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第五章 凛の反応

「ごめん。驚くの、当然だよな。俺、いつ話しかけようか、ずっと迷ってた」

 リンはまだ口が利けないらしい。それでもなんとか立ち上がり、部屋を駆け足で出て行く。

「どうしたの? もうちょっと待っててね」

 母親が驚いた顔をしてリンを見つめる。 

「……あの……ううん、なんでもない」

 いぶかし気に母親が近づいてくる。

「何かあったの? 具合が悪いの?」

 リンは首を何度も横に振った。 

「なんか声がしたような……。うん、きっと気のせいよ」

 ひとりで納得してリンは部屋に戻る。ぽかんとした母親を置いたまま。

 どうしよう。話しかけるべきか、今日はこれでやめとくか。すっごく迷う。

 母親が心配そうに部屋にやってきた。

「声って? だれかの声が聞こえたの? まさかね」 

 笑顔を作ってようすをうかがっている。   

「聞こえるわけないよね。へんなこといっちゃった。もう大丈夫」

 母親は頷いてキッチンへ戻っていった。リンは辺りを見回してから、毛布をかぶりベッドに横になった。

 怖いのかな? 心臓の音がばくばく打ってるのが聞こえる。

「あのさ、俺、伊蕗。いろいろ事情があって、リンの体を借りてるって感じかな」

 思い切っていってみた。リンがビクッと体を震わす。

 少しして、やっと不安そうなか細い声が俺に届く。

「私の名前……知ってるの? どうして? 借りてるって……どういう意味?」 

「母さんが呼んでいたのを聞いた。俺、リンの中にいるんだ。だからリンが見るものとか聞く声とか、全部俺もわかる。迷惑だよな。でもそうするよりなかった。ごめん」

 リンは返事もしてくれなくて、ただ黙ってじっと動かない。

「なんか聞いてくれよ。そうじゃないと、どこから説明したらいいかわかんない」

 無言が一番やっかいだ。俺は焦っていらいらする。

「私の名前知ってるからって、気安く呼ばないで欲しい」

「わかった。じゃ、なんて呼べばいい?」

「なんで私なの? いつからいるの? 勝手にそんなことするなんてひどいじゃない」

 リンは毛布の中でもぞもぞしてる。

「茨城の病院に来ただろ。あんとき、俺もあそこにいた」

「おじいちゃんのお見舞いに行った日ね。なんでいたの?」

 どこまで話せばいいんだろう? 夏帆のことはまだいうつもりはないんだ。

「自転車に乗ってて事故にあった」 

 一瞬、リンの体が強張るのを感じる。

「つまり……」

 いいにくそうだったから、俺が後を続けた。

「そう、俺は死ぬ寸前だった。でもどういうわけか暗闇で意識だけが目を覚まして、そこからこの世界に戻ってきたんだ。俺の動かない体も見えて、両親のそばにも行った。二~三日しかもたないって医者がいってた。それでさ、意識だけでもあるんだから、だれかの体を借りようって」

「じゃあ、伊蕗君だっけ? は、もう……」

「ああ、俺の葬式はもう済んだんじゃないかな」

 けっこうつらいぜ。自分の葬式の話をするなんてさ。リンも返事に困ってる。

「それはいいんだ。って、ほんとはよくないけど、でも仕方ないだろ? 悲しかったのは、俺の声、だれにも聞こえなかったってこと。だからリンに、あっ、ごめん、聞こえるか心配だった」

「聞こえてます」とそっけない返事。 

「よかった」

 俺も他に言葉が見つからない。どう話を続けたらいいのかわかんなくて、お互い黙ってしまう。

 しばらくして「伊蕗君のこと、お気の毒に思います」と微かな声がした。

「あ、ありがと」

「でも……私の中にいるのは許せない。他のひとにしてっていうのも違う気がする。だからって、このままはいや」

「あの時、ほんとに死んでればよかったんだ。いや違うよ。死んだりしちゃいけなかったんだ。どうして意識だけ残ったのか、俺にもわからない。それって俺のせい?」

 リンにあたっても仕方ないけどさ、なんか悔しい。

「思い残すことがあったとか?」

 俺は返事ができなかった。

「いいたくないのね」 

 もっとさ、親身になってくれたら話せるよ。でもさ、すごいつっけんどんじゃん。

「お互い理解が深まって、仲良くなれたらってか、気持ちが通じたら……」

「こんな状態でそんなふうになれると思う? 私が行くところへもずっとついてくるわけでしょ? はっきりいって……迷惑。もうお互い話さない方がいいと思う」

 リンってもっとおとなしくて、優しい子かと思ってた。ひでい言い方!

「わかった。もう話しかけないよ。けど、抜け出す方法みつかるまでしばらくいさせてもらう。悪いな」 

腹が立ったから言い返してやった。リンの気持ちも理解できる。体の中に俺がいるって知ってしまったんだ。いつもいるってことは見張られているのと同じだし、何をするにも俺のことを意識しないといけないのは面倒だよな。けどもう少し、俺の気持ちもさ……。話せるのに拒否されるのは、聞こえないよりつらいよ。夏帆の顔がおぼろげに浮かぶ。もう忘れなくちゃいけないんだな、きっと。

 リンは耳を手でおおい、そのままベッドに寝転んでいる。俺は話しかけなかった。

 しばらくしてリンが独り言のようにつぶやいた。

「だってもう伊蕗君の体はないんだもの」

 毛布から顔を出して、天井をにらみ始めた。

「でも……」沈黙がつづいてから「死にたくなかったよね」とささやいた。

「う、うん。俺、まだ十三歳だもんな」

「同い年なんだ。そっか」 

 お互い無言が続く。きっと迷ってるんだ。

「切羽詰まってさ、なんとか意識を持続させたくて。それしか思わなかった」

「そっか」

 リンがベッドから起き上がる。近くのクマのぬいぐるみをぎゅっと抱き寄せる。

「私に話しかけるの勇気いった?」

「当然だろ。今みたいになっちゃうって不安、いっぱいだったからさ」

 リンの顔は見えないけど、考え込んでいるように思えた。

「困った。どうしよう」

「俺もわかんない。無責任みたいだけど」

「ほんと、無責任」

「じゃーさ、俺はなるべく邪魔しないようして、こっちから話しかけないよ」

 話せたって、なんでも理解してもらえるわけじゃないんだ。甘かったよな。

 大きなため息をついてからリンがいった。

「そんなことしたって……。でも……仕方ないね」

「えっ、つまり……」

「心から歓迎してるわけじゃない。それは忘れないで欲しい」

「あ、ありがと。ご迷惑おかけします」

「いまさら何よ。言っとくけど、どこまで耐えられるかわからない。でもしばらくこのままなら、いがみ合うのもお互い気まずいよね。……リンて呼ぶの、許す」

「どうも。俺も伊蕗って呼んでくれ。伊豆の伊に草かんむりに道路の路。(くん)はいらない」

 リンはぬいぐるみをベッドに座らせて立ち上がり、リュックから教科書をばさばさと取り出す。教科書の裏に凛の名前があった。難しい漢字だな。でもいい名前だ。

 立ったまま、思いついたように凛がいう。

「ねえ、私のしてることも全部見えちゃうのよね? ってことは……」   

「お願いがあるんだ。鏡の前で着替えしないのと、お風呂はなるべく壁か天井見て入って欲しい。ごめん」 

「やっぱり! それって最悪! あんまりじゃないの。絶対許せない!」

 俺はあやまるしかできない。リンが見てるものはどうしたって俺にも見えちゃうんだから。

 廊下から母親の声がした。 

「できたわよ。食べましょ」

 凛は怒ったまま部屋を出る。

「時間がなかったから、パスタとサラダよ。明日、タコス作るからね」

 うなずくだけで、返事もしないで食べ始める。いつも寂しい夕食が今夜は余計にそう感じる。母親が何かいいたそうにしてる。凛はそんな母親に、目も合わさないで食べてる。相当に怒ってるんだ。

「そろそろ塾とか考えてもいいんじゃないの?」

 遠慮しながら母親がたずねる。こんな時に持ちだす話じゃないよ。かんべんしてほしい。

「どうして?」

「だって、部活もやってないし。大学進学に向けてね」

「まだいい。行きたい大学なんてないし」

 むっとした言い方で凜は返事する。

「大学は行かないと。凛は勉強できるんだもの、いい大学へ行けるわよ。そしたら好きな仕事ができる。キャリアウーマン目指さしてもらわなくちゃ。私はやりたくてもできなかったんだもの」

 母親を見つめるリンの視線は痛い。

「お母さんと私は違う。勝手に私の人生、決めないでよ」

「そんなつもりは……。わかった。もう何もいわない。静かな食事も悪くないね」

どうやら母親も怒ったみたいだ。凛が少し顔を上げて、ちらっと母親の顔をうかがう。でも話しかける気はないようだ。

「ごちそうさま」

 汚れた皿をシンクに置き、そのまま部屋へ向かう。入ってすぐ凛は、「もう、いやになる!」

といって、ベッドに倒れ込んだ。

 声をかけようか迷う。

「聞いてたんでしょ? それでなくても伊蕗君のことで腹が立ってるのに!」

「タイミング悪かったよね。でも母さんを責められない。怒りは俺だけに向ければいいから。母さんはさ……」 

「何よ!」 

 突っかかる口調でいう。

「家の事情はそれぞれ違うから、俺がどうのこうのっていう権利ないよ。でもさ、母さん、凛としゃべりたいんだよ。凛も気づいてるだろ?」

 いわなきゃいいのに、つい口が滑ってしまう。もっと親を大事にしろとか、俺がいえるわけないのにさ。

「お母さんね、若い時に結婚したの。仕事したことないのよ。お父さんにみそめられてね。もうその頃、お父さんは経営者でお金持ち。だからずっと専業主婦なの。古臭い生き方してる夫婦。でね、お母さんたら、私に自分ができなかったことをして欲しいと思っているわけ。それで自分は習い事いっぱいして満足しようとしてるの。ぜいたくな夫婦よね」

 俺の母さんが聞いたら、ため息をもらすだろうな。

「よかったんじゃないの? いい環境に育ってさ。俺のうちなんか、いつもやりくりでひーひーいってたぜ」

「話しかけるんじゃなかった」

「そうすればいいさ!」

 凛は俺の言う通りにした。机に向かって勉強する振りしてさ。なんか疲れたな。どこがどう疲れたのかわかんないけど。先が思いやられる。



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