じゃあヒノキで
僕は生まれて初めての丸太酔いを経験していた。
視界がぐるぐると回り、非常に気分が悪い。
丸太に飛び乗ったのは良かったのだけど、真の地獄はその先にあったのだ。
「うぷっ、丸太って案外揺れるんですね」
そう、丸太はとても揺れが酷い。
体験すれば分かると思うけれど、高速移動する丸太は少しの体重移動でバランスが崩れ、そのまま体が持っていかれるのだ。
それを持ち直そうとすると、僕を見て分かる通りとてつもないグロッキー状態になる。
「当たり前だろう。丸太は円柱、股でしっかりと挟んで 固定しなければ左右に揺れて気分が悪くなるのは必定だ」
委員長は平気な顔をしているけれども、彼女が特殊なだけであって流石に初見で酔わない人はいないと思う。
「それより、着いたぞ。ここが村長の家だ」
委員長の向いている方向に視線を移すとそこには丸太丸太しい質感の残る大きなロッジハウスが一件建っていた。
樹々茂村長宅と言うだけあって丸太への激しい情熱が感じられる造りだ。
「……樹々茂どんだけなんだ」
丸太至上主義を唱えたり、家が丸太丸太しかったりする樹々茂はきっと狂人に違いない。それもえらくピンポイントな。
「村長、転校生を連れて来ました」
インターホンが無いのか委員長は丸太由来のドアをノックしながらそんな事を言うとギィとゆっくりとドアが開いた。
「おや、柊君と…… 君が転入生の樹君か。さぁさぁ、二 人とも上がっていくと良い」
ドアの奥から現れたのは狂人では無く、ごくごく普通の何処にでもいそうな中年男性だった。
眼鏡を掛けた穏やかな顔立ちに白衣を纏った愛嬌のある短い手足、腹部は少し丸まっていて近未来の猫型ロ ボットを想起させるような姿をしている。
マッドな容姿を想像していたから少し面食らってしまったのは内緒だ。
客間に通された僕と委員長を迎えたのは沢山の木製の工芸品達だった。
ワークショップで時折見かけるような出来のものが足元にゴロゴロと無雑作に転がっている。
「おっと、すまない。片付け忘れていたようだ。……どうかね? 私の手製の工芸品達だ」
「えぇと…… 暖かみがあって、丁寧に作られているような感じがします。お上手なんですね」
「そう言って頂けると作った甲斐があるというもの。あぁ、それは良かった」
僕がそう言うと村長は顔を綻ばせた。丸太至上主義とか言わなさそうな、人好きのする笑顔だ。
一方、委員長なんだけども……。
「丸太だ! 樹々茂の魂! やはり丸太の正義は私達 にある……ッ!」
木製の工芸品に大ハッスルして、何やら意味不明な事を口走っていた。
「おやおや、柊君は少し疲れているらしい。そうだ、最近園芸を始めたんだ。色とりどりの花が咲いて綺麗だから是非見て行くと良い。きっと気も落ち着くだろう」
「あ、有り難き幸せ! ……おい樹、私が居なくても粗相の無いようにな」
「しませんよそんな事…… 」
委員長じゃあるまいし、と言うのをどうにか喉元で留める。
すると委員長は僕の気も知らずに一言「そうか」と言い残して足早に外へと去って行ってしまった。
……もしかしたら、頭がおかしいのは委員長だけで村長自体は常識的な人なのかも知れない。そんな事を考えていると不意に村長が口を開いた。
「さて…… 何と切り出したものか。いや、先ずはこう言うべきなんだろう。お悔やみ申し上げると」
「……はい」
僕がこの村へ来た理由。
それは唯一の家族である母さんを癌で亡くしたからだ。
因みに父さんは僕が生まれると同時に失踪してしまったようで、母さんは女手一つで僕を育てることになったらしい。
ただ、どう言う訳か父さんは家にちゃんと仕送りはしてくれていたようで金銭的に困窮していたと言った話は聞いた事が無い。
しかし、母さんが死んでからその仕送りがいきなり途絶えてしまい、次第に生活が困窮。
生活費がタダという 売り文句に釣られて僕は一人、この村に移住する事に決めて今に至る。
「君もさぞかし辛い思いをした事だろうと思う。しかし、そんな中でもこの村へ移住する決断をした君を私は讃えよう。そして最大限歓迎しようじゃないか。ようこそ、丸木村へ」
「ありがとう、ございます」
何て温かな言葉だろうかと思った。一言一句が胸に染み渡るような気さえする。
きっとこの人が丸太至上主義 を唱えたと知らなければ、今頃僕は大いに泣いていた事だろう。
本当にどうして丸太至上主義を唱えてしまったのか……。
「この村は古くからの日本のあり方を……強い連帯意識と村社会を体現した数少ない場所だ。きっと皆、温情を以って君の助けとなってくれる事だろう」
「……はい」
「さて、話は変わるが―― 」
村長はそう言うとこの日一番の笑みを浮かべながら それを取り出した。
そう、本日だけで相当回数目にしたアレだ。
「君は、丸太が好きかね?」
――丸太だ。
「アッ、ハイ」
ここでもまた丸太が出てくるのかと半ば諦めの滲んだ声でそう呟くと、村長ははっきりと良く通る声で饒舌に喋り始めた。
「そうかそうか! 私も丸太が好きだ。私は丸太が好きだ。私は丸太が大好きだ! アカマツが好きだ。トドマツが好きだ。イチョウが好きだ。イチイが好きだ。この地上に存在するありとあらゆる丸太が大好きだ! 並べられた丸太がチェーンソーで切り刻まれるのが好きだ。DIY 初心者が丸太を前にして途方に暮れる様を見ると心が躍るッ !!」
「あ、あの一体何を?」
「君は丸太を望むか? 糞のようなプラスチックや金属を捨て、木目と温かみに溢れる丸太を望むか?」
「え? あ、はい」
「宜しい! ならば丸太を !! その手に丸太を手に取り給え!! 文明の進化の上で胡座をかいている連中を、丸太を片手に叩き起こそう。連中に丸太を振るう音を思い出させてやる」
……やっぱり、案の定頭がおかしかった!!
別に委員長だけが頭おかしかったんじゃない。村長も充分頭がおかしい……!!
「さて、歓談も終わったところで君の丸太を選ぶとしようか。君の相棒となる丸太だ、心して選ぶと良い」
村長に連れられて外に出ると三本の丸太が鎮座していた。
これは見た事がある。最初の御三家を選ぶ流れだ。 いや、丸太の御三家とか知らないけれども。
「右から、モミ、ヒノキ、エゾマツ。どれも良い質のものを取り揃えておいた。好きに選ぶと良い」
先程村長はアカマツ、トドマツ、イチョウ、イチイが 好きと言っていた。
けれどこの場には村長の言っていた種類は一つも無い。
だからどうこうと言うつもりも無いし、丸太への愛着 なんてこれっぽっちも無いけれど、それでも何だか釈然としない物を感じる。
「じゃあヒノキで」
「成る程、ヒノキを……。ヒノキは良い。ヒノキは純粋にして無垢だ。きめ細かく、優しい木目、それに清涼感溢れる匂い。それはさながら丸太界の純白の花嫁! 実に良い選択だ! 大切にすると良い」
真ん中の丸太に目を落としてみるけど、正直僕の目に はどれも同じに見える。
どれもこれも一様に木だ。
「わ、分かりました」
だけど、好意で貰った物なのだから変に引いたりとか、 嫌な顔をするのも悪いと思い笑顔を繕いながら丸太を受け取る。
けれどそこはやはり丸太。見た目通りの重量があって 持つ手が少し震えた。
「さて、そろそろ柊君も落ち着いた頃合いだろう。丸木村には見るべきところがそれこそ丸太の数ほどある。一日では到底回りきれないだろうが、暇な時間が出来たならゆっくり回ってみると良い」
「分かりました……丸太ありがとうございます」
言っていることの耳障りは良いのだけど、悲しいかな 丸太だ。
この村の人は丸太が絡まないと会話が出来ないの かと少し……いや、とても不安になった。