⑦
帰る途中で近所のスーパーに立ち寄り、食材を調達する。アパートに着いたら二人で俺の部屋に入った。今夜は家飲みだ。
朝のうちに作っておいたつまみを温め直し、買ってきた惣菜のパックを広げ、缶チューハイを並べる。小さなテーブルはあっという間にいっぱいになった。
「おつかれー」
乾杯をして、グレープフルーツサワーの缶に口をつける。ほどよい炭酸と苦味、柑橘の香りが鼻を抜ける。大人になって良かったなあと思う瞬間だ。
「この豚キムチうまくできたんだ。食ってみてよ」
「ああ」
「さっき買ったタコの唐揚げも結構いける」
「そうか」
なんだか昴生の反応が鈍い。元々いつもゴキゲンな奴ではないけれど、今日は機嫌を損ねるような出来事なんてあったっけ。
「えーと……あー、まさか俺らの中で伊藤が最初に彼女持ちになるとは思わなかったよな」
とりあえず話題を探して口にしてみると、昴生は俺が焼いた餃子を齧りながら視線だけでこちらを見た。
「あいつ明るくて優しいから、納得と言えば納得だけど」
「……陽向は」
「ん?」
「陽向も……欲しいのかよ」
「んー、彼女いたら楽しいだろうなとは思うけど、俺モテないからなぁ」
今までにもちょっと良いなと思う子はいたことがあるけれど、それだけだ。告白したこともされたこともない。昴生みたいなイケメンが隣にいたら俺なんて霞むんだろうな。
昴生はハイボールを喉に流し込んだ。ごくり、と嚥下する音が静かな部屋にやけに響く。
「今は昴生といれば楽しいし、それで十分かな」
「……っ!」
突然昴生が噎せ始めた。
「だ、大丈夫?」
「いっ……、いきなり変なこと言うな」
「ええっ、ごめん。でも本当のことだけど」
「……っ、だから、お前さぁ……!」
「えっ、なに?」
そんなに怒るほどのことか?
昴生は一度長く息を吐き、改めてハイボールを一口飲んだ。
「陽向って、本当……馬鹿だよな」
「ひど……その口の悪さは社会に出る前に直した方がいいぞ」
「うるせえよ」
昴生は告白されたことは数知れずだけど、彼女ができたことはない。誰にでも塩対応なせいだ。
実際のところ、昴生と付き合うのはなかなか大変だと思う。素直じゃない言葉を受け流しつつも理解してあげて、無愛想でも受け入れてあげて、きつい性格相手でもぶつからない子じゃないと長続きしないだろう。
……そんな子いるのか? きっと世界中を探せば一人くらいはいるかもしれないけど……。
「昴生ももうちょっと優しくなればすぐに彼女できそうなのにな」
「いらねえよ、そんなん」
「でもせっかく顔がいいのにもったいないよ」
「……好きな奴と付き合えなきゃ意味ない」
どこか諦めを含んだような声色で昴生はそう漏らした。
……ん? 今の言い回しってまさか……。
「昴生、好きな人いるの?」
俺の問いを受けて、昴生は表情を強張らせて動きを止めた。そして妙に間が空いてから小さな声で「いない」とだけ返した。
「えー、怪しい! 今のは絶対いるだろ!」
「う……うるせえ、いねえっつっただろ」
珍しく昴生の頬が赤くなっている。ほぼ確定だ。
「俺が知ってる人? 大学の誰かかな」
「……もうこの話やめろ」
「だって気になるんだよ。昴生って恋愛の話とか全然しないじゃん」
「いい加減にしろ、しつこい」
テンションが上がる俺とは対照的に、昴生は顔を顰めた。しまった、やりすぎた。今のは本気の拒絶だ。
「ごめん、調子乗った……」
「……」
「でも、応援したいのは本当だから。昴生にいい人が見つかれば俺も嬉しいよ」
この言葉は本心で、揶揄う意図などまるでなかった。それなのに、昴生は今日一番傷ついた顔をした。
「そんなこと……っ、お前にだけは言われたくねえよ!」
「えっ……」
突然の大声に、空気がびりびりと揺れる。
「分かった風な口きくなよ、何も分かってねえくせに!」
「ど、どういう意味……?」
「……っ」
昴生ははっとしてすぐに口を閉じ、顔を背けた。
どうやら、俺は地雷を踏んだらしい。
昴生は赤い顔をしながらじっと床を睨みつけている。その頬の赤さに、記憶の中にある夕焼けが思い起こされる。
あの日の帰り道、昴生の頬が赤く見えたのは、夕焼けのせいだと思っていた。でも、もしもそうじゃなかったとしたら。
飲み会での態度、距離を置いた時の動揺、捨てられなかったシナモンシュガー、これまでの細かい会話、そして今の言葉。もしも俺が、その意味にずっと気づいていなかったんだとしたら。
俺は昴生にいい人ができれば嬉しいと思った。でも、昴生はそうではなかった。
まさか、そんなはずないと否定する自分がいる一方で、ひとつの可能性に行き着いてしまった。
「……まさか、昴生って」
「違う……やめろ」
「お、俺のことが好き……とか……?」
「……か、帰る」
昴生は立ち上がり、慌ただしく荷物を持って部屋を飛び出していった。買ったばかりの服屋の紙袋が置き忘れられていたけれど、追いかけられなかった。
「……ほ、ほんとに……?」
もしかしたら、俺はとんでもない秘密を暴いてしまったのかもしれない。
まるで喧嘩をした時とは立場が逆になったように、昴生は俺を避けるようになった。大学には来ているが、物理的に距離を取られ、話しかけようとしても逃げられる。
「また喧嘩?」
「今度はどっちが悪いんですか」
伊藤と鈴木にまたもや呆れられ、何とも答えられなかった。
喧嘩……ではないと思う。どちらか一方が悪いというものでもない。ただ、きっと俺はデリカシーに欠けていたんだとも思う。
はっきり告白されたわけではないし、俺の盛大な勘違いという可能性もなくはない。けれど、もし昴生の気持ちが俺に向いていたのだとしたら、色々なことに納得ができてしまうのだ。
彼女を作らないのは、人付き合いが苦手だからだと思っていた。飲み会で不機嫌だったのは、女子に馴れ馴れしくされたからだと思っていた。朝起こしに行かないと告げて動揺していたのは、突然のことに驚いていたからだと思っていた。でも、そこにはひとつの理由しかなかったのかもしれない。
同じ進学先を選んだのも、同じアパートに住んだのも、引っ越しの話をしたら機嫌が悪くなったのも、全部全部。
そして俺は知らぬうちに昴生を傷つけていたのかもしれない。
そもそも、だ。俺は昴生のことが好きだけど、恋愛対象として見たことはない。仮に昴生が俺をそういう意味で好きだとしても、嫌悪感はないけれど、応えられるのかどうか分からない。
友情の『好き』と恋愛の『好き』の境目は何なんだろう。ただ一緒にいるだけじゃダメなのかな。




