①
スマホのアラームで目を覚まして、パジャマ代わりのスウェットからTシャツとジーンズに着替える。
顔を洗って髪を梳かして歯を磨いて、ちょっとSNSをチェックして、朝食は取らずにリュックを背負って家を出た。
向かうのは、徒歩十分ほどかかる大学――ではなく、アパートの隣の部屋。
インターホンを鳴らしても返事はない。
自分の部屋の鍵と一緒にキーケースにつけている合鍵を使い、勝手知ったる我が家のごとく上がり込む。俺と同じワンルームの間取りは、しかし俺の部屋より多少散らかっている。
「昴生ー?」
今日も返事はない。カーテンから差し込む光を頼りに、床に散らばった服を踏まないように部屋の奥へ進む。
ベッドの上にこんもりと盛り上がった布団を叩いた。
「昴生、朝だよ」
無反応。強めに三回叩く。
「起きろ!」
すると布団がもぞもぞと動き、ようやく部屋の主が顔を覗かせた。
「うるせえよ、陽向……起きてるっつーの」
まだ眠そうな目で俺を睨みつけてくるこの男は、本当に寝起きなのか疑ってしまうほど朝から顔が良い。長い付き合いだけど俺は彼の顔が浮腫んだりテカったりしているところなど一度も見たことがない。
「今起きたんだろ。一限遅刻するぞ」
跳ねている少し長めの前髪を手櫛で整えてやろうとすると、鬱陶しそうに手を払われた。
「やめろ、ウザい」
「だって寝癖が」
「自分で直すからいい」
「分かった、とりあえず顔洗ってこいよ。今日はバター? ジャム?」
「両方」
「了解」
緩慢とした動きでベッドから下りる昴生を横目に、キッチンに立つ。トーストを焼きながら、フライパンに卵を二つ落とす。昴生は半熟派、俺はしっかり焼く派だ。焼き上がったトーストの一枚目にはバターといちごジャムをたっぷり。もう一枚にはシナモンシュガーをかけて、目玉焼きに付け合わせのソーセージ、ミニトマトを添えたら今日の朝食の完成だ。
皿をローテーブルに並べているとちょうど昴生も身支度を終えたところだった。シンプルなシャツにワイドパンツを合わせただけなのに、こうも顔とスタイルがいいとモデルのように見える。
昴生がクッションの上に座り、俺も向かい側に腰を下ろして手を合わせる。
「いただきます」
ここまでが、俺のモーニングルーティーン。
俺、鴫野陽向と鷺森昴生は幼馴染だ。
昴生の家庭は些か訳ありだった。父親はおらず、女手ひとつで昴生を育てていた母親は仕事で家を空けがち。そんな環境もあって昴生はよくうちに遊びに来たり泊まりに来たりしており、兄弟同然に育った。
そして大学進学とともに実家を出ることになり、今は同じアパートの隣同士の部屋で一人暮らしをしている。
一人暮らしといっても、お互いの部屋をしょっちゅう行き来しているのが現状だ。特に俺が昴生の部屋に行くことが多い。
昴生は一言で言えば生活能力に欠けている。気を抜けばすぐに部屋が散らかるし、洗濯物は畳まないで床に放置するし、食事はインスタントやコンビニ弁当に頼りがちだ。特に朝が弱く、アラームをセットしても二度寝三度寝をしてしまうので、俺が毎朝起こしに行くことが恒例になってしまっている。
「つーか、毎朝来なくていいって言ってるだろ」
そうぼやきながら昴生はミニトマトを口に放り込んだ。俺はシナモントーストを齧る。良い香りだ。一方昴生はシナモンが苦手で、いつも「変な匂いがする」だのなんだの文句を言う。
「でもお前、俺が来ないと昼まで寝てるだろ」
「単位は取れてる」
「そういう問題じゃないから……。あと俺今日の五限休講になったから先に帰る。昴生は最後まで受けろよ」
「分かってる」
「あ、明日演習の当番だろ? レジュメ用意しとけよ」
「分かってるって、いちいちうるさい」
昴生はうんざりした様子で眉を寄せた。
口うるさい自覚はあるけれど、俺にとっての昴生は手のかかる弟みたいなものだ。昴生の方が誕生日が早く、だいぶ背も高いけれど、まあそれはそれとして。
「そういえば伊藤と鈴木から伝言があったんだった」
昨日、同期の友達の伊藤と、後輩の鈴木から頼まれていたことを伝え忘れていた。昴生はフォークで目玉焼きをつつきながら形の良い眉を上げて俺を見る。
「昴生に合コンに参加してほしいって」
「やだ」
間髪入れずに返答があった。想定の範囲内だ。
「人数足りないから今回だけ頼みたいってさ。それにイケメン連れてくるって女の子に約束しちゃったらしい」
「そんなの俺には関係ないだろ」
「会費いらないらしいけど」
「金もらってもやだ。めんどくせえ」
昴生は苦虫を噛み潰したような顔をした。こいつはとにかく人付き合いが好きではなく、口も悪くて、まともに会話しているのは俺くらいなものだ。だからこそ伊藤と鈴木も昴生と面識があるくせに俺経由で頼んできたのだろう。伊藤からは「成功の鍵は鴫野が握っている」と熱弁され、鈴木からは「鷺森先輩を連れてこれるのは鴫野先輩しかいません」と謎の信頼をされた。
友達の頼みを無下にはできなかったけれど、合コンの誘いなんて乗り気になるはずがないとは思っていた。やっぱり無理そうだ。
「じゃあ断っておくよ。俺だけ行くって伝えとく」
すると一瞬、昴生の手が止まった。
「……陽向が行くのか?」
「ああ、うん。俺も誘われてたから。ただの人数合わせだけど」
「……」
「でももしかしたら良い出会いがあるかもしれないし、もしかしたら彼女ができちゃうかも、なんて」
冗談半分期待半分で言うと、昴生のフォークが目玉焼きに突き刺さった。とろりとした黄身が溢れ出す。今日の焼き加減もまずまずだ。
「……行ってやってもいい」
「え?」
「だから、俺も行ってやってもいい」
「え、いいの?」
「行きたいわけじゃねえよ。ただ、お前がどうしてもって言うから」
「そこまで言ってないけど」
「……とにかく、行くって返事しとけ」
「うん……? 分かった」
あんなに嫌がってたのにどうしたんだ?
黙々と目玉焼きを口に運ぶ昴生を見ながらふと思った。もしかして、俺に先に彼女ができるかもしれないと思って焦ったのかな。自分も彼女が欲しくなったとか? まあ道行く人が振り返るくらいイケメンな昴生がその気になれば選びたい放題だろうけど。
近い将来、昴生に彼女を紹介される日が来るかもしれない。なんだか楽しみだ。
しかし一週間後、俺の期待はあっさり裏切られた。




