第4章:剣と魔法の融合
森に沈んだ三百の盗賊たちの断末魔が、湿った土に吸い込まれてからそれほど時間は経っていなかった。マリアの指先には、まだ微かに「命を摘み取った」感触が残っている。彼女は氷の宮殿のテラスに立ち、乱れた銀髪を整えることもせず、全神経を索敵魔法「サーチ」に集中させていた。
「……アルス、聞こえる? 今度は人間じゃないわ。もっと重苦しい、地響きのような魔力の波動が……三つの集団となって接近中よ」
マリアの脳内にある三次元の座標に、無数の赤い光点が浮かび上がる。
「北の湿地から『ニードルリザード』が三百。西の岩場から『アーマーリザード』が三百。そして、街道の正面から……金属質の鱗を持つ『アイアンリザード』が三百。計九百。……冗談でしょう? この村を潰すのに、これほどの軍勢を差し向けるなんて」
マリアは愛剣の柄を握り直したが、その掌は微かに汗ばんでいた。先ほどの盗賊三百人とは訳が違う。相手は強固な外殻と、物理攻撃を弾く鱗を持つ魔物の軍勢だ。
「アルス、指示を。……でも、流石にこの数は……私一人では難しいわ。九百体もの魔物を、剣一本で捌き切るなんて、物理的に限界がある。貴殿も手を貸して――」
「殲滅しろ、マリア」
アルスは彼女の言葉を遮り、冷淡に言い放った。彼は昨日と変わらぬ椅子に座り、まるで退屈な報告を聞かされているかのような態度だった。
「言い訳はいい。数が多すぎる? 物理的に限界? ……アンタ、まだ自分の手を汚して剣を振ることしか考えてないのか」
「なんですって……?」
「剣はただの『依代』だと言ったはずだ。アンタの指先から魔法が出るなら、その剣の先端から出ない道理はないだろう。バレットも、カッターも、マスクもだ。剣のリーチに囚われるな。剣から魔法を撃て」
マリアは目を見開いた。
彼女の中にある「剣士」としての常識が、再び激しく揺さぶられる。剣は斬るものであり、魔法は放つもの。その二つを完全に融合させる――。
「剣を触媒にして、魔力を増幅し、指向性を持たせて撃ち出す……。そんなこと、並の集中力では……!」
「できるはずだ。アンタの最大魔力量は、昨夜の『創造』で既にその域に達している。いいか、剣を振るうんじゃない。剣という名の『砲身』で、世界を撃ち抜け」
マリアは深く、長く、呼吸を整えた。
正面の街道から、地響きと共に九百の軍勢が姿を現す。先頭を行くアイアンリザードの鱗が、朝日に鈍く光った。
「……承知したわ。貴殿の無茶苦茶な要求を、すべて『正解』に書き換えてみせる!」
マリアは「アクセル」を起動し、銀の閃光となって広場の中央へと飛び出した。
目前には、針のような鱗を逆立てたニードルリザードの群れ。
「届きなさい……! 『ウォーターカッター・スラッシュ』!」
彼女は剣を水平に一閃させた。だが、それは空気を斬るための振るいではない。剣身に高圧の流水をエンチャントし、その遠心力を利用して、刃の先から「水の刃」を扇状に放出したのだ。
シュパァァァン!!
横一列に並んでいたニードルリザード数十体の首が、一瞬で、音もなく宙に舞った。
剣のリーチを遥かに超えた、十メートルを超える不可視の斬撃。
「……できた。本当に、剣から魔法が……!」
「止まるな! 次が来るぞ!」
アルスの怒声が飛ぶ。
左右からは、重厚な甲殻を持つアーマーリザードが肉薄していた。マリアは剣を正眼に構え、今度は刀身に「蒸気」の膨張エネルギーを限界まで圧縮する。
「吹き飛びなさい! 『スチームバレット・バースト』!」
突き出された剣先から、爆発的な圧力とともに高熱の弾丸が連射された。一発一発が、大口径の砲弾に等しい破壊力を持つ。アーマーリザードの強固な鎧は紙細工のように粉砕され、肉片が周囲に飛び散る。
そして、正面から迫るアイアンリザードの重装軍勢。
マリアは剣を頭上に掲げた。
「凍てつき……静まりなさい。『アイス・マスク・ディフュージョン』!」
振り下ろされた剣の軌跡から、蒼い冷気の波動が波紋のように広がった。それは触れたアイアンリザードたちの顔面を瞬時に捉え、厚い氷の仮面――マスク――を生成し、呼吸を奪い、その巨躯を氷像へと変えていく。
九百の軍勢を相手に、マリアは一歩も引かなかった。
剣を振ればカッターが飛び、突けばバレットが走り、薙げばマスクが敵を沈める。
それはもはや、剣技と呼ぶにはあまりに幻想的で、魔法と呼ぶにはあまりに鋭利な、新しい「武」の形。
「……これが、私の……本当の強さなのね」
返り血と返り水に濡れながら、マリアは恍惚とした表情を浮かべた。
九百の死骸の山を築き上げた中心で、彼女の銀色の瞳は、かつてないほど蒼く、深く、冷徹な光を放っていた。
背後のテラスで、アルスは初めて椅子から立ち上がり、小さく口角を上げた。
「……初成功だな、マリア。これでアンタは、一人で軍隊を屠る『魔剣士』になったわけだ」
マリアは、荒い息を吐きながら、愛剣に宿った水の残滓を振り払った。
彼女の価値観は、今この瞬間、完全に崩壊し、そして再構築されたのだ。
九百体の魔物の死骸が街道を埋め尽くす凄惨な光景。マリアは愛剣に付着した青い血を、生成した水で清めながら、自身の内側に宿る「一人で軍隊を屠る力」の重みに肩を震わせていた。
アルスは無造作に戦場へ歩み出ると、右手を空間にかざした。
「『アイテムボックス・コレクション』」
虚空が歪み、九百体の巨躯が吸い込まれるように次々と消えていく。ものの数秒で、街道は元の静寂を取り戻した。
「マリア、アンタにこれをやる。今のアンタの魔力量なら、空間を折り畳むくらい造作もないはずだ」
アルスがマリアの額に指先を触れる。彼女の脳内に、物理的な限界を超えた「収納」の概念が書き込まれていく。
「二つだ。一つは通常の『アイテムボックス』。時間停止機能付きだが、生き物は入らない。もう一つは『次元ストレージ』だ。こっちは生存環境を維持できる。犯罪者を捕縛して閉じ込めるのにも、要救助者を保護して運ぶのにも使える。……戦士にとって、物流の支配は勝利と同義だぜ」
マリアは驚愕した。これまでは重い装備や糧食に悩まされていた行軍が、指先一つで解決する。公爵家が喉から手が出るほど欲しがる「国家機密級」の魔法を、アルスは当然のように授けてみせた。
「さあ、習得したての『次元ストレージ』からリザードどもを出せ。今からこれら九百体をすべて『解体』してもらう」
「……九百体すべてを? 冗談でしょう、手作業では何日かかるか……」
「手作業でやれなんて言ってない。アンタが覚えた『ウォーターカッター』を応用しろ。細胞の隙間に魔力を通し、一瞬で分断する『解体魔法』を自分で開発してみろ。……さあ、やるぞ。村に巨大な『冷蔵倉庫』『冷凍倉庫』『普通倉庫』を氷で作れ。素材ごとに分別してな」
氷の物流拠点:三種の巨大倉庫
マリアは再び集中を高めた。村の北側に広大な更地を確保し、これまでに培った建築魔法をさらに巨大な規模で発動させる。
「『アイス・コンストラクション・ロジスティクス』!」
地響きと共に、三つの巨大な氷のドームが立ち上がった。
一つは、常温を保ち、皮や鱗、骨を収める「普通倉庫」。
一つは、魔力による冷却を弱め、熟成を促す「冷蔵倉庫」。
そしてもう一つは、絶対零度に近い冷気で肉や内臓を凍結保存する「冷凍倉庫」。
三つの巨大な「氷の蔵」が蒼白く発光しながら並ぶ様は、圧巻であった。
解体魔法の極致:アクア・セパレーション
「……次は、解体ね。理屈は分かっているわ。水の刃を、分子レベルまで細く、鋭く……!」
マリアは次元ストレージからリザードの一体を浮遊させ、指先を指揮者のように動かした。
「『解体魔法:アクア・セパレーション』!」
シュパシュパシュパッ! と、目にも止まらぬ速さで水の線が魔物の体を駆け巡る。
皮は皮として剥がれ、硬質な鱗は一枚の欠損もなく剥離する。肉は部位ごとに切り分けられ、骨は美しく洗浄された状態で取り出される。
ニードルリザードの「針」、アーマーリザードの「鱗」、アイアンリザードの「金属骨」。
それらが魔力によって自動的に選別され、それぞれの倉庫へと飛んでいく。
「……皮、鱗、針、肉、骨、内臓……そして、魔石!」
マリアは空中に浮かぶ輝く魔石を掴み取り、それをアルスへと差し出した。
九百回。彼女はその精密作業を繰り返した。最初は戸惑っていた動作も、百体を越える頃には「流動する美の極致」へと昇華されていた。
「……終わったわ、アルス。九百体、すべての素材の分別、完了したわ」
マリアは額の汗を拭い、達成感に満ちた表情で微笑んだ。彼女の足元には、回収された九百個の魔石が山をなしている。
「よくやった、マリア。破壊の魔法を、こうして『資源』に変える技術こそが、アンタをただの人殺しから、民を養う『主』へと変えるんだ」
アルスは魔石を回収し、満足げに頷いた。
倉庫の中には、村人たちが一生かけても使い切れないほどの食料と、武具の素材が整然と並んでいる。
「……私は、斬るだけではなく、こうして生かすこともできるのね」
マリアは自らの手を見つめた。
九百の命を奪ったその手は、今、数千の民を救うための「富」を生み出した。
「正義」ではない男、アルスの隣で、マリアは確実に「新しい支配者」としての道を着実に歩んでいた。
九百体の魔物の死骸が、マリアの編み出した解体魔法「アクア・セパレーション」によって、瞬く間に膨大な資源へと姿を変えた。かつての廃都で立ち尽くしていた女騎士の面影はもうない。今のマリアは、荒れ狂う魔力を緻密な糸のように操り、死から生を切り出す術を心得ていた。
「さあ、冷めないうちに食べなさい。これは貴方たちの血肉となり、明日を生きる力になるわ」
マリアは自ら巨大な氷の寸胴鍋の前に立ち、解体したばかりの新鮮なリザードの肉と、村の貯蔵庫から出させた野菜を煮込み、芳醇なスープを村人たちに振る舞った。リザードの肉は魔力を帯び、口の中で解けるほど柔らかい。村人たちはその滋味に涙し、彼女を「救いの聖女」と呼び跪いた。
マリアは村長を呼び寄せ、凛とした態度で命じた。
「普通倉庫に納めた皮や鱗、針は、いずれ来る商人に売りなさい。その金はすべて村の共有財産とし、復興の礎とするように。公爵家への税など不要よ。……これは、この地で生きる貴方たちの権利だわ」
村長が震える手で平伏するのを横目に、アルスは満足げに頷いた。
「食わせ、守り、経済の基盤まで作る。……いい主君になりそうだな、マリア。だが、水だけじゃまだ『完成』とは言えない。アンタが一番最初に絶望したあの『闇』を、根底から否定する力を授ける」
アルスはマリアの胸元に手をかざした。
「『光属性』。……俺が整理した、浄化と救済のシステムだ。受け取れ」
聖なる弾丸:光属性の開花
マリアの脳内に、水属性の重厚さとは対極にある、絶対的な「純粋」の理が流れ込んだ。
ヒールバレット(治癒弾):
「撃ち抜き、癒やしなさい!」
マリアが指先から放った柔らかな光の弾が、怪我をしていた村人の肩を通り抜ける。傷口は瞬時に塞がり、疲労すらも霧散した。
ピュリフィケーションバレット(浄化弾):
「穢れを払いなさい」
澱んだ水を一瞬で清流に変え、大地に染み込んだ毒を消し去る。
ホーリーバレット(聖光弾):
「……消えなさい、闇の残滓」
廃都でマリアを救った、あの絶対的な殲滅の光。アンデッドや悪霊といった「負の理」を、存在ごと光の塵へと還す断罪の一撃。
アルスは淡々と、光属性の汎用性を説いた。
「光は直進し、拡散し、そしてすべてを暴く。『弾・穿・刃・斬』の攻撃面は水と同じだが、その速度は比較にならない。さらに『盾・鎧』の防御、そして『癒・浄化・精製』の支援。……水の汎用性に光の超越性が加われば、アンタはもはや誰にも届かない場所に立つ」
神の瞳:光属性索敵の融合
「マリア、最後にこれだ。索敵魔法『サーチ』に、今授けた光属性を混ぜろ。水の波紋による感知に、光の透過能力を加えるんだ」
マリアは再び目を閉じ、意識を広げた。
これまでの「水属性サーチ」は、湿気を介して物質の形や動きを捉える「レーダー」のような感覚だった。だが、そこに光の属性を融合させた瞬間、彼女の視界は一変した。
「……あ、ああっ……!」
情報の精度が、次元を超えた。
壁の向こう側にいる人の骨格、血管を流れる血液の拍動、さらにはその者の持つ「魔力の属性」や「敵意の有無」までが、色彩を伴う情報として脳内に投影される。
地下深くの鉱脈から、上空数千メートルを舞う鳥の羽ばたきまで。遮蔽物を無視し、因果すら見透かすような「神の瞳」。
「見えるわ……。すべてが、私の手のひらの上にあるように……。水が形を教え、光がその本質を暴いてくれる」
マリアは目を開けた。彼女の銀色の瞳には、一瞬、神聖な金色の輪が浮かび上がり、すぐに静かな蒼へと戻った。
「アルス、貴殿は……本当に恐ろしい人ね。こんな力を、ただの騎士だった私に与えるなんて」
「アンタがそれを使いこなせると信じているからだ。……さあ、マリア。水で生命を繋ぎ、光で闇を払う。準備はいいか? 村を汚染した『元凶』の正体、今のアンタのサーチなら、もうその喉元を捉えているはずだ」
マリアは頷き、自らの剣――今や水と光の二つの理を宿す聖剣となった獲物を強く握りしめた。
「ええ。森の深淵に潜む、あの『汚れ』。……一瞬で、浄化してあげるわ」
高貴な女剣士は、今、人類の到達点を超えた「光水の守護者」へと羽化した。アルスという名の、正義ではないが絶対的な「理」を伴って。
朝の光が村を包む中、マリアとアルスは巨大な「ゴーレム・トラック」に揺られていた。鉄の獣は、マリアの繊細な魔力操作によって、複雑な起伏を持つ森の獣道を易々と踏み越えていく。かつては馬を労わりながら数日かけたであろう距離が、魔導の産物によって瞬く間に縮まっていく。
「……見えたわ、アルス。サーチに映る、澱んだ魔力の溜まり場。あの洞窟、そして水源……。汚染の元凶は、あそこにある」
マリアはトラックを止め、銀髪を翻して大地に降り立った。索敵魔法の精度は、水と光の融合により神域に達している。洞窟の入り口、そして水源を囲むように蠢く「数」を、彼女は冷徹に読み取った。
「数は二百。個体識別――『ポイズンスパイダー』。あの毒液が川に流れ込み、村を疫病の如き惨状に陥れていたのね」
「……汚ねえ連中だな。マリア、アンタの新しい術の出番だ。実験台には丁度いい」
アルスの言葉に、マリアは不敵に微笑み、剣を抜かずに右手を掲げた。
窒息の連鎖:マスク魔法の蹂躙
洞窟から這い出し、侵入者を迎え撃とうとする二百体の巨大な毒蜘蛛。その牙から滴る紫の毒液が、地面を焼く。だが、マリアの動きはその数倍速かった。
「……呼吸を、忘れなさい。『ウォーターマスク・マルチロック』!」
彼女の指先から放たれた無数の水の塊が、空間を飛び交い、全個体の頭部を正確に捉えて密閉した。バタバタと悶絶する蜘蛛の群れ。さらに彼女は追撃の手を緩めない。
「『アイスマスク』――『ボイルマスク』!」
一瞬で凍りつき、直後に内部から沸騰する水の仮面。逃げ場のない熱と冷気の地獄の中で、二百体のポイズンスパイダーは、一滴の毒を吐き出す暇もなく、音もなく絶命していった。マリアはそれを即座に「アイテムボックス」へと回収し、戦場から死の気配を一掃した。
浄化の光と、毒の淵からの救出
水源に近づくと、そこには毒に侵され、肌をどす黒く変色させた二人の女冒険者が倒れていた。彼女たちはこの汚染を止めようとして、逆に返り討ちにあったのだろう。
「死なせはしないわ。『ピュリフィケーションバレット』――『ヒールバレット』!」
マリアの放った光の弾丸が、彼女たちの体を優しく貫く。体内の毒素が光の粒子となって霧散し、死にかけていた細胞が急速に再生していく。荒い呼吸が落ち着き、彼女たちの瞳に生の色が戻った。
「助かった……の? 私たち……」
「ええ。もう大丈夫よ。貴女たちは、私の次元ストレージで保護します。安心して眠りなさい」
マリアは二人を優しく次元ストレージへと収容し、最後に汚染された水源に向き直った。
「……汚れを、払いなさい!」
放たれた巨大な『ピュリフィケーションバレット』が水源に突き刺さり、一瞬で村へと続く川のすべてを、透明な真水へと浄化してみせた。
猛毒の饗宴:逆転の美食
村に戻ったマリアは、アルスから信じがたい言葉を掛けられた。
「マリア、毒持ちの魔物ってのは、解毒さえ完璧なら、肉に独特の旨味があるんだぜ。……さあ、解体しろ」
「……毒蜘蛛を、食べるというの? 正気かしら」
マリアは眉をひそめたが、アルスの「理」に間違いがないことを、今の彼女は知っている。彼女はアクア・セパレーションを起動し、二百体のポイズンスパイダーを瞬時に解体。毒腺を完璧に分離し、光属性の「浄化」を全細胞に行き渡らせた。
「……ポイズンスパイダーの解毒薬膳スープ。出来上がったわ」
出来上がったスープは、黄金色に輝き、食欲をそそる芳醇な香りを放っていた。
保護された二人の冒険者、そして村人たちが、恐る恐るそのスープを口にする。
「……!? 美味しい! なにこれ、体が内側から燃えるように熱い……!」
「力が湧いてくる……! 毒だったなんて、嘘みたいだ!」
マリア自身も一口含み、その濃厚な旨味に驚愕した。毒という「負」の要素を、理の力で「正」のエネルギーへと反転させる。それは、アルスが彼女に教え続けてきた「世界の仕組み」そのものだった。
「……アルス。貴殿の言う通りだわ。この世界には、無駄なものなんて何一つない。ただ、扱い方を知っているか、いないか。……それだけのことなのね」
マリアは、空になったスープ皿を見つめ、静かに微笑んだ。
剣一本では決して成し得なかった、完全なる勝利。
守護聖女と称えられる彼女の背中には、もはや過去の迷いは微塵もなかった。
森の深淵に澱んでいた猛毒の霧が、マリアの放った「ピュリフィケーションバレット」の残光に溶けて消える。水源はクリスタルのような輝きを取り戻し、二百体のポイズンスパイダーは、マリアの「解体魔法:アクア・セパレーション」によって、整然とした素材の山へと姿を変えていた。
「……皮、毒腺、多脚の硬質殻、そして魔糸。すべて分別し、それぞれの倉庫に転送したわ」
マリアは慣れた手つきで「次元ストレージ」を操作し、膨大な物資を氷の倉庫群へと送り込む。最後に残った二百個の紫色の魔石を掌に集め、それを無造作にアルスのポーチへと放り込んだ。
「魔石の回収も完了よ。……これで、この地の汚染は根絶された。……そうでしょう、アルス?」
マリアは愛剣を鞘に納め、誇らしげに胸を張った。公爵家の令嬢としての品性と、魔神の如き実力。今の彼女は、かつて廃都で絶望していた自分とは別人のような、全能感に満ち溢れた美しさを放っている。
だが、その「勝利の余韻」を打ち破ったのは、先ほどマリアが救い出した二人の女冒険者だった。
「……あの、お師匠様!」
唐突な呼び声に、マリアの眉がぴくりと跳ねた。
解毒スープを飲み干し、急速に体力を回復させた二人の冒険者が、あろうことかアルスの前に膝をつき、必死の形相で彼を見上げていたのだ。
一人は、炎のような赤い髪をポニーテールにした剣士。もう一人は、深い森を思わせる緑の瞳を持つ格闘家。二人とも、マリアに劣らぬ長身でありながら、その肢体は暴力的なまでの生命力に満ち溢れていた。
マリアの「サーチ」が、意図せずとも彼女たちの詳細を暴き出す。
(……何、この女たち。無駄に身体スペックが高いわね)
赤い髪の剣士は、弾力に富んだ、はち切れんばかりの豊かな双丘を、薄手の革鎧でかろうじて留めている。緑の瞳の格闘家は、その長い足を包むタイツが悲鳴を上げるほどに、張り詰めた「巨尻」と、鍛え上げられたしなやかな腰つきを誇示していた。二人とも、二十代半ばの、まさに「成熟」の極致にある長身美人であった。
「私たちは、この森の異変を調査しに来て、力不足を痛感しました! でも……貴方のあの一撃、あの魔法……。理の欠片すら見えない、深淵の如き力に心を奪われました!」
赤髪の剣士が、豊かな胸を強調するように深く頭を下げる。
「どうか、私たちを弟子にしてください! どんな過酷な修行でも耐えてみせます! アルス様!」
「……えっ?」
マリアの口から、素っ頓狂な声が漏れた。
彼女は、自分がアルスの「唯一の弟子」であるという事実に、無意識のうちに絶対的な特別感を感じていた。魔力を使い果たし、泥にまみれ、全裸に近い状態で凍りつくような氷の風呂に入り、極限の反復練習を乗り越えてきたのは、自分だけのはずだった。
「……アルス。貴殿、まさか承諾するつもりではないわね?」
マリアの声が、氷点下まで急降下した。彼女は二人の女冒険者の間に割り込むように立ち、アルスを背後に隠した。
その瞳には、かつて盗賊三百人を殲滅した時よりも鋭い、「排除」の意志が宿っている。
「彼女たちは、まだ基礎もできていないわ。それに、私の修行の邪魔になるだけだわ。……第一、この女たちの厚かましい体つきを見なさい。戦士として、これほどまでの余分な質量を抱えているなんて、不合理の極みよ!」
マリアは自分の、適度に引き締まった、しかし気品のある体を棚に上げ、二人の「巨乳巨尻」という物理的圧迫感に対して、猛烈な「面白くない」という感情を爆発させていた。
「マリア、そんなにムキになるなよ。才能があるなら、数が増える分には構わないだろう。人手は多い方がいい」
アルスが飄々とした態度でそう告げた瞬間、マリアの周囲の空気がピキリと凍りついた。
彼女の足元から、薄い氷の膜が広がり始める。
「……面白いことを言うわね、アルス。貴殿は、私という最高傑作を作り上げながら、まだその辺の凡骨に目移りするというの? ……不愉快だわ。猛烈に、反吐が出るほど、面白くない!」
マリアは、自分の中に芽生えたこの感情を、どう定義していいか分からなかった。
嫉妬? 独占欲? あるいは、ただの不快感?
確かなのは、この二人の「不当に発育の良い女たち」が、アルスの隣に並ぶことを、彼女の魂が断固として拒否しているということだった。
「お、お嬢様……? 殺気が漏れていますよ……!」
「黙りなさい、この雌牛ども! 貴女たちに、アルスの『理』を理解する知性があると思っているの!? この私の、たった一日の修行内容を話してあげましょうか!? 精神が崩壊しても知らないわよ!」
マリアは、自分でも驚くほどの高圧的な口調で捲し立てた。
その背後で、アルスは呆れたように肩をすくめている。
「……やれやれ。マリア、アンタ、意外と独占欲が強いんだな」
「だ、誰が独占欲ですって!? 私は、貴殿の『教育効率』を心配しているだけよ! 出来の悪い生徒が増えれば、私の成長が阻害されるわ!」
言い訳をしながらも、マリアのサーチは、二人の女冒険者がアルスを見つめる「羨望の眼差し」を片時も離さず監視し続けていた。
蒼氷の女騎士マリア。
最強の魔剣士へと至る道に、予想だにしない「女の火花」という新たな障害物が立ちはだかろうとしていた。
森を浄化した後の村には、平穏な朝が訪れるはずだった。しかし、氷の宮殿の前では、新たな「火花」が散っていた。
「……私はカレン。流浪の剣士よ。この豊かな胸……じゃなくて、この剣にかけて、アルス様の理を学びたいの!」
赤髪の剣士が、不必要に強調された胸を張り、マリアを真っ直ぐに見据える。
「私はリン。格闘家よ。……アルス様のあの『光』、魂が震えたわ。どんな過酷な修行でも、この足腰で耐えてみせる」
緑の瞳の格闘家も、タイツが悲鳴を上げるほど発達した「巨尻」を揺らし、一歩も引かない構えを見せる。
マリアは、彼女たちの暴力的なまでに「発育の良い」肢体をサーチで詳細に分析し、こめかみに青筋を浮かべた。
「……カレンにリンね。いいわ、貴女たちのその無駄に積み上がった『質量』が、どれほど戦いにおいて不合理か、この私が骨の髄まで叩き込んであげる!」
「面白くない」という感情を、マリアは「指導」という形に変換することに決めた。アルスの手を煩わせるわけにはいかない。この「雌牛ども」を音を上げさせ、自ら去るように仕向けるのが、一番の解決策だ。
地獄の魔力操作:枯渇の洗礼
「魔力操作をして。世界中から魔力を吸い上げ、一点に凝縮するのよ。……止まることは許さないわ。指先が焼け付こうが、意識が遠のこうが、私が『良し』と言うまで続けなさい!」
マリアの指導は、アルスが彼女に行ったものよりも数倍苛烈だった。
「アクセル」で思考を加速させたマリアは、二人の魔力回路の乱れを瞬時に見抜き、容赦のない言葉の鞭を浴びせる。
「カレン! その胸の重さに魔力が引きずられているわよ! 凝縮しなさい! リン! 尻に魔力を溜めてどうするの、指先に回しなさい!」
数時間が経過した。
カレンとリンの額からは滝のような汗が流れ、その自慢の肢体は泥にまみれ、激しく震えていた。魔力枯渇の寸前。視界は白濁し、肺は焼けるような熱を帯びている。
「あ……あう……も、もう……」
「まだよ! 枯渇の先にある『真理』を掴みなさい! さもないと、アルスの隣に立つ資格なんて万年経っても得られないわよ!」
マリアは高圧的に言い放つが、その内心では驚いていた。この二人、身体スペックが高いだけでなく、根性が据わっている。どれほど追い込んでも、アルスの名を出すたびに瞳に光を宿し、再び魔力を練り始めるのだ。
強欲の代官と、震える村
修行の場に、不気味な足音が近づいていた。
村長が顔を蒼白にして駆け寄ってくる。
「お、お嬢様! アルス様! 大変です……領主様の代官様が……!」
村の入り口から、馬に乗った一人の男と、重装備の私兵十人が土足で踏み込んできた。代官――バルトロ。肥え太った体に派手な装束を纏い、周囲を蔑むような目で眺めている。
「ほう……。疫病で全滅したと聞いていたが、何だこの氷の建物は? それに、あの倉庫に詰まっているのは……リザードの皮に鱗、肉か! 素晴らしい、これはすべて領主様への『徴発』とする!」
村長が震える声で懇願する。
「そ、そんな! これはあのお方たちが村の復興のためにと残してくださったもので……。どうか、これ以上は……! 昨年の重税で、村にはもう何も……」
「黙れ、下賤な民草が。領主様の慈悲で生かされていることを忘れたか?」
代官は鞭を鳴らし、私兵たちに命じた。
「おい、さっさと倉庫の中身を運び出せ! 抵抗する者はその場で斬り捨てて構わん!」
瞬殺の理:アルスの裁定
マリアは、代官の横暴な言葉を聞きながら、静かに剣の柄を握った。
「……アルス。私が行くわ。この程度の雑魚、掃除するまでもない」
だが、アルスは動かなかった。彼は氷の椅子から立ち上がり、代官たちを冷徹な眼差しで射抜いた。
「マリア、アンタは今、弟子たちの面倒を見ている最中だろ。集中しろ。……ゴミの処分は、俺がやる」
アルスが一歩、前に出た。
「おい、領主の使いか何か知らんが。その汚い足をこれ以上、この村の土に乗せるな。……そして、俺が作った『素材』に指一本でも触れた瞬間、アンタらの命は消える」
「……あ? 何だこの若造は。おい、やれ!」
代官の合図で、十人の私兵が一斉に抜剣し、アルスへと躍り出た。
「……『マジックバレット・ディフュージョン』」
アルスが指先をパチンと鳴らした、その刹那だった。
閃光。
十人の私兵たちの眉間に、正確に光の弾丸が吸い込まれた。彼らは悲鳴を上げる暇もなく、糸の切れた人形のように、同時に崩れ落ちた。
「な……な……っ!?」
代官が腰を抜かし、馬から転げ落ちる。
「ヒッ……ひいいっ! 貴様、自分が何をしたか分かっているのか!? 領主様に……国に逆らうというのか!」
「国? 知らんな。俺のルールは一つだ。……俺の物を奪おうとする奴は、死ぬ」
アルスが指を代官に向ける。
「待ってくれ! 助けて……!」
「……『ホーリーバレット』」
次の瞬間、代官の姿は純白の光に包まれ、叫び声と共に光の塵へと還った。
後に残ったのは、主を失って狼狽える十数頭の馬と、静まり返った村の広場だけだった。
マリアは、その圧倒的な「暴力」を目の当たりにし、改めて戦慄した。
アルスにとって、相手が盗賊であろうと、国の役人であろうと、関係ない。
己の理に触れるものは、等しく排除する。
「……正義じゃない、と言ったのは本当ね。アルス」
マリアは、まだ魔力枯渇で喘いでいるカレンとリンに視線を戻した。
「……見たかしら。これが、貴女たちが憧れた男の本性よ。……覚悟ができているなら、続きを始めるわよ。休んでいる暇なんて、一秒もないんだから!」
マリアの厳しい声が響く中、村人たちは恐怖と、そしてそれ以上の「解放感」に包まれていた。
圧政の鎖が、一瞬で断ち切られたのだ。アルスという名の、絶対的な力の刃によって。




