創部
「儀式先生」
美術室で梗一郎がそう呼びかけると、黒板消しをクリーナーにかけていた長身長髪の男性教諭が振り向いた。彼の本名はもちろん儀式ではない。
透き通った色のフレームの眼鏡の奥に、同色の瞳が覗く。
「……梗一か。」
「部活の顧問になってくんないですか?」
「……私は常勤ではないが……。」
「先生がでてくる日くらいしか学校での活動しないからさ」
「……内容は?」
「芸術。」
「……部活動名は?」
「芸術部。」
「……美術部との違いは?」
「絵をメインにするかどうか。」
「──具体的な活動内容を挙げてくれ」
「芸術なら何でもOK」
「……もっと具体的に」
「絵を描いたり粘土こねたり字を書いたり服作ったり人形作ったり、写真撮ったり動画作ったり……あ、料理も。」
「……美術部、現代アート部、漫画部、文芸部、書道部、被服部、演劇部、写真部、放送部、調理部では行わない活動か?」
「デジタルな絵とか日常着とかコスプレ衣装とか作るけど」
「……兼部もしくはどれかに絞ることでは対応できないのか──?」
「できるけどめんどい」
しれっと言い放った梗一郎に、儀式先生は黒板消しの状態を確認して教卓に裏にして置いてから口を開いた。
「……コネを使わずに教頭を説得。校長にも話を通して。
──もし認められた場合はホームページに芸術部のページを梗一が増設。何か成果をあげること。」
本来ならば顧問がやるべき仕事までをやることを条件にあげる。
「えぇ〜……──」
「……これらを呑むのならば私の名を顧問欄に記入することを許可する。
──印鑑は必要なときに私の元へくれば捺そう。」
面倒そうにする梗一郎だが、儀式先生の出した条件は、彼にとって容易なことばかりであった。
ではなぜそのような反応をしたのかというと。
「コネだめ?」
「脅しも駄目だ。」
「ん〜……来週の火曜に入部届け3人分のもってくから。」
今日は木曜日。
非常勤の儀式先生が出勤するのは授業がある火、木曜だから、次の出勤日ということである。
「……美術室か美術準備室で待っている。
私のすべきことがあれば、その都度言うように。
この学校には梗一たちよりも慣れていないから。」
「了解。」
そして、梗一郎はその足で校長室へ向かう。
「校長先生、今お時間よろしいでしょうか」
4度のノックに反応した気配を感じてそう告げると、中からは「誰だ?」と、低い声が返ってくる。
「梗一郎です」と名乗ると、演技がかった口調で「入りたまえ」と返ってきた。
それに対し「失礼します」と入ると、正面窓際の卓についている壮年の男性が片眼鏡を外して笑んだ。
「久しぶりだなぁ梗一!」
もちろんのこと、校長も梗一郎の知り合いである。
母の澄華が在学中には教師の一人であった上に、彼の息子が近隣の工場で機械整備の仕事をしていることもあり、親子同士で面識がある。
「お茶を煎れてもよろしいですか?」
一応ここは学校で、梗一郎は生徒で相手は校長という立場なので改まった口調で話す。
「コーヒーの方がいいのだが」
「知ってて言っています。お茶平気でしたよね?」
「ああ、君はそういう男だったな。……あちらで話そうか」
そう言って校長は隣室──職員室ではない方へと通じている扉を開けた。そちらは応接間になっている。
「仕事は溜めていませんか?」
棚にある電気ポットでお湯を沸かし、茶葉を多めに急須に入れて温めてある二つの湯呑みに注ぎ分ける。そりゃあもちろん慣れている。なぜなら彼は、暇になると校長の息抜きを兼ねて世間話をしにここを訪れるのだから。
「ああ。あとは枯林くんに持っていくだけだ」
枯林くんとは、教頭のこと。
校長がぬけているため、彼の仕事の管理や確認をしている。まるで秘書のように。
枯れた林のような色合いのスーツを好んで身につけているが、髪は名前とは裏腹に青々と茂っている。
「教頭先生かわいそー」
校長室のものより上質なソファに腰を深く沈めた校長の前に先に湯呑みを置き、梗一郎は対面に腰を下ろす。
「君の思考の方がだいぶ枯林くんを貶していると思うがね?」
「違いない」
校長は湯呑みを手にとって緑茶を啜る。
梗一郎はわざと渋く煎れているため、複雑な顔になった。
湯呑みを置く。
「君、たまには真面目に煎れた茶を出してくれんか」
梗一郎が丁寧に煎れた茶は、どんな茶葉でも美味くなる。
それは親しい付き合いのある者なら誰でも知っていた。もちろん校長も。学校が長期休みの時などには共に出掛けるほどの仲なのだから。
「お願い聞いてくれたらいいですよ」
「どんな用件を?」
「創部の許可をください」
「それは、教頭の方へ申請する案件だろう。
彼が許可を出したのなら、私が証書を書くだけだ」
「だって教頭先生苦手なんですもん」
「枯林くんは、あれで頭が固いからなぁ……」
「あれでって何ですか」
「仕事ができるのにってことだ」
「だからじゃないんですか?」
「そうとも言える」
「……だから、手伝ってください」
「何を?」
「今の話の流れを察して下さいよ。
教頭先生の説得です」
「……ふむ。
美味い茶を馳走になろうか。」
「どういうことですか」
「私が枯林くんに話を付ける。
その時に美味い茶を出してくれ」
「そのくらいなら喜んで。
──ついでに校長先生の書類に不備がないかチェックしておきましょうか」
「賄賂かね? 有り難い申し出ではあるが、今回に限っては、それは遠慮しておくよ」
「なぜですか?」
「生徒に見せてはならない書類が含まれているのでね」
「そうですか。お力になれず」
「いやいや、美味い茶が呑めるのだ。この位、どうということはない。」
「それで、教頭先生にはいつ、お話をつけてくださるんですか?」
校長は顎に手を当てて天井へ目をやった。
「……明日でどうだろう」
「では明日に。
茶葉と急須を持ってきます」
「ああ。」
そこでタイミング良く、応接間の扉がノックされた。
校長室に繋がる方ではなく、廊下と直接繋がっている方だ。
「枯林です。校長先生はこちらにいらっしゃいますか」
どうやら、噂をすれば影というやつらしい。
「ああ、ここに」
校長が言葉を返す。
「失礼します」
すぐに教頭が扉を開けて部屋に入ってきた。
「校長、今日期限の分は終わりましたか」
「ああ、机の上に」
「では後ほど確認させていただきます。」
そこで、ソファに埋もれるようにして隠れていた梗一郎を見つけた教頭は彼に話しかけた。
「遠藤、いつも校長が世話になっている。だがお前は校長と世間話をする暇があるのならば自分の日頃の行いを改善すべきだ」
「ああ、彼の奇行の数々なら私の耳にも届いているよ」
「校長の耳にはいるとは、かなりのことだぞ?
真面目に試験を受けることも覚えてくれないか」
「テストで満点とっても楽しくない」
「試験は楽しい楽しくないではない。解けるか解けないか、実力の確認をするものだ。──お前の場合、解きたいか解きたくないかになってしまっている。」
「なんか悪い?」
教頭に睨まれても、梗一郎はしらっと返す。
「テストを作成された先生が、お前が解きたくないせいで生徒に理解させる授業ができなかったと勘違いして落ち込んでいたぞ」
「それはなんか悪いな。
……でも、テストで解けるの全部解いたら、目立つだけだから」
「掲示制度の廃止も視野に……」
それで梗一郎が真面目に試験を受けるようになるのならと、教頭は考え始める。
「昨今は個人情報保護にもうるさいからな。」
そこへ、校長の何気ない茶々が入った。
「では明日、会議を開きましょうか。定期の分を少し前倒しにして。
議題は成績上位者の氏名及び得点掲示制度続行の可否、並びに後期部活動予算の配分について。」
「その事について、明日少し話をさせてもらえないか?」
「校長が自ら学校の経営に口を出そうとしてくださるなんて……そうしましょう。ぜひそういたしましょう!
では明日、会議前に時間を空けておきます!!」
枯林教頭は感涙を浮かべ、手帳に予定を書き込むと、部屋を出ていった。
「相変わらず変人でいらっしゃいますね、教頭先生」
「君に言われたくはないと思うがな?」
「……私ってそんなに変でしょうか?」
「急に人に抱きついたり、頬ずりするような奴を、普通とは呼ばないと思うが?」
「……そうですね。確かに。」
思い当たる節が多々ある梗一郎は、頷いた。
「校則違反の長髪に装飾品、突然の挙動不審、情緒不安定……挙げたらいくらでもありそうだ」
「あんまり挙げてほしくないです。──自覚はありますので。」
「それで? 部活を作って、そこで君は日頃の行いを改善すべく努力するのかな?」
「部活があるからそれを頼みに、一日乗り切れるかもしれませんね」
「そうか。楽しみにしている。
──ところで先ほどの件だが」
「どれですか?」
「試験の件だ。落ち込んでいた先生というのは、鋪くんだよ」
「──儀式先生が?」
鋪 鈎治。それが梗一郎たちが儀式先生と呼ぶ美術科非常勤講師の本名だった。
「いつも楽しそうに授業を訊いているから、理解力もあり向上心もある君ならば高得点を取るだろうと期待していたらしいよ」
「それで。
あのテスト、私の得意問題ばかりだったから平均点低かったでしょう? そうなると思って余計に未解答増やしたので点数低かったんですよ。」
「どうして君は、そう変なところばかりに頭が回るのだろうね?」
「人生は楽しく生きなければ損だと、母に教えられましたもので。
──では、今日はこれにて失礼いたします。明日はいつ頃伺えばよろしいでしょうか?」
立ち上がりながら梗一郎が訪ねると、校長は「今日中には連絡するさ」と返し、嫌そうな顔をした。
「そんな顔をしないで、お仕事がんばってくださいね」
梗一郎はそう言い、廊下へ繋がる扉から応接間を後にした。
そして火曜日。
美味しいお茶の効果があったのかどうかはわからないが、無事に創部が認められ、三人分の入部届けが油臭い美術準備室で転んでいた儀式先生の元に届けられた。
「次はちゃんと満点取るから」
倒れたイーゼルたちを立てるのを手伝いながら、梗一郎は告げる。
「……何のことだ?」
儀式先生は、梗一郎から受け取った入部届け三人分に顧問印を捺しながらそれを聞き、首を傾げる。
「何でもいいでしょ」
「……まぁ、いいか。あとは、ホームページ、頼んだぞ」
「りょーかい」