⑧
ある日の夕方、講義が終わってから適当なカフェに立ち寄った。窓際のカウンター席に座り、行き交う人たちをぼんやりと眺める。
毎日ぐるぐる考えているうちに時間だけが過ぎていた。悩んでも悩んでも答えが出ない。そして時が経てば経つほど、やっぱり昴生は俺のことが好きなんだろうという確信めいた予感が強まっていく。
伊藤や鈴木には相談できなかった。名前を伏せたところで相手が昴生だとバレてしまうからだ。
カップに視線を落とすと、コーヒーの水面に俺のしけた顔が映った。大した特徴もない、どこにでもいるような顔。昴生は俺なんかのどこがいいんだろう。
「はあ……」
ため息が漏れる。昴生のことは、誰よりも近くで見ていたと思う。けれどあいつの言う通り、俺は何も分かっていなかったのだろう。
もう一度昴生ときちんと話さなければ、きっと今度こそ関係が終わってしまう。でも何を話すべきなのか分からない。
とりあえず、夕飯の買い物をして帰ろう。そう思ってコーヒーを飲み干そうとした時。
「鴫野くん?」
すぐ傍から鈴を転がすような声が聞こえた。
「あっ、及川さん……!?」
秋らしいベージュのニットに、ふわりと裾が広がったロングスカート。相変わらずお洒落な及川さんは、明るい笑顔を向けてくれた。
「久しぶり。良かったら、隣いい?」
「あ、うん、どうぞ」
とは言ったが及川さんとはギリギリ顔見知りと言えるレベルだ。しかしここで席を立ったらまるで避けたように見えてしまう。仕方ない、俺ももう少しゆっくりコーヒーを味わおう。
「鴫野くん一人? 今日は鷺森くんはいないんだ」
「え、ああ……まあ、いつも一緒ってわけじゃないから」
不意に昴生の名前を出され、つい狼狽えてしまった。及川さんは一瞬怪訝そうな顔をしたけれど、すぐに笑顔に戻った。
カップを持つ及川さんの爪は薄いピンク色に塗られていた。お洒落で明るくて、可愛い女の子。俺の恋愛対象はこういう子だったはずだ。それなのに、今の俺は昴生のことばかり考えて、ずっと悩んでいる。
「どうかしたの?」
いつの間にかじっと見てしまっていたらしい。慌てて前を向き、誤魔化すようにコーヒーを一口飲む。
「ごめん、ぼーっとして」
「もしかして、何か悩み事?」
「そういうわけじゃ……」
ぱっちりと大きな目が見透かすように俺を見つめていた。言いかけた言葉を呑み込む。
……及川さんになら話してもいいだろうか。伊藤や鈴木ほど親しい間柄ではなく、且つ初対面でもない、第三者。逡巡しながらも口を開く。
「えっと……俺のことじゃなくて、友達の話なんだけど」
そう前置きして、俺は言葉を選びながら話を続けた。
親友だと思っていた相手に恋愛感情を持たれていたこと。自分もその人のことは好きだけど、恋愛の意味なのか分からないこと。できれば今までのように良好な関係でいたいこと。
一通り話し終えると、及川さんは何か納得したように頷いた。
「難しいね」
「うん……」
「鴫野くんは、友情と愛情の違いって何だと思う?」
「えーと……一緒にいてドキドキするとか、相手に触れたいって思うとか……?」
問いかけられたそれは、自分でもずっと考えていたことだった。
例えば、手を繋いだり、キスをしたりは友達にはしないだろう。ただ、それだけではしっくりこない。きっと完全な答えではないのだ。
及川さんは湯気の立つカップを両手で包み込んだ。
「確かにそれもあるよね。でも私は、二人で幸せになれるかどうかだと思う」
「二人で、幸せに……」
「自分がその人を幸せにしたい、二人で幸せになりたい……そう思えるのって、すごく素敵なことなんじゃないかな」
俺が昴生を幸せにする。昴生と二人で幸せになる。
そんな視点で考えたこともなかった。けれど……謂わば、パズルの最後のピースがかちりと填まったような感覚だった。
「そっか……うん、分かったかもしれない。ありがとう、及川さん」
「どういたしまして。鴫野くんなら大丈夫だよ。自信持って!」
「えっ、いや、今のは俺じゃなくて友達の話で……」
「ふふ、そういうことにしておくね」
及川さんは悪戯っぽく笑った。全部バレている気がする……。俺ってそんなに顔に出やすいのかな。
「まあ、あれだけ牽制されたら分かっちゃうよね……」
「え?」
「ううん、何でもない。それじゃ、そろそろバイトだから行くね」
及川さんは席を立ち、こちらに軽く手を振って店を出ていった。その背中を見送り、俺も立ち上がる。
ようやく決心がついた。今日こそ、昴生と話をしよう。




