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「志岐、ごめんね。取り乱して」
枕元に座って謝ってくる空に、志岐はふっと目を細めて手を伸ばした。
「俺こそごめんな。変なこと言って」
横になったまま空の背中を撫でる。
ただの世間話のつもりだったのだが、何か地雷があったのかもしれない。
「ちょっと、びっくりして⋯」
「うん」
「俺も、考えてたの。志岐と同じになれたらって。それで、薬のことも少し調べて」
「そうだったんだ」
空は、寿命が短くなってしまうことを何より気にしているようだった。そこがクリアされない限り、志岐が薬を飲むのは絶対に反対だと。
「志岐のお父さんとお母さんも、絶対悲しむよ」
「⋯まあ、そうだよな」
数十年寿命が短くなれば、両親よりも先に逝く可能性が格段に上がる。さすがに、安易に考えられることではなかった。
「空」
「ん?」
ちょっとした妄想。夢。
空と同じセカンドになれば、出来るようになることもたくさんある。
それは確かに魅力的ではあるけれど、でも。
「俺は、今でも充分幸せだよ。空がいてくれれば、それだけでいい」
「志岐⋯。うん。俺も」
空は手を伸ばして、志岐の頰にくっついてくる。僅かに濡れた感触があった。また泣いてるのかもしれないが、今の涙はさっきとは意味が違うことがわかっていたので、志岐は何も言わなかった。
少しすると収まったのか、空は照れくさそうに笑って、そのまま隣に横になった。
「今日、ここで寝たい」
「だめだよ。俺寝相悪いから潰しちゃうし」
「いいよ、潰しても」
「いや良くないから」
志岐がだめだと言うと、空はぷくっと頰を膨らませた。志岐はふっと笑って指先で頰を突く。
「じゃあ、空が寝たらそっちに移動してあげるから」
「淋しい」
「⋯俺の理性が。寝ちゃえば淋しくないだろ。ってかすぐ隣にいるし」
「じゃあ志岐のハンカチ貸して」
「好きだな俺のハンカチ」
以前冷房が効きすぎの店で貸して以来、何度か空にハンカチを貸した。2、3枚戻って来てないのがあるような気がする。
「ごめん、今度ちゃんと返すから」
「別にあんなの全然いいんだけど、ちゃんと洗った?」
「⋯⋯洗ったよ?」
「なんだ今の間は。ちゃんと洗ってね。汚いから」
「大丈夫。今度持ってくるから、また違うの貸して」
「⋯⋯」
一体何に使っているのか。いや、聞かなくても想像はつくのだが。
空が寝息を立て始めると、志岐はそっと空用の布団に寝かせ、スーツのポケットに入れっぱなしにしていたハンカチをかけた。
その夜志岐は、空の幸せそうな寝顔を、飽きるまでずっと眺めていた。
✦✦✦
「なあ空、ここ、ほんとに俺が入って大丈夫なの?」
暗い夜の森の中を懐中電灯で照らしながら、志岐はザクザクと音を立てて進んでいく。
「大丈夫」
空はいつものごとく志岐のポケットの中で、スマホで開いた地図とにらめっこしながら答えた。ろくに目印のない森の中で、GPSを駆使して道案内をしてくれている。
ここは、空の住むフェアリーシティの中の森だ。通常なら志岐は入ることは出来ない。
空は、この森であれば門から集落を通らずに行けるので、事前に申請すれば問題はないと言っていた。ただ、なぜここに連れてこられたのか、その目的は未だ教えてくれないままだ。
「志岐、もうちょっと右の方」
「あとどれくらい?」
「うーん、もうすぐ着くと思うんだけど」
今日は山の中を歩ける格好をしてきてくれと言われたので、志岐はハイキング用の靴と服装だ。空もそんな感じの格好だった。結局空はずっと志岐のポケットに収まっているため、いつもの服装でも何の問題もないように思えたのだが、かわいいので黙っておくことにした。
「⋯あ!」
「あれか⋯?」
しばらくすると、木々の合間から若干明るくなっているところが見えてきた。志岐は気持ちスピードを上げる。
「わぁ⋯」
「すご⋯」
そこには、綺麗な湖が広がっていた。
「空が見せたかったのって、これ?」
「んーと、ちょっと違う」
「違うの?」
「もうちょっと待ってて」
言われて、持ってきたレジャーシートに座ってしばらく2人で湖を眺めていると、ふいに小さな光の線が走った。
「そろそろかな。志岐、上」
「上?」
視線を上げると、またスーッと光の線が見えた。感覚を開けずに、その数はどんどん増えていく。
「これって、流星群⋯?」
「うん。見て、湖にも映ってる」
澄んだ湖面に夜空が映り、幻想的な景色が広がる。
志岐たちは溜息を吐いて、その光景を見つめた。
「綺麗⋯」
「うん⋯。空、見える? こっちくるか?」
志岐は空の身体を抱き上げ、肩に座らせた。今日はセーフティベルトを持ってきていないので、落ちないように足をしっかり掴む。
「ありがと。すごいね」
「うん。けど、こんな綺麗なのに、なんで他に誰もいないんだ?」
空がこの場所を知っていることが、何かすごく特別なのだろうか。
「ここ、セカンドだけじゃ来れないから。結構歩いたでしょ」
「30分くらいかな」
「ごめんね。疲れてない?」
「全然平気」
運送業は体力のいる仕事なので、30分程度のハイキングならなんのことはない。しかし、言われてみれば確かにそうだ。普通の人間の足で30分なら、セカンドの足だと何時間かかるのか。しかも山道で全くと言っていいほど整備はされておらず、セカンドが使う乗り物で進むのは無理そうだった。
「そっか。だから誰もいないんだ」
志岐だけでは、セカンドの住む町の中なので入れないし、空だけでもたどり着けない。2人だからこそ見られた景色。
それを目に焼き付けるように見つめながら、空がおもむろに口を開いた。
「志岐、あのね」
「うん?」
「俺、志岐と同じ人間になれる薬、飲もうと思う」
「⋯⋯え?」
頭が理解するまでに、少し時間がかかった。
人間サイズになれる薬。それはまだ、10人に1人は死んでしまうと言われているんじゃなかったか。
「もちろん、今すぐじゃないよ。いつか、実用化されてから」
「あ、なんだ。びっくりした」
「ふふ、ごめんね。匡、友達が、その薬の研究してて」
「ああ、俺も会ったことある子」
「うん。匡は、最低5年はかかるだろうって言ってたけど、でもきっと出来ると思う」
「5年か⋯」
空と付き合い始めて、まだほんの数ヶ月。5年というのは、すごく長く感じた。
話をしているうちに流星群はピークを過ぎ、辺りは少し暗くなった。
「綺麗だったね」
「そうだな。もっと見たかったな⋯」
「来年また来る?」
「え、来れるの?」
「流星群は毎年あるよ」
「そうだけど」
ここに志岐が来るには許可がいるのではないのか。そんなに何度も大丈夫なのだろうか。
「全然大丈夫だよ」
「そうなんだ」
「でも、さっき話した薬が完成して、俺が志岐と同じ人間になったら来れないけど」
「!」
そうだ、薬を飲んだら、空はもうこの町には住めなくなる。本当にそれでいいのだろうか。
「それも別に大丈夫だよ」
「けど、ご両親とか反対しない?」
「俺の両親、しょっちゅう仕事で町の外に出てるから、俺がこの町出たっていつでも会えるし、そもそも年に数回しか会ってないし、大丈夫」
「空って、両親と仲いいの?」
「うん。まだ先の話だし、そのうちゆっくり話すから」
空の口ぶりは、聞いていて安心出来るものだった。空がそう言うのなら、本当に大丈夫なのだろう。
「だから、薬の完成までは、毎年ここに流星群見に来よう?」
「⋯そうだな」
薬が出来なくても、ここに来るのを楽しみにすればいい。そうしていれば、5年後なんてあっという間に来てしまうのかもしれない。
志岐は隣で笑う空の顔を、目を細めて見つめた。
「空は、同じ人間サイズになったら何したい?」
「うーん、いっぱいあるけど⋯」
「そうだな。俺もしたいこといっぱいある」
その中で1番を決めるのは、少し難しいけれど。
「⋯⋯キス、かな。志岐とキスしたい」
「⋯うん」
空がそっと手を伸ばしてきて、志岐の頰に触れる。ペロっと小さな舌が志岐の唇を舐めた。
今は、これが限界。
それでも、以前空にも伝えたけれど、志岐は今でも充分幸せで。
頰を触れ合わせるように抱き寄せると、空はくすっと笑みを零した。