11、魔剣、閃く(中編)
「なにかあったのかな」
急ぐ用事があるわけでもない。野次馬根性のまま、近づいていく。
学生たちが集まっているのは道場前だ。隙間から内部が見えそうなくらいまで近づいたときには、道場内から聞き覚えのある声が響いてくる。
「も、もう一本だ!」
覗き込むと、頭にバンダナを巻いた少年が模擬刀を手に、赤毛の少年と向かい合っている。道場の壁際には上級生たちも含めて、力尽きたような様子で座り込んでいる姿が十人近く。
「そろそろ部屋に戻りたいから,これで最後だよ?」
赤毛の少年が苦笑して、自分の肩を模擬刀でトントン叩く。
どこかで聞いた声だ、とジェストは思った。しかし特徴のあるわけでもない、どこでも聞こえてきそうな声ではある。それを覚えているだけかもしれない。
「いいぞ。次こそ取ってやる。行くぞ!」
声をかけ、ガーシュは両手にかまえた模擬刀を振り上げて走る。その勢いと腕力を乗せた一撃が一歩も動かないままの相手へ振り下ろされた。
剣先が頭上に迫ると、赤毛の少年は模擬刀を両手にかまえ直して攻撃を受け流す。力の方向を的確に変化させるその技は、明らかに熟練のもの。
しかし何度か挑んだ相手でもあるためか、ガーシュも怯まない。即座に剣先を引いて突きを放つ。
素早い判断と動作だったが、赤毛の少年の目はしっかりと一挙手一投足を捉えていた。足を半歩引いて身体の向きを変えると突きを横に避け、ガーシュの前のめりになった胴の下から模擬刀の刀身を叩きつける。
「ぐおっ!」
ガーシュの身体がわずかに浮き、後ろに転がる。
「勝負あり!」
試合を見守っていたレイエル教授が手を上げる。常に道場が利用される際に待機している医療班がガーシュに駆け寄った。
「ガーシュ、大丈夫か?」
もう試合が行われないと見て、廊下で見物していた学生たちは散り始めた。その間を抜け、ジェストとキプリスは道場内に入る。ガーシュは腹を撫でてはいるものの、大丈夫そうだ。
「こんなところで本気の力で振ったりはしないさ」
赤毛の少年が苦笑して向き直る。
正面から見ると、ジェストは既視感を覚える。学院祭の舞台上で見た、ということはすでに認識していたが。
赤毛の少年――転入生のエイル・リターは淡い笑みを浮かべていた。勝ち誇ったような、獲物を前にした狩人のような独特の笑みは、どこか神経を逆撫でする。
「僕の前の転入生のジェストくんだね?」
「ああ、そうだよ」
警戒を緩めず、しかしそれを気取られまいとしながら応じる。
新しい転入生は笑みを崩さないまま続けた。
「キミはなかなかの使い手らしいね。どうだい、一本お相手してもらうってのは」
と、握ったままの模擬刀の剣先を少し上げるが、ジェストは首を横に振る。
「あいにく、授業以外じゃ試合をやる気はないんだ。痛いの嫌いだから」
「そうかい……残念だ。ここへ来る前にも、剣を振る機会があったんだろうと思っていたんだけどね、キミは」
どこか思わせぶりな口調にジェストは首をひねるが、エイルの関心はとなりに逸れる。
「キプリスさんについても聞いたよ。いつか手合わせしてみたいものだ。ところで、剣術が得意なら魔法の武器には興味はないかい? 強い魔力剣を手にしてみたいとか?」
「強い魔力剣か。興味はあるけど、自分が使う分には今はいいかな。魔剣の作り方の方が今は興味があるかもしれない」
彼女の脇には、錬金術関連の本が抱えられている。嘘はないらしいと判断して、エイルは少し訝しげな顔をした。
「そうなのかい……作るにしても、たぶん見ておいた方がいいんじゃないか。明日の朝、我が家に代々伝わる剣をこの学院に寄贈するんだよ」
そう誘いをかけられるとジェストの方は行きたくなくなるが、もう式典を見学することは少女たちと約束している。
「ああ、見物するつもりだよ。その魔剣の能力も気になるし」
キプリスは素直に答える。
すると、エイルはほほ笑んだ。例の、勝ち誇ったような笑み。
「じゃあ、楽しみにしておくといい」
その手中に落ちたような奇妙な予感を覚えながら、このときはまだ、ジェストはその正体がなにか予想すらつかなかった。
エイルが去ると、ジェストとキプリスは一応、ガーシュを部屋まで送っていこうと申し出る。教授たちもその方が助かるというが、ガーシュは一瞬複雑な表情をした。
「オレもこの後、図書館で本を借りたかったんだけど……いいや、せっかくキプリスさんが送ってくれるって言うんだからありがたく帰ります。本を借りるのは夕食の後でもいいし」
それは、ジェストには少し意外だった。
「へえ、ガーシュが図書館とかで本を読んでるなんて想像つかないけどな」
「なに言ってるんだよ、読書は好きだぞ」
道場を出て歩きながら、彼はちらちらと少女の方を見る。もしやキプリスと趣味を合わせたかったのか、とジェストが思っていると。
「オレは色んなところの歴史とか、古い道具について調べてるんだ。教訓も得られるし面白いし、キプリスさんもきっと気に入るんじゃないかと思うんだけど」
「ああ、確かに歴史は面白いね」
その一言にバンダナの少年は歓喜の表情。彼は少女に自分の知識や興味分野を知ってほしかったらしい。
「大昔はこの辺りを魔力を使った浮遊要塞や飛空艦が飛び交って戦争をしていたとか、この辺りはかつて湖だったとか、古代の超兵器や乗り物がどこかの地下の遺跡に眠っているとか浪漫がありますよね」
その目が遠くに思いをはせているように輝く。ガーシュが歴史好きなのは間違いないらしい。
「古代の超兵器なんてのが手に入ればかなりの戦力になるだろうね。でもそう簡単にはいかないだろうから、わたしは作る方に興味があるな」
と、彼女は抱えていた本を少し持ち上げて見せる。
ガーシュは我に返り、少し声を低くする。
「これはただの好奇心の質問なので答えたくなければ答えなくてもいいんですが……その、最近聞いた話だと二人はほぼ毎日、二人だけで閉鎖された空間に何時間かいるとか。それは本当ですか?」
「ああ、本当だよ」
意を決した質問に、あっさりとした回答。
先ほどとは真逆の愕然とした表情を浮かべ、彼は一拍の間歩くことも忘れて慌てて追いつく。
「そ、その閉鎖空間は人目も届かず、なかなか他人は立ち入れないとか……つまり、二人で他人の目にさらされたくないことをしているわけですよね?」
「確かにそうなるな」
――おい、おい。
さすがに誤解が生まれ、あるいはすでに生まれて加速しているところのようだと判断してジェストが口を開こうとするが、その前にキプリスがことばを続けた。
「二人きりとは言うけど、まず部屋が同居なんだからそこと大した変わらない気がするんだけどな」
「それはまあ……いやでも、場所はともかく人目をはばかる行為は禁止されているはずなわけでその、まだ男女の関係というのは早いと思うわけで」
「男女の関係?」
ガーシュのそのことばで、キプリスも相手の言いたいことがなにかを悟ったようだ。その瞬間、ジェストは今まで見たことのない彼女の表情を見る。
少女は指先から顔全体まで、見るからに赤く染まったのだ。
「そ……そういうんじゃない。ただ、二人で勉強しているだけで」
「そうだよ。キプリスの魔法実験につき合ってるだけなんだ」
思えば、記憶を失う前からキプリスを知っていて解放軍の一員であるガーシュに〈魔装填術〉について秘密にしておくことはない。キプリスを困らせるようなこともしないだろうからむやみに秘密を話してしまう心配もなさそうだ。
と、ジェストがきちんと説明しようとするが、
「わ、わかった。そういうことにしておこう。さ、作戦を立て直さないと……それじゃあ、ここでいいから!」
早口でそう言い残して、顔に焦りと衝撃をにじませながら走り去っていく。止める時間もなかった。
残された二人は唖然と見送るばかり。
「……ありゃあ、なにか誤解されたな」
「あ、有り得ないことを」
少女はまだ、頬を少し赤く染めていた。
「最近、〈恥ずかしい〉っていう感情がよく実感できるんだ。二人きりでその、不純な行為を行うなんて……思い出すとキミの前で着替えようとしたことも恥ずかしくなってくる」
「え、今さら?」
「しょうがないじゃないか、最近になって実感したんだから」
最近になって、ということは最近彼女の感受性は変化したらしい。
ジェストはティティアに言われたことを思い出す。自分の存在が少しは彼女に変化を与えているのかもしれない。単に少しずつ、時間の経過で彼女の感情が記憶を失う前に近づいているだけという可能性もあるが。
「まあ、そうやってなにが恥ずかしいのかを理解できるようになったのは進歩なんじゃないか」
「本当に進歩なのかな……退化な気もするけどね」
再び並んで歩きだしながら、少女はどこか釈然としない様子だった。
魔剣寄贈の式典は朝七時から行われる。一日の最初の授業までも何時間もあるため、起きている学生も半数いるかどうかだ。白馬棟〈三三七〉号室の二人も、いつもはこの時間くらいに起きる。
そのような時間なので、式典に集まるのは関係者と、本当に興味のある一部の学生のみだ。
ホールの奥に魔剣の置かれた長方形の台座があり、その周りにエイルや学長、教授ら数名、壁際に警備兵たち、台座や関係者らを眺めるように二〇名あまりの見学の学生たち、という構図だった。
一度振り返ったジェストは見覚えのある金龍棟の上級生らの姿を見つけてギョッとするが、さすがにこの多くの目がある場では嫌がらせはできないだろう。
「綺麗な剣ですね。どんな力があるのか気になります」
ティティアが目を輝かせる。
台座の上で固定された剣は刀身が白く、鍔は細かい模様が刻まれいくつか玉石も散りばめられていた。飾っているだけでも絵になりそうな剣だ。
「あまり強い魔力はなさそうだけど、おもしろい能力があればいいね」
一方、キプリスは少し拍子抜けした口調だ。
「これより寄贈の儀を行います」
進行役のキュレリア教授が口を開くと、わずかな雑談の声も途切れる。
エイルが用意してあった巻物を懐から取り出し、リター家に伝わる〈魔剣ニブル〉をゲネシス学院に寄贈する旨を述べた。それに対し学長が礼を言う。
ここまでは形式通りの、よくあるやり取りだ。
「では、早速寄贈された剣を鑑定させてもらおう。我々にとって有意義な能力を持っていると嬉しいの」
やがて、鑑定に辿り着く。
形式ばったやり取りは少しつまらなそうに聞いていた学生も多い中、この段階になると皆が興味津々で台座の上に目を向けた。それは教授たちも、魔剣に手を伸ばす学長も同じだ。
注目が一点に向かう中。
ドン!
突然、爆音とともに床が揺れる。
「なに……?」
振り向くと出入口のひとつの近くで煙が昇り、警備兵たちがそこへと駆け出す。
「動くな」
巻き起こったざわめきと悲鳴は、感情のない声の主を確かめるだけの時間を置いてプツリと途切れる。
赤毛の少年が手にした匕首を、学長の首に押しつけている。
「あなた……なにをしているか理解してるんですか」
キュレリア教授が眼鏡の奥から少年をにらむ。
「もちろんですよ。あなたたちと一緒にしてほしくないものだ」
「帝国の手の者だな」
ほほ笑むエイルに捕らわれたまま、学長が嘆息する。
「そうですよ。裏切り者を追いかけていたらここへと辿り着きまして。ここは解放軍の重要施設に違いないと判明しました。僕がそれを知らせれば、三日もなくここは占拠されるでしょう。しかしその前に、手に入れたいものがありましてね」
彼のしゃべり方は、今までと少し違っていた。その変化した今の方が元帝国兵の少年にとっては馴染みがある。
ずっと抱いていた既視感。それが今、ジェストの中でつながった。
「クリタス……お前、クリタスか!」
髪を染め変装はしているが、目鼻立ちと仕草の癖など、少年兵時代によく目にしていたそれと変わらない。
「やっと気がついたか。まあ、キミには感謝しているよ。制服で歩くキミを見かけたからこの学院まで辿り着けたからね」
制服で学院の外を歩いたのは、街で買い物をした一度だけ。
――あのときもう、マグナレースにいたのか……?
ジェストは内心驚く。あれは学院に来た翌日の話だ。クリタスの家は財力も豊かな大貴族であり、独自の情報網を持っているのかもしれない。
「キミを捕らえるのは僕の役目だからね。しかし、それで学院に辿り着けたのは幸いだ。ここについては色々と調べさせてもらった。学院内に協力者もできたしな」
彼が視線を送る先にいるのは、ファンナルとジールだ。帝国につけばそれなりの地位を用意しようと言われて寝返る者もいる。二人の学生の周りからは非難の視線が集中するが、彼らは意に介さない。
「この学院には強力な武器がいくつも保管されているそうじゃないか。かつて解放軍に強力な魔剣の使い手がいた、という話を思い出したよ」
「そこまでわかってるのか……」
ジェストは危機感を覚え唇を噛む。
「キミも、やはり知ってるんだね。解放軍との戦いで神語族や少女の剣士を見た者がいるらしいが、キミはその二人と歩いていたらしいからね」
今さらながら、学院の制服で二人と買い物に出たことを、ジェストは迂闊だったと思う。しかし当時、それをすでに帝国の追っ手に見られているとは想像できない。恐るべき、クリタスの執念だった。
「キミならもっと有益な情報も知っているんじゃないか。それに、生まれ育った帝国に戻れるとしたら戻りたいだろう?」
「無理だろ、帝国は裏切り者を許すほど甘くない」
「解放軍の拠点や強力な武器と引き換えなら上層部も考えるだろう。僕が口添えしてあげよう。なんなら、これはもともと作戦だったことにしてもいい。上層部の誰かを買収して手を回せば上手くいく」
口先ではなんとでも言える。目的さえ果たせば、クリタスは裏切り者を帝国軍に簡単に売り渡すかもしれない。
しかし、彼のことばはきっと嘘ではない――ジェストはそう感じる。クリタスが最も重視するのは帝国への忠誠よりも、彼自身の誇りや功名心だ。それが彼の執念の原動力であり、短所にもなる。
数秒の間考えて、ジェストは言った。
「いいだろう、命を助けてくれるっていうなら、お前の配下に入って強力な武器の行方も教えてやろう」
「ジェストさんっ!?」
「本気なのか……それは」
ティティア、キプリスも動揺を声に出し、学長や教授らも信じられない、という目で少年を見る。
ジェストは目を逸らした。
「悪いな、みんな。やっぱり生まれ育った帝国は裏切れないし、帝国軍には友達もいる。あとは、どっちについた方が将来生き延びられるか、って話だ」
学院の者たちは苦々しく表情をゆがめ、クリタスはくくく、と小さく声をあげて笑う。
「周りの顔も演技ではなさそうだな。賢い選択だ。強力な武器とやらによっては、キミを僕の第一の部下にしてやろう。つまらない物ではないだろうね」
「ここにある、他のどんな武器よりも強力だ」
学長らが表情を変えるが、ジェストはかまわず続ける。
「〈魔剣ゲヘナ〉――二年前、帝国軍を苦しめた一騎当千の超兵器だよ」
その剣の名前になにかを感じたか、キプリスが弾かれたように顔を上げる。
「人質は学長である必要はないだろう。わたしが代わりになる」
「それは……」
それは、彼女も魔剣を目の前にするということだ。ジェストは彼女を地下に近づけさせたくないが、制止のことばを続ける前にクリタスが口を開く。
「いいだろう。魔剣を手にしていた解放軍の女剣士の外見情報と、キミは似ている。なにかおもしろいものが見られるかもしれない」
少年のニヤニヤ笑いは、学院の者たちの目にひどく醜悪に映った。




