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「おかえり」

 アパートの玄関前で声をかけると、すらりとした長身の男は足を止めた。通路の蛍光灯は切れており、その顔ははっきりと見えない。俺に気づいて慌てて走り去ろうとするその腕を掴む。

「待てよ、昴生」

「離せよ……っ」

「待ってたんだ、話がしたくて」

 大学で声をかけても逃げられてしまうし、インターホンを押してもきっと応えてはもらえない。だからこうして部屋の前で帰りを待っていた。今日はバイトがあったようで遅かったけれど、待つのは苦痛ではなかった。

 昴生は無理矢理俺の手を振り解いた。

「話すことなんかねえだろ」

「あるよ。大事な話だ」

「……」

「いつもみたいに言ってくれよ、話したいなら聞いてやってもいいって」

「……」

 秋の夜風が身に沁みる。くしゃみをひとつすると、昴生は躊躇いながらも部屋のドアを開けた。


 がらんとした部屋の中に入るとすぐ、ローテーブルの上にあるものが目に入った。

「……引っ越すのか?」

「ああ……まだ決まってねえけど」

 不動産屋のチラシだった。ここから少し離れた場所のアパートがいくつも掲載されている。胸がぎゅっと握り潰されたように苦しくなる。

「……俺のせい?」

「ちげーよ、勘違いすんな」

 昴生はどこか気まずそうにチラシを片付けた。

 ラグもクッションもない部屋で、底冷えするフローリングに腰を下ろす。向き合って座るとしんとした静寂が辺りを包んだ。

 何から切り出すべきか悩んでいると、先に昴生が口を開いた。

「俺はもう、お前がいなくても平気なんだよ」

 昴生の手がぐっと握り締められる。

「料理だって、すぐできるようになる。だからもう……俺がどこに住もうが、お前には関係ないだろ」

 自分に言い聞かせるように言葉を絞り出す昴生は、「さみしくない」と強がったあの頃と同じ顔をしていた。

 指先が白くなるほど強く握られた拳の上に、そっと手を重ねる。驚いて手を引こうとするのを止める。

「最近、ずっと昴生のことを考えてたよ。やっぱり俺にとって、昴生は親友で幼馴染だ」

「……」

 昴生は唇を噛んだ。俺は重ねた手に力を込める。

「でも……でもさ、多分それだけじゃないんだ。親友で幼馴染だけど、友情だけじゃない」

「……え」

 俯いていた昴生の視線が僅かに上向く。

「子どもの頃からずっと一緒にいたよな。喧嘩もしたけど、嫌いになったことは一度もない。昴生に会えて良かったって本気で思ってる」

「陽向……」

「それでさ、将来のこととか色々考えてみたんだけど……どうやって考えても、やっぱり昴生が近くにいるんだ」

 五年後、十年後、二十年後……どんな未来を歩んでいるのか分からないけれど、どんな想像をしても、ひとつだけ共通点があった。それは、この先の人生にも昴生の存在が欠かせないということ。

 友情と愛情。それは延長線上にあるようで、明確に違うものでもある。だったら、両方とも同時に存在し得るのではないか。

「俺は自分のことも、昴生のことも幸せにしたい。そのためには昴生がいなきゃダメなんだよ。だから俺と一緒にいてほしい」

「……!」

「昴生は? 俺のことどう思ってる?」

 昴生は目を瞠り、顔も目も赤くして固まった。その口が開いて、閉じて、また開く。

「お、俺は、別に……一人だって……」

 この期に及んでまだ昴生の言葉には迷いが見える。

 なんかイライラしてきた。俺は結構勇気を出したっていうのに、こいつは……!

「あーもー、はっきりしろよ! お前の悪い癖だぞ!」

「ひ、陽向……」

「俺が他の誰かと付き合ってもいいのかよ! いい加減腹括れ!」

 痺れを切らして身を乗り出し、昴生のシャツの胸ぐらを掴む。すると昴生は我に返ったように顔を上げた。ようやく目が合い、一瞬だけ視線が逸らされ、すぐ俺の顔に戻ってくる。

 昴生の喉仏が上下して、ごくりと唾を飲み込んだ。

「……好き、だ」

「……うん」

「好きだ、陽向」

 きっと何年も言えなかったであろうその想いが届いた瞬間、俺の胸にも様々な感情が溢れてくる。

 シャツから手を離し、昴生の首に抱きつく。

「俺も好きだ!」

 勢いが良すぎてひっくり返り、昴生は床に後頭部をぶつけた。鈍い音の後、一瞬間が空き、なんだか可笑しくなってきて二人で声を上げて笑い合う。

 俺と昴生の気持ちの大きさはまだ違うかもしれないけれど、その差はゆっくり縮めていけばいい。

 だって、時間はたっぷりあるんだから。

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