3、実験台という生き方(後編)
集会も授業も夕食も終えてから消灯時間の一〇時までは、学生たちの自由な時間になる。自室で自分の研究をする者や道場で武術の腕を磨く者もいるが、多くは食堂で茶を飲みながら友人たちと談笑したり、図書館や部屋などで思い思いに過ごす。
「その石もキミの研究に関係あるものなんだ」
机の上に並べた小石をピンセットで摘んで眺める少女の目は真剣そのものだ。
「ああ、魔力を秘めた魔石や魔鋼石などだよ。錬金術ではこういう石を利用することが多いし、希少な石は合成して作ったりもする。そのうち習うだろうけど、ジェストには少し早いかな」
「へえ……」
追いつくにはまだ時間がかかりそうだ。借りてきた〈マグナレースの風土史〉のページをめくりながら、次はもっと色々な本を借りて読み漁ろうと、と彼は誓う。少しでも同学年の他の皆に追いつけるように。
それにしてもすっかりこの環境に馴染み始めている。ジェストは秘かに苦笑した。
まったく別人の人生、別人の名前に突然切り替えられたようなものなのに。たまに、『家がもっと裕福だったら、もっと都会に住んでいたら、今どうしていただろう』と想像することがあり、この生活はその想像のひとつに近いが。
さらに想像の翼を広げようとしたところで、トントン、とドアがノックされる。
「……誰だろう」
まず頭に浮かぶのは隣人の顔。
模擬店についていいことを思いついた、と言いつつ、ジェストとキプリスが二人の時間なんて許せない、と乱入してくるのではないか。そんなに早く思いつくものなのか、とは思うが。
しかし、彼の予想はすぐに外れる。
「まだ寝てないだろうな、二人とも。特別課外授業の時間だ」
ジェストがドアを開けると、黒いローブにコート、白金の髪に目の、すでに見慣れてきた姿が本を脇に抱えて立っている。
彼は慣れた調子で部屋に入り、二段ベッドの下段の端に腰かけた。
「特別課外授業……?」
「キミたちは魔力がない、ということになっている。でないとずっと白馬棟にいる説明がつかないからな」
本来、学院に入学する際にすべての学生は魔力感知を受けて魔法への適性を判断される。その上で基礎の授業の他に、当人が受けたい授業を選択する。魔力が弱く適性のない学生は武術系の授業を中心に選択することになる。
ジェストもキプリスも魔力なしと判断されたことになっていて魔法系の授業はほとんど選択しておらず、自由な時間が多い代わりに評価は低くなる。それが二人がずっと白馬棟にいる理由、ということになっていた。
「とはいえ、魔法が使える方が当然有利だからな。実際は二人とも魔法適性がないわけでもないし。キプリスには少しつまらないかもしれないが、まずは実践の基礎から」
実際にはジェストは魔力感知を受けていない。しかし、熟練の魔術師にはどの程度魔力があるのかは見れば大体わかるらしい。
魔法を使えるものなら使ってみたいと思っていたジェストにとって、これは願ってもないことだ。普通なら魔導書を借りるだけでも大金がかかり、魔術師の師匠に習うための費用など、とても庶民には払えるものではない。
故郷から逃がされたはずの母は気にかかるし失ったものも大きいが、今は人生で一番贅沢な時間かもしれない、と彼は思う。授業についてもそうだが、食事は食堂で食べ放題、図書館の本も借り放題、その他の施設も自由に使えるという状況は普通に暮らしている庶民は得られない。
「どうしてここまでしてくれるんだ? こうして教えてくれる必要ないだろうし、それにここの学費とか誰が払ってるんだ? 手厚く歓迎して解放軍に入ってもらおう……とか?」
ジェストには、今の自分自身の価値にこの生活に引き換えにできるだけのものがあるとは思えなかった。
イシェルは彼のことばに笑う。
「勧誘にしては金がかかり過ぎだな。一応、キミは仲間を助けてくれた恩人だし、こうして目の届く範囲にいてくれた方が都合がいいんだ。勝手に帝国軍の追っ手に殺されていた、なんてのも寝覚めが悪い」
今も、帝国軍の粛清部隊はジェストを追っているだろう。指名手配くらいされているかもしれない。
「金は上から出ている。ま、上の連中にもまだキミを信用していないのもいるし、そういうのを安心させるためにもここにいてくれた方がいい」
解放軍についての情報を抱えたまま姿をくらまし、帝国に舞い戻る。それも他人からは有り得ないことではないだろう。ジェストは、戻ってもきっと拷問で情報を吐かされた上でどうせ処刑されるだろうと理解しているが。
「どうしてもここじゃない場所へ行きたいなら仕方がないが、ここを出て生活するとしたら当面は監視がつくだろうな」
「ここの暮らしに文句はないよ。おふくろは気になるけど」
――果たして、ちゃんと逃げられたのか。
疑問の答はすぐに与えられる。
「北の開拓地の町、イルムンドにいる。会いに行くか?」
「いや……今はいい」
無事だとわかっただけでいい。今はそんな気分だった。自分と同じように母も新しい生活に慣れていないだろうし、時間が必要かもしれない。
「それにしても……上から、ってことは国からだよな」
「べつに不思議なことじゃないだろう。帝国に対する行動としては」
それはその通りだった。
強大な力を持つ侵略国に対し、他国はどんな反応をするか。傘下に入る、交渉する、反抗する。傘下に入ることを選ぶ国は少なく、交渉も対抗も相応の力がなければ選べない選択肢だ。
帝国を取り巻く国々の多くは同じ立場の国と同盟を結び、少しでも味方を増やして対抗する力を蓄えようとしている。
しかしこの共和国は地理的に攻めにくいのもあり、現在は様子見をしているとされていた。だが裏では他の国ともつながっていたのだろう。上辺だけでは測れない。知ってさえしまえば当然のことに思えた。
解放軍は、周辺国多数の支援を受けている遊撃部隊のようなものかもしれない。
「ま、だから気兼ねなく勉強することだ。学費を無駄にしないために、しっかりとな」
すでに魔法の基礎についてのさわりは終わり、パタン、とイシェルの膝の上の本が閉ざされる。
特別課外授業が終わると見て、今まで余り口を挟むことなく様子を見ていたキプリスが、この隙を逃すまいとするかのように口を開く。
「ちょっとイシェルに聞きたいことがあるんだ。わたしの研究なんだけれど、行き詰っていて……」
本の上の布に魔石や魔鋼の小石を並べたものを差し出し少女は言う。
「ああ、確か〈魔装填術〉、だっけ?」
それは、ジェストの見聞きしたことのない種類の魔法だ。
「そう。理論的には魔法自体はできた、はずなんだけど。使うべき魔石や魔鋼の種類が分からなくってさ。どれも反発が強くて、なかなか融合させる段階には行かない」
「そりゃ、人体とは本来、合い入れないことが多いからな」
イシェルが並ぶ小石を指さすようにしながら宙で手を動かすと、その魔力に当てられ反応したのか、目を覚ましたように小石たちは色とりどりに輝きだす。まるで自ら発光しているようで、ジェストには高価な宝石よりずっと美しいものに見えた。
「凄い。今までただの石みたいだったのに」
思わず、少年は指先で青白く輝く小石を突く。
それを目にしたキプリスとイシェルは、驚きの表情。
「あ……」
「ジェスト、なんともないのか?」
そう言われ、やっとジェストは触れてはいけない可能性に気がつく。
「ごめん、触ると汚れるとか、おかしなことになるヤツだった……?」
「いや、そうじゃなくて……魔石や魔鋼のような魔力を秘めた石は触れると反発がある。例えば静電気のような……冬物の毛が立った服を着たまま毛布を触るとパチパチ鳴ったりするだろう? そういう現象が起きるものなんだ」
説明されれば、彼もその現象に思い当たる。
「そういえば……故郷で鉱山を掘る手伝いをやっているときに、たまにバチバチッとなる石があったような……鉱夫たちが嫌がるから仕方なくオレがより分けていたんだけど、最初はバチバチ来てたのに、そのうち慣れたみたいで、全然気にならなくなったんだ」
故郷の鉱山の仕事場には、腕力に自信のある大人の男たちばかりがいた。仕事場で最も小さいジェストに怪力が必要な仕事やときに命すら危うくなるような仕事が回されることはなかった代わりに、そういった仕事を除く他の者が嫌がる仕事を押し付けられることはよくあった。
採掘中にバチバチと手が痺れるような感覚のある石に当たるとそれを掘り出してまとめて除けておく。その作業も彼の役目だった。
「うーむ。何度も触れているうちに耐性ができたのか。なかなか聞いたことのない例だな。魔術師になると、魔法で手を防御して触れてしまうし……」
物珍しそうにジェストを見るイシェル。
一方、少女はしばらく相手をじっと眺めていたものの、突然、勢い良くその手を取って握りしめた。
「ジェスト、頼む……わたしの実験台になってくれ!」
発言もさることながら、突然握りしめられた手、少女の勢いと表情にジェストは驚く。
まるで、やっと一抹の希望を見つけたかのような喜びの表情に、見開かれた目は期待を込めたように爛々と輝いている。とても今までの、淡々と日常をこなしているかのような彼女と同一人物とは思えないほど。
さすがに、もっとキプリスと付き合いの長いイシェルも驚いたらしい。
「キプリス、落ち着いて……まあ、キミの研究を考えれば、気持ちはわかるが」
「な、なにかオレの体質が研究に関係あるのか?」
不味いことをしたわけではないらしいが、不味いことになるかもしれない。少年は内心怯みながら問う。
「大アリだよ。なにせ、魔石の反発が最初にして最大の関門だったんだから」
彼女の研究――〈魔装填術〉は、簡単に言うと、人体に直接魔石や魔鋼を融合させて、宿主の意志に従い自在に身体の表面に出現させたり形を変えさせたりする術だという。取り込まれた石などは普段は不可視の魔力としてまとっておいたり、装飾品の形に偽装しておくこともできる。
「へえ……カナヅチが欲しけりゃカナヅチの形にしたり、フォークが欲しけりゃフォークの形にしたり、カップやヤスリにもなるんだ。そりゃ便利だな」
少年は気楽にそう考えていた。
「どちらかと言うと、日常品より盾とか鎧とか武器の代わりになるかと思っていたんだけれども……うん。便利なのは確かだよ」
どうやら乗り気らしいと見て、少女はさらに期待の視線。
それを裏切るようなことは、ジェストにはできそうもなかった。それに、まだ実用化されていない未知の魔法の実験台というのも魅力的に思える。
――オレも、存在価値が欲しいのかもな。
記憶を失って、どこで生まれ育ったのか、家族や友人との記憶も自分が成し遂げてきたことも無くしているキプリス。居場所や名前、故郷を失ったジェスト。どこか似ているのかもしれない。
「いいよ、実験台になっても。イシェルから見ても、危ないことはないんだろう?」
この学院の教授らの中で最も魔法について詳しい者はイシェルらしい、ということはすでにわかっていた。
「ああ、実験にはできるだけわたしも付き合うとしよう。今日はもう遅いから、明日の放課後にでも」
「ありがとう、ジェスト、イシェル。きっと上手く行かせてみせるよ」
礼を言う少女の目は生気と喜びにあふれていた。
お休みを言い残してイシェルが去ってからも、キプリスは机に向かい自分の研究に打ち込んでいた。ジェストは二段ベッドの下段に入る。
「ごめん、明るくて眠れないだろう? まあ、もうすぐ消灯時間だからそれまでだけど。消灯時間には先生が見回りに来る。その後も定期的に巡回があって、そのときに起きているのを見つかると怒られるからね」
「帝国の宿舎も、そんな感じだからなあ……」
つい最近までを思い出し、ジェストは目を閉じる。
「見回る方も大変だね」
「夜中は、夜が得意な人が回るんだよ。シグムート先生とか」
「ああ、夜鬼族、とかいう種族の」
その種族については〈マグナレースの風土記〉にも書かれていた。かつては吸血鬼と混同されて酷い迫害を受けていたこともあるという。
本には、その他の主な異種族についても載っていた。森や水辺に住む妖精ニンフ、有翼の小人である小天使族、洞窟に住む地精、それに獣人が周辺の森や草原、街中に住んで人間と同じように暮らしている。
「そう。他にも、ニンフとか獣人とかこの学院も人間じゃない種族がたくさん暮らしている。イシェルもああ見えて人間ではないよ」
「そうなの? 人間と変わりないように見えていたけれど……」
しかし言われてみれば、あの目の色と髪の色、それに目の奥に薄く見える紋章のようなものは普通の人間には有り得ないもの。
「多分、学院にいる異種族の中でもイシェルは異質だよ。神語族っていう古い少数民族で、神話の時代からいたとか、かつては上も下も左右もない異世界で暮らしていたとか言われている高い魔力を持つ種族」
初めに上も下も左右もない混沌の海があり、そこから神々が生まれた。そういった神話は大陸の人々なら子守歌代わりに聞いている。
「本当は流浪の民だから何年も同じ場所にはいないんだって。でも寿命とか無いに等しいらしくてイシェルも千歳は越えてるし、性別すら周期で変わるらしい」
「へ、へえ……」
どれも今まで見聞きしてきた常識とはかけ離れていて、すぐには理解が追いつかない。
魔術師の中には何百年、何千年と生きている者もいる、とは、イシェルの授業で聞いたことである。それに人間ではない種族は人間とは寿命が違う。
また、この世の性別は二つだけではないというのも本に書かれていた記述を読んでもともと知っていた。三つ以上の複数の性別を持っていたり逆に無性別だったり、そういった特徴のある種族も多数存在する。しかし周期的に性別が移り変わる人型種族とは聞いたことがなかった。
――そもそも、聞くのと見るのとは違うしな。
それが驚きの最大の理由。
本の記述も絵や会話の内容も、それが事実であるかはわからない。この大陸の文明レベルで事実や実際を確かめるには目の前にするしかない。それだけに目の前にした実物には説得力がある。
「言われてみれば、確かに納得……かもしれない」
外見は同年代の美少女のようだが、立ち振る舞いは大人の男そのもの。イシェルから受けるちぐはぐした印象は、その正体を知っていれば納得のいくものだ。
ジェストはつい、周期で性別が変わるなら今はどちらなんだろうと考えかけ、すぐにそれを頭の外へ追い出す。それはとても失礼なことのように思えた。
ゴーン、ゴーン――
不意に、どこかから鐘の音が響いた。
「消灯時間だ」
キプリスが机の上に置いていたカンテラを手に取り、梯子を上ってベッドの上段へ行く。上段の方が着替えも安心してできるだろうと、ジェストが下段に寝る取り決めを昨日のうちにしていた。
しばらくしてカンテラの灯が消える。カーテンのかかる窓から入る淡い月明かりだけが室内を照らす。
「おやすみ、ジェスト」
「おやすみ」
暗闇の中で答え、少年は溜め息を吐く。
――濃い一日だった。
そんな感想とともに、意識はすぐに眠りに落ちていった。




