前編
温泉に、入りたいと思った。
特に、露天風呂に。
温かい湯に浸かると、自然と肺の底から呼吸ができて、全身から雑念がほぐされて伸びやかな気持ちになる。
しかめっ面でいらいらしている人間も、鬱々と落ち込んでいる人間もひとたび広々とした湯船で手足を伸ばせば、ゆったりとした顔になるのだ。
露天、と言うのはさらに良いらしい。
野外で素っ裸になると言う解放感は、その一時だけは浮き世の憂さを忘れられるほどだという。
極楽に居るような気分だ、と表されるそれを、天華は味わってみたかった。
だから、今日も銭湯へ行くのだ。
都会の中でも温泉の銭湯と言うものがちゃんとあるもので、なにぶん銭湯だから、料金は硬貨一枚で事足りる。
準備は万全だ。
お気に入りのシャンプーとリンスのボトルはもちろん、体用とちょっぴりお高い洗顔用の石鹸も新品でそろえたし、泡をふわふわにするための洗顔ネットもばっちりだ。
そのまま浴場内に持ち込んでも大丈夫なよう、百均で買ったプラスチック製のかごにまとめてある。
長い髪を湯に浸さないよう、まとめ上げるすべも練習済み。
湯上がり用のタオルも、化粧水や着替え用の浴衣と帯も風呂敷に包んである。
でっかいバスタオルじゃなくても全身をふけると教えてくれたのは、銭湯歴うん十年のししょーだった。
ガサゴソともう一度見直して、一つも漏れがないと確認した天華は、ふんす、と気合いを入れて、真夏の日差しの中に一歩、踏み出した。
**********
「で、今回のその様相に対して言いたいことは?」
「むう……」
ため息混じりのあきれ声に、天華が水面から顔を出せば、水に浮かんだ氷同士がぶつかる。
からりと涼やかな音が富士見湯の浴場に響きわたった。
全身を包む水の冷たさが気持ちがいい。
いいのだが、非常に不本意だ。
天華が居るのは、今ももうもうと蒸気を立ち上らせる広々とした湯船……ではなく、片隅にもうけられている小さな水風呂だった。
大量の氷入りのそこに、着の身着のまま問答無用で放り込まれた天華は、浴槽の縁にむっすりと顎を乗せて、元凶である目の前の少年を見上げた。
「今日は、なんか大丈夫な気がしたのだよ」
「どこがですか。真夏の炎天下を歩いてきて、自覚が足りないんですよ」
「だって、ちゃんと日傘を差してきたし、涼しそうな日陰を歩いてきたし……」
天華がごにょごにょと言えば、仁王立ちで見下ろしていた少年、透也は深く深くため息をついた。
かれはもちろん服は着ているし、女湯だけれども開店前なので、今は天華と透也以外誰もいない。
「それでそこまで小さくなっておいて、よくもまあそんなことが言えたもんですね。歩くたびにどんどん小さくなっていく女なんて、どんな怪奇現象ですか」
「むう、でもたどりつけたし……近所の人は知ってるし」
「知り合い以外に見つかってたらどうするんですか。それ以前に服だって脱げかけてますし、僕と出会った時の二の舞になりたいんですか」
そういえば、同じようにへばっていて、やけに鼻息の荒いおっさんに車の中に連れ込まれかけていたのを透也に助けてもらったんだった。
ぐうの音もでない天華は、浴槽の縁にかけている己の両手に視線を落とす。
ぷにぷにしたちっさい手は幼稚園児くらいだろうか。
まあ確かに、思ったよりも外の気温が高くて、あ、まずめ? とか思ったけれども、これでもコンクリートジャングルの夏をいくつも乗り越えた実績があるわけでして。
いや、でも、脱げるとまずいなと浴衣ではなくワンピースを選んだのは、まあ、万が一をちょっとは予想していなくもなかったり。
黙り込んだ天華の頭に、特大のため息が降ってきた。
「その上湯船に入ったら、伝説通り溶けてなくなるでしょう。何せ、あなたは」
雪女なのだから。
そう言った透也に、天華はむむむと、冷たい水風呂に沈み込む。
水風呂の中で、ワンピースの裾がゆらゆらと揺らめいていた。
天華は雪女だ。
銀世界に染め変える吹雪のあと、さえた満月の夜に現れる、雪の妖。
巡り会った人間の生気を吸い取り、殺してしまう。
……とか言われるけれど、そんなこともあったりなかったりするけれども。
まあ天華も、雪山でぶいぶい言わせていた時期もなくもなかったりするけれども、このご時世、温暖化で雪が溶けるのも早かったりして、現代では人里に降りて社会のとけ込む努力をしていたりする。
雪女だって、雪山じゃないと生活できないわけではないのだ。
あ、死ぬな、と思うのは夏だけで、それでもクーラーと冷蔵庫があれば結構いけるし。文明の利器万歳。
ただ電気代がめちゃめちゃかかるので、妖怪も雇ってくれる会社で働いてたりするのだ。えっへん。
夏の出勤は基本夜にしてもらっているので、昼は暇だ。
普段はクーラーをがんがん利かせた部屋でおとなしくしているのだけれども、人のいない時間帯ならいくらでも挑戦できる! と気付いた天華は、いざ富士見湯へとやってきた。
が、結果はこの通りである。
おかしい。どうしてこうなった。
「おかしくもないでしょうが。気温は日中の方が高いですから、体から冷気が失われるのも早いんです。最近は熱帯夜で夜も暑いのに無理しないでくださいよ」
たしかに、ここんところ日が落ちても暑いから、仕事も大変だったりする。体は溶けたりしないものの主に熱中症とか。やけどとか。
だから仕事前に銭湯でひとっぷろ浴びて、癒されたいと思ったのだけど。
「開店前であなたが一番手だったから良かったものの、いつもこんな風にできると思わないでください。わかったらちゃんと体を冷やすように」
「ふあい」
透也は、おかんみたいに口がうるさい。
ちゃぷんと水を揺らして、氷を手に取り、冷気を吸う。
氷が見る間に消えていくと同時に、天華の中に活力が戻っていく。
そうしていくつか氷をなくした天華が、ざぶりと水からあがると、しかめっ面だった透也の顔が目に見えてうろたえた。
「っいきなりあがらないでくださいよ!」
慌てて背を向けた透也の耳が真っ赤になっている。
そういえば、水を吸ったワンピースが体に張り付いて、天華の体の起伏がはっきりと分かる。
夏の間はどうしても元には戻りにくくて、今は透也と同じ10代前半くらいか。
胸もおしりもあんまり成長してなくて、天華としては不満なのだが。
「おや、透也も男の子だな。世話かけた礼に見ても良いのだよ?」
「誰が見ますかっ!」
「だが、さっきは肩紐がずれたわたしを」
「幼児体型に興味を持ったらおしまいです。とっとと氷をなくして元に戻ってください。いつも通り水は入れ替えてくださいよ!」
滑らないようにでも極力早足で、女湯から逃げていく透也を見送った天華は、しょうがないとワンピースを脱ぐと、もう一度水風呂につかった。
今日も一番乗りで滝川のおばあちゃんが入ってくるころには、何とか女子高生くらいに戻っていた。
ふん、とポーズを取ってみせると、ししょーである滝川のおばあちゃんにはにこにこ笑ってもらえた。
さっぱり着替えて髪をドライヤーで乾かし(もちろん冷風だけで)腰に手を当てて、びん牛乳を一気のみした。
つめたくてうまし。
それでも帰る気になれず、天華は休憩所の片隅で、ぼんやりと出入りするお客さんを眺めていた。
壁にはいつのだかわからない映画のポスターや、町内会のチラシが貼ってあったり、マッサージチェアや扇風機がおいてある。
番台の隣に置いてある冷凍庫には、お風呂上がりのためのアイスが売られているけど、その片隅に業務用のかき氷に使うようなでっかい氷が入ってたりするのは気にしない。
来るのは、おじいちゃんやおばあちゃんばかりだけれど、夏休みだから親につれられた子供の姿もちらほらあったりする。
そんな人たちを、番台に座っててきぱきと迎えるのは、この富士見湯の息子である透也だ。
笑顔は淡いものの、初めての客にはしっかりとシステムを教え、常連ならば名前を呼んで世間話につきあい、はしゃぎ回る子供には適当にたしなめ、丁寧に声をかけていく。
その堂に入った姿は理知的な表情とともに、とてもじゃないけど14歳の少年には思えない。
この間は外国人に英語で説明していて、外国に住んでいたことでもあるのかと驚いた。
そのまま透也に言ったら、今の学校じゃ小学生から英語を習うんですと呆れ顔で説明された。
びっくりした。これがじぇねれーしょんぎゃっぷというやつか。
そのあと、透也に天華さんは外見はともかく中身は全然お子さまですねと鼻で笑われたので、頭に胸を乗っけてやった。
あわあわしている透也はなかなか見物だった。
けど、すぐに全力で真っ赤になって怒られた。
顔見知りのじいさまたちは、天華を見ると片手をあげて挨拶してきた。
ここらへんのじいさまばあさまたちは、天華が雪女だと知っても全然気にしない。
銭湯に通いたがる雪女なんておもしろいな、ぐらいで笑ってる。
本気で怖がらせようとしたこともないからいいのだが、正直真正の妖怪としては喜んで良いのか悪いのか複雑だ。
くるな化け物、って言われるよりはずっとマシだけれども。
「よお、姉ちゃん。相変わらず美人だなあ。今日は入れたのかい?」
「いいや。今日は、入り口で倒れて透也に水風呂に放り込まれた」
「わっははは! そりゃ傑作だな!」
しわ深い顔を、よりいっそうしわくちゃにして笑う朝永はすごく楽しそうだ。
ただこう、人に全力で笑われるとほんとのことでもむかつくな。
「朝永はあいかわらず将棋か」
「まあな、ちょいと相手してくれよ」
「いいぞ、かかってくるがいい」
ひとっ風呂浴びて体からほこほこ湯気を立てた朝永と、竹製の長椅子でへぼ将棋を指す。
「……朝永、勝手に駒を動かすな。わたしの方が勝っていただろう」
「へんっ何のことだい?」
しらばっくれる朝永とはそのあと駒の入れ替えいかさまの応酬になり、結局引き分けに終わった。
朝永が、知り合いを見つけてまた指し始めるのを見送ると、こんどは小麦色に焼けた近所の小学生たちが濡れ髪でやってきた。
「てんかねーちゃん、いつものやって!」
「髪をちゃんと乾かしてからだ」
「暑いからいますぐー!!」
地団駄ふんで催促されたので、しょうがないからそっと指を回して空気を回し、小さな冷気をつくり出した。
生まれた冷気にそよがれた少年たちは、気持ちよさそうに目を細める。
「あー、幸せだー……」
「俺も俺も!」
「おしまいだ。せっかく温まったのだから、あまり体を冷やさぬように。髪も乾かすのだよ」
「ええ――!」
「なら、姉ちゃんにくっつく!」
ぶーたれる少年の一人に、浴衣の上から腕に組み付かれてびっくりした。
ゆであがった子供の体温はひときわ高く、熱い。焼けるようだ。
思わず顔をしかめた天華が、口を開こうとしたそのとき。
「君たち。いきなり女性に抱きつくなんて失礼です。さっさとはなしなさい」
「いてててて!!」
いつの間にか番台から出てきた透也が、無造作に少年の頭をひっつかんだ。
力を込められているのか少年は顔をしかめながら、透也の手を引きはがそうともがく。
熱が、すうっと引いていった。
「良いじゃないか、だってつめたいんだよ!」
「だっても勝手もありません。あなただっていきなり抱きつかれるのは嫌でしょう、謝りなさい」
「で、でも」
有無を言わせぬ透也の態度に、少年はひるんで、助けを求めるように等の天華をみた。
「あーうん。ふざけただけってのはわかるよ。ただな、冷たいのならいくらでも出してやるから、いきなり抱きつくのはよしてくれ」
「ご、ごめん」
ぼそぼそ謝罪を口にした少年は、仲間とともに逃げていった。
「きつく言わなくてもいいだろうに、子供の悪ふざけだ」
透也に言えば、わかってないとばかりに首を横に振られた。
「あれくらいの子供は許したらつけあがります、はじめが肝心です」
「君も子供だろうに」
「あれよりは子供じゃありません」
確かに、子供の頭を片手でつかめるぐらい、手が大きくなっているのには驚いた。
透也は嫌そうに顔をしかめていたけど。ふいに案じるような表情になる。
「大丈夫でしたか。腕は」
「平気だよ。むしろあの子に凍傷を負わせてしまわないようにするのに気を使った」
雪女は、冷気を操る妖怪だ。
だけど、不用意に触れられるとコントロールが利かず、望まぬモノを凍らせてしまうこともある。
「あの調子では大丈夫です。元気にはしゃぎ回ってますから。まあ、多少痛い目でもみたほうが、良いとは思いますけど」
「そう言ってくれるなよ。お客だろう」
「お客の教育も必要です」
透也と言い合いつつ、すでに別の友人を見つけて池のある中庭の方へ降りていった子供たちを眺める天華は、その元気な表情にほっと息をついた。
ご近所さんはそう言うもんだと受け入れてくれているとはいえ、天華とて、むやみやたらと熱を奪いたくはない。
「人は、温かいのが一番だよ」
何気なくつぶやけば、透也が眉をひそめて立ち尽くしたまんまだった。
「なんで」
「ん?」
「なんで、あなたは風呂に入りたがるんですか」
透也の理知的な瞳には困惑の色が浮かんでいる。
「あなたは僕たちにとってちょうど良い湯加減でも、熱湯のように感じるんでしょう? わざわざ沸かしたお湯に入ろうとして命を縮めるようなまね、しなくても良いじゃないですか」
「風呂に入りたいわけじゃなくて、温泉に入りたいのだよ」
「じゃあ言い換えます。なんで温泉に入りたいんですか」
そう、広いお風呂なら水風呂で十分だ。
富士見湯はほかならぬ天華のために、氷を用意してくれていることを天華は知ってる。
確かに、もうもうと立ちこめる湯気ですら、天華には正直しんどい。
耐えられないわけではないが、まとわりつく熱は天華の力を確実に弱める。
湯に入れば、確実にやけどを起こして溶けていくだろう。
そう言う存在なのだ。雪女は。
だが、それでも天華が、温泉に、露天風呂にこだわるのは。
「昔なあ。住んでいた山には、温泉が湧いていてな。秘湯とかいって、雪深いときでも結構人が山深くまで来て浸かりにくるのだ」
「……?」
唐突に始まった昔語りを、透也は不思議そうにしながら黙って聞いてくれた。
わざわざ着膨れて重装備で、ただ湯に浸かるためだけに人里から何時間も離れた場所に来て、いったい人間と言うものは何なのだろうと呆れたものだ。
「ある日な、ぞっとするような無表情で山を上ってくる男が居た。わたしには、一目でこの男が死ぬために山に入ってきたのだとわかったよ」
見事な獲物だった、と付け足せば、透也は若干血の気の引いた顔になる。
おや、口元がゆるんでしまったようだ、失敗失敗。
「まあそれはともかく。死にたくてやってきたのなら、遠慮なく糧にしてやろうと思って機会をねらっていたのだが。その前に男は、例の秘湯にたどり着いたのだ。そうしたら、どうしたと思う?」
「どうしたのですか」
「素っ裸になって、湯に入ってしまったのさ」
温泉に入った瞬間の男の顔を天華は忘れられない。
男は一瞬だけ熱さに顔をしかめたが、全身を沈めると、見る間に変化していく。
頬がゆるみ、目元が下がって口がほころぶ。
そこにさっきまであった死の影はまるでない。
まさに至福と言う表情でため息をつく男の変貌ぶりにびっくりして、天華も思わず姿を現してしまったほどだ。
「まあ、それが、君の父親だったのだが」
「……確かに、会社をリストラされたあげく母が死に、一時期行方不明になっていたことがあると、祖母から聞いたことがあります」
僕が赤ん坊のころですが。と今更驚いたような顔をする透也が少しおかしかった。
「うむ、何で死にたがっていたのか聞いたら、そんな話をされたな」
ふと、父親が子供も捨てて死のうとしてたんだから、当の子供にとっては結構ショッキングな話なのではと気付いたが、透也はすでに知っていたらしいのでよしとしよう。
「それでな、さっきまで絶望してぽっくりいきそうだったのに、今のおまえはどうして元気になってしまったのだ、と聞いてみたのだ。そしたら……」
『わからん。温泉に浸かったら、どこかに行った!』
「まあ、すばらしいドヤ顔でなあ。家に帰ったら温泉の良さを広めていくぞ、ならば銭湯をやるしかないな! とそりゃあすごい勢いで……と、どうした?」
「……いえ、そんな単純なきっかけで、こうして銭湯まで経営し始めたことが父らしいというか、我が父ながら単純だと」
透也は何とも言い難い顔で、少々口元をひくつかせつつ額に手を当ててていた。
単純って二度言った。
いや、天華も初めて聞いた時はいきなりなに言ってんだこいつ、っておもったが。
息子にすら単純と言われるその父親殿は、今釜場でせっせと薪を燃やして湯の管理をしているところだろう。
湯を沸かすなら薪が一番と言っていたからな。
「まあ、ともかく。そう言った奴の顔が湯に浸かってるから真っ赤でな。それが妙に生き生きとして、幸せそうで。それで、何となく知りたくなったんだ」
あんなに疲れ果てていた彼が、温泉に入っただけで別人のように表情を輝かせて未来を話すのが、あんまりにまぶしくて。
雪女は、妖怪は、そんなこと考えたりしないのだ。
権能のままに振るったり。ただそこにあるだけだったり。
今にしか興味ない。未来のことを考えたりしないのだ。
どちらが良いかとか、どちらが悪いかとかそう言うことではないのだろうけど。
でもあの時、温泉に浸かって彼が変わったことに驚いて。
彼にはどんなものが見えたのだろうと、なにを感じたのだろうと、天華はそれを知りたくなったのだ。
同じことをすれば分かるような気がして、山を降りることを決めた。
なにせ、秘湯の温泉は、天華には熱すぎたもので。
「で、どこへ行ってみようか考えていたところに、奴から銭湯の管理人になったと手紙をもらってな。この街にきたんだ」
「そう、でしたか」
「まあ、そろそろ潮時かもしれないが」
「え……」
天華が竹の長いすの縁に手をついて天井を仰げば、透也が思っても見なかったとでもいうように目を見開く。
「何度も挑戦したが、湯気に近づくだけでふらりときたり、足を浸すだけで体が溶ける。こんな炎天下を歩いてくるだけで倒れかけるだろう? 何とかなるかなと思ったが、土台無理な話だったのかなあと」
「そんな」
「他の人と同じ料金で、氷までだしてもらう特別扱いは、いつまでも申し訳ないしね」
迷惑をかけている自覚はある。
ちょっぴり苦笑いを浮かべてみせれば、透也の眉間にぎゅっとしわが寄った。
見るからに不機嫌そうな様子は、きれいな顔が台無しだぞと、茶化せる雰囲気じゃなかった。
そのあとすぐお客さんに呼ばれた透也は、なにも言わないまま番台に帰って行って、天華はちょっぴり息をついた。
雪女はただ冷たく、冷ややかに奪うだけ。
それが、権能であり業であり、存在意味だ。
それだけじゃつまらないと思ってしまった天華だったが、山を下りても、温泉に挑戦しても、分からなかった。
そもそも、体験することもできない。
雪女に、温かさはいらない。
きっと、そういうことなんだろう。
だから、ぽっかり空いたようなこの胸が、すーすーするのは当たり前なんだ。