プロローグ−1『希死』(上)
「てめえの血を飲みてえ」
雨音だけが返事をする。
濡れた服が身体に纏わりついた。
肺の中は、足にまで浸かった血だまりの匂いで満たされる。
こんなはずじゃなかった。
俺達の終わりは、もっと──
「いいよ」
それは幻聴か。
不快なほどに騒がしい雨の音を、今も血が噴き出し続けている死体の、鈴の鳴るような声が遮ったのだと。勘違いしてしまったのだろうか。
誤認だとしても。
刃を捨て、死体を抱き寄せ、顔を近づけ、俺は彼女の首に噛みついた。
噛みついた、呪うように。
地べたの血だまりをすするんじゃなく、そうすることが、俺に残された最後の何かであるように思えて。
目の前の死に顔が、笑ったような気がした。
人の弱みにつけこむような顔だ。
人の弱みにつけこむような天気だ。
人の弱みにつけこむような世界だ。
人の弱みにつけこむような奴だった。
分かってる。きっとこれは、呪いになる。
いつかそれを後悔しても。
「お前と同じ死に方をしてやる」
それが俺達の終わりだと決めた。
水は神の血だ。
教会で聞くところによると、人は神に似ている。
水を飲んでいる俺達は言葉を通わせ、考えを巡らし、善悪を捉える事もできるし、なにより歩く事ができた。
それも水……神の血を飲んでいるからこそ。結構な話だ。水を飲むだけで神の加護を得られるんなら、ジャブジャブ飲んでやるさ。飲めるものなら。
つまるところ。
「み……、水……」
ひでえ二日酔いに見舞われた。
考える事もままならない。善悪というか、限度も弁えられずに暴飲暴食をして、ベロンベロンに酔っちまって歩く事もできない俺は、神の加護、もしくは水を欲していた。水がなければ酒でもいい。
「あー……死にてえ」
口から出るのはそんな言葉。昨日の鬱屈とした気分は酒が抜けたらやはり戻ってくる。
昨日? いや、ここのところずっとだ。これからも一生続くだろう。
毎朝こんな起き方をして、昼は生活費を稼いで、夜は酒に溺れる。
まあだから、それはいつもの事。
酒場から追い出された先の路地裏に水が見当たらねえのも昨日と同じ。毎朝こんな二日酔いをしてんのに、先回りして水を用意してなかった俺が悪いんだ。
だけど、たった一つだけ。たった一つだけ昨日と違う所があるとすれば。
「あの……大丈夫ですか?」
「…………?」
路地裏の酔っぱらいを気にかけるお人好しが一人、コップを差し出す。
入っていたのは、他でもない、淡く透明な血液。
「神……!」
「大げさな。ただの水ですよ」