プロローグ−4『星霜』(下)
それは石版だった。
薄紫に光る、黒の石版。
赤褐色の魔力がまとわりついて、色を変え、薄紫に発光する、魔力の文字を描いていく。
少女の小さい手のひらから顕現した、巨大な石版は、ゆっくりとその姿を現しながら、徐々に加速し、そして──。
「ああッ──!」
悲鳴。
瞬きより早い速度で、目の前の衛兵を、穿いた。
それでも石版の速度は消えず、衛兵の身体が浮く。そのままの勢いで、衛兵の背は後ろにぶつかり、家屋を破壊した。
轟音。瓦礫が落ちる。
俺はその光景に、まばたきを忘れて、見入ってしまった。
声が聞こえて、やっと我に返る。朝にも聞いた声。
「各個撃破をされない為に、二人で襲ってきたのかな……来てくれて助かりました、朝のおじさん」
「そうか? こんな魔法があるなら、助け要らなかったんじゃねえの?」
星霜『モノリス』と言っていたか。その魔法が引き起こした破壊を指さして、俺は肩をすくめた。
衛兵はもう死んでるんじゃないかとも思ったが、流石に丈夫だな、まだ息をしているようだ。一応、俺が頭カチ割ったやつも生きてはいる。
「いえ。さっき見てたように、私の魔法は一人にしか攻撃できないので。一人倒しても、もう一人に捕まっちゃってたでしょう」
「それなら、来た甲斐あったよ。……それで、どうしてそう離れんだ?」
「あなたを警戒してるだけですよ。だって、どうして助けてくれたんです?」
彼女は後ずさって、さっき魔法を使ったときのように、手のひらを俺に向けた。
助けた甲斐ねえな。
とも思うが、まあ疑うのも当然か。賞金目当てに、この娘を衛兵から奪おうとしたって可能性も、全然ないじゃない。
まあたしかに俺は不良冒険者だが、そういうタイプじゃねえけどな。
俺は手をヒラヒラふって、質問に答える。
「水くれたろ? その恩」
「いや、絶対そんな殊勝な性格ではないでしょう。目、笑ってますよ」
「あ、マジ? ハハハ。……まあ白状すると、面白そうだったからだよ」
眉をひそめる彼女に、俺は誤解のないよう続ける。
「いや、人の不幸を見物しにきたってワケじゃねえぜ?」
「本当ですか?」
「そこさえ疑われるか。俺はただ、君の境遇に興味があるだけだ」
俺の関心に、彼女はそこまで反応を返さなかった。そりゃあまあ、魔法使いだから。物珍しがられるのも慣れてるよな。
だが、他にもある。
例えば、ギルドに来ていた、同じ装飾のフードの奴ら。
同じデザインの衣装を着てるのは、どう考えても仲間の証であるはずなのに。
仲間であるはずのフードたちから、彼女は追われていた。生死も問わずに。
間違いなく、なにかがあったのだろう。それを俺は確かめたい。
それに。
「それに、俺の冒険者としての勘が言ってるんだよ。お前と関われば、何から何まで、全部変わっちまう、何も同じじゃなくなる、ってな。だから首をつっこみてえ」
『気分転換』ってことさ。
そう笑うと、不可解そうではあるが、彼女もひとまずは納得してくれたようで、手を下げた。
俺としては、さっきの魔法を使われてもそこまで問題はないんだが、警戒を解くに越したことはない。
彼女はなにかを考えるように、言葉を返す。
「……冒険者、なんですか?」
「ん? ああ。君さえよければ、護衛もしてやるぜ。料金もタダでいい」
「お願いします」
「お」
存外、物分かりがいい。朝は拒絶されたが、目の前で強さを見せたのが効いたか?
俺がそう考えるのを見透かしたように、彼女は続けた。
「もし私が何も言わなくても、ついてくるでしょう? 朝、私に関わったら危ないと思ったから、構わないでって言ったのに……」
「ワハハ」
「依頼人と冒険者という立場の方が、いい結果になりそうですよ。……それに、思いついたこともありますし」
「へぇ? それは、あえて聞かないでおこうか。楽しみに取っておこう」
「……冒険者なら、一応は聞いてくださいよ。危険な提案かも知れないのに。そんな適当で、よく今まで生き残っていましたね」
まあ、いいですけど。
その娘は、そう言って……ああ、そうだ。
「いつまでも名前知らねえままだと、話しづれえな。自己紹介ぐらいはしとこう。俺は、アイン・サンダルフォン。君は?」
「…………え? あ、ああ、レク、とだけ呼んでください。アイン……さん」
「レクちゃんね。よろしく」
おそらく、本名ではないんだろう。
本名の略称だけ教えてくれたのかもしれないし、そうじゃなきゃ全くの偽名かもな。
そんな、俺の思慮とは別に、彼女……レクちゃんは、どうでもいいことを考えていた。
「……えっと、アインさんって、ほんとにアイン・サンダルフォンなんですか? 本物?」
「……あー君、俺を知ってるクチか〜……。うん、まあ、本物……」
「え、すごいな……。偶然会えたのがあの冒険者なんて……それじゃあ、なにも問題なさそう」
「へえ? 一体どこに行かせるつもりなんだよ」
俺は話を変えるように、つとめて笑う。
だがやはり、レクちゃんはそれを無視して『でも』と痛いところを突いてきた。
「あなたともあろう人が、なんでこんな治安の悪そうな場所に酔いつぶれてたんですか? それに、あなたの仲間は?」
「……聞いたことないか? リーダーが死んで、解散したよ」
「え……」
「それより、あいつらはどうすんだ? 死んでないようだが」
「は、はい」
俺は今度こそ話を変えようと、倒れた衛兵らを指でさす。
見ると、いつの間にか、レクちゃんの魔法……モノリスは消えていた。石版は、別に突き刺さっていたわけではないらしく、魔法を食らった方もあまりグロい感じにはなっていなかった。
俺が頭を攻撃して気絶したやつは、未だに無事か怪しいが。
どちらにしよ、あいつらは俺らの存在を知ってるワケで、レクちゃんを追ってるやつに情報を渡されるのは、避けたいんだが……。
と、俺の言いたいことをちゃんと察して、レクちゃんは口を開く。
「殺しません」
「ふーん……大丈夫か?」
「やっぱり、あまり人を殺したくないというのもありますし……いまから行くところは口封じしなくても、予想できないと思うので」
「そっか。ま、依頼人の指示を仰ぐのが冒険者だ。いいぜ、了解だ」
「すみません。じゃあ、行きましょうか」
迷いなく、レクちゃんは先行する。
いいねえ、意気があって。
そのとき、彼女のフードが揺れた。色は違えど、やはり、冒険者ギルドに来た、あの二人のフード野郎と同じ模様だ。
レクちゃんについていきながら、自然と目につくフードをながめていると、気づくことがあった。これまで、それがなんの模様かは、分かってなかったんだが……。
「? どうかしました?」
「いや、レクちゃんのフード、真後ろから見ると雪の結晶みたいだなって」
「あー。……まあ『星霜』ですから」
「ふーん……」
このとき、俺はその言葉の意味を、大して考えなかった。