6公爵令息の訪問
「最近の姉様は凄まじいですね! 僕も見習ってアリスにたっくさん意地悪します! ぶひひひ」
「お黙りっ!」
未だ豚語を駆使するリオにセイヤッと勢いをつけてチョップをお見舞いする。
「ブヒッ!?」という悲鳴に再びチョップをかました後、ツンと顎を上げて腰に手を当てる。
「いいこと、リオは弟なのだからアリスと仲良くなさい。仲良きことは美しきかなよ」
とはいうものの、最近のアリスは些かやり過ぎではなかろうか。
ディアナの中の儚く優しげなアリス像はボロボロに崩れ堕ちていた。
今までの己の仕打ちさえなければ正直近寄りたくない人物である。
ただ海千山千な貴族社会においては頼もしいのかもしれない。伯爵令嬢とは大変だなぁと、他人事として同情するディアナ。
嫡子であるレイヴィに嫌われているということは、将来真実が明るみ出た際に温情は貰えないだろう。
身一つで屋敷を追われることはないと思いたいが、それでもこのままクラメンスを名乗れるなどと甘いことは考えていない。
将来は平民として過ごすこととなるだろうと、ディアナはすっかり気を抜いていた。
どこか商家の使用人の口利きでも貰えれば、あとは好きに生きるつもりである。
「ホラホラ、そんなことより休まない。まだ三十回しか飛んでないわよ」
子供の運動で思い浮かんだのはやはり縄跳び。
その辺にあった縄を毎日一定回数跳ぶことを課したのだが、効果は上々であったので回数を少しずつ増やしている。
「午後からお客様がいらっしゃるのだから急ぎなさい」
本日は久方ぶりに公爵令息が訪れる。
正式なものではないが、一応婚約者候補であるディアナとアリスの元へ公爵令息は定期的に訪れる。
以前まで伯爵令嬢は自分だと疑わなかったディアナは、彼のことも自分の婚約者だと思っていた。
しかし今では、彼はアリスの婚約者候補であり公爵様のご令息。とても近寄り難く感じてしまう。
「……あの方とはお会いしたくないです」
「……そのようなことを口にするものではありません」
唇を突き出し不満げな様子を愛らしく表現するリオを諌めるが、実はディアナも内心では大きく同意していた。
*******
「お久しゅうございますルーカス様」
気乗りしないまま、公爵令息のルーカスへと固い笑顔を向ける。
伯爵とレイヴィに挨拶を済ませた彼は、真っ直ぐに婚約者候補達の元へやって来た。
「アリスにディアナ。久しいな。元気そうでなによりだ」
尊大な口調で決して愛想がいいとは言えないが、それが全く鼻につかないのは生まれ持っての気品によるものか。
キリリとした眉に意思の強そうな切れ長の目、艶やかな黒髪。
年齢はディアナ達より二つ上なだけだが、既にワイルドな色香の片鱗を見せている。
「お会いしたかったですルーカス様。沢山お話ししたいことがあるんですよ」
アリスが嬉しそうに頬を染めて微笑む。
砕けたその口調に彼女とルーカスの距離の近さが伺えた。
「先日こっそりルーカス様と市井へ行ったことがお兄様にバレそうになって! お兄様ったら私に過保護だから、もう大変でした」
(市井…二人……あー、なんかそのシーン憶えてるかも)
こちらをチラチラ見ながら語られるアリスの会話に、デジャブを感じる。
確か市井でのお忍びデートは、二人の思い出エピソードとしてアニメでもあったはず。
この時ルーカスはまだアリスを妹のような存在として可愛がっている。
それを女性として意識するようになるのはもう少し先だと思うが、正直記憶が曖昧だ。
確かディアナの数々の虐めに立ち向かう姿に、儚く守るべきものだと思っていたアリスの芯の強さにギャップを感じて惹かれたとか惹かれないとか。
この辺りのくだりは放送開始すぐに盛り込まれていたので、まだそこまでアニメに見嵌っていなかった彼女は気が向くままお昼の情報番組と交互に観ていたのであまり憶えていない。
「アリス、そのことは……」
「あっ! いけない私ったら、これは二人の秘密なのに!」
エヘヘと可愛らしく舌を出して笑うアリス。そんなアニメ的仕草の自然さに感動して凝視するディアナに、ルーカスは決まり悪そうに頭を掻く。
「あー……父上より仰せつかった視察の帰りに、たまたま市井を彷徨くアリスを見かけてな。放っておけなかっただけで、決してディアナを蚊帳の外に置いたわけではない」
意外と気遣い屋な彼は、アリスとディアナの関係に心を砕き、高飛車で傲慢なディアナがか弱いアリスを攻撃しないよういつも配慮を怠らない。
「ほら、その時の土産だ」
渡されたのは透明の瓶に入った色とりどりのキャンディ。
アリスの口端が15度ほど釣り上るのが分かる。
このキャンディは彼が自分の母親や乳母、果てはメイドにまで配る為に大量購入されたものだ。
アニメのディアナは婚約者候補からのプレゼントに浮かれるが、しかし実のところアリスにだけ可愛いテディベアを贈っているというちょっとしたカタルシスを味わえるエピソードだったりする。
テディベアを贈られた際、「もうそんな子供じゃないわ」などと拗ねて見せるが、大事そうにギュッと胸に抱き込むアリスの姿を愛おしげに見つめるルーカス。
その後、何年かのちにそのテディベアはディアナにナイフでボロボロにされるのだが。それを偶然目撃したルーカスが完全にディアナと敵対するきっかけとなる。
「まぁ、ありがとうございます。とても嬉しいですわ」
瓶をしげしげと見つめながら思うのは悔しさではなかった。
果たしてこれをどう処分しようか、だ。
ディアナの背後から感じる熱烈な視線が痛い。
「リオ、何時までもそんな所にいないで貴方もルーカス様にご挨拶なさい」
先程も愚痴をこぼしていたようにリオはルーカスが苦手らしい。
今までディアナの背後にへばりついて離れないという礼に欠く態度に、厳しめの声を出す。
「……はい姉様。お久しぶりでございますルーカス様」
渋々といった程で挨拶をするリオに明日は倍のランニングを命じる決意をする。
「リオ、か? 随分と痩せたな」
ディアナの背後から現れた天使のような少年の様子にルーカスは度肝を抜いたらしい。驚く彼の顔にディアナは誇らしさを感じる。どうだ私の子分はやれば出来る子だろう、と。
「このキャンディはリオと二人で分け合ってもよろしいですか?」
「ああ、勿論だ」
最近リオに付き合い甘味を控えていたディアナ。リオの目の前でキャンディを貰ってしまってはバツが悪い。
自分だけ美味しいものを食べているのだとリオに思われれば、彼の意欲はだだ下がりだ。
ディアナの台詞にリオの目がキラキラと輝く。ランニングを二倍頑張ったら、明日は一粒キャンディをあげよう。
「ありがとうございますっ姉様!」
「リオ、キャンディをくださったのは?」
「……ありがとうございますルーカス様」
二人のやり取りを眺めていたルーカスは、リオを目にした時以上の驚愕を顔に浮かべる。
「なんというか、ディアナは少し変わったな」
そんな風に呟くルーカスに微かに笑ってみせる。ニヤリとしたそのニヒルな笑みは、決してそこらの令嬢が浮かべるものではなかった。