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夕飯の準備をしていると、玄関のチャイムが鳴った。
「空〜?」
直後に匡の声が聞こえ、ドアを開ける。
「匡、どうしたの?」
「いい匂いしたからぁ、来ちゃった」
「カレー作ってたんだけど、食べる?」
「食べる!」
匡を部屋に招き入れ、空は準備を進める。
「もうちょっとで出来るから、適当に座ってて」
「サンキュー。あーやばい、仕事忙しすぎ」
「昨日も遅かったよね?」
空が寝る時間も、匡は帰ってきていなかった。
「帰ってきたのは今朝。さっきまで寝てた」
「⋯うわ」
匡は、製薬会社で研究者として働いている。自分なんかとは違い、すごく頭が良いのだ。
完成したカレーを持って行くと、匡は目を輝かせた。一口食べて顔をほころばせる。
「やばー、うま。生き返る⋯」
「大げさ。でもありがと」
あっという間に平らげ、おかわりを要求する匡に笑いながら、空は世間話のように尋ねる。
「今は何の研究してるの?」
「んー、セカンドがオリジナルの人間サイズになる薬の研究」
「⋯⋯え?」
匡はなんでもないことのように言うが、思いがけない内容に、空は一瞬固まった。
匡の言う薬は、実はすでに存在している。ただ、失敗して死に至る確率が高いため、未だ実用化はしていない。逆に、人間がセカンドサイズになる薬の方は、すでに実用化していた。
「それ、出来そうなの?」
「んなすぐには無理だな。今致死率10%とかだし。最低でもあと5年はかかると思う」
「そうなんだ⋯」
空が何を考えているのか想像がつくのか、匡は釘を刺すように言った。
「最低5年だからな。もっとかかる可能性の方が高いぞ」
「う、うん。っていうか、俺がその薬使うと思ってる?」
「オリジナルと恋愛してる奴は、大抵1回は考えるだろ」
そういうものなのだろうか。空はまだ考えたことはなかったが、確かに、もし志岐と同じ人間になれるのなら⋯
想像したら胸がドキドキしてきた。
「やるなら、ちゃんと実用化されてからにしろよ。金に物言わせて人体実験みたいなことやってる奴らもいるけど」
「そんなのやらないよ。⋯匡は、俺がオリジナルの人間サイズになっちゃってもいいの?」
「別に。なったからって会えなくなるわけでもないし。空は空だろ」
「そう」
あっさりしている。こういうところが匡のいいところだなと思う。
「じゃあ、早く実用化出来るように頑張ってね」
「俺は十分頑張ってるし。これ以上頑張ったら過労死するわ」
「それはやだし。じゃあ今まで通りで頑張って」
「言われるまでもないけど。じゃあ頑張ってやるから、カレーおかわり」
ほい、とお皿を差し出されて、空は目を丸くする。
「まだ食べるの? お腹壊さない?」
「ヨユー」
ニヤッと笑う友人に3杯目を用意するため、空は小さく肩をすくめて立ち上がった。
✦✦✦
数日後、また発情期がやってきて、空はベッドの上で気怠げに溜息を吐いた。
スマホに来た志岐からの心配する内容のメッセージに、大丈夫だと返信を打つ。身体は辛いがもう慣れっこで、数日経てば治まることも分かっている。
発情期が来てしまったから会えないと志岐に連絡した時、志岐からは、自分が役にたてないかと訊かれた。
会いたい気持ちは当然ある。この前みたいにしてもらえば、少しは楽になるかもしれない。でも。
空は、志岐とは出来る限り、対等でいたいと思っていた。
志岐は全然迷惑なんかじゃないと言ってくれるけれど、それでなくても普段から色々助けてもらうことの方が多いので、自分で対処出来ることは自分でやらないと。
「志岐⋯」
空は枕元に置いていた、この前志岐に借りたハンカチを抱き締めた。志岐のものなので、空にとっては毛布くらいの大きさだ。
一緒に食事に行った時に入った店が、少し冷房が効きすぎていて、腕をさすっていたら志岐が貸してくれたものだった。汚したわけでもないのに洗って返すと言って、半ば無理やり借りてきた。
顔を埋めると志岐の匂いがして、身体がゾクッとスイッチが入ったような感じがした。空はそっと下着の中に手を入れて、熱を持ち始めている自身に触れる。
志岐はあんまりここは触ってくれない。力加減が分からなくて、怪我をさせてしまいそうだからと言っていた。ここだけじゃなくて、他のところも優しく撫でるだけで、空のことをすごく気遣ってくれている。その気遣いが嬉しくて、もどかしい。
自分たちはそこまで弱くない。もっと普通に触れてくれても全然大丈夫だし、なんなら空は、志岐になら壊されても構わないくらいの気持ちだった。
抱き締めたハンカチから香る大好きな匂いに酔ったように、空は何度も熱い溜息を吐いた。