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4、〈魔剣ゲヘナ〉の代償(前編)

 独り立ちした魔術師の多くは、自分の塔を持っている。しかし学院のような場所に暮らしている場合はそうもいかず、何人かでひとつの塔を利用することになる。

 そう説明しながらイシェルが二人の学生を案内したのは彼の自室もある、学院内の塔のひとつ〈白樹の塔〉だ。螺旋階段の途中の小窓から見える外は橙色に染まりつつあり、中庭で運動する学生たちやレイエル教授、木陰で読書する学生、巡回の警備兵などの姿も見下ろせる。

「まさか、キミらの部屋でやるわけにもいかないし、わたしの研究室も人目にさらされる可能性は多少あるからな」

 イシェルも学院本体の四階に研究室を持っているが、質問のある学生や用事のある他の教授などが入ってくる可能性もある。

 人目につかない、広さのある部屋。その条件を満たす部屋としてイシェルが選んだのが塔の五階にある魔法実験室のひとつだ。壁も床も天井も白い石で造られ調度品はなにも置かれておらず窓もないが、天井にも床にも魔法陣が描かれていた。

 ぶ厚い扉が閉ざされると、ジェストは少し圧迫感を覚えた。閉所恐怖症の者ならすぐに逃げ出したくなるだろう。ただ、内部の音は外に漏れないだろうし、部外者により覗き見られることもなさそうなのは確かだ。

「じゃあ、始めようか。ジェスト、これを持って」

 待ちきれない様子でキプリスが口を開き、布に包んできた石を少年の右手のひらの上に落とす。普通ならばその瞬間に静電気に似た反発が起きるはずだが、やはりジェストはなにも感じない。

「魔石も魔鋼もそれぞれ特性が違うけど、とりあえず最初は複雑な能力とかない魔鋼を使うことにするよ。動かせるのは融合した量だけだけど、最初は少量から」

 説明を終えるやいなや、キプリスは持参した本を開いて呪文を唱え始める。

 そして間もなく。

「これで最初の関門は突破だ」

 その手順があまりにあっさりと終ったので、ジェストは最初は気がつかなかった。しかし改めて手のひらを見ると、載せられていた銀色の小石が、半分ほど肌の下へと食い込んでいる。

「お……?」

 痛みも痒みも、違和感と呼べるほどのものもない。ただ、集中するとなにかに触れているような感覚はあった。その手のひらを下に向けたり振ってみても、石は飛び出したりはしない。

 ――このままの状態になったりしたら困るなあ。

 実験台になることを自ら承諾しておきながらも、そんな不安が一瞬、彼の頭をよぎる。実際は困ったことになってもイシェルがどうにかしてくれるだろう、とも考えていたが。

「融合するのはともかく、ここからは融合された側の魔法だからな」

 イシェルは指先を少年の手のひらに向ける。

「わたしが外から操作するようにもできるが、まず、自分で動かすことに挑戦してみるといい。そうだな……指輪が想像し易いんじゃないか。石が中に入って移動し、指輪になるのを想像するんだ」

「はあ……」

 半信半疑ながら、ジェストは言われた通りにする。

 すると、拍子抜けするほどすんなりと石は思うままに動いた。まるで手足のように意のままに、ということばを見聞きすることがあるが、思えば当然のことだった。その魔鋼石はすでに彼の身体の一部なのだから。

 音もなくジェストの右手の中指に銀色の石の指輪ができる。

「おお、順調だな」

「ジェスト、他に形を変えたりできるか?」

 キプリスはさらに先が見たくて仕方がないらしい。目を輝かせながら身をのり出す。初めて会った頃とは見違えるほど生き生きした様子だ。

 ジェストは指輪の大きさから作れそうなものを想像してみる。動かせる最大量は融合した分だけということは、自在に大きさまで変えられるというものではないらしい。

 少し考えて出てきたのは、小さめのコルク抜きだ。

「ナイフやスプーンを作るにも、これじゃ小さ過ぎるかな」

「でも、一度に大量に融合するのは止めた方がいい。まずはそれだけでしばらく様子を見よう」

「そうだな、こうしてみるとちょっと心配なこともあって……」

 彼の心配ごとのひとつは、なにかの拍子に寝ている間に石が移動し、邪魔になって睡眠を妨害されたり座っていられないなどということはないか。

 もうひとつは、夢の中で考えたことに反応して石が変化してしまうことはないか。

 そんなことを聞いたキプリスとイシェルは声を上げて笑った。

「え……そんなにおかしいか?」

 怒るべきか恥ずかしく思うべきか。迷って、ジェストは結局当惑する。

「いや、確かに寝ている魔術師が魔法を暴走させたような事故もなくはないが、それは色々な要素が重なったことで、魔法を発動するにはそれなりの強度の意志力が必要だ。でないと、学院のあちこちでも魔法の誤発動が起きていないとおかしい」

 言われてみればその通りだ――ジェストは腑に落ちた。

 魔法の使える教授たちだけでなく、すでに魔法を習得した学生らもかなりの人数がいるはずだ。しかし皆が寝静まった後の学内は静かなもので、魔法の暴走など起きていそうにはない。

「詳しいことはそのうち習うだろうし省略するけど、起きてるときと寝ているときでは魔力の質が違うから大丈夫なんだ。それより、石が内臓に入らないかというのも心配かもしれないけれど」

「それも確かに」

「実際は魔石――魔装殻は身体そのものというより身体の表面を覆う魔力と融合しているようなものなんで大丈夫。内臓にも自由に融合できるならそれはそれでできることはあるだろうけど、扱いが難しい」

 少女のことばで想像力を刺激されて、ジェストは内臓に自由に変化させられる魔石を人に融合させることでなにができるのかを考えてみる。負傷や病気などで機能を失った内臓を補助したり、失った内臓そのものに置き換えられたり――内臓だけでなく、失った手足などを作ることもできるだろう。もしかしたら、この魔法は医学に大きな進歩をもたらすものなのかもしれない。

「じゃ、安心していいな」

 キプリスは常にそばにいるし、なにかあればイシェルにも頼れるだろう。安心すると色々と試してみたくなる。指輪ではない別の形で固定しておけないか、どんな形に変化できるのか。

 とはいえ、それくらいは自室でもできるだろう。一旦この塔内の別の階にある自分の部屋に戻るというイシェルと別れてジェストとキプリスが塔を出たときには、陽はかなり傾いていた。出てすぐは西日に目が慣れず、ジェストはまぶしさに立ち止まる。

 すると、逆光で影のように見える小柄な人影が駆け寄ってくる。

「キプリス姉さん! ジェストさん!」

 かけられた声はまだ幼さの残る少女のもの。

 ――名前を呼ばれる声として思い当たるものがないな。

 と最初は思うものの、相手の姿が見えてくると記憶の中のとある少女と重なる。

 肩にかかる癖のある栗毛に、大きな緑の目。しかし左目は包帯に覆われ、両手の指先も白い布に包まれている。

「ティティア! もう身体はいいのか?」

 キプリスのことばに、手を振って駆け寄る少女はさらに笑みを濃くする。

 帝国軍に捕らえられ、処刑されかけてジェストに逃がされたあの少女だ。捕らえられていた少女は汚れた上に酷くやつれて見え、周りの者がすべて敵に見えているかのように怯え切った目をしていた。それが、今は別人のようだ。

 どこの町にでもいるような、可愛らしい少女。その少女が解放軍に入り帝国に潜入して捕らわれ処刑されかけたということが、外見からは想像し難い。その経緯を知っている者には異常に感じられた。

「怪我はほとんどイシェルさんが治してくれて、あとは一週間もすれば自然と治るそうです。みんなには、料理してて火傷しちゃったことにします」

 立ち止まって呼吸を整えるとそう答え、それから少年の顔を見て勢い良く頭を下げる。

「あの、あれからずっとジェストさんにお礼もちゃんと言えないままで……ありがとうございました!」

 礼を言われて、ジェストは内心、何かが報われた気がした。この笑顔が守れたのなら、やはり自分のしたことは間違ってなんかいない。

「どういたしまして。元気そうでよかった」

「はい……そ、それで、あの! お礼にもならないですが、お菓子作ってきたんです」

 彼女は片手に布の包みを持ってきていた。ほどいてめくって見せたところには、ジャムパイらしいものがいくつか並んでいる。

「美味しそうだね。どこで……あの上で食べようか」

 周りを見渡したキプリスの視界にすぐに、学院校舎のそばにそびえる灰色の塔が入る。その塔の屋上は半球形の屋根に大部分が覆われ、覆われていない部分からは大きな望遠鏡らしきものの先端が突き出し空に向けられている。

「展望塔か、眺めもいいし素敵ですね。ジェストさん、行ったことある?」

「いや、まだ……」

「じゃあ、行こう! 月を見たりもできるんですよ」

 少女はジェストの腕を抱えるようにして、展望塔へ引っ張っていく。それは仲の良い男女というより、兄妹のようだ。

 それをほほ笑ましく見守りながらも、後に続くキプリスは奇妙なものを感じた様子で、少し不思議そうに顔をしかめていた。


「お二人の班は、学院祭でなにをやるのかは決まりましたか?」

 ほど良く甘酸っぱい二種のジャムパイを味わった後、ふとティティアがそう尋ねた。

 彼女はまだ一年生で、彼女らの班ではパンケーキ屋かダーツゲームの店をやろうという話が出ているところらしい。ティティアは菓子作りが趣味で、彼女としてはパンケーキ屋がお勧めのようだ。

「いいな、パンケーキ屋に決まったらわたしも食べに行きたいな」

「それは、是非! キプリス姉さんにも、本当に何度も助けてもらったし」

「わたしは全然、覚えがないけどね」

 キプリスは少し居心地の悪そうな顔をして視線を逸らす。

 この少女もまた、記憶を失う前のキプリスを知っているのだ。その記憶について追及するのは踏み込んではいけないものに触れてしまう気がしながら、ジェストは好奇心を完全には抑えられなかった。

「ティティアから見て、記憶を失う前のキプリスってどんな感じだったんだ?」

 誤魔化されてもかまわない、という思い入れの質問だったが、ティティアはこれにためらいなく応じる。どこか空中の、遠くを見るような格好――憧れを映した目で。

「記憶を失う前のキプリスさんはもう、強くて格好良くて凄かったですよ。襲ってくる敵を一気に片づけたりして、みんな、まるで鬼のようだって褒めてました」

「そ、それは褒めことばなのかな……」

「今の姉さんも剣術が上手いですけど、昔はもっと凄くて、あれはとても人間とは思えないとか、できれば彼女と同じ戦場には立ちたくないとか傭兵の人たちも言ってました。それに」

 そこまでことばを紡ぎ、一度ことばを切って表情を変える。

「そ、そうそう、学院の模擬刀とは比べ物にならないくらいに強い剣も鍛冶屋さんに作ってもらえて、剣士はみんなうらやましがってたんだって……」

「なるほど」

 聞いている当の本人は、まるで他人事だ。

「聞いてもなにも思い出せないし実感もないな。まあ、昔のわたしは剣術はともかく魔法の達人というわけではないんだろう?」

「ああ、確かに魔法はあまり使われてませんでした」

 そのことばに、銀髪の少女はニヤリと笑う。

「なら、少なくともその点は今のわたしの方が勝っているな」

 言って、彼女はチラリとジェストに視線を向けた。

 今の彼女には〈魔装填術〉がある。それが彼女の自信になっているのだ。もともとの性格もあるだろうが、記憶を失ったままでも揺るぎない。

「ええ、今でも姉さんはカッコいいです……!」

 ティティアの緑の目は再び憧れの色に輝いた。

 すでに夕日は沈み、空には同じようにきらめく光が見え始めている。それに気がついたキプリスは望遠鏡に近づき、時折覗きながら歯車を操作して角度を変える。その慣れた様子からして、彼女はここで何度も星を見たことがあるらしい。

「ほら、ジェスト。月の表面が見られるぞ。きっと、今まで見たことはないだろう?」

「確かにないよ。こんな大きな望遠鏡はなかったし。これくらいのだって、最近まで持ったことはなかったくらいだ」

 街に出てイシェルに買ってもらった小型望遠鏡は、いつも懐に持ち歩いている。

「じゃあ、見ましょう! きっと感動しますよ」

 誘導しようというように、ティティアは少年の右腕をつかむ。すがりついているような形だが、腕を組んでいると見えなくもない。

 それを目にしたキプリスの淡いほほ笑みは少し硬くなる。

「ティティアは本当に……ジェストが好きなんだな」

「はい、それは――」

 気軽に応じて、相手の顔を見た幼い方の少女は取り繕うように笑った。

「な、なにせ命の恩人ですから。恩返しのために自分にできることくらいはしようかなって、それだけですけどね、うん」

 どうやら、ジェストの思いの及ばないやり取りが言外にあったらしい。

 それより少年は望遠鏡に注意が行っていた。直後に彼は月の表面を眺めるという初めての体験をする。まだ完全に夜になりきっていない空に半身を溶け込ませた月の表面はゴツゴツとしていて、黄土色の岩と砂の塊のようだ。なにか巨大なものが落下した跡のような窪みがいくつもあり、それはクレーターだとキプリスが説明する。

「ウサギも巨人もサソリの神さまも見えませんよね。裏側に住んでるのかもしれません」

 ティティアは神話伝承に登場するものを並べた。月では大きなウサギたちが神々に捧げる団子を作り続けている、大昔に神々に敗れた巨人たちが封印された、下半身がサソリの神がねぐらにしていてときどき火球を人間界に投げつけてくる、という神話などが一般的にも有名だが、最近の天文学の発展により神話の痕跡は現実には見当たらないとされることが多くなっている。

 望遠鏡を堪能し塔を下りたときには六時近くなっていた。塔の階段は途中で二手に分かれており、入ってきたのと違う側に降りると校舎の四階に出た。

 早めの夕食を三人で終えると、ティティアと別れ自室に戻る。

「形を変えるだけじゃなくて、自由に動かせるともなると……」

 周りにキプリス以外の目がなくなると、ジェストは指輪型の魔石の形を色々と変えてみる。鋭い矢じりや球体にしたり、細長い棒状にしたり。爪の上に移動させて被せるように鋭い鈎爪を作ることもできた。

 ただ、変えられるのは形だけだ。色は常に魔鋼の銀色であり、手触りも意図的に表面の形状を変えなければ滑らかなそれのままだ。

 それを充分確かめると、彼は指先に魔鋼を移動させて棒状にし、それを動かして羽ペンを巻き取って持ち上げる。

「まるで、触手でも生えたみたいだな」

 その言い分に、頬杖をついていたキプリスは思わず体勢を崩す。

「そこは、指がもう一本生えたようだとでも言ってほしかったな……」

「そ、そう? そりゃ悪いね。それにしても、キプリスは最終的に、これを誰でも使えるようにするつもりなの?」

「実際に誰にでも使わせるかは別として、魔法の機能としてはそうしたいな。ジェストみたいな特異体質の人だけが使えるんじゃ、かなり使い手が限定されてしまうからね。でも、どうして?」

「いや、これがあると鍵というものが無意味になるんじゃないかと思って」

 彼のことばに、少女は凍り付いたように動きを止める。

 わざわざ実演しなくても想像がつく。魔鋼を鍵穴に差し込んで穴の形に合わせて形状変化させ、回転させればいい。

 そうと気がつかないうちに、ジェストは超一流の錠前破りの能力を得ていたのだった。

「うーん……こうなると、かなり人を選ぶな。もしくは、錠を掛ける魔法で対応するとか」

「これって強度はどうなの?」

「魔鋼も魔石も普通の金属よりはずっと硬いよ。まあ……なにか手を考えるしかないね。だいぶ先の話だけど」

 ジェストが悪さを働く可能性というのは最初から頭にない様子だ。まだ付き合いが短い割には信用されているらしい。

 なにかを忘れている気がしながら、彼は実験と読書で夜の時間を過ごす。キプリスもいつものように研究に没頭しているようだ。そちらへ目をやると、ジェストはあるものに気がつく。

 少女の前にある本立ての中に、ほかとは一風変わった表題を見つけた。その周りの本からして、図書館で借りた本の中の一冊らしい。周りは魔法についての事典や解説書、研究日誌などばかりだが、そこには〈仮面騎士イサリの事件簿・四〉と書かれていた。あきらかに実用書ではない。

 小説かなにかか。研究の間に息抜きをしたいこともあるだろうし、彼女が物語を好んでいたとしてもなんら不思議はない。しかし一体どんな本を読むんだろうとジェストは気になったが、集中している彼女に聞くまでの用事でもない。

 かといって、いくら彼女の私物ではないとしても彼女の留守中に中身を覗き見るようなこともしたくない。シリーズもののようだからその本の別の巻でも図書館で探してみようと、覚えておく。

 ――そうだ、学院祭の模擬店……。

 忘れていたものを思い出したのはベッドに入って目を閉じてからである。

 睡魔への抵抗などできず、一瞬浮かんだ思考はすぐに掻き消えていった。

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