プロローグ−2『希死』(下)
その娘は、路地裏のゴロツキにはほど遠い……むしろ正反対のような印象を抱かせる容姿だった。
良い生地のローブ、フードをかぶっていても品位を感じさせる口元。そして銅の光沢を連想させる、赤褐色の魔力がこもった装飾品の数々は、赤毛の彼女によく似合っている。
しかし彼女の顔はそのフードで隠れて、見えない。
「わざわざ水くれてありがとな。二日酔いで死ぬかと思ったぜ」
「どういたしまして。もう酒はほどほどにしたほうがいいです」
「はは、酔っぱらいにそれは無理な相談だな。てか……」
水を飲み下しながら、俺はその警戒心がなさそうな彼女に問いかける。
「君、こんな路地裏になんの用だ? どう見てもこんな場所にいるような人間じゃねーけど」
「ふむ。やはりここで私は場違いですか。……まあ、通りかかっただけですよ」
「だけってことはねえだろ」
俺は周囲、整備も掃除もされない、汚物まみれの狭い路地裏を見渡す。
表通りから一つの境目を超えたら、そこはもう治安最悪の路地裏。貴族か、そうでなくとも何かデカい一族の一員に見える彼女が、理由もなくこんな所に来るわけがない。
「何かお困りなら、水の恩で少しは助けてやるぜ? 二日酔いの俺でよければだけどな」
別に俺の性格は特別良いという訳じゃない。
だけど、いつもと違う朝に、珍しく人助けをしたい気分になっていた。
ただし。
「あ、だ……大丈夫です!」
相手がそれを望むかどうかは別の話だが。
俺の申し出を断るとその少女は即座に走り去っていた。
「……おーい」
取り残された俺は一人寂しくつぶやく羽目になった。
甲斐ねえなおい。
冒険者ギルド。
迷宮探訪の馬鹿溜まりに、いまは誰もいない。見慣れた光景だ。建物に入ってすぐ目につく掲示板には、張り紙がはがされた跡がいくつもある。それもいつもの事。
だから俺の目的は、掲示板や受付、俺たちが駄弁る為のテーブルとか、そういうのから離れたトコに作られた、場違いな酒場だ。
「よ、ギルマス」
「今日も会ったな飲んだくれ。気安く呼ぶな」
今朝は奇妙な事があったが、ギルドマスターのルドーはいつもと同じように、その酒場で飯を食っていた。
隣に座って、店主に酒を頼む。
「お前がおせえのはいつもの事だが、今日は特に酷いな。酔いに酔って悪夢でも怖がったか?」
「ハハハ、いや逆だ。今日は俺にしちゃ珍しく、早く起きてな」
「ああ? どういう風の吹き回しだよ」
「親切な人が水をくれてね」
と言いながら、また酒を飲む。
ルドーは手を動かさない。見ると、ルドーはもう昼飯を食べ終えていたようだった。
じゃあこいつ、食い終わってから今まで、俺を待ってやがったのか?
その目的を話すように、苦々しく口を開いた。
「……ゲンガード家の長男がまた、お前に会いたがってたぜ」
「誰だそれ? 知らねーな」
「お前の仲間だ。知らないわけないだろう。……下らない護衛依頼に大金積んで、お前をご指名だ。貴族の考えることは分からねえな、よっぽどお前と話したいと見える」
「俺に仲間なんていねえ。知らないね。ハハ」
俺の拒絶に、ルドーはため息を吐いた。予想通りだったろうに。このギルドマスターとは、いつも同じ会話をしていた。
「つーか、酒奢ってくれね? 金足りねえ。夜も飲みたいんだわ」
「仕事もしねえ奴に奢る酒があるか」
「おいおい、仕事はいつも通りしたじゃねえか。ほら、見ろ」
俺はギルド入り口の掲示板を指差す。依頼の張り紙が剥がされた跡。そこにあった依頼の半分は、俺が達成した。
だが、案の定ルドーは認めない。
「他のやつらなら、それらの依頼一つとっても半日かかる。それは仕事だろうが……お前の力量なら、仕事にもならねえ。ただの暇ツブシだ」
ルドーはコップになみなみと注がれた水を一気に飲んで、俺の方に首を向け、言った。
「いつまでこんなトコで燻ってるつもりだ?」
俺は酒を飲まず、だが返答もしない。
「……」
「……」
だからそこからは、つまらない沈黙が続く。店主が気まずそうにつっ立っているが、少しは慣れろよな。
……例えば、ルドーは俺と幼い時からの付き合いだ。最初に冒険者としてコンビを組んだのもルドー。
さっき言ってた仲間とも、チームとして迷宮を冒険した。
そんな仲が、こんなにも険悪になる。
全て、あの日が悪かった。
だが、俺はそれで良い。はずだ。
あんなクソッタレを悲しむことも、神が人類に与えた祝福なのだから。引きずって、怨んで、哀しんで、悼む。
そんな日々で、良い。
だけど。
だけど、少し、この空気は。少しだけ。
息苦しい。
「失礼。ギルドマスターでよろしいだろうか?」
沈黙を破ったのは第三者だった。
振り返ると、三人の人間がルドーへと詰めよっている。
その中でも、直接ルドーの前に立ってるのは、この街の衛兵だった。さっきの発言も、そいつのものだろう。
ルドーはそいつらに向き直って、慣れたように口を開いた。
「ああ、いかにも。そちらは当局からの遣いかね?」
「そうだ。この者を探している」
そう言って衛兵が出した手配書みてえな紙には、凛々しい顔をした、若い女の似顔絵が描かれていた。その若さからして、もしかするとまだ子供なのかもしれない。
少女の顔を一通り見て、ルドーは首を振ると「心当たりはねえな」と言った。
「この絵をそこらで貼り出せばいいんだろうが……、お尋ね者を知らせるだけにしては、兵士さんが直接来るのは珍しいな。この娘が何をしたんだ?」
「それは……」
「黙れ。質問は許可していない」
俺とルドーは眉をひそめた。
その言葉を口にしたのは、衛兵じゃない。
衛兵の後ろに控えてる、フードで顔を隠した二人……の、どっちかだ。性別は分からない。
そいつらがルドーの知り合いっていう可能性も考えていたんだが、このギルド長も疑問に思っていたようで、フード二人の立場を聞いた。
「手前が衛兵さんなのは分かるが、お二方はどちら様かな?」
「ギルドマスターだろうと、冒険者風情に名乗る肩書は持っていないな。お前はゴロツキの長として、クズどもにコイツを追わせればいい」
そう言って、フードの一人は衛兵から少女の絵をぶんどり、酒場のテーブルに音を立てて叩きつける。すぐ近くでそれを見せられたルドーは、しかしギルドマスターだけあって動じない。
やはり、こいつは出自を話さなかった。ずっと黙っているもう一人も同じだろう。どう見ても素性を明かすつもりがない恰好だから、予想していたことだ。
「冒険者が彼女を見つければ、見つけた奴とお前にそれぞれ50万ブルート出そう。ルドー・ポーカーネント。これで満足だろう?」
「俺は別に金ばっか欲しいタイプじゃないけどな。それより、大丈夫なんだろうな、衛兵さんたちよ」
ルドーはフードではなく、衛兵に声をかける。衛兵はフードが話し始めてから、そいつらに位置を譲るように後ろでひかえていた。
だが、ずっと喋り続けてるフードの片方は、衛兵へ向いているルドーの視線を手で塞ぐようにすると、勝手に返答する。
その動作で、フードが腰にさす剣が、揺れた。それを間近に見て、俺は目を見張る。
「安心しろ。この事で問題が起きることはない」
「……お前に聞いた訳じゃないんだけど。なんだ? まさか、衛兵より立場が上なんて言わないよな」
「探るな。……私たちの用はこれで終わりだ。ああ、彼女に関してだが、生死は問わない。必ず捕えろ」
そう言うと、フードは他の二人をひきつれて、ギルドの扉まで歩いた。そのまま出ていくと思ったが、出口付近で立ち止まり、振り返って、言った。
「重ねて言うが、探るなよ。死体になりたくないのであれば」
ギルドマスターというだけあって、冒険者として、ルドーは強い。なのに、いやな現実味があった。
今度こそ三人がギルドを出ていくと、ルドーはため息を吐く。ずっと黙って観察してた俺も、それには同調した。
「な〜んかキナくせえな。実際、あのフード二人が誰か、心当たりはねえのか?」
「知らねえ。なんなんだあいつら……俺も酒が飲みたくなってきたぜ」
「そりゃ、奇遇じゃねえな。俺は水が飲みてえ。もらうぜ」
「何しやがる」
ルドーの水を強奪して、喉を潤す。
今から外出する、その水分補給だ。
「お前、その顔……。なんか知ってるな? この娘を捕まえるつもりか?」
「ハハハ、いんや? 心当たりなんてねえし、捕まえるつもりもねえよ」
半分本当で、半分ウソ。
心当たりはある。あのフードが話してるのを見て、今朝会った女の子を思い出した。あの娘も、同じようなフードをかぶっていたような……って。同じような装飾。
そして、それ以上に、ルドーの方へあいつが詰め寄った時、俺は見た。フードの持っている剣が、あの娘と同じ、赤銅色の魔力を帯びていたのを。
「何をするつもりか知らないが、奴らと敵対するなよ? 兵士を懐柔するほど権力が強い奴らだ。敵対すれば、どうなるか──」
「知るかよ」
ルドーは眉を上げる。
それは俺が足を止める理由にはなりえねえ。あの娘は俺に水をくれた。それに……。
ルドーの水を飲み終わり、俺は立ち上がる。
「何する気だ」
「気分転換さ」
俺はあの娘を探しに行った。