プロローグ−3『星霜』(上)
(まずい事になった)
と、少女は思った。話し声が辺りで響いて聞こえてくる。歩くたび、次第に大きくなっているような気がした。
路地裏に住むような人間が発しているとは思えない、ハキハキとした、野太い声。兵士たちだろう。
少女を探している。
(どうしよう……)
隠密だとか戦闘だとか、そういったスキルを、冒険者でもない少女は持っていない。
精一杯身体を小さくして、路地裏を進む。
(ここで逃げられたとして、その後私はどこに行くんだろう)
その答えも思いつかないまま逃げて、逃げて、でも結局、見つかってしまった。
「あ、あぁ……」
「ああ、そうだ。ようやく見つけた……」
「探したかいがあったな」
そう言うと二人の衛兵は剣を抜いて、少女へ詰め寄る。
警戒は解かない。それは、彼女を捕らえろと依頼した女の、忠告によるものだ。少女はその警戒を見て、やはり、と確信を得る。
しかし、少女も捕まるつもりはない。
自分を捕まえようとする衛兵の、その片方に手を伸ばして、ただ一つ持っている、攻撃手段を使う──。
***
路地裏の、とある小汚い家。俺はそれを見上げる。助走をつける必要はない。しゃがんで、俺は一人つぶやく。
「屋根が壊れたらゴメン……よっ!」
スキルを発動して、俺はスキル無しじゃありえないジャンプを敢行した。屋根の上に乗り上げる。さいわい、屋根は壊れなかった。頑丈そうな家を選んだのが良かったのだろうか。
着陸した姿勢から立ち上がると、同じスキルを使って、屋根から屋根へと飛び移って、裏路地を見下ろし朝に会った子供を探した。
このスキル『兎脚』を持っていると、とんでもない距離の跳躍ができるようになる。仲間がいた時期に入手したスキルだが、あの頃もこういう風に、屋根の上からお尋ね者を探したもんだ。
「ん?」
ギルドで会った奴らとは違うようだが、衛兵が二人いる。こんな路地裏に。
まさか、もう捜索が始まっていたのか? とも思ったが、冒険者に依頼しにいく事への優先順位を考えると、早いとも言えないか。
大方、衛兵に捜索させて見つからないから、冒険者に探させようとしたんだろう。しっかし、まずいな。
あの娘が路地裏にいたのは事実だ。ここを捜索してるってことは、あの衛兵もそれを掴んでいるんだろう。
「尾けるか」
どうせ、あの娘がどこに行ったのか、アテがある訳でもない。万が一あいつらがあの娘を見つけたら、上から頭を叩き割ってやろう。
奴らが路地裏を歩く後ろを、飛び回るようについていく。ちゃんと向こうに音が聞こえないように、静かに。まあ、慣れたもんだ。
昔の冒険を思い出す。こういった裏仕事みたいなのは大体俺が担当だった……。それを懐かしむ感情と、いつもと違う非日常感が、俺を高揚させてくれる。口角が上がる。
「ああ……死にてえな」
自然と、そんな言葉がこぼれ出た。今鏡を見れば、絶対に笑顔の俺が見れるハズ。
そんな、良い気分だったのに。
「ああ?」
さっきから見ていた事だが、あの衛兵たちは目につく家全てに訪問して、それぞれの住民に手元の紙を見せている。
十中八九、あの娘の似顔絵だろう。
だが、今回の対応は毛色が違った。
内容はわからないが、大きすぎる衛兵の声がこちらまで聞こえてくる。衛兵に怒鳴られている哀れなご老人は、萎縮するばかりだった。
もし近くにいればだが、あの娘にも聞こえているかもしれないのに。あの娘がより逃げてしまうような事をするのは、爺さんが、あの娘の重要な手がかりになるってことなのかね。……ん?
今度は声じゃなく、大きな物音が聞こえた。
「あ。……はーあ」
テンションが下がりきった俺はため息をつく。
物音は、衛兵が扉を殴りつけた音だった。もう一人の衛兵も、腰の剣に手を伸ばしてジイさんを脅している。
最悪だ。
そう思いながらも、俺は表情を動かさない。ジイさんを助けるようなこともしなかった。
暴力を見せつけられ脅されて、とうとう口を動かしてしまった可哀想な老人を。
別に、冷たいわけじゃない。
ただ、こういった光景は、5年も路地裏に住めば、いとも簡単に見慣れてしまう。周囲を見てみればいい……路地裏のゴロツキたちが興味深そうにジイさんの醜態を観察してる。ここじゃあ、暴力なんて見世物以外の意味を持たねえ。
さいわい、ジイさんも直接暴力をふるわれたりはしなかったようだ。ジイさんから聞いた話に満足したのか、衛兵たちはその場を去る。
その動き方は、一つ一つ家を訪ねていたさっきまでの行動とは違って、迷いなき足取りだった。
俺も、家の屋根を飛び越え、それを追う。
が、ふと立ち止まって、後ろを振り返る。諍いを見物していたゴロツキは、続々と姿を消していた。
舌打ちする。路地裏のこういう空気も、まったく好きじゃねえ。
やはり、気分転換が必要だ──。
ジイさんが、屋根の上にいる俺に少し気づいた素振りをしたが、俺はかまわず衛兵二人を追う。
いつの間にか、衛兵たちは見えないところまで行ってしまったが、確か、あいつらはこっちの方へ歩いていたはずだ。
そして、衛兵たちを見つけた。
朝に会った、あの娘と一緒に。
衛兵たちがよってたかって少女に詰め寄る。そんな光景があった。
「……やっぱ、追いかけてたのはあの娘だったか」
実際のところ、それさえ半信半疑だったのだ。
来て良かった。そう、心の底でつぶやく。
俺はまた『兎脚』を使い、飛び上がる。重力を乗せて、手近な衛兵の頭を、剣でかち割った。
相手は全身の力を弛緩させ、地面に倒れる。気絶、のはずだ。
「まずは一人……」
今度はあいつだ。彼女のすぐ近くにまで迫っていた衛兵をブッ倒そうとして、俺は目を見開いた。
その、魔力の奔流に。
魔法使い──!
それを見て、俺は笑みを深める。
──確かに、疑問ではあった。
それは、衛兵の人数。
なぜ大人数で、この路地裏を捜索しないのか? 路地裏は広い。たった二人だけで捜索するには広すぎる──。
……なんてことは、どうでもいい。
二人しか衛兵が路地裏に来ていなかったことは、この際あまり意味がない。
問題は、その条件で、どうして二人一組で探索していたのか。一人一人手分けして探した方が、絶対に効率がいいはずなのに。
とは言っても、そういう戦い方はある。
冒険者流に例えるなら、弱い魔物が、それでも、自分より強い人間を倒すために、群れるような。
だから俺は、彼女の強さを見た。衛兵程度が、恐ろしく矮小に思えるくらいの強さ。
少女が、小さく手を伸ばして、詠唱する。
「星霜『モノリス』」