思い出の落とし物 ②
時刻は十七時半過ぎ。
書類の整理が終わり、筆箱などを学校指定の紺色のショルダーバックにしまっていた時だった。生徒会室の扉がノックされ、困惑した表情で藤井さんが姿を見せた。
「高見さん、いる?」
「どうかした?」
「さっきの写真、テニス部の男子に聞いてみたけど、誰のものでもないって」
「え?」
テニス部に持ち主がいなかった?
「顧問の教師にも聞いてみた?」
「ううん。でも、その場に顧問の山田がいたけど『懐かしいなあ』程度の反応だったから、持ち主じゃないのかなって」
テニス部の卒業生が写る写真。この写真が回収ボックスに入れられたのはその三年生が卒業した後。持ち主は男子テニス部にいると思ったのだけれど、同じ部活の後輩や顧問の教師の持ち物でもなかった。
……じゃあ、誰のものなのだろう。
「ねえ、もう一回写真見てもいい?」
「うん」
パイプ椅子に座る。藤井さんが長机を挟んだ向かい側のパイプ椅子に腰かけてから、写真を長机の上に置いた。お互いに写真を覗き込む。
まず、整理だ。目の前にあるのは、男子テニス部の夏の大会の写真。数人の部員が写っており、そのうち数人はぼやけて写っている。
私は写真の持ち主を写真に写っている人物、あるいはその関係者だと考えた。だから、藤井さんにこの写真の持ち主が誰かと尋ねられた時、男子テニス部と答えたのだ。しかし、男子テニス部の部員に写真の持ち主はいなかった。顧問の先生でもなかった。
「ねえ、この写真に写っているのは三年生だけ? この後ろにいる生徒も?」
「ううん。そいつは二年生。ぼやけてるけど、ユニフォームの色が二年生の色っぽいから」
「じゃあ、この中にテニス部以外の人はいる?」
「えっと、いないかな」
この時点で写真に写っている人物の持ち物ではないことが確定した。となると、写真に写る生徒の関係者だろうか。
すると突然「あ」と藤井さんが言う。
「もしかしてこの写真に写ってる誰かの彼女の持ち物なんじゃない? 女子テニス部で男子テニス部と付き合ってる人はいないし、テニス部員に持ち主がいないってことはきっとそうだよ!」
自信満々の様子。
「だったら、写真を落とした時点ですぐに探しに来ると思うけど」
私の言葉に藤井さんは黙り込んだ。
「そもそも、彼女が持ち歩くならせめてツーショットの写真じゃない?」
「じゃ、じゃあ、この学校の先生の誰か。あるいは保護者は?」
「それは私も考えたけど、休日にあった大会にわざわざ関係のない先生が来るとは思えないし、保護者だったら校内に落ちていた説明が付かないから」
ここまでくると、写真に写る人の関係者でもない気がする。
藤井さんは頬杖をついて、不機嫌そうに頬を膨らませていた。
「じゃあ、高見さんは誰だと思うわけ?」
そう言われると、反応に困る。
私は写真を手に取る。
いくら写真を見ても、読み取れるものはあまりなかった。
「というか、今時写真とか珍しいよね。プリクラですらデータが主流だよ」
「え?」
……そうか。重要なのはそこだったのね。
視界に藤井さんの顔が入る。
藤井さんが私の顔を覗き込んでいた。
「高見さん?」
「何となくわかった気がする」
「え、本当!?」
藤井さんはパイプ椅子から腰を浮かせて、前かがみになって聞いてくる。
「誰なの?」
私は立ち上がってショルダーバッグを肩にかけた。
「付いてきて」
時刻は授業外活動終了の十分前。まだ間に合う。
「今ならきっと、会えると思うから」
***
「高見さん、どこに向かうの?」
目的地に向かうまでの道すがら。藤井さんの問いに対して、私は質問で返した。
「藤井さん。さっき今時写真は珍しいって言ったわよね?」
「え? うん」
「写真をわざわざ現像する理由って何だと思う?」
「え?」
藤井さんが唸り声を上げながら考える。
「強いて言えば、思い出を写真立てに入れて飾るためとか? うちも玄関に家族の写真がいっぱいあるし」
「でも、それは家族だからでしょう? 写真に写っている人の関係者っていう線はもう薄いから」
藤井さんの顔が険しくなる。
「質問を変えるわ。写真を現像した理由はともかく、写真を現像することができるのは誰だと思う?」
「えっと……単純に写真を撮った人じゃないの? まあ、データを貰えば誰でもできると思うけど」
「そう、今回の場合は前者。私たちの視点は最初からズレていた。写真の持ち主の候補には撮影者も入っていたの」
丁度タイミングよく、目的地に着いた。ここは校舎とは別の建物。渡り廊下を抜けた先にある、部活動棟の三階。主に文化部が活動している場所。
「着いたわよ」
「ここって、新聞部?」
私は扉をノックする。すると中からメガネを掛けた三年生の男子生徒が出てきた。背は私よりも頭一つ高いくらい。癖のないまっすぐな髪と吊り上がった目から感じるのは知的な雰囲気だ。
「えっとキミは確か……」
「二年の高見です」
「あ、そうそう、生徒会副会長の高見さん。隣の彼女は?」
「同じく二年の藤井です。高見さんの付き添いです」
私は単刀直入に、写真を取り出して新聞部の先輩に尋ねた。
「すみません。この写真、新聞部が撮影して現像したものじゃありませんか?」
隣で藤井さんが「あ」と声を出した。どうやら藤井さんも気付いたらしい。
写真を撮影し、尚且つ現像できる人物。学校にいる人という条件を加えれば、教員と新聞部くらいだ。教員がテニス部の大会に足を運ぶ目的がなくても、新聞部には取材という立派な活動がある。実際、私は数カ月前にテニス部のことを記事にした壁新聞を見ている。
「ああ、この写真。そうだよ、僕たちが撮った写真だ。去年テニス部を取材したときに撮ったやつで間違いない。どうして高見さんが持ってるんだ?」
「生徒会室の落とし物ボックスに入っていました」
「ああ、そうなんだ。きっと部室を掃除して、ゴミを片づけるときに落ちたんだと思う。でも、よく新聞部のものだって分かったね」
新聞部の先輩は、左腕に巻いた腕時計で時間を確認する。それから私を見て興味ありげに聞いてきた。
「根拠を聞いてもいいかな」
私も腕時計で時間を確認する。
少し急いだほうがよさそう。
「手短に言います。まず、私たちは写真に写っている人の中に持ち主がいると思いました。でもこの写真が落ちていたのは四月。時期的に三年生は卒業しているし、藤井さんからテニス部に関係する人の中には持ち主はいないと聞きました。つまりテニス部以外の人です。あとは、学校で写真のデータを持っていて、そのうえ現像ができるという点で、新聞部だと思っただけです」
新聞部の三年生は、顎に手を当てて考えている様子だった。
「なるほど。でも教師という線もあるだろう?」
「そうですね。でも用途を考えれば、新聞部に限られてきます」
「用途?」
「仮に新聞部の人ではない誰かがこの写真を撮っていたら、わざわざ現像する必要は無いと思います。今はデータが主流ですから。もし、写真立てに入れて飾るつもりなら、落とした時点で探すはずです」
先輩は首を縦に振る。
「そこでわざわざ現像する理由を考えたときに思いついたのが、壁新聞です。新聞部の作成されるものは全てが手書きです。写真は現像したものを貼り付けていましたよね?」
先輩は伏せていた眼を開ける。
「八割」
「はい?」
「今の説明だと、せいぜい八割だね」
得意げな様子だった。私だって、ここに来るまでは確信があったわけではない。でも、今は確信を持っている。
「先輩、言いましたよね?」
「ん?」
「この写真がゴミだって」
私は、写真のぼやけている人を指さした。
「写真に写っている人が何人かぼやけて写っています。だから見栄えを意識した壁新聞には使えない。新聞部にとってこれは失敗した写真でゴミというわけです」
答えはとっくに得られていた。
そこまで話して、ようやく先輩は納得したようだった。
***
どうせ捨てたはずの写真だったからと、写真の処分を頼まれた。
新聞部の部室を離れた後の生徒玄関までの道のり、私は藤井さんに写真を差し出す。
「これ、藤井さんにあげる」
「え?」
「連絡を取るための口実にでも使う予定だったんでしょう?」
すると、藤井さんの顔がみるみる赤く染まる。
口がパクパクと動く。
「ど、どうして……」
「家族でなければ、彼氏でもない。そんな卒業生にわざわざ写真を届ける理由がないから。今時、スマホで撮った写真でいくらでもやり取りできるわけだし」
写真の持ち主が卒業生ではないと知った時の落ち込み具合。
きっと写真に写っている三年生の中に藤井さんの好きな人がいる。写真は単なる口実で、藤井さんは卒業してしまった三年生と距離を縮めたかったと私は考えていた。
それはどうやら正解だったみたいだ。
「あと、あからさますぎたから」
「え?」
「この写真が三年生のものじゃないって私が言った瞬間、藤井さんどうしたか覚えてる? 写真を回収ボックスに戻そうとしたのよ。まるで三年生のものじゃなかったらどうでもいいみたいに」
「そ、それは……うう」
みるみる顔は赤くなっていき、今では耳の先まで真っ赤だ。
「良いんじゃない? 写真は写真立てに入れて飾ることもできるわけだしね」
「意地悪……でも、有難く受け取っておく」
「頑張ってね」
「……うん。ありがとう」
藤井さんはそう言って去っていく。
時刻は十八時を五分少々過ぎていた。私は少し駆け足で校門へ向かう。
校門には穂澄君の姿があった。
「ごめんなさい。お待たせ」
「いいよ。生徒会の仕事長引いた?」
「まあ、そんなところ」
私と穂澄君は並んで歩き始めた。
自然な流れで手を繋ぐ。
「今日はどこで時間つぶしていたの?」
「図書室。僕も少しは勉強しないといけないと思って」
「ふうん」
私はポケットからスマホを取り出し、カメラを起動する。
内向きにして、私と彼が丁度収まるように一枚撮る。
「え、なに?」
「何となく。これ、現像してあげるから」
「わざわざ現像するの? データでいいよ」
「現像する。それで部屋の良く見えるところに飾っておいて」
穂澄君は不思議そうな顔をして私を見ていた。
自然と頬が緩む。
「実はね」
私はさっきの出来事を彼に話すことにした。
次回別の話になります。