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目が覚めると、すでに昼を回っていた。
空はだいぶ気分が良くなっていることに安堵し、ほっと息を吐く。
昨夜は突然発情期が来てしまい、すごく焦った。予定ではまだ1週間は先のはずだった。今まではここまで大幅にずれることはなかったし、職場や家など、長時間いるところには薬を常備していたので、普段あまり薬を持ち歩かないのが仇となってしまった。
「志岐⋯?」
空は部屋の中を見回す。志岐の姿はなかった。
初めて来た志岐の部屋。昨日はあんな形になってしまったが、今更ながらドキドキしてくる。
「あ、空。起きた?」
部屋のドアが開いて志岐が入ってくる。
「気分どう?」
「だいぶ良くなった。あの⋯」
「うん?」
空は頰を赤く染めてちらちらと志岐の顔を覗き見る。
「ごめんなさい、迷惑かけて⋯」
「迷惑なんかじゃないよ」
そっと頭を撫でられた。そうされるとなんだかすごく安心して、ふっと口元が緩む。
「んーと、ゆっくり話したいこともあるんだけど、とりあえずそれは今度にしよう。空、お腹空いてない?」
「あんまり⋯」
「そっか。じゃあとりあえずこれだけ」
志岐はそう言って、空のサイズの水のペットボトルを渡してくれる。
「飲んだら家送ってくよ」
「うん。ありがとう」
ペットボトルを開けると、空はゆっくり時間をかけてそれを飲み干した。
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数日後、発情期の期間も過ぎ、すっかり体調が戻った空は、鼻歌を歌いながらベランダで洗濯物を干していた。
「あ、空、もう体調いいの?」
「匡。うん、もうすっかり」
匡は隣の部屋に住む友人だ。空と同じΩで、普段から色々相談に乗ってもらっている。
「花火大会行くっつって帰ってこないから心配した。次の日帰ってきたと思ったら寝込んじゃうし」
「ごめん」
「別に謝ることじゃないけど。そっち行っていい?」
「うん」
ベランダからいったん部屋に入った匡は、すぐに空の部屋のチャイムを鳴らしてきた。
「おじゃましまーす」
勝手知ったる空の部屋で、ソファに座って持ってきたジュースを開ける。空にも1本渡してくれた。
「発情期ずれるなんて珍しいじゃん」
「⋯うん」
「あれか、あいつが原因か」
「わかんない、けど⋯」
発情期は精神面に大きく影響するらしく、精神的に不安定だと周期が乱れることが多い。けれど、あの日は精神的に不安定だったとは思えない。あの日だけではなく、ここしばらく空は、花火大会が楽しみでずっと浮き足立っていた。
他に原因があるとすれば、志岐といつもよりも長い時間一緒にいたことだ。好意を持っている相手と一緒にいると、発情期が早まることがあると聞いたことがある。
「まあ俺は別に、空が誰と付き合おうが知ったこっちゃないけど」
「匡はそう言うと思った」
「相手があいつだからって言うのもあるけどな〜。なんていうか、無害って感じ」
「なにそれ」
匡の言うことに笑いながらも、少しわかるかもと空は思った。
志岐に初めて会ったのは、仕事を始めてしばらくたってからだった。
最初は志岐も、仕事で顔を合わせるだけの人間のうちの1人だった。けれど、1度空たちがクレーンで荷解きの作業をしているのを見てから、仕事を手伝ってくれるようになった。
食事に誘われるようになったのは、ちょうどその頃からだ。
最初は、ただ自分と友人として仲良くなりたいだけだろうと思っていた。けれど匡から、あの人は絶対に空のことが好きだと言われ、変に意識するようになってしまった。
そんな風に思って見ると、本当に好かれているように思えてきて、気付けば空の方が志岐のことを好きになっていた。
匡が部屋に戻ってからも、空は志岐のことを考え続けていた。
あの夜、好きだと言ってくれたのは本心だったのか、それとも、発情期に入ってしまった自分を気遣ってくれただけなのか。
あの日以降、志岐には会っていない。ゆっくり話したいと言っていたけれど、何について?
明日からまた仕事に戻る。そうすれば、また志岐に会えるだろうか。
早く会いたい。空は志岐の連絡先を聞いていないことに今更思い至って、次に会ったら必ず聞こうと心に決めた。




