事件
「それって、最低じゃないの。あんなやつさっさと別れて正解よ」
絵梨がもう限界って感じで、声を大きくしていう。
騒々しい居酒屋の店の中であっても、絵梨の声が響き渡る。
声大きいって、絵梨。
絵梨があんなやつと切り捨てたのは、
つい、このあいだ別れた私の元カレ。早坂秀一のこと。
最低だっていうのは、私より仕事を優先するって断言してた彼が、
希望通り昇進して、関西の営業部に転勤になったから、別れようと言ってきたことだ。
あねご肌の彼女は、私の話をじれったそうに聞いて、「もう、よくそれで平気だね」と何度も合いの手のように言ってくる。
カップルが別れるのだって、片方が100%悪いなんてこと無いはずだから、早坂さんのほうにも、反論する権利くらいありそうだけど。
『仲間が失恋した時は、失敗に対する冷静な分析なんかするもんじゃない』
この鉄則を忘れてはならない。
くれぐれも、失敗の原因を正しく分析したり、まして今後の対策なんぞ議論してはならない。
女同士の付き合いは、こういう時に真摯な意見なんぞ求めていない。
それは、そうだ。失恋したら悲しむもので、お酒を飲みながら、次の機会の為に傾向と対策を練ったりする女って変だもの。
だから、理不尽なまでに早坂さんを攻撃して、私の肩を持ってくれる絵梨には、さっきからずっと感謝していた。すべきなんだと自分に言い聞かせる。
早坂さんにもたくさん助けてもらった。
彼には感謝することはあっても、あんな奴と切り捨てる資格はないし、そんなことしたら私の良心がむずがゆくなるとしても、ここは黙って絵梨に頷くべきだ。
いつものように、『何やってんのよ』と威勢よく叱られると思ったのに、私は絵梨に頭を撫でられて甘やかされて、変なくすぐったさを感じていた。
「でも…まあ、こうなることは、最初からわかってたけど」
私は、ちょっと照れくさくなって、居酒屋の唐揚げをつまみながらいう。
このまま、絵梨に甘えてると、背中がむずむずがひどくなりそう。耐えられなくなる。