傘はどこに行った
目覚めてすぐ聞こえた音に、うんざりして深い溜息を吐いた。ノイズのような雨音が、窓もカーテンも通り抜けてくる。
雨は嫌いだ。髪は跳ねるし靴は濡れるし陽も隠されて薄暗い、今日は休んでしまいたいとも思ったけど、カンカンになった親の顔を想像すると学校に行った方がマシだった。
雨の通学路はなんだか物悲しくて、見覚えのある傘を先の方で見つけた時には少し嬉しくなったりするものの、学校に着くと湿気を吸ったノートや教科書にも元気を奪われた。
下校の時間になると、また溜息が出てくる。こんな雨の日だと言うのに、友達はみんな部活へ行ったり、バスの時間があるからと早々に帰ってしまった。
どうせこれもいつもの事だった。渋々一人で帰る支度を済ませ、下駄箱で靴を履き替えるとおしゃれなハリネズミみたいな傘の山から自分の傘を探した。
けれど、いくら探しても見つからない。
「ない……」
思わず声に出して呟いていた。中学の頃から使っていた黄色い傘はこんな風にたくさんある中でも一番目立って、見つからないなんて事はなかった。差すだけで明るくなって、とても気に入っていたのに。
誰の傘かも分からないのに勝手に借りる事もできないし、面倒だけど家に電話して迎えに来てもらうしかなさそうだ。
「あれ、珍しいな。お前も今帰りか?」
携帯を取り出した時、声を掛けて来たのは近所に住む幼馴染だった。
「……そうだけど」
「一人かよ」
彼が喉を鳴らして笑う。珍しいと言ったのはその事だろう。
「うるさいな」
そうしている間にも彼は靴を履き替えて、自分の傘を手にしていた。
不意に、らしからぬ事を思って強く頭を振った。まさかこいつの傘に入れてもらおうなんて、考えただけでも屈辱的だ。
「夕方からもっと強くなるって話だし、さっさと帰るかな」
私の状況に露ほども気付かない彼は床を何度か蹴って、黒い傘を勢いよく開いた。
「じゃあな」
振り向きもせず手だけを挙げる。このまま見送れば、親に電話をして迎えに来てもらうのを待たなきゃいけない。十分か二十分、うちの母ならちょっとの事でも支度が遅いから三十分以上掛かるかも知れない。
「やっぱり待って!」
そう思った時には反射的に彼を呼び止めていた。
「どうした?」
なぜ照れ臭さなんて感じているのか自分でも分からなかったが、事情を説明するとやはり笑われた。
「お前と相合傘かよ」
「そういう事じゃないから!」
人がむきになっているのが面白いらしく、彼はしばらく笑っていた。その笑顔に沸々と怒りがこみ上げ、彼の足目掛けて鞄をフルスイングする。
「いてて……冗談だよ。とりあえず帰りたいんだろ、早く行こうぜ」
よほど痛かったのか、太腿をさする彼は大きな傘を肩にぐっと寄せ、左の半分に空きを作ってみせた。私がそこに入るのを躊躇っていると、痺れを切らしたように彼が言う。
「傘がないならしょうがないだろ、恥ずかしがってないでさっさと帰ろうぜ」
「別に恥ずかしいわけじゃないから!」
「はいはい、分かってるよ」
「分かってない」
「あーもう早くしろよ、再放送間に合わねえよ」
「……分かった」
急かされて、不本意ながらも傘に入ると、彼の歩幅の狭さにびっくりした。それと同時に、また変な事を想像してしまう。
もしかして、私の歩幅に合わせてくれているのかな。
気付かれないよう横目に見た彼の顔は間が抜けていて、とてもじゃないけどそんな紳士のような気配りが出来る男には思えない。
だけどその時、見なくていい物を見てしまった。私は濡れていないのに、彼の肩は傘の外にあって、ずぶ濡れになっていた。
申し訳なく感じる以上に、なぜかとても嬉しい気持ちになって、これは一生の不覚になると思った。
だから雨なんて大嫌いなんだ。