。報告書の書く為の資料と思えばいい」

 一番上に書かれていたのは、ムー・ペトリが昼過ぎに店を出たと簡潔に書かれていた。

「ムー・ペトリの場合は服装や髪型などは省いていい。シュデルの場合はこうなる」

 閉じる予定らしい紙を見せてくれた。

 先ほどのシュデルの髪型、飾り紐の柄、服装、買い物かごの種類、出た時間、帰ってきた時間、買い物かごに入っていたと思われるものまで、事細かに書かれている。

「ずいぶん違うのですね」

「ムー・ペトリを見れば理由がわかる」

 スージーから束を受け取ると、ソーントンはキッチンに行った。

 トレイに熱い紅茶が2つ置かれている。

「ありがとうございます」

「食べながらでいい、聞いてくれ」

 紅茶を一口飲んで、ミートパイをかじった。

 美味しい。

 肉がたっぷり、トマトと隠し味のハーブが利いている。

「仕事はいま説明した内容だけだ。監視している時間に見たことをできるだけ克明に書く。協会への報告書はそれを下地にして制作提出する。大切なことはムー・ペトリだけでなく、シュデルのことも克明に書くことだ。それから、わからない出来事は描写でいい。できるだけ具体的に書くように。私は201号室にいるから、緊急時には来てくれ」

「わかりました。今お聞きした内容でわからないことがひとつあります。質問してもよろしいでしょうか?」

 ソーントンがうなずいた。

「『わからない出来事』というのは、どのようなことでしょうか?」

「見ればわかる。本当にわからないのだ。いままでの常識にしがみつくと胃を痛めたり、精神を壊したりするから、『何であるか』を考えず、見たことを具体的に書けばいい」

 よくわからなかったが、これ以上追求してもスージーが欲しい答えは得られそうもなかったので、スージーはうなずいた。

「そうだ。大切なことを忘れていた」

 ソーントンが画面のさした。

 花屋のフローラル・ニダウだ。

「ここの女の子と話していたな?」

「はい」

 ニコニコした感じのいい女の子だった。

「掛けていたポシェットに、何かいたのはわかったか?」

「はい、赤い三角の何かが動いていました」

「中に20センチほどの赤いヒトデがいる」

 スージーの耳に【ヒトデ】と聞こえた。

 だが、ヒトデは海にいるもので、花屋の女の子のポシェットにはいない。

「あのヒトデには触らないように。魔力の流れを狂わされる」

 ヒトデが魔力の流れを狂わす。

「……質問をしてもよろしいでしょうか?」

「先に答えを言っておこう。身長20センチほどの赤いヒトデの形をした魔法生物だ。我々のような魔術師が触ると魔力の流れが狂う。しばらくすれば直るのだが、気分のいいものではないので触らない方がいい」

「花屋が魔法生物を飼っているのですか?」

「桃海亭の魔法生物だ。昼間はリコ・フェルトン、花屋の女の子のポシェットにいる」

 そういえば、女の子が言っていた。『ヒトデも触っちゃだめだよ』その後、小さな三角が動いたのだ。

 スージーは恐る恐るソーントンに聞いた。

「ヒトデが花屋の女の子の指示を理解していたような気がするのですが」

「理解している。観察した感じでは12、3歳くらいの言語能力があるようだ」

 衝撃だった。

 言語がわかる魔法生物、それもヒトデ型。

「魔法協会は知っているのですよね」

「魔法協会には報告していない」

 目眩がして、ミートパイを落とそうになった。

「なぜ、なぜ、なぜですか!!」

 12、3歳の言語がわかる魔法生物。20センチのヒトデ型。

 大ニュースだ。

「ここはムー・ペトリとシュデルの監視するところだ。他のことを報告する義務はない」

「し、しかしですね、ソーントンさんのいうことが真実なら、人工生命体法で制作者の報告の義務、所有者の存在を明らかにして………」

「スージー」

 静かだが強い口調で話を止められた。

「2人の行動は報告する。他の報告はしない。それがここのルールだ」

「なぜですか、あのヒトデは………」

「いちいち報告していたら、きりがない」

 スージーが納得していないことがわかったのだろう。

 ソーントンが穏やかな口調で言った。

「1週間ここにいて、それでも必要があると思ったら、もう一度私にいいなさい」




「おはようございます」

 朝7時半、リアの朝食を持って101号室を訪ねた。

 勤務は三交代。朝の8時から夕方4時まで、夕方4時から深夜0時まで、深夜0時から朝の8時まで。

 スージーが仕事を覚えるまでは、朝の8時から夕方4時までの日勤のシフトに入れてくれることになった。

「おはよう……」

 眠そうなリアが目をこすった。

「これでよろしかったですか?」

 頼まれていたサンドイッチとオレンジジュースを差し出した。

「ん、ばっちりだよぉ」

 受け取ったサンドイッチをテーブルに置き、ジュースの瓶を開けた。

「一緒に食べない?」

「よろしいですか?」

「堅苦しいね。もしかして、シェフォビス共和国の出身?」

 頬がほんのり赤くなったのがわかった。

 一緒に研修を受けた同期の人たちにも言われた。シェフォビス共和国出身者は礼儀正しすぎると。

「……はい」

「気にすることないよ。シェフォビス共和国出身者は、この仕事に向いているんだ」

「そうなのですか?」

「そうそう。さ、食べよ」

 サンドイッチもオレンジジュースも美味しかった。いままで食べたサンドイッチとは比べものにならないくらいパンに味があり、具もぎっしりと詰まっている。

「サンドイッチは、アロ通りの【ベーカリー・ウィート】のところがやっぱ、最高だよね。ソルファさんのところはパイが美味しいんだけれど、何度も行くと不審に思われちゃうから新人に買ってきてもらうよう頼むんだ」

 スージーは思わずうなずいた。

 今食べているサンドイッチはとても美味しい。昨日のミートパイも美味しかった。

「ちょっと離れているけれど、【実りの麦】って、パン屋があるんだ。そこはフランスパンがこれまた絶品でね、焼きたてをかじると、もう、他に何もいらないってくらい美味しいの」

 リアの話によるとニダウには美味しいパン屋が多いらしい。美味しいジュース屋も、美味しいスープ屋も、美味しい総菜屋も多いらしい。

「物価がラルレッツ王国とは比べものにならないくらい安いのよね」

 ニダウで暮らす豆知識を教えてもらいながら食事をしていた。

「お、出てきた。やけに早いねぇ」

 桃海亭の扉が開いて、小さな身体が現れた。

「ああっーーーーー!」

「どうかした?」

「本部の廊下でペロペロキャンディを食べていたんです!」

 何度か見かけた。場慣れてしていたので、本部の職員の子供だろうと思っていた。一度だけ『行儀が悪いよ』と注意したことがあったが、近くにいた職員に止められた。

「あれが、ムー・ペトリ」

 研修の指導魔術師に言われた『君は会ったことがある』という言葉が思い出された。

 たしかに会っている。

 でも、あの子供が【ムー・ペトリ】だなんて思うはずがない。

「ムー・ペトリはキケール商店街でも、キャンディを食べ歩いているの。時々叱られるけど止める気ゼロ」

 リアが肩をすくめた。

「いまはキャンディを持っていませんね」

 手ぶらだ。

 キケール商店街を東の方にトテトテと歩いている。

「お金がないんでしょ。キャンディがなくなると、アロ通りの辺りで観光客を見つけてキャンディをたかるのよ」

「ムー・ペトリですよね?」

「デカい瞳をウルウルさせて『ボクしゃん、キャンディ欲しいしゅ』って人の良さそうな観光客に言うの。同情を引いて買ってもらうってわけ」

 ルブクス大陸最強の魔術師。白い髪の悪魔。稀代の天才召喚魔術師。

 知的な風貌の少年が白い髪を長く垂らし、ピンクのローブをまとい、宝石のはめ込まれた杖を持っている。

 スージーが抱いていた【ムー・ペトリ】のイメージが、ガラガラと音をたてて崩れた。

「それにしても早いわね。いつもはもっと………」

 桃海亭の扉がバンと音をたてて開かれた。

 飛び出してきた若者がキョロキョロと見回して、ムー・ペトリを見つけた。

「こら、待ちやがれ!」

 走っていくと、手の持っていた物でムー・ペトリの頭を殴った。

「こいつを片づけてから行け!」

「痛いしゅ!」

 手の持っていたのは、長さ2メートルを超える巨大キノコ。

 軸はふっくらとしていて、傘は肉厚でみるからに美味しそうだ。

 根元から出ている10本ほどの根が、バタバタ動いていなければだ。

「こいつはどっちだ!」

「魔法生物しゅ!」

「なら、片づけてから外出しろ!」

「メモ、つけたしゅ!」

「『ゾンビへ、お昼の材料にしてください』って、食えるか!」

 キノコでムー・ペトリを横殴りにした。ムー・ペトリが2メートルほど宙を飛び、地面をコロコロと転がった。そして、そのままコロコロと転がり続けている。

「そんなセコい手で、逃げられると思うのか!」

「大丈夫しゅ。原料は毒キノコじゃないしゅ」

「どこで手に入れた!」

「ボクしゃんの洗い忘れたパンツに生えた……」

 吹っ飛ばされた。

 5メートルほど飛んで落下、地面に激突して動かなくなった。

 巨大キノコで見事なスイングした若者は、のびているムー・ペトリのところまで行くと「こいつはお前に全部食ってもらうからな」と断言した。

 ムー・ペトリを小脇に抱えると、走って戻ってきた。

「朝からお騒がせして済みません」

 周りにペコペコと謝ると桃海亭に入った。

「………リンゴ泥棒」

「どうしたの?」

「あの若者、本部にいたリンゴ泥棒にそっくりなんですけど」

 研修の時、窓から見かけた。

「ウィルなら、やりそうね」

「もしかして、あれがウィル・バーカーですか?」

「もしかしなくても、あれがウィル・バーカー」

 天才ムー・ペトリの相棒。【極悪コンビ】の片割れ。

 貧乏という噂は聞いていた。

 それでも、鍛え上げられた肉体をしたマッチョな青年を想像していた。

 顔も戦闘魔術師のロウントゥリー隊長が机に姿写しの水晶板を飾っていると聞けば、多少は期待する。

 本部の庭にあるリンゴの木に登って、もぎったリンゴを背嚢に詰めていた平凡な顔をした貧相な若者がウィル・バーカーだとは思わない。

「そんな顔をしない。どうせ、本部のリンゴなんて誰も取らないでしょ。ゴミになるんだから、ウィルが取るくらい見逃しなさいよ」

「でも」

「お腹が空いていたんでしょ。本部の食堂のご飯は高すぎてウィルには食べられないもの」

「銅貨5枚です」

 安いとは言えないが栄養バランスがとれた食事だ。

「ニダウで銅貨5枚だせばステーキが食べられるわ」

「それとこれは別です。泥棒はいけないことです」

「泥棒がいけないことなら、本部の方が問題だと思うけれど」

 何を言っているのか、わからなかった。

「知らない方がいいこともあるのよ」

 そう言ったリアは、スージーの肩を軽くたたいた。

「それよりも、ちょうどムー・ペトリがいるのだから、この紙に記入の仕方を教えてあげる」

 重い空気を払うようにリアが明るく言った。

 詳しく聞くことは得策ではないと考え、スージーは素直にうなずいた。

「時間と行動の記入。今回書くべきことは『7時43分、ムー・ペトリ外出。7時45分、ムー・ペトリ帰宅』」

 スージーは待った。

 待ったがリアは、それ上は何も話さなかった。

「………書くことは、今話された内容で全部ですか?」

「そうよ」

「キノコのことはいいんですか?」

 巨大キノコだ。足が動く魔法生物だ。

「魔法生物について書かないようにソーントンに言われなかったの?」

「ヒトデについては報告しないように言われました。他の魔法生物も報告してはいけないのですか?」

「スージーの専門は何かしら?」

「魔法陣です」

「毎日にように辺境のエンドリアから『ムー・ペトリが書いた魔法陣です。10分の1しかありませんが解析をお願いします』と送られてきたらうれしい?」

「10分の1でなければ嬉しいです」

「魔法協会本部の魔法生物の研究所も中途半端な内容を送られても困るだけだとは思わない?今回だと『桃海亭に巨大キノコの魔法生物がいます。材料はムー・ペトリのパンツに生えたキノコです』なのよ」

「それはそうですけれど……」

「わかったわ。こうしましょう。お昼までに別の魔法生物が画面に映らなければ、報告書に記載してもいいわ」

「桃海亭の斜め向かいの花屋には、魔法生物のヒトデがいます」

「ヒトデは別。それならいいでしょ?」

 魔法生物。

 学校では何匹か見たことがある。研修中もみたことがあるが、それらは研究用で町にはいない。昨日今日と2日続けて魔法生物を見たのは初めてだ。

「はい」

「それから、シュデルは髪をとめている飾り紐やローブの色やデザインも忘れないよう」

「わかりました」

「ムーは前に説明したと思うけれど、いらないから」

「本当によろしいんですか?ムー・ペトリが魔術師の服装規定に違反しているから報告しないのですか?」

「違反?していないわよ」

「ローブを着ていません」

 魔術師は協会に登録すると、決められた色のローブを着なければならない。桃海亭はピンクという特別な色が決められている。

 ムー・ペトリはショッキングピンクのシャツとズボンという奇抜なファッションだ。色はあっているが、ローブではない。

「服装規定を覚えている?」

「はい、魔術師は協会に登録した魔法の色のローブを着なければならない」

「ローブだけ?」

「規定ではシンプルな服装ならばいいと書かれています」

 書かれているが、ローブ以外を着ている魔術師をスージーは見たことがない。

「ムーの服装は非常にシンプルだと思うのだけれど」

 ピンクのシャツにズボン。服装規定にシンプルの定義は書かれていない。

「わかりました」

「ムーの場合は一年中あの服なの。パジャマ兼用。要するに、あのショッキングピンクの服しか着ていないの。だから、服装を書く必要はないの」

「ずっとあの服なんですか?」

「もちろん、寒い日は上にコートを着るけれど、基本はあの格好かな。同型の服を30セット持っているみたい」

「リアさん、私をからかっていますよね?」

「からかっていないわ」

「あのくらいの年齢の子供はすぐに大きくなります。30セットも必要ありません」

「ラルレッツ王国では割と知られているのだけれど、スウィンデルズ家で魔力の量が多い子供は成長が少し変わっているの。18歳くらいまではあの大きさで、その後、急激に伸びるの」

「本当ですか?」

「本当よ。賢者スウィンデルズもムー・ペトリの父親のバリー・スウィンデルズも18歳くらいまであの大きさだったそうよ」

 18歳まであの大きさ。

「あの服、売れなかったみたいで1セット10銅銭という捨て値で売られていたのよ。それを知ったウィルが29セット買ったのよ」

 30セットでブラウス1枚分だ。

「1セット足りないようですが」

「ララというウィルとムーの卒業試験の仲間が買ってきてくれたの」

「優しい友達なんですね」

「………見ればわかるわ」

 桃海亭の扉が開いて、巨大キノコが走り出してきた。商店街を短い足で必死に逃げている。

 開いた扉のところに姿を現したのはシュデル。片手に銀の槍を持っている。

「王子は槍を使えるのですか?」

「まさか」

 リアが笑った。

「セラだ!」

「セラの槍だぞ!」

「逃げるんだ!」

 商店街から人がいなくなった。

 巨大キノコだけが出口を目指して商店街を必死に走っている。

「セラ、頼むよ」

 シュデルが言うと、銀の槍が宙に浮かんだ。凄い速さで飛んでいくと、キノコに突き刺さった。

 地面に縫い止められた巨大キノコがバタバタと暴れている。

「シュシュ、お願いしてもいいかな」

 シュデルが桃海亭内に向かって言うと、小さな赤い鳥が飛んで出てきた。

 キノコの上空に行くと、火を噴いた。

 小さな身体から想像もできない業火だった。

「戻っておいで」

 優しい声でシュデルが言うと、小鳥と槍が飛び上がった。赤い小鳥はシュデルの肩に、銀の槍はシュデルの手に収まった。

 銀の槍には焼けた巨大キノコが刺さっている。

「ムーさんに食べてもらおう」

 嬉しそうに言って、桃海亭の中に戻っていった。

「あれを食べさせるんですか?」

 ほぼ炭だ。

「食べさせるんじゃないの。シュデルだもの」

「王子って、人の嫌がることが好きなのですか?」

「王子じゃなくて、シュデルでいいわ。それで統一しているから」

 スージーがうなずいた。

「シュデルは道具オタクで口うるさいけれど、優しくて忍耐強い性格よ。でも、昨日の行動記録に見るとムーがシュデルの道具に悪戯したみたいだから、今日のシュデルは報復に燃えてるんじゃないの」

 リアの話している内容が半分くらいしかわからなかったが、シュデルの性格には問題ないということはわかった。

「それから、スージーが監視に来た魔法協会の関係者だということをシュデルは知っているから、シュデルには隠す必要はないわ」

 昨日、手を振られたときにバレたかと思ったが、すでに知っていて振ってくれたらしい。

「誰かが教えたのですか?」

「違うわ。シュデルにはわかるのよ。詳しくは言えないけれど、異能の王子、世界の嫌われ者の所以よ」

「あんなに綺麗なのに嫌われて可哀相ですね」

「女だとそう思うから、シュデルの監視は男なの」

 納得した。

「1ヶ月もすると、彼氏にも夫にも絶対にしたくないタイプだとわかるけどね。あ、料理は上手よ」

「料理をするんですか!」

 大国ロラムの王子が料理をする。

「仕方ないわよ。一緒に暮らしているのがウィルとムーよ」

 リアの話によると最初の頃は当番制でやっていたらしい。農家をやっているムー・ペトリの祖父が差し入れてくれた野菜を、洗って、鍋に入れて、塩と豆を入れて煮る。3食同じ料理。野菜がなくなると豆だけ。ムーが当番の時は野菜をそのまま鍋に投げ込むので、虫や枯れ葉がスープに浮かぶ。

「切れたのよ、シュデルが」

 以来、食事はシュデルが作る。勝手に食材を持ち出さない、つまみ食いしない、量が少なくても我慢する、などのルールが決められた。

「貰った野菜を天日に干して乾燥したり、塩で漬けて保存したり、野菜を切らさないようにして、栄養バランスに気をつけて、シュデルの血と涙の苦労の結果、美味しいスープが桃海亭のテーブルに乗るようになったの」

「苦労したんですね」

「まあ、ウィルとムーとしたら、食べられるだけ幸せという日々だったから味にまでこだわっていられなかったのよね」

 誰も取らない協会のリンゴくらい、ウィルにいっぱい食べさせてあげてもいいのではないかとスージーは考えを変えた。

「スージー、あれを見て」

 桃海亭の扉がゆっくりと開いていく。

「さっきの件、いいわよね?」

「はい」

 こっそりと桃海亭から出てきたもの。

 身長1メートル弱、一本足で器用にピョンピョン跳ねるペロペロキャンディだった。




「代わろう」

 監視場所の責任者のソーントンがやってきたのは午後7時を10分ほどすぎたところだった。

「まだ、時間には早すぎます」

「慣れていないから疲れただろう」

「ご心配いただいてありがとうございます。おかげでずいぶん慣れました」

 監視を始めて2週間。

 最初はとまどうことも多かったが、する作業を覚えてしまえば、実際にやることは見て書くだけ。シュデルの服装を細かく書くのが一番の苦労という楽な仕事だ。

「また、襲われているようだな」

「はい、今日は3回目です」

 画面のでは暗くなったキケール商店街で、魔術師に囲まれているウィルが映っている。

「なんで、オレなんだよ」

「貧乏で治療費がないんだよ」

「誰なんだよ、名前くらい名乗れよ」

 魔法弾をよけながら、桃海亭の方に移動している。

 桃海亭にウィルが入ればそこで終了、らしい。

 画面に映っているウィルが攻撃を器用によけて、桃海亭に飛び込んだ。襲撃した魔術師達はあきらめて桃海亭の離れた。そして、肉屋に入って焼きソーセージを買った。それを食べながら商店街を出ていく。食べながら反省会をしているようで、次回の襲撃について話している音声が聞こえた。

「午前中の襲撃者もまたくるようなことを言っていました。ウィルも大変ですね」

「しかたないだろうな」

「私がこの任についてから二週間、桃海亭のメンバーでウィルが一番襲われる回数が多いのですが、ウィルには何か襲われる理由があるのですか?」

 他の二人はほとんど襲われない。ムーが2回。シュデルはゼロだ。

「ウィルはチェスならば王様だ」

「王様ですか?」

「チェスで一番強い駒は?」

「女王です」

「そう、でも女王を倒してもゲームには勝てない」

「ウィルを殺すと、何のゲームに勝てるのですか?」

 ぼんやりしていて、魔力がなくて、知識もなくて、飯を食べるために受け継いだ店を必死にやっている、そんな感じの極貧の若者だ。

「何のゲームだろうな」

 ソーントンが微笑んだ。

 答えはスージー自身で見つけなければならないようだ。

「そういえば、今日は【子馬の尻尾亭】のビーフシチューの日だ。急がなくていいのか?」

 アロ通りのレストラン【子馬の尻尾亭】のビーフシチューは、スージーがいままで食べたビーフシチューの中でももっとも美味しいビーフシチューだ。【子馬の尻尾亭】は日替わりのメニューが多く、ビーフシチューは一週間に1度しかメニューに載らない。

 スージーは時計を見た。

 7時25分。まだ、交代の時間には早すぎる。

「8時を過ぎると、また食べそこなうかもしれないぞ」

 笑顔のソーントンが脅すように言った。

 そうなのだ。前回は交代した後に急いでいったのだが、売り切れていてスージーは食べることができなかったのだ。

「ニダウにいる間しか食べられないのだから、行ってきてきなさい」

 優しく言われて、スージーがビーフシチューを食べられるようにソーントンが早い時間に来てくれたことに気がついた。

 好意に甘えることにした。

「ありがとうございます」

 一礼したスージーは急いで、部屋を出た。そして、ビーフシチューを食べるために【子馬の尻尾亭】に足早に歩き始めた。







 朝7時半、買ったばかりのソーセージマフィンとコーンポタージュを手に、監視部屋の101号室に入った。

「お疲れ様です」

「ようやく時間になったか」

 ソファーに座ったジェレマイア・ポズウェルが両手をあげて伸びをした。

 テーブルには魔法協会に提出する報告書が書き上がっている。シュデルの担当のポズウェルは、ムーの担当のスージーに比べ書くことが多い。厚い書類が紐で綴じられていた。

「よろしければ、召し上がりませんか?」

 手の持ったマフィンとポタージュを軽く持ち上げた。

「ごちそうになろう」

 ポズウェルがテーブルの書類を片づけると、スージーは手早く並べた。

「深夜に何かありましたか?」

「そうだな、泥棒がウィルの部屋の壁に斧を打ち込んだところで、ウィルの声で入るのをやめた」

「ウィルが在室していたのですか?」

「そのようだ。『入る前に壁の修理代を払え!』と怒鳴っているのが聞こえた」

 一昨日、10数人の盗賊団が桃海亭に入ろうとして、屋根に穴を開けた。盗賊団は撃退したが、屋根の穴は空いたままだ。

「斧を打ち込まれた壁はどうなりました?」

「裂け目が入った」

「それでウィルは?」

「涼しい朝を迎えている」

 屋根には穴、壁に裂け目。

「運がないですね」

「しかたあるまい」

 ポズウェルが苦笑いを浮かべた。

「他には何かありましたでしょうか?」

「月夜だったので、仮面が散歩に出たくらいだ」

「ああ、あの仮面ですか」

 最初に見たときは驚いた。

 20センチほどのアーモンドを立てたような仮面が、ピョンピョンと跳ねてキケール商店を出て行ったのだ。さらに驚いたのは、エンドリア王国公認だということだった。

「寛容な国ですよね」

「そうだな。特にムー・ペトリを追放しないことは驚嘆に値する」

「私もそう思います」

 ニダウにいると大学校でも習ったことがないことが頻繁に起こる。その原因のほとんどが桃海亭だ。

「シュデルがニダウに住むことを認めたときは、魔法協会も驚愕した。他国では論外だろう」

 スージーは相づちを打てなかった。

 シュデル・ルシェ・ロラムが【異能の王子】であることは知っているが、【異能】がどのような力か知らなかったからだ。

 聞いてはいけない。そんな雰囲気が監視所にはあった。

 いままで、シュデルを観察していたので、シュデルは道具達と会話できる、シュデルの影響で自分の意志で道具が動くがある、ということはわかっていた。それだけで【世界の嫌われ者】と言われるとは思えない。

「あのウィルも、シュデルの能力をわかっても引き取るとは、見かけによわず肝が太いのだろう」

 ポズウェルに肝が太いと言われたウィルだが、昨日は戦士3人に朝から追いかけ回されていた。そのあとはキケール商店街のアーチの修理をやらされて、ついでにとイルマさんの喫茶店の看板を磨かされ、街灯の壊れた発光球のつけかえまでしていた。

「さて、今日はどんな日になるやら」

 ポズウェルの言葉が終わる前に、桃海亭の前に人影が近寄った。

 忍び足で近づくと、手の持ったものを扉の前に置いて、すごい勢いで去っていく。

「あの、あれは?」

 置かれたのは綺麗な紙袋。置かれた紙袋はひとつだが、扉の左側には大量の袋や包みが置かれている。

 逃げていったのは、14、5歳の少女。鞄を持っていたことから学校にいく途中に寄ったように見える。

「髪を結ぶ飾り紐だろう」

「シュデルが結んでいるあれですか?」

「昨日、ピーコック・ジュエルが新作の飾り紐を出したのだ。ピンクの紐に細い銀糸を織り込んである。シュデルのファンは自分たちがターゲットだとわかっているのだが、シュデルに似合うだろうと買ってしまうのだろう」

「もしかして、あれ全部」

「ピンクと銀の飾り紐だ」

 同じ紐を大量にプレゼントされても困るだろうが、生真面目なシュデルの性格からすると毎日順番につけそうな気がする。

 また、影がひとつ桃海亭の扉に近づいた。

 見覚えのある人物だった。

「モーンダーさんですよね?」

 ロラムから派遣されたシュデルの監視役、フリップ・モーンダーに見える。

「彼も大変なのだ」

 大変だと口にしながらも、ポズウェルは笑っている。

 忍び足で扉に近づいたモーンダーは、手の持っていた包みを扉の包みの山に紛れ込ませると、足早にキケール商店街を出て行った。

 スージーはポズウェルを見た。

 監視役が監視対象にプレゼントをすることが許されるとは思えない。

「モーンダーの物ではないから安心しなさい」

 ポズウェルが言った。続けて何かを言おうとしたのだが、監視画面に映った桃海亭の扉が開いたことで、ポズウェルは口を閉じた。

 シュデルが大きな籠を持って出てきた。

 扉の左側に置かれている包みを、丁寧に籠に入れている。

 そして、モーンダーが置いた包みを手にした。

 顔をしかめた。

 シュデルは微笑んでいることが多い。怒ったり、困ったりするが、表情を大きく動かさない。

 だが、いまは違う。

 眉をひそめ、嫌悪を露わに包みを見ている。

 監視部屋の扉が派手な音を立てて開いて、モーンダーが飛び込んできた。

「どうですか!」

「バレておりますな」

 ポズウェルが笑顔で応えた。

 部屋まで入ってきたモーンダーが、イヤそうな顔で包みをつまんでいるシュデルを見た。

 モーンダーが額を押さえた。

「王子の能力は厄介すぎる」

 シュデルはつまんだ包みを地面に置くと他の包みを丁寧に籠に入れた。最後に地面に置いた包みを、渋々つまんで桃海亭の中に入っていった。

「よかった」

 モーンダーがホッと息を吐いた。

 安堵の表情を浮かべたモーンダーにポズウェルが言った。

「とりあえず、受け取って貰えましたな」

「王子のことです。ひとつだけ包みを残すようなことはしないと思い、今日を選んだのですが正解でした」

「前回は残されたのでしたな」

「はい、扉の横に置いてあるのに、気がつかないふりをされました」

「王子らしい」

 笑顔のポズウェルに、苦虫を噛み潰したような顔でモーンダーが文句を言った。

「笑い事ではありません。受け取って貰えなかったと知ったら、王がどれだけ嘆き悲しむか」

 プレゼントの主がスージーにもわかった。シュデルの父親、ロラム国王だ。

「良かったですな」

「王子のことです。受け取れば、礼状を送ってくれると思います」

「また、プレゼントの山が送られてきますな」

「恐ろしいことを言わないでください」

 モーンダーが憂鬱な顔をした。

 遠くに離れて住む息子を父親が気遣う。反抗期の息子はそれをうっとうしがる。

 王族も人なのだとスージーは好感をいだいた。

「ロラム王はシュデル殿に関しては病気の域ですからな」

「特別な子というのはわかるのですが」

 特別な子。

「とにかく、受け取って貰えて良かった。これから王に連絡しますので、これで」

 モーンダーが監視部屋を出て行った。

「さて、時間になったようだ。私もそろそろ帰ろうとしよう」

 ポズウェルが空になった容器を片づけ始めた。

「あ、私がしますので」

「年寄りは時間がたっぷりある。気遣い無用で願いたい」

 ポズウェルは笑顔だ。

 2人で手早く片づけて、スージーがテーブルを拭いた。

「ロラム王はシュデルのことが大切なのですね」

 何気なく言ったスージーの言葉に、ポズウェルは困った顔をした。

「シュデルとロラム王との関係を聞いてはいないのか?」

 モーンダーが退室した為に、呼び方がシュデル殿からシュデルに戻っている。

「聞いていません」

「ロラム王国とキキグジ族の関係は知っているか?」

「知りません」

「ふむ」

 ポズウェルがソファーに座った。

「知っておいた方が良いかもしれないな」

 そう言うと、自分が座っている隣を軽くたたいた。

 スージーはそこに腰を下ろした。

「ここで聞いたことは外では話さないこと。よいな?」

「はい」

 ポズウェルは背もたれに、寄りかかった。

「シュデルは現ロラム国王の第五王子だ。これは知っているな?」

「はい」

「他の4人の王子とは母親が違う。知っているか?」

「はい。でも、詳しくは知りません」

「シュデルの母親はキキグジ族の首長の娘だ。キキグジ族がロラムの属国となってから、首長の娘をひとり後宮に入れる約束がなされた。シュデルの母親はキキグジ族の現首長の娘、アデレードだ」

 アデレードという名は聞いたことがあった。

 桃海亭から出てきた客の魔術師が『噂通り、アデレード様に瓜二つだ』と言っていた。

「非常に美しい女性で、顔は………大声では言えないがシュデルと同じだ」

「シュデルの顔は母親ゆずりなのですね」

「そうだ。そして、シュデルは『アデレード様に似ている』と言われるのが大嫌いだ」

 理由は聞かなくてもわかるような気がした。

「母親のアデレードはシュデルを産んで、すぐに亡くなった。線の細い華奢な女性だったようだから出産に耐えられなかったようだ」

 ポズウェルは遠い目をした。

「生まれて初めて心から愛した女性を失ったロラム国王の嘆きは、それはそれは深いものだったらしい」

「あの、シュデルは第五王子ですよね?」

「そうだ」

「お兄さんの王子が4人いるんですよね?」

「そうだ」

「いま、初めて愛した女性と聞こえたのですが」

「4人の王子を産んだジョセフィン正妃とは生まれる前からの許嫁だ」

「政略結婚だったのですか」

 ポズウェルが笑った。

「王家なのだ。不名誉な家系から妃をめとるわけにはいかんだろう」

 頭ではわかるが、夫である王から愛されなかったジョセフィン妃は寂しい気がする。

 スージーの思いが伝わったのか、ポズウェルが小さく息を吐いた。

「スージーはキキグジ族のことは知っておるか?」

「詳しいことは知りません。全員がネクロマンサーで、体質でネクロマンサーの魔法しか使えない代わり、キキグジ族しか使えない魔法もいくつかあると聞いています」

「キキグジ族の歴史について勉強したことはあるかな?」

「ありません。約100年前からロラム王国の属国になったことくらい知りません」

「キキグジ族はネクロマンサーとしては優れた一族だ。独自の技も多く持つ。400年前の世界大戦が終わり、キキグジ族は自分たちの国を作った。場所はロラム王国の北。それから約300年間、ネクロマンサーの力で平和な国を維持してきた」

 ポズウェルがうつむいた。

「キキグジ族の国の隣にプラキスという小国がある。今から120年前にプラキスの謀略でキキグジ族はロラムの属国となった」

 キキグジ族もロラム王国も有名だが、プラキスという国の名を聞いたのは初めてだった。

「プラキスも400年前の大戦の時にできた小国だ。特筆する産業はない貧しい国だ。長年に渡り、隣国のキキグジ族を畏怖していた。キキグジ族に衰退の兆しを感じたプラキスは、卑怯なことを……ここは関係ないな」

 ポズウェルは不愉快そうに顔をしかめた。

「キキグジ族はネクロマンサーの力を維持するために同族結婚をしていた。その為か、徐々に子ができにくくなっていた。将来を憂いたキキグジ族は、部族以外の者と結婚を推奨した。だが、キキグジ族とキキグジ族以外の者と婚姻では子は生まれなかった」

 スージーは首を傾げた。

「本当なのだ。理由はわからぬができなかったのだ。キキグジ族は人口が徐々に減り始め、120年前には建国当時の半分以下になっていた。ネクロマンサーの力も弱くなっていた」

 シュデルはロラム国王の子のはずだ。今の話が本当なら、ロラム国王はキキグジ族ということになる。

「ロラム王国の属国となったキキグジ族からは、人質として首長の娘をひとり後宮に差し出すことになった。18年前、前首長の娘が死に、代わりにアデレードが後宮にあがった」

 シュデルに似た美しい女性。

「王は一目で恋に落ちた。王とジョセフィン妃の仲は良かった。だが、恋人というより国を支えるパートナーでという関係だった。アデレードも王に恋した。辺境の地にいた娘が、きらびやかな王宮の中心にいる大人の男性に恋をしても不思議はない。言い方は悪いが、ベタベタのラブラブカップルだったようだ」

 現ロラム国王の肖像画を見たことがある。知的で品の良い顔をしていた。

「後宮にあがって1年ほどしたときに大事件が起きた。アデレードが懐妊したのだ。ロラム王家は後継者争いを避けるため、妾妃は何人いてもよいが子供を産むのは正妃だけと決まっている。だから、妾妃とは子供が出来ないように配慮するのだが、アデレードはキキグジ族なので子をなす心配がないと配慮されなかったのだ」

 できないはずの子供ができた。

「ロラムもキキグジ族も驚いた。ロラムでは『アデレードがキキグジ族の男と通じて出来た子だ』という、まことしやかな噂が流れた。非難の視線から守ったのはロラム王だった。『アデレードの腹の子は、私の子だ』と非難することを許さなかった。アデレードを支えたのはジョセフィン妃だった。そして、産まれたのがシュデルだ」

 ロラム王家の銀目とキキグジ族のネクロマンサーの力を受け継いだ子供。

「シュデルが銀目だったことから、王の子という証明はされた。だが、喜びもつかの間、アデレードが亡くなり王は絶望のどん底に落とされた。ろくに物も食べない王にジョセフィン妃が『何を落ち込んでいるのです。シュデルの親はあなたしかいないのですよ』と怒鳴り、王も目が覚めたらしい。自分がシュデルを守って育てるのだと張り切ったのはいいのだが、色々と問題を起こした」

 ポズウェルが手で口を隠した。手の陰で笑っている。

 コホンと咳払いをすると、真顔になった。

「具体的に言うと、シュデルをずっと離さなかった」

 スージーは頭に【産まれて間もない赤ん坊を抱いて離さない王様】を思い浮かべた。

「食事の時も、寝るときも、風呂に入るときも、政治の場にも連れて行こうとした。王妃があの手この手でとりあげて、政務に支障はなかったが王妃もシュデルも相当も苦労したようだ。それが3歳まで続いた」

 自分を離そうとしない父親。

 想像しようとしたが、想像できなかった。

「王子の異能がわかり、石牢にはいるまでその状態だったそうだ」

「よく石牢にいれることを王が承諾しましたね」

「シュデルの異能を知った国々から、シュデルを殺すように圧力があったのだ。それを全部はねのけ【封印を施した石牢に入れる】で、シュデルを生き残る道を作ったのは、あの王の執着があったからこそだと言われている」

 愛しい息子を入れなければならなかったロラム国王はさぞ苦しかっただろうと、スージーの心が痛んだ。

「もう、覚えていないだろうが、シュデルは喜々として牢に入ったそうだ」

「石牢ですよね?」

「モーンダーの話によると、ロラム王宮ではシュデルが牢に入らなければ、生きていなかっただろうと言われているそうだ」

 スージーはポズウェルが、なぜ『牢に入らなければ、生きていなかった』というのか、わからなかった。他国がシュデルの異能を嫌っていたのであれば殺そうとするのは、当然のことだ。

 ポズウェルが声を潜めた。

「大声では言えないが『ロラム国王に殺されていた』と言われているのだ」

「父親が息子を殺すのですか!」

「声が大きい。そうではない。可愛がる限度を知らないようで、一緒に寝て窒息死をしそうになったり、あやしていて腕の間接を抜いたり、食事をさせようとして喉に食物を詰まらせたり、病気になるとほとんど使えない白魔法で治そうとしたり、薬を自分で配合したり、王のせいで何度も死にかけたらしい」

 もし、シュデルがそのことを覚えていたら、先ほどの嫌悪の表情は納得がいく。

「そして、ロラム王は【シュデルが一番好きなのは自分だ】と思っている」

 スージーはソファーから転がり落ちそうになった。

「退位してニダウに住もうとしているの、レナルド王子が様々な手を駆使して阻止している。ジョセフィン妃も裏から手を回して、退位できないようにしむけている。ロラムの王は王位についている間は、私用では国外に出られないことになっている。2人のお陰でシュデルの平和に暮らせているのだ」

「ジョセフィン妃はシュデルのことを………」

「実の子のように大切に思われている。シュデルも懐いていて、実の母と思って育ったようだ」

「王妃はシュデルの味方なのですね。レナルド王子もシュデルのことを可愛がっているのですか?」

「大切に思っているのは間違いない。だが、他の3人の王子とは違う。シュデルに苦言を呈するのはレナルド王子だけだ。兄として弟を導こうとしている態度は見ていて好ましい。王位継承権第1位としての責任もあるのだろうな。シュデルもレナルド王子にだけは懐いている」

「シュデルに兄は4人いるはずですが?」

「残りの3人は父親と同じで、シュデルを溺愛している。特に長子のサイラス王子は父親のロラム国王と同じレベルだ」

「それは大変ですね」

 監視画面に人目を引く若い男性が現れた。ニダウの庶民と同じ身なりをしているが、洗練された仕草から他国の貴人だとわかる。

「王の退位は押さえられても、サイラス王子がニダウに来るのまでは弟のレナルド王子には押さえきれない」

「長子にサイラス王子がいるのに、弟のレナルド王子が王位継承権1位なのですか?サイラス王子に何か問題があるのですか?」

「シュデルのことをのぞけば、サイラス王子は頭脳明晰で人当たりも良い優秀な若者だ。ただロラム王家は銀の瞳でないと王位を継げないことになっている。そのため、次子のレナルド王子が次の王になるのだ」

 若い男は桃海亭の窓のところで立ち止まった。周りをキョロキョロと見回した後、窓のサンに手をかけて、店の中をのぞき込んだ。

 整った顔が崩れた。

 にへらぁ~と笑う顔は、幸せそうだ。

 スージーは思った。

 変態だ。

 画面の男をポズウェルが指した。

「あれがサイラス王子だ」

 ロラム王国の第一王子。

 窓をのぞき込むまでは、王子と言われても納得できた。

「時々、公務の合間を縫って、あのようにシュデルを見に来る。シュデルは来ていることはわかっているだろうが、気がつかなかったふりをしている」

「遠いロラム王国からくるのでしたら、会って話をすればいいのではないですか?」

「サイラス王子はシュデルが気がついてくれるのを待っている。シュデルは気がつかないふりを続けるだろう」

「それって、冷たくないですか?」

「モーンダーは、『シュデルがサイラス王子に気づいたら、サイラス王子はシュデルを抱きしめて、顔中をなめ回すだろう』と言っていた」

「ロラム王家では家族の顔をなめ回す習慣があるのですか?」

「あるわけない。モーンダーに言わせると王やサイラス王子の愛情表現だそうだ」

 シュデルが気がつかないふりをしても、しかたがないとスージーは思った。

 サイラスは幸せそうな顔で桃海亭をのぞいている。

 そろそろシュデルが桃海亭の店の前を掃除する時間だ。

 今日はどうするのだろうと、スージーは興味深く画面を見つめ続けた。






「こんな時間に、お客様?」

 時刻は朝の7時前、スージーの夜勤が間もなく終わるという時間に桃海亭に客があった。

 コットン糸で編まれた白い帽子。裾が広がったスカイブルーのワンピースに白いボレロを羽織っている。斜めに崩すようにして被ったボウシ、変わった形の白いボレロも濃い青のワンピースを引き立たせている。着こなしがあか抜けていて、ニダウの住人には見えない。

 丸顔で目が大きいせいが童顔に見える。美人と言うより可愛いの顔の若い女性が、桃海亭の扉に開けて中に入っていた。

 ノックをしないところを見ると、来慣れているように見える。

「お疲れ~」

 リアが監視部屋に入ってきた。

「朝食用の野菜スープを買いに行ったら、ちょうど【実りの麦】のパンが焼きあがったところだったから買ってきた。一緒に食べよ」

「【実りの麦】ですか。うれしいです」

 前に一度食べたが、表面がパリパリで生地が軽くてもっちりとしていて、美味しかった。

 食器棚からスープカップを2つと保冷庫からバターとイチゴジャムを出してテーブルに並べる。魔法のポットに水を入れて、紅茶の葉をポットに入れる。

「夜勤の間に何かあった?」

 スープカップに買ってきたスープを注ぎながらリアが聞いてきた。

「大きな事件は起こっていません」

「小さいところで、なんかあった?」

「午前2時頃に桃海亭に店舗から入ろうとした泥棒が扉を開く前に足をくじいて、アーロン隊長がコンティ医師の診療所に運ばせました」

「店から入ろうなんて、バカよね~」

「そうですね」

 1ヶ月以上もいると、色々とわかってくる。

 シュデルの影響下にある魔法道具の中には自分の意志で動くことができる道具がある。それらが多く置かれている店舗部分から入るのは不可能に近い。店に入りたければ、2階のウィルの部屋からだ。

 スージーが監視役についてから、2回泥棒が桃海亭に侵入しているが、どちらもウィルの部屋からだ。2回ともウィルの部屋の壁が壊され、中が見えた。悪名高いウィル・バーカーの部屋に置かれていたのは、壊れかけの木のベッドと紙のように薄い布団だけだった。

「あ、そういえば、いま桃海亭に女性客が入りました」

「ララ?」

「いいえ、違います」

 ムー・ペトリの卒業試験を一緒に受けたというララ・ファーンズワースは3日前に見た。燃えるような真っ赤な髪をした長身の女性で、両手で抱えきれないのほどの大量の荷物を持ってきていた。帰りには小さなバックひとつだけだったので、一緒にいたモーンダーに聞いたところ、シュデルの衣類とシュデルに差し入れるお菓子類だと教えてくれた。

 ウィルとムーに持ってこないのかと聞くと、ウィルとムーはララの獲物だと教えてくれた。よくわからなかったが、スージーはその先を聞くことをやめた。

「隣のソルファさん?」

「いいえ、私の知らない女性でした」

「誰かしら」

「ニダウの人には見えませんでした。可愛い感じの………」

 扉がバンと音を立てて開き、ウィルが飛び出してきた。布の鞄を斜め掛けている。

「待ちなさい!」

 続いて飛び出してきたのは、さきほど入った可愛い感じの女性。手に持っているのはロングソード。

 高速飛翔でウィルを追った。

 必死に逃げているウィルに追い抜くと、前に降り立った。振り向きざまにウィルに切りつける。ウィルが体を倒して、ギリギリで避けた。

「ダメだ!」

「あきらめなさい」

 剣を構えた。

 静かで落ち着いた構え。桃海亭の監視役になってから、何人もの剣士や戦士がウィルを襲うのを見た。剣に詳しくないスージーでも若い女性は彼らよりも腕が立つように見えた。

「明日にしてくれ!」

「無理ね」

 地面を蹴り、襲いかかった。

「凄い………」

 スージーの口から無意識に感嘆の言葉がこぼれた。

 剣が人を殺傷する機能を持つものだということを、見せつけるかのような戦いだ。早く、正確に動く剣。女性の動きも俊敏で、商店街から出ようとするウィルの行く手を完全に塞いでいる。

「マリカじゃん」

 リアがスープカップを手に取った。

「お知り合いですか?」

「マリカ・ライドン。あんたのお仲間」

「私の?」

「魔法協会の戦闘魔術師」

「あっ」

 聞いたことはある。戦闘に特化した魔術師の部隊だ。

「戦闘魔術師は忙しいから、今日しか休みが取れなかったんだろうけど、マリカも運がないよね~」

 リアがスープをすすった。

 襲われたウィルは必死の形相で逃げている。いつもより、焦っているように見える。

「そろそろ、出てくるよ」

 リアの言葉が終わらないうちに、商店街に白い物がちらつき始めた。

 朝早いせいで人通りは少ないキケール商店街だったが、雪に気がついた人々は慌てて近くの店に飛び込んだ。

「ほら、出た」

 桃海亭の扉からシュデルが現れた。片手に【セラの槍】を持っている。

「マリカさん。今日はお帰りいただけませんか?」

 束ねた長い黒髪。白い端正な顔。淡いピンクのローブを着ている。

「邪魔をする気?」

 静かに、それでいて恫喝するような響きを含んだ声でマリカが聞いた。

「今日は古魔法道具の定期販売会の日なのです。わかりやすくいえば、桃海亭の仕入れの日です。今日、商品が仕入れすることが出来ないと来月の売り物がありません。どうか、店長を通してください」

 ウィルが桃海亭に逃げ込まず、商店街を出て行こうとしていた理由がスージーにもわかった。

「知っていると思うけれど、戦闘魔術師は忙しいの。ウィルは今日中にしとめるから、桃海亭の未来を考える必要はないわ」

「それは困ります。マリカさんの相手は僕の道具にしてもらいましょう」

「【セラの槍】を使うのつもり?」

「僕がセラを握っているのは、セラがマリカさんを襲わないようにです。【セラの槍】ですと、マリカさんを傷つけてしまいますから」

 リアが「あちゃぁ」と額を押さえた。

「シュデルは親切心からマリカに説明しているんだけどねぇ」

「わかります。でも、あれだとマリカさんを怒らせるだけですよね」

 スージーの予想通り、怒ったマリカが桃海亭の方を向いた。その横をウィルが脱兎のごとく走り抜けた。

 すぐに追おうとしたマリカの前に剣が突き刺さった。

 幅広のロングソードだ。

「彼があなたの相手をしてくれるそうです」

 剣がゆっくりと地面から抜けると、マリカの真正面に浮き上がった。剣先をマリカに向けて停止する。

 リアがフランスパンをナイフで切った。

「【ラッチの剣】じゃん、こりゃダメだわ」

「【ラッチの剣】……聞いたことがあります」

「あれが、世界最高の電撃剣」

「強そうですね」

「強い、強い。かつて、砂漠の王国をひとりで、違うな、剣一本で守っていたんだから」

 切ったフランスパンの端をリアがくわえた。

「思い出しました。亡国の王宮を守っていた剣ですね」

 スージーもフランスパンをかじった。カリッと音がした後、小麦の甘みが口に広がる。

「そうそう。死んでしまった王族を守っていたんだ。ウィル達が道に迷って王宮に入り込み、シュデルに仕えることになったんだよ」

「王族の亡骸を守っていたんですよね。剣がいなくなったら、亡骸はどうなったのでしょう」

「ウィルが埋めたみたい」

「ウィルがですか」

 リアがまた野菜スープをすすった。つられて、スージーもスープをすする。20種類の野菜を長時間に込んだスープは複雑な甘みが絡んでいて、美味しくてさっぱりしていて、朝にはぴったりなスープだ。

「うん、伝聞だから本当かはわからないけど、剣がシュデルに頼んだみたい。王族の亡骸を墓に入れたいって」

 スージーは首を傾げた。

「どうかした?」

「今の話が本当だと、剣がシュデルに頼んだ。それで、ウィルが埋めた。そういうことですか?」

「あたしが聞いたのは、真夏の砂漠、地下墳墓の入口まで、ウィルがシャベルで掘って、封印をムーが解いて、王宮に置かれた王族の亡骸をウィルがひとつひとつ運んだそうよ。剣の指示をシュデルが聞いて、その通りにウィルが祀って、扉をムー封印して、ウィルが埋め戻したと聞いているけど」

 ムーがやったのは、扉の封印を解くことと封印を施すこと。

 シュデルがやったのは、剣の話を聞くこと。

 ウィルがやったのは、真夏の砂漠で王墓まで穴を掘って、亡骸をひとりで全部運んで、墓を元通りに埋め戻すこと。

「それだと、ウィルの作業量が多くありませんか?」

「だって、ムーやシュデルができる?」

 ムーやシュデルに砂を掘ることができるようには見えない。ムーの魔法を使うと地下墳墓が吹き飛びそうな気がする。

「わかりますが」

 その先をスージーは口には出さなかった。

 シュデルは【ラッチの剣】を手に入れた。でも、一番頑張ったウィルは何も手に入れていない。

「そんな顔をしない~」

 リアに頬を引っ張られた。

 画面ではマリカとラッチの剣の戦いが始まっていた。

 スージーは綺麗な戦いだと思った。

 マリカの動きに迷いがない。女性が持つには大きすぎるロングソードが舞うように宙を走る。ラッチの剣は受けるだけだ。それなのに、マリカの動きをコントロールしている。戦いの主導権はラッチの剣にある。

「呪文を教えてあげる」

「何の呪文ですか?」

「ウィルって、よく理不尽な目にあうでしょ。その時、見ているが辛いなって思ったら唱えるの。『あれはウィル、ウィル・バーカーだから大丈夫』って」

 意味が理解できずに、スージーは黙っていた。

「ウィルって、お人好しで真面目で、それなのに事件が勝手に寄ってきて、巻き込まれて苦労している、そんな感じしない?」

 スージーはうなずいた。

「不思議なのよねぇ。あたしが来てから、もう10回くらい死んでいてもおかしくない出来事があったのに、まだ生きているの。だから、ウィル・バーカーというのはそういう存在だと思うことにしたの。理不尽な目にあっていても、理由がわからなく殺されそうになっていても、あれはウィルからしかたない、そう思う」

 リアが言いたいことがわからなかったので、スージーは黙っていた。

「でも、ウィルだから大丈夫」

 リアが片目をつぶった。

 ようやくリアの意図が伝わり、スージーも微笑んだ。

『ウィルだから』としか言えない出来事の終わりは『大丈夫』であって欲しい。希望をこめた呪文だ。

 画面ではマリカが剣を鞘に納めていた。ラッチの剣に向かって礼をした。その後、振り向くと桃海亭の前に立つシュデルに向かって怒鳴った。

「ウィルはいつ帰ってくるの!」

「早ければ、お昼過ぎ。遅くても、夕方5時過ぎには」

「その頃に来るから、ウィルに待っているように伝えておいて」

「店長のことですから逃げると思います」

「プライドがないの、あの土鳩!」

 シュデルが微笑んだ。

 本当に綺麗な顔だとスージーは思った。中身を知らなければ、ニダウに来た頃のように胸がときめいたかもしれない。

「わかったわ。定期販売会の辺りで待ち伏せする」

「他の古魔法道具店の方々には迷惑をかけないようにお願いします」

「わかっているわよ」

 吐き捨てるように言ったマリカは、足早にキケール商店街を出て行った。

 リアが紅茶をポットからカップに注いだ。砂糖を入れて、スプーンでかき回す。

「ソーントンの話だと、あのマリカはね、すごく優秀な戦闘魔術師なんだって。前にウィルと大規模災害に防ぎに行った時に、何があったのか知らないけどウィルに劣等感をもったみたい。戦闘魔術師としての自負があるから、そのことが許せないわけ。ほら、ウィルって、あれでしょ」

 スージーはうなずいた。

「ウィルに何か優れているところがあればいいのでしょうけれど。頭がいいとか、美形だとか、強いとか」

「なんで、だら~って感じが抜けないんだろ」

 ため息をついたリアがカップに入れた紅茶を飲んだ。

「頑張っても、それが表に出ないタイプだと思います」

「言い方よねえ。あたしは根っからの怠け者って気がするんだけど」

 スージーはすこしさめた紅茶を飲みながら、シュデルが店に入るのを見ていた。





 



 


「お疲れさまでした」

「あとは頼んだよ」

 夜の12時、スージーはソーントンから監視を引き継いだ。

 昼間は平穏だったらしい。

 ソーントンは、ウィルが剣士に斬り殺されそうになったことと、ムーがフローラル・ニダウの女の子に桃海亭に連れ込まれたことだけだと言っていた。

 スージーのここでの仕事はムーの監視だ。報告書に書くため、監視内容を記載した紙をめくった。

『3時28分、ムー・ペトリ、桃海亭を出る。所持品、ポシェットのみ』

 いつものスタイルだ。

 次に注意書きがあった。

『(ここの部分については協会本部に報告の必要なし。状況をわかりやすく為に書いておく)』

 よくある注意書きだ。報告書に必要ない出来事でも、書いておいてくれないと何が起きたのかわからない。それくらい、桃海亭では非常識なことが頻発する。

『3時28分ムー・ペトリがフローラル・ニダウの前を通過。リコのポシェットのヒトデが木の実をムーの後頭部に投げつける。直撃』

 またやったと、スージーは苦笑した。

 ヒトデは時々、木の実を人に投げる。リコも注意してポシェットの中をチェックしているのだが、隠して持ち込む。

 この間、スージーが監視しているとき、リコにしつこく絡んだ客の後頭部にぶつけた。客は何があったかわからなかったようで、キョロキョロ見回して帰って行った。

 ヒトデの力はそれほど強いものでないらしく、軽くコツンと当たる程度で痛くはないらしい。リコに悪いことだからしないようにと何度も叱られているのに、態度の悪い客やムーにこっそり投げつける。

『怒ったムーがヒトデに触ろうとしたので、リコはムーの腕をつかんだ。暴れるムーを引きずり、一緒に桃海亭に入る。10秒後にリコのみ、桃海亭より出てくる』

 パラパラと紙をめくった。その後、ムーは桃海亭から出てこない。

 ムーが無事であることをスージーは祈った。

『リコ、ヒトデに説教する。ヒトデ、うなだれて聞いている』

 ヒトデがうなだれたのは、リコに叱られたからだ。リコを守ることはヒトデにとって正義なので、木の実を投げたことは反省しない。

 リコの前ではよく動くヒトデだが、客がくるとポシェットに隠れてしまう。時々、スージーと会ったときのように、ちょっとだけ顔をのぞかせたりする。計算は得意なようでリコが会計を間違えると、手だけポシェットから出して、エプロンを引っ張り間違っていることを教える。

「あれほど懐かれたら可愛いわよね」

 客が途切れると、ポシェットから出て花の手入れを手伝ったりする。リコはヒトデによく話しかけている。リコからの一方通行のように見えるのだが、リコの話を聞いていると会話に聞こえる。リコにはヒトデの声が聞こえる説も監視部屋ではでている。

 桃海亭を映した画面が動いたような気がして、スージーは顔を上げた。

 深夜、誰もいないキケール商店街に人影が現れた。

 ムーが桃海亭から出てきのだ。頭に包帯を巻いて、右腕に三角巾でつるしている。口はへの字で、左手には木の棒を握っている。

 閉店したフローラル・ニダウの前に棒で何かを書き始めた。2分ほどするとウィルが店からでてきて、ムーの襟首をつかんで桃海亭に連れ帰った。その後すぐに桃海亭の明かりが消えた。

 残されたのはフローラル・ニダウの前に書かれた魔法陣。月夜でよく見えた。

「あれがムーの魔法陣………」

 スージーの専門は魔法陣だ。監視役についたとき、ムーの魔法陣がみられるかもしれないと密かに期待したが、着任して1ヶ月と1週間、見ることはなかった。ムーがキケール商店街の通りに魔法陣を書かなかったのだ。書こうとしたことは何度かあったが、ウィルによって阻止された。

 監視用のカメラを近づけた。

 未完成だ。

 所々、欠けているが主要な線は書かれている。

 紙を取り出して、丁寧に写した。

「これは」

 期待とは違い、簡単なトラップの魔法陣だった。石灰成分が魔法陣の枠内に入ると爆発する魔法陣だ。

「どうしよう」

 ヒトデを作ったのはムーだ。ヒトデの体に石灰が含まれているのだろう。

 だが、場所は花屋の前。石灰は頻繁に使われる。

 もう一度、紙を見た。

 一部欠けているが、発動しないとはいいきれない。

 ソーントンに相談しようか迷っていると、桃海亭の2階から小さな影が落ちてきた。

 ヒトデだった。

 手の持った棒で、魔法陣を一生懸命消している。小一時間かけて綺麗に消すと2階に戻っていった。

「よかった」

 浮かべた笑顔が、すぐに凍り付いた。

 ムーが再び桃海亭からでてきたのだ。

 新たに魔法陣を書き始める。10分も経たないうちに、桃海亭から細い物体が飛び出してきた。

「放すしゅ」

 バタバタ暴れるムーを銀の鎖が縛り上げている。鎖は器用にムーをもちあげると桃海亭に入っていった。

「驚いた」

 胸をなでおろしたスージーは残された魔法陣を見た。半分ほどしか書かれていないので、発動するおそれはない。

 紙に写して驚いた。

「まさか……でも…」

 半分しか書かれていないが、完成したら【分解】の魔法陣だ。陣の中に入ったすべてのものを完全に分子のレベルまで分解する。

 スージーは、魔法陣を写した紙を床にたたきつけた。

「なんで、半分なのよ!」

 【分解】の魔法陣はすでに存在する。直径が10メートルほどある巨大な魔法陣だ。魔法陣を書くことができる魔術師が数人がかりで慎重に書かなければならない。

 複雑な計算式を使用しているムーの魔法陣の直径は1メートルもない。【分解】の魔法陣が1メートルの大きさに書けるなら様々なことに利用できる。最も利用価値が高いのがゴミの処理だ。町が処理しなくても、自宅でゴミ処理ができる。

 スージーは残りの半分を書いてみた。残りのスペースには収まらない。使う式を間違えている。別の計算式を使わなければならないのだろうが、スージーには それが何か見当もつかなかった。

「こんなに凄いのに……もったいない」

 半分の魔法陣は、魔法協会の本部には連絡できない。

「いままでも報告されなかったムーの魔法陣が………」

 そこでスージーは気がついた。

 桃海亭の監視記録を最初から調べ始めた。

「あった!」

 書きかけの魔法陣を写した記録が残っていた。それを丁寧に写す。過去の監視記録を調べる。ムーの書きかけの魔法陣を見つけると写す。黙々と作業をするスージー。桃海亭の監視用の画面では、2階から降りてきたヒトデが一生懸命魔法陣を消していた。




「あれは何………」

 スージーは信じられない情景を目にしていた。

 桃海亭の監視について以来、いままでの見たこともない情景を何度も見た。でも、いま見ているものは、明らかに違う。

「助けを呼ばないと………」

 恐怖で力が抜けた足を叱咤して、スージーは歩き始めた。

 頭が混乱して、どこに行けばいいのかわからなかった。

「監視所に………ダメ」

 ソーントンでは手に余る。理屈でなく、本能でわかった。

「ガガさん、違う。ロイドさん。ロイドさんなら………あっ」

 ロイドさんはニダウにいない。ラルレッツ王国の古魔法道具店の集まりに出かけている。戻るのは1週間後の予定だ。

「どうしよう……」

 混乱しているのに足は動いている。

 行き先がわからないのにと思ったスージーだったが、自分が向かっている場所が突然わかった。

「桃海亭に」

 桃海亭には魔法道具を使えるシュデルがいる。

 そうじゃない。

 魔術協会の指導魔術師が言っていたのだ。

『どうしようもないと思ったら、ウィル・バーカーに言え』

 ウィルだ。

 ウィルに言わなければ、震える足を必死に動かしてスージーは桃海亭を目指した。


「助けて!」

 桃海亭の扉を開けると同時に叫んだ。

 カウンターにいたウィルが飛んできて、崩れそうになったスージーを支えてくれた。

「どうした!」

 スージーを見ているウィルの顔が、いつもより引き締まって見えた。

「ムーが召喚して……そのあと、逃げたの」

 言ってから、情報がほとんどないことに気がついた。これでは通じるかわからない。

「あのバカ!」

 小さい声で悪態をつくと、スージーと視線を合わせた。

「どんなヤツを呼んだ」

「人間、ううん、人間ではないと思うけど、人間の形」

「見たままを教えてくれ」

「枯れきった小柄なお年寄りみたいな感じだけど、あれは、あれは……」

「わかった」

 ウィルが後ろを振り向いた。いつの間にかシュデルが現れていた。

「金庫の金貨と店にある宝飾類を全部袋に入れろ」

「はい」

 シュデルが奥の扉を開けて出て行った。

 ウィルは引っ張るようにしてスージーを立たせた。

「場所はどこだ?」

「案内する」

「危ないから」

「西のチーラの裏通りなの」

 複雑な地形で口では説明しにくい。

「わかった。頼む」

 そう言うとウィルは奥に飛び込んでいった。1分も経たないうちに手に布袋を持って戻ってきた。後ろにいたシュデルが水の入ったコップをスージーに渡してくれた。

 一気に飲んだ。飲んでから、喉が渇いていたことに気がついた。水はほんのりと暖めてあり、飲みやすく、気分が落ち着いた。

「行けるか?」

「はい」

 ウィルに続いて桃海亭を飛び出した。

「わかっていることだけでいい。話してくれ」

 スージーはうなずいた。

「チーラの裏通りを歩いていると、私の20メートルくらい先にムーがいたの。刀を持った男達に囲まれていたの」

「チーラの裏通りでか?珍しいな」

 ウィルやニダウ警備隊は知らないが、桃海亭の襲撃には暗黙の約束がある。スージーも監視の役についてから知ったことだ。

 本来ならば桃海亭の襲撃は全部取り締まれば良いのだが、それだと桃海亭に存在を疎ましく思っている組織や人々の不満が溜まるだけになってしまう。そこでガス抜きとして、一定のルール内であれば魔法協会はみなかったふりをすることにした。

 桃海亭とキケール商店街の通りでは、桃海亭の3人を襲っていい。ニダウの町中で襲うことは認められていない。襲っていいのは桃海亭の住人3人のみ。ニダウ住人や観光客を傷つけると捕縛対象になる。

「ムーが何か唱えると、地上1メートルくらいのところに痩せた年寄りが現れたの。ムーが『ヤバヤバしゅーー!』と言って、逃げていって、男達が動かなくなったの」

「あんたは大丈夫だったのか?」

「20メートルくらい離れていたからだと思う。痺れた感じはしたけれど動けないほどではなくて………」

 思い出したら、恐怖が戻ってきた。

 走っていた足が止まった。

「オレだけで行ってくるから、ここで待っていろ」

 笑顔のウィルが言った。

 そうして欲しかった。男達を救うには、急いだ方がいいこともわかっていた。

 足を動かした。なんとか動いた。

「……行く」

「無理するなよ」

「こっち」

 魔力もない。知識もない。そんなウィルに何か出来るとは思えない。

 そんな彼を危ない場所に連れて行こうとしているに、自分だけ安全圏にいるのは卑怯に思えた。

 迷路のようなチーラの裏通りを案内した。

 遠くに老人と倒れた男達が見えた。

「ここにいろ」

 ウィルが真剣な声で言った。そして、ひとりでゆっくりと老人ところに近づいていった。

 老人がウィルの方を見た。ウィルはゆっくりと近づくと、手に持っていた袋から、金貨と宝飾類と白い物が入ったコップを丁寧に地面に並べた。

 老人はウィルから、地面に置かれたコップに視線を移した。

 数秒後、老人が消えた。

 ウィルはすぐに倒れている男達のところに駆け寄った。

「息がある!コンティ医師を呼んできてくれ!」

 スージーがコンティ医師をつれて戻ると、男達は全員目覚めていた。身体は痺れて動けないようだったが、意識ははっきりしていたのでコンティ医師に任せて帰ることにした。

 帰りに白い物が何かをウィルに聞いた。

「塩」

「塩で追い払えるのですか?」

「ムーが時々、高位の存在を召喚することがあるんだ。今までは、塩か、金か、宝石で、帰ってくれることが多いんで、それで並べてみた」

 初めて聞いた。もし本当ならすごい情報だ。

「3種類を揃えれば、大丈夫なんですね?」

「半分くらいかなあ」

「残り半分はどのように帰っていただくのですか?」

「その時の根性だなぁ」

 意味不明だ。

「その具体的に言うと」

「言葉にできないなぁ」

 使えない情報だとわかった。

 成功率50パーセント。半分の確率で死に直結する。

 そして、気がついた。

「もし、先ほどの老人が帰ってくれなかったら、どうしたのですか?」

「気合いかなぁ」

 ウィルはふざけているのではない。そのことは、監視していたスージーにはわかっている。

 必死で救おうとしていた。このニダウを、倒れた男達を。

 スージーはウィルに微笑みかけた。

「死ななくて良かったですね」

「ああ」

 ウィルが笑った。

 爽やかとはほど遠い、見ているだけで脱力しそうな笑顔だった。









「スージー・シャムロック。本日付けでムー・ペトリの監視任務を解く。ご苦労だった」

「ええっーーーー!」

 ショックでスージーは叫んでしまった。

 午後2時、監視部屋に入ってきた黒いローブを着た大柄な魔術師は、手に持った紙をひろげるとスージーに見せた。

【魔法協会本部事務局調査部に移動を命ずる】

 スージーのシフトは日勤だった

 いつものように監視部屋に行き、桃海亭を写した画面を見ていた。

「まだ、3ヶ月経っていません」

 噂だと3ヶ月で移動になると聞いていた。あと2週間もある。

「君の勤務態度に問題があると本部は判断した。

「私は監視をさぼっていません」

「本部が問題視したのは勤務態度だ」

 大柄な魔術師は、目で部屋のテーブルを指した。

「ここは研究の場所ではない」

 紙があふれていた。

 ムー・ペトリがいままでに書いた魔法陣を調べていた。斬新な手法が使われているものが多く、解明に取り組んでいると気分が高揚した。

「研究はしていました。認めます。ですが、監視は怠っていません」

 ムーの行動は決まっている。昼過ぎに時々キャンディを買いに出る。2週間に1回くらいシュデルと大喧嘩をする。ウィルと依頼で出かける。

 魔法生物や魔法陣、召喚獣については書かなくてもいいので、報告することはほとんどない。

「君のために本部に戻った方がいいと上層部は判断したのだ」

「もう少しだけ、ここにいてはいけませんか?」

 もしかしたらムーの完全な魔法陣が手にはいるかもしれない。不完全でもいい。魔法陣が写せるならば、この場所で監視の任についていたい。

「ムー・ペトリを講師として招き、特別授業をおこなう予定がある。魔法陣を組み込んで貰えるよう私からも頼んでおこう」

 ムー・ペトリの授業。

 受けられるなら、絶対に受けたい。受けたいが、2ヶ月以上ムーを見てきたスージーとしてはすぐには信じられない話だった。

「その話は本当ですか?」

 ムーが授業を引き受けとは思えない。自由で自己中でマイペースだ。

「本当だ」

「いつですか?」

 スージーに疑われていることに気がついたのだろ。

「依頼はしている」

「受けて貰えたのですか?」

「返事を待っているところだ」

 授業は幻で終わる可能性が高い。

「お願いです。監視の任務を続けさせてください」

「話は終わりだ。ついてきなさい」

「わかりました。魔法協会を辞めます。いままでありがとうございました」

「君の場合、あと2年間は辞めることはできない」

 本部の魔術師が懐から別の紙を出して、スージーに見せた。ムーの監視任務に就くときの書類だ。スージーは言われるままにサインをした。

「ここだ」

 書類に小さく書かれていた。

『ムー・ペトリの監視の任務終了後2年間は本部で勤務する』

「君はこの書類にサインをした。我々と本部に戻ってもらう」

 何で辞められないんだろうという疑問と、ここ離れたくないという気持ち。短い葛藤の後、スージーは足掻いてみることにした。

「荷物が部屋にあります」

 旅行鞄に荷物を詰めて時間稼ぎをして、隙を見て鞄を持って逃げる。スージーがニダウに留まるには、それしかない。

「君の同室の者に頼んで、荷物をまとめてもらった」

 扉が開いてソーントンが入ってきた。手にスージーの旅行鞄を持っている。

「ソーントンさん……」

「スージー。辛いかもしれないが、いま本部に帰った方がいい」

 優しい物言いだった。心配してくれているのがスージーにもわかった。

「でも」

「君には黙っていたが、桃海亭の監視の任についた者が12人、魔法協会を辞めた。理由は君にもわかっていると思う」

 スージーはうなずいた。

 ニダウは住み心地がいい。争いがなく、物価が安く、食べるものも美味しい。ムー・ペトリの魔法は研究する価値がある。魔法の後進国のエンドリアだが、最先端の魔法の研究しているラルレッツ王国に地理的に近い。

「魔法協会本部にいた優秀な魔術師達が、本部を辞めてニダウに住み着いてしまう。このことから、勤務する場合2年間の離職が認められないようになった」

「辞められた方はどうされたのでしょうか?」

「王宮に勤めたり、診療所を開いたり、学校の先生になったりしている。激務の本部と違い、ニダウでは半日も働けば暮らしている。魔術師の生活を捨ててしまった者もいるが、自分の研究を進めたいものは空いた時間にやっているようだ。エンドリア王国も魔術師を支援してくれており、王宮の一角に魔術師たちが研究や書庫の保管に使える専用の建物を建設した。貧乏国なので書籍や巻物などは魔術師たちが持ち込む形だが、食事は王宮内の食堂を自由に使えるそうだ。王宮の建物に住み込めば、働かずに研究に没頭できる」

 研究テーマを限定されず、好きな研究だけをやって暮らせる。働かないと資料や書籍が買えないが、手持ちのムー・ペトリの書きかけの魔法陣の研究だけでも。

 そこまで考えて、スージーは自分が2年間本部で働かなければならないことを思い出した。

「先月チムパ通りに開いたスープ店を知っているだろ?」

「はい、”濃厚チーズスープ”が絶品でした」

 口の中によだれが湧いてくる。

「店主の彼も魔法協会本部にいた菌の研究者だ。学生時代魔法による発酵を研究していたのだが、魔法協会では闇系の毒素の研究を手伝わされていた。ここに勤務して2ヶ月で辞めて、自分の研究を使ったあのスープ店を開いた」

「そうだったんですね」

「本部も優秀な研究者がスープ屋になるという事態に困惑している」

「あそこの”キャベツのさわやかスープ”、あの味をどうやって作っているのかわからなかったんですけれど、発酵させていたんですね。納得です」

 酸っぱいが、さわやかなのだ。脂がたっぷりのった肉料理にあう。キャベツがたっぷり入っているので、野菜も十分取れる。

「いや、私が言いたいのは………」

「”辛カラ大根スープ”。あれも小エビを発酵させて使っていたんですね。あの旨味は芸術的です」

「君がスープを好きなことはわかった。さあ、これを持って、本部に帰りなさい」

 差し出された旅行鞄を、スージーは素直に受け取った。

 ソーントンが安堵の表情を浮かべた瞬間を見計らって、横を抜けようとした。

「あっ!」

 身体がガクンと前のめりになった。

 本部の大柄な魔術師が、スージーのローブのフードをつかんでいた。

「放してください!」

「協会の本部に勤めることは、魔術師として非常に栄誉なことのはずだ」

「私はニダウがいいんです!」

「シェフォビス共和国出身者でもダメか」

 本部の魔術師の呟きに、リアが『シェフォビス共和国出身者は向いている』と言ったことを思い出した。

「私が進言したように、ここの監視所は閉鎖すべきです」

 どこか楽しそうにソーントンが言った。

「そうなれば、失職するあなたは困るのではないですか?」

「なんとかなります」

 ソーントンが失職する。

 普通ならば本部に戻るのではないだろうかと考えたスージーに、本部の魔術師が苦々しそうに言った。

「監視役で最初に魔法協会を辞めたのは、マンフレッド・ソーントン。つまり、彼だ」

「別の仕事をやるつもりだったんだが、辞める条件に監視所の責任者を押しつけられたんだ。しかたなく、監視所が閉鎖するまでという条件で引き受けた」

「監視所に勤務させると辞めたがる者が多くて、魔法協会も苦慮しているのだ。リラブリ王国出身者の若者は、1ヶ月もたずに辞めた。彼はたしか………」

「ニダウの郊外に畑を作り、魔法を使った新しい野菜の研究をしています。彼女も出来て幸せそうです」

「礼節を重んじ、頭が堅いと言われるシェフォビス共和国出身者ならば大丈夫かと思ったが………」

 監視部屋を見回した。

 テーブルには研究の為の紙が大量に乗っている。サイドテーブルにはリアに頼んで買ってきてもらった焼き菓子とハーブティ。キッチンにはテイクアウトで朝食と昼食の空の容器。トレイには、洗ったばかりのデカデカイチゴ。

「なぜ、こうも早くの堕落する」

「堕落なんてしていません!研究の時間をとるために、食事は作らず、買っているだけです」

「言い分は本部で聞く。行くぞ」

 腕をつかまれた。

「待ってください」

「待てない」

「明日まで、明日まで待ってくれれば抵抗しません」

 本部の魔術師が眉をひそめた。

「『明日発売のお菓子を買いたい』などとは言わないだろうな」

「いえ、私が買いたいのは、新作サンドイッチで……」

 スージーの腕が、強く引っ張られた。

 足を踏ん張って、スージーは抵抗した。

「明日まで、明日食べれば、帰ります!!」

「スージー」

 ソーントンが優しい笑顔でスージーを見た。

「食べたいのは【ベーカリー・ウィート】が明日の朝に出す”カリカリベーコンと三種のチーズ”のサンドイッチだろ?」

 スージーがうなずいた。

「でも、忘れていないか。明後日には【ピンクスイート】の新作パフェ”レッドアロービッグパフェ”と【グー・クッキング】の新作お総菜”木の実をまぶした揚げもの5種”が発売予定のことを」

「あ、あっ、すみません。明後日に本部に帰ります」

 絶対に食べたいと先週から発売を心待ちにしていた2品だ。逃して帰ったら、後悔する。

 本部の魔術師は冷たい一瞥をスージーに投げかけると、無言で腕を引っ張った。

「明後日、明後日に食べれば」

「その次の日にも、来週にも、食べたいものがあるのだろう。待つことは出来ない」

 ズルズルと廊下に引きずり、玄関を通った。

「帰りたくない、帰りたくないですぅーーー!」

 玄関の扉にしがみついた。

 抵抗しながら、スージーは今の自分は駄々をこねている子供のようだと思った。

 小さい頃からワガママを言わない良い子だった。親の言うことを素直に聞いた。真面目に勉強をした。

 魔法協会本部に勤めることは、スージーの希望だった。その希望した未来を捨ててでも、この生活を失いたくないとスージーは叫んだ。

「ここに残りますーーー!」

 次の瞬間、スージーは意識を失った。



「私も桃海亭に監視には反対なのだ」

 本部の魔術師が言った。

 スージーが目覚めたのは、リラブリ王国から魔法協会本部に飛ぶ大型飛竜の中だった。

「毎回、毎回、連れ戻すのに苦労する。前もって監視役は終わりだと知らされると、監視所から逃げだす者もいる。転勤を告げる当日、私のような大柄で力のあるものが交代で迎えに行かざるをえない。どうしても監視を続けたいなら、ソーントンのように監視用の魔術師を雇うべきだと思うのだ」

 スージーは手を挙げた。

「私がやります!」

「君は2年間魔法協会を辞められない。雇うにしても別の人間になる」

「2年後に桃海亭監視の仕事に私を雇ってください」

 本部の魔術師がため息をついた。

「私の言ったことを聞いていれば、わかるだろう。君の前任者も君のように桃海亭監視の仕事を希望している。君の後任も希望する可能性が高い」

「わかりました。もし、空いていたら雇ってください」

「協会本部を辞める気なのか?」

「今はそのつもりでいます」

「『今は』ということは、辞めない可能性もあるということか?」

「はい」

「君は魔法陣の研究が専門だったな?」

「はい」

「考えておこう」

 本部の魔術師は勘違いしていることにスージーは気がついていたが指摘はしなかった。

 言ったとしても、本部の魔術師にはわからないだろう。

 スージーは魔法協会を辞めてニダウに移り住む計画をあきらめたわけではない。だが、移り住めなくなれば、魔法協会に勤め続けるつもりだ。

 スージーは心の中で祈った。

『ニダウが2年後も存在しますように』

 そうなるかもしれない、最大の原因。

『桃海亭の2人が、早くニダウからいなくなりますように』

 窓の外には、抜けるような青い空が広がっていた。




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